WOWOWは去る6月21日に、渋谷・NHKホールで一夜限りのライブイベント「JAZZ NOT ONLY JAZZ」を開催した。ジャズ・ドラマーの石若 駿氏がこの日のためにThe Shun Ishiwaka Septetを結成、豪華ゲストを迎えた夢のステージを披露している。同社では8月16日19:00〜、このライブの配信を行う(23日までのアーカイブあり)。しかもLive Extremeを使った、ハイレゾ・イマーシブサウンドが採用されているという。では、この配信マスターはどのように製作されたのか? 製作を担当した、同社技術センター エグゼクティブ・クリエイター 博士(芸術工学)の入交英雄さんとコンテンツ技術ユニット エンジニアの沼田彰彦さん、蓮尾美沙希さんに詳しいお話をうかがった。(StereoSound ONLINE編集部)
「JAZZNOT ONLY JAZZ」
●公演内容:6月21日にNHKホールで開催されたライブイベントを、2K映像とハイレゾ・イマーシブ音声で配信。
●バントメンバー:The Shun Ishiwaka Septet Dr.石若駿、Gt.西田修大、Gt.細井徳太郎、Ba.マーティ・ホロベック、Sax.松丸契、Tp.山田丈造、P.渡辺翔太
●ゲスト:アイナ・ジ・エンド、上原ひろみ、大橋トリオ、田島貴男(Original Love)、PUNPEE、堀込泰行
配信の詳細
●配信日時:8月16日19:00〜(8月23日までアーカイブ再生可能)
●配信フォーマット:映像(フルHD)+音声AURO-3D (96kHz 13.1ch、48kHz 11.1ch)、オーロヘッドホン、ステレオ
●再生対応デバイス
①AURO-3Dに対応したAVアンプとHDMI接続する場合:Windows10以降(対応ブラウザ=Chrome)、macOS 11以降(対応ブラウザ=Safari、Chrome)、Nvidia Shield TV/Shield TV Pro(再生アプリ=Artist Connection)
②ヘッドホンで再生する場合:iPhone/iPad(再生アプリ=Artist Connection)、Google Android(再生アプリ=Artist Connection)
●視聴チケット(8月23日20:00まで販売)
①Streaming+ 3,500円(ステレオ配信)
②Live Extreme 4,500円(ハイレゾ・イマーシブ/ハイレゾ/ステレオ配信)
※対応機器が別途必要となります
※「JAZZ NOT ONLY JAZZ スペシャルエディション」は9月23日(休)16:00〜WOWOWライブで放送予定
麻倉 今日は東京・辰巳のWOWOW放送センターにお邪魔し、6月に開催された「JAZZ NOT ONLY JAZZ」の配信用コンテンツを大画面&AURO-3Dで体験させていただきました。この視聴室は、様々なサラウンドを規格に則したスピーカー配置で再生できるのが特徴ですが、今日のサウンドも素晴らしかったです。絵も音も感動的でした。
入交 収録から時間がかかってしまいましたが、ようやくイマーシブオーディオのミックスも完了し、麻倉さんにご覧いただくことができました。
麻倉 まずは今回の配信に至った経緯から教えて下さい。
入交 WOWOWとしては、当初はイベントとして企画していました。東京ジャズがなくなるといった状況の中で、ジャズのイベントで人が呼べるものを考えたのです。お陰様でライブのチケットは早々に完売し、お客様にも好評でした。そこで次に8月16日に配信を行うことになり、9月23日にはWOWOWでの放送も予定しています。
麻倉 この作品は配信先行なんですね。放送局なのに面白い。さて今回のライブは、渋谷のNHKホールという大きな会場でのジャズセッションですが、どのような狙いで収録に臨んだのか教えてください。
入交 われわれが目指したのは、ホールの臨場感、音の印象をユーザーに届けることでした。観客席の一番いいところに座っている印象を感じてもらうにはどうしたらいいのかというところから音作りを始めました。
麻倉 具体的にはホールのどのあたりの席をイメージしているのでしょう?
入交 かぶりつきです。1Fの前方、演奏者の顔が見えるような席を想定しています。
麻倉 今回はイマーシブオーディオでも配信します。
入交 コルグのLive Extremeプラットフォームを採用し、音声圧縮にはAURO-3Dを選びました。96kHzの11.1ch(7.1+4H)と、48kHzの13.1ch(7.1.5.1)の2種類になります。LiveExtremeはブラウザベースのサービスですので、パソコンのHDMI出力をAURO-3D対応AVアンプにつないでいただければ、イマーシブオーディオで楽しめます。
麻倉 13.1chも準備するとは、気合が入っていますね。
入交 13.1ch音声については、AURO-3D対応AVアンプを購入した方から再生するソースがないので、作って欲しいという声を多くいただきました。弊社ではこれまでもAURO-3Dを採用した配信実証実験を行っており、そういった方の期待も感じていたので頑張りました。
演奏もアンビエンスも最適な収録を行うために、マイク配置も熟考した
会場となったNHKホールには、イマーシブオーディオに向けた音素材を記録するために、入念なマイクセッティングが行われている。上図がその配置図で、ステージ上に各楽器用に合計12本、ステージ周辺や客席にはアンビエンス用として18本をセットしている。この他にPA用のマイクもあり、それらの音も含めて108本ぶんの音素材から13.1chのマスターが制作されている。
麻倉 13.1chのスピーカー構成はどうなっているのですか?
入交 フロアーが7chで、フロントとリアのハイトスピーカーが4ch、トップセンターが1ch、さらに天井中央のボイス・オブ・ゴッドを加えた13ch+サブウーファーという構成です。
麻倉 13.1chのイマーシブオーディオを作るとなると、現場での録音もたいへんだったと思います。
入交 収録には、13.1用のマイクをセットしました。まずアンビエンス用として、オムニクロスと呼んでいる4本一組のシステムを客席前側の天井から吊り、さらにその上部にもマイクを1本吊るしています。さらに客席を包むように4本のマイクをなるべく低い位置に設置して、客席寄りの音を拾っています。この9本で主にNHKホールの反響や残響を録音しました。
その他に、ステージの手前に客席を狙う4本のマイクを設置しています。その外側にも2本、客席の反応や拍手を集めるマイクがあり、さらにステージ後方の高めの位置にある3本でどちらかというとメインマイクに近い扱いです。これらマイクはステージ上方の反響を集めています。こういった高さの情報があると、臨場感が違って来ます。
麻倉 アンビエンス用だけで合計18本ですか。先ほどの試写でも拍手がとてもリアルでしたが、これだけのマイクで集音した成果なんですね。
入交 それは、オムニクロスを使った効果も大きいと思います。拍手は低い位置のマイクを使った方がいいと思われがちですが、それだとマイクに近い人と遠い人の音の違いが耳についてしまうんです。逆に少し離れた場所にマイクを置いた方がいい結果になります。
麻倉 演奏収録用のマイクはどうなっているのでしょう?
入交 ステージ用には、われわれが設置したマイクが12本と、その他にPA用マイクがたくさん並んでいます。
麻倉 PA用というのは、会場で流す音声のマイクですね。
入交 そうです。ステージの両脇にも大型PA用スピーカーが置いてあり、そこで再生する音を拾っていました。
麻倉 演奏を収録するマイクは、楽器ごとにセットしたんですか。
入交 ピアノの前にマイクを立てていますし、ドラムは大きさの違う太鼓の前に4本セットしました。さらに必要に応じてPA用マイクの信号も分けてもらい、それらを使ってミックス作業を行いました。
ピアノもわれわれとPA用ではマイクの設置場所が異なります。PA用はピアノの屋根(天板)の中にマイクを差し込んでいますが、こちらは少し離した状態で、しかも左右それぞれ高さ違いの合計4本のマイクを使いました。ピアノ全体の響きを録ろうと思うと、やはりある程度距離があったほうがいいのです。
麻倉 今回は何本のマイクで収録しているのでしょうか?
入交 PAまで含めると、108チャンネルになります。
麻倉 そんなにあったんですね。確かに視聴した印象も、音数が多くて、音が面から出ているという感じでした。またピアノは中央やや左側に寄っていて、ヴォーカルはセンターに居るといった具合に、音源位置が正しく再現されているなぁと思ったのです。
沼田 もともとの響きが結構強いので、それを抑えなくてはいけませんでしたが、といって臨場感を無くすわけにもいきません。また楽器の明瞭さも感じられた方がいいので、それらのバランスを取るのに苦労しました。
麻倉 アンビエンスの使い方は、ステージが前方にあって、会場の響きで視聴者を包むというやり方だったと思います。その方向性は最初から決まっていたのですか?
沼田 基本的にはそうですが、いくつか工夫もしています。例えば1曲目ではギターが効果音的な演奏をしています。そこは音が動いてもおかしくないので、定位を前後に振っています。他にも、要所要所でびっくりさせるような効果、ダイレクト音が一瞬後ろに行くといったギミックも入れています。
入交 ただし、視聴者に“あ、ここで音が動いた”と悟られてしまうと意識がそっちに行ってしまいます。それでは本末転倒なので、あくまでも音楽を聴く上でプラスアルファになるように注意しました。
麻倉 本作は演奏がスクリーン側で安定しているし、どの曲を聴いてもステージのイメージが揺るがないので、安心して楽しめます。その上で広がり感、音に包まれる感じもしっかりあるのが素晴らしいですね。
沼田 ヴォーカルはセンター定位を基本にしているので、ステージが安定しているように感じられるのではないでしょうか。ただし、複数人で歌う曲では、声をそれぞれの歌手の位置に定位させています。
麻倉 アイナ・ジ・エンドさんのパフォーマンスも素晴らしかった。ヴォーカルもいいし、ダンスも魅惑的でした。最初はピアノとヴォーカルだけでしたが、その空間感も見事だったし、楽器が加わっていくことによる音場の変化もよく分かりました。
入交 ステレオ再生なら、真ん中にピアノを置いて、その周りで歌っているミックスになったと思います。ただ、それでは楽器が増えていっても音が大きくなっていくだけで、広がり感にはつながりません。
麻倉 圧巻だったのは、上原ひろみさんでした。あれほど迫力ある演奏が眼前で繰り広げられるのは大きな魅力です。彼女の演奏のミックスで苦労した点はありましたか?
沼田 上原さんの演奏はピアノのタッチの音が素晴らしいので、それを殺さないように注意しました。余計な処理をすると音がなまってしまうので、ストレートに音を活かすよう気をつけました。
入交 マイクをピアノの内側に入れるとアタックの音が録音できるように思われるかもしれませんが、実は逆です。スピードとアタックの両方がきちんと録れる最適な距離を探さなくはいけません。
麻倉 そのあたりは経験とノウハウですね。
沼田 ただし、楽器とマイクを離すと他の楽器の音も拾ってしまうので、それをどう処理するかも問題です。今回はAIなどの最新技術も使っています。
麻倉 ピアノの音は残しつつ、音源分離でいらない音を抑えた。
入交 最近はそのためのエフェクターもあり、後からピアノとキーボード、ベース、キックの音量やバランスを変えることができます。ただし、音源分離をすると鮮度は落ちますので、使い方には注意が必要です。
沼田 上原さんの演奏は早くて正確なので、聴いていてびっくりします。
麻倉 確かに、人間業とは思えない(笑)。その音源分離した素材も使いながらイマーシブサウンドを仕上げていったということですが、最初にステージの音を仕上げて、そこに響きを足していったのでしょうか?
沼田 いえ、まず全体のアンビエンスを作ってから、ステージの音を足していくという順番で作業を進めました。
入交 後からアンビエンスを足すと、一度仕上げた音に色々なものが加わってくるので、最終的には音場を作り直さなくてはいけません。順番としては先にアンビエンス空間があって、それに負けないステージの音を加えていく方がまとまりはよくなります。
麻倉 とはいえ108本もマイクがあるわけだから、どの音をどんな風に使うかを決めるだけでもたいへんですよね。
沼田 ステージ音場については、基本となるメインマイクは12本なので、そこにPA用マイクの音を少しずつ加えていくという形で進めました。ただし、単純に音を混ぜると濁ってしまうので、どのくらいの量を、どのタイミングで混ぜるかといったところを工夫しました。
例えばドラムの一個一個の太鼓の音は、離して設置したマイクでは収録できないので、PA用のマイクから拾っています。
麻倉 石若さんのバンドだから、ドラムの音はちゃんと収めなくてはいけませんよね。ドラム用のマイクは何本使ったんですか?
入交 PA用が太鼓とハイハットなどで12本、われわれが準備したのが4本ですから、合計16本です。石若さんのような上手なドラマーだと、録音した出音もいいんですよ。
麻倉 ドラムの音も、そんなに違いますか?
入交 ドラムの場合、叩いた後に手首のスナップでスティックを跳ね上げるんです。石若さんはそれがちゃんとできているから音に伸びがありますが、そうじゃないとスティックで鼓面を押さえてしまうので、音が死んでしまいます。そういった音だと、後から処理をしないといけません。
麻倉 石若さんくらいのレベルになると、そんなことは必要ないと。だから今日の音も勢いや生々しさがあったんですね。ところで、沼田さんが今回のミックス作業で、特に難しいと感じたことは何でしょう?
沼田 臨場感とクリアーさの両立でした。
入交 2chステレオでは、音楽が始まるとアンビエンスのボリュウムを下げることも多いんですが、イマーシブオーディオではアンビエンスを下げると空間がなくなってしまうので、簡単に下げられないという難しさがあります。
麻倉 しかし先ほど拝見した限りでは、NHKホールの広さ、響きもありつつ、肝心の演奏は画面全体から出てくる感じで、素晴らしかったです。音の塊が飛び出てきて、ライブらしい心地いい印象を受けました。
ちなみに7.1.6音声ではボイス・オブ・ゴッドも使ったわけですが、ここにはどんな音を振り分けているのでしょう?
沼田 特別意識はしませんでした。どちらかというとオムニクロスの音を受け持つスピーカーのひとつというくらいの考えでした。
入交 LFEと同じで、サラウンドマニアの方は鳴っていないと気にするかもしれませんね(笑)。でもホール録音の場合、ボイス・オブ・ゴッドはあるに越したことはないけれど、必須ではない。どちらかというと、ハイトセンターがある方が、ヴォーカルの定位にも有利で、効果も大きいですね。
麻倉 イマーシブオーディオのワークフローはどうなっていますか?
入交 まず96kHzで13.1chのイマーシブオーディオを仕上げました。そこから11.1ch用にダウンミックスし、それぞれをAURO-3Dで圧縮して配信します。それとは別に13.1chマスターからAuroHeadPhones用に変換した音源も準備し、こちらは2chで配信します。今回の配信では通常のステレオ音声を含めて6種類から選んでいただくことになります。
麻倉 WOWOWとして、実証実験以外の配信を手掛けるのは、今回が二度目ですね。
入交 清里・オルゴール博物館からの配信は無料でしたので、有料配信は初めてになります。有料のAURO-3D生配信は世界初じゃないでしょうか。
麻倉 配信チケットの売れ行きはいかがですか?
入交 それなりに手応えがあります。同様のイベントと同じぐらいか、ちょっと多いかもしれません。もう少し売上を伸ばして、次回につなげられるように頑張りたいですね。
麻倉 これを第一弾として、色々な展開を考えてもらいたい。人気のあるイベントを企画してイマーシブオーディオで収録し、そこから劇場上映や配信、さらにパッケージにつなげていく。そうなるとオーディオファンとしても楽しみ方が増えますから、ぜひ前向きに取り組んでいただきたいですね。
沼田 実は今日の午前中に石若さんが来社されたので、この部屋でイマーシブオーディオを体験していただきました。音については高い評価をいただけました。
麻倉 そうだったんですか。石若さんの感想も聞いてみたかったですね。
入交 SNS用にいただいたコメントがあります。
「イマーシブオーディオの音は素晴らしかったです。空間の広がりをすごく感じる音響でした。僕は(この演奏を)客席で聞きたかったなってずっと思ってたんですけど、それが実現できたような感覚にもなりましたし、臨場感がありすぎて、めっちゃ緊張感が蘇って汗をたくさんかきましたので、皆さんもこのライブに没入した形で体験できるなという風に想像します。ぜひ楽しんでください」(石若さん)
麻倉 いいですね、こんな風にアーティスト自身がコメントしてくれると、ファンの人もきっとイマーシブオーディオで体験したいと思ってくれるはずです。これは、音楽ファンというか、音楽業界にとってもすごく重要な取り組みになっていくでしょう。これからも頑張ってください。