のんびりと平和な光景が一転、阿鼻叫喚の地獄絵図に
オープニング。カラー画面で、現在のベルファストの街並みが映し出される。やがて(1960年代から1998年の和平交渉の時期に描かれた)「平和の壁」の壁画が映しだされると、カメラが上がって、壁の向こうに広がるプロテスタント教徒たちが多く住む移住区をモノクロでとらえる。現在はカラー、郷愁に満ちた過去の世界はモノクロなのだ。
15th Augusut 1969。ふたつの時代をつなぐヴァン・モリソンのオリジナル主題歌「ダウン・トウ・ジョイ」が流れるなか(いい曲、いい歌声だなあ)、通りで遊び、くつろぐ町民たちの姿が描かれる。
フットボールの球を追いかける子どもたち。陽だまりでお喋りをするおとなたち。
そのなかに9歳の少年バディ(ジュード・ヒル)もいる。木製の剣を持ち、ゴミ缶のふたを利用した盾で、相手の攻撃を防ぐ真似をして遊んでいるのだ。お母さん=マ(カトリーナ・バルフ)が食事に呼ぶ声が聞こえる。
バディが家に戻ろうとしたとき、カメラが彼の周囲をぐるぐると回り始め、一転、陽の光が陰る。通りの奥から暴徒たちが現われ、押し寄せてくるのだ。
何度も警告した。カトリックは出て行け! 窓ガラスが割られ、マに助けられたバディは、兄のウィル(ルイス・マカスキー)とともに家のテーブルの下に隠れる。近づくサイレンの音。ガソリンに火をつけられ、爆発、炎上する車。
暗転。翌朝、住民たちが割れたガラスや散乱したゴミを片づけている。TVのニュース画面では前日の模様が伝えられている。「襲われたのはプロテスタント地区に住む少数のカトリック教徒たちです。彼らは立ち退きを迫られているのです」
こうして『ベルファスト』は始まる。ロンドンへの出稼ぎからたまに帰るパ(ジェイミー・ドーナン)、祖母のグラニー(ジュディ・デンチ)や祖父のポップ(キアラン・ハインズ)を交えた少年バディのささやかな成長日記として。そして、動乱の時代を過ごした家族の物語として。
作品賞、監督賞、助演男女優賞など、アカデミー賞7部門にノミネート!
製作、演出、脚本は北アイルランド・ベルファスト出身のケネス・ブラナー。今年のアカデミー賞(発表は3月28日、月曜日の早朝から)で、作品、助演男優、助演女優、監督、脚本、歌曲、音響の全7部門にノミネートされている注目作だ。
作品、助演男優(キアラン・ハインズ)、監督&脚本(ケネス・ブラナー)、歌曲賞(ヴァン・モリソン)あたりを獲ったらたいしたもの。ちなみにブラナーは『Swan Song』(1992年)の実写短篇映画を含め、今回で史上最多の計7部門ノミネートを果たした映画人だ。これは6部門のウォルト・ディズニーやアルフォンソ・キュアロンを越えた快記録。もちろん映画は「記録」よりも個人の「記憶」が上になるものだけどね。
少年バディの輝ける日々。TVで流れるUSSエンタープライズ号の雄姿『宇宙大作戦』や、映画館で観る『恐竜100万年』のトリケラトプスとティラノサウルス・レックスの戦いと、皮のビキニを着たラクウェル・ウェルチらの鼻血ブー的美女。ゲイリー・クーパーの西部劇『真昼の決闘』と主題歌「ハイ・ヌーン」の朗々たる響き。
それらを背景に、バディの時間は過ぎてゆく。
イギリスとアイルランドが歩んだ「衝突」と「暴力」の道のり
同時にオープニング・シーンにもあるように、『ベルファスト』には当時の北アイルランド紛争が大きな影を落としている。
なので、ここでは簡単にそれについて書いてみよう。最近ではイギリス(正確にはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという4つの地域の集合体)のEUからの離脱も話題になった。それぞれの地域に誇りがあり、それゆえめんどくさい間柄なのだ。
地図を見ればわかるけれど、中央にあるのがグレートブリテン島だ。島の面積の半分以上を占めるのが「イングランド」で、島の西側に「ウェールズ」と北側に「スコットランド」がある。
グレートブリテン島の西にあるのがアイルランド島で、島の北東部が「北アイルランド」(映画の舞台である首府ベルファストはここにある)、南の土地は1922年にイギリスから分離し、1949年に独立した別の国「アイルランド共和国」。こちらの首府はダブリンだ。
映画で描かれる北アイルランド紛争は、主にプロテスタント系でイギリスへの帰属を望む「北アイルランド系住人」と、南のアイルランドとの統一を目指す「カトリック系住人」の間で起きた流血騒ぎのこと。1960年代から互いの民兵組織が争い、3千数百人の死者を出す内戦となった。1998年に和平合意が成立したが、火種はいまも消えていない。昨年の春には、ベルファストを中心に再び暴動、放火事件が起こり、この理由のひとつにはイギリスのEUからの離脱問題があると言われている。
ふう。わしゃ、疲れた。イギリスには何十年も行っていないし、正直よくわからんのよ。宗教と歴史が複雑に絡まっているし、答えはひとつではないし。カトリックとプロテスタントの争いと言われても、俺はクリスマスにはケーキを食べるし、正月には適当なこと、神さまにお願いするし。
でもわからないこと、複雑なことがらが面白いのは確か。なにより、『ベルファスト』にはそれらを越えて、バディ少年が光線銃を撃つ子ども時代の郷愁が詰まっているのだ。アカデミー賞授賞式でも健闘するのではないか。
おじいちゃんと孫。キアラン・ハインズ(『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』、『沈黙ーサイレンス-』)と、これがデビュー作となるジュード・ヒルの会話が大好きだ。学校で近くの席に座る女の子のことを相談し、「女はナゾが多いからな」と答えるおじいちゃん。ふたりの間には、父や母とはまた違う温かい感情が流れている。
ラストシーンで、「でもあの子はカトリックだよ」と言うバディに、父親はこう答える。「あの子がヒンドゥ教徒でも反キリスト教徒でも関係ないさ。優しくて互いを尊敬できるのが人間には何より大切なんだ」
監督のブラナーは労働者階級出身のプロテスタント。キアランズは同じくベルファスト生まれのカトリック教徒だ。母親役のカトリーナ・バルフはアイルランドのダブリン生まれ。父親役のジェイミー・ドーナンはベルファスト生まれだ。
もともと北アイルランドの庶民たちは、宗派はそれほど関係なく同一地区で暮らしていた。その時代の夢や希望を、ベルファスト生まれで、造船所の技士を父に持つヴァン・モリソンが全篇で歌い上げる。
パーティ・シーンでパパのジェイミー・ドーナンが“君に永遠の愛を誓おう。もういちどやり直そう”と歌いだす「エヴァーラスティング・ラヴ」は、ラヴ・アフェアーの全英ナンバー・ワンのヒット曲だ。
ドルビー・アトモスで音もいい。ケネス・ブラナーとのコンビ作品が多いハリス・ザンバーラウコスによる陰影に富んだ撮影もいい。今年の春の一番星。みなさんにお勧めするゆえんである。
『ベルファスト』
3月25日(金)TOHOシネマズ シャンテ、渋谷シネクイント他にて全国ロードショー
製作・監督・脚本:ケネス・ブラナー
出演:カトリーナ・バルフ/ジュディ・デンチ/ジェイミー・ドーナン/キアラン・ハインズ/ジュード・ヒル
原題:Belfast
2021年/イギリス/1時間38分
配給:パルコ ユニバーサル映画
(C) 2021 Focus Features, LLC.