執筆陣
「日の出までに10万人以上の死者を出し、東京の4分の1が焼失した史上最大の空襲」に今、あらためて迫る『ペーパーシティ 東京大空襲の記憶』
「オレンジ計画」の時点でもう日米戦争が相手側のなかで一方的にプログラミング済みだったとしても、それでもミッドウェイぐらいで引き返していたら、少なくとも1945年の惨事はなかった。
自分が生まれる何十年前の同じ日に東京が火の海だった、そう知ったのはおそらく中学生ぐらいの頃だ。東京都江東区の「東京大空襲・戦災資料センター」にも足を運んだことがある。写真もすさまじかったが、文章やイラストの生々しさにも想像力が増幅させられて、見終わったあとに気分が落ち込んだ。だが知っておくべきことがここにあるのだ、という知見も蓄積された。
今回、この空襲をテーマに作品を監督したのは、オーストラリア出身の映画監督...