前回、前々回の本連載では、ソニーから発売された背面開放型モニターヘッドホン「MDR-MV1」に込められた想いや製品としての音作りについて、開発担当者にインタビューを実施した。立体音響の制作環境をより身近なものとして、多くのクリエイターに360 Reality Audioを始めとする立体音響制作に取り組んでもらうことを目的として企画された製品だという。

 そしてMDR-MV1の能力を最大限引き出すべく、独自の360 Virtual MixingEnvironment(360VME)技術を使った測定サービスもスタートした。今回は日本での測定スタジオ第一号である、メディア・インテグレーションのMIL Studioにお邪魔し、測定の様子とその効果を体験させてもらった。

 対応いただいたのは株式会社メディア・インテグレーション ROCK ON PRO Product Specialist 前田洋介さんと、MI事業部の山口 哲さん、ソニー株式会社パーソナルエンタテインメント事業部 プロフェッショナルソルーション事業室 シニアヘッドホンプロデューサーの松尾伴大さん、花田 祐さんだ。(StereoSound ONLINE編集部)

●ヘッドホン:ソニー
MDR-MV1 市場想定価格¥59,000前後(税込)

画像1: ソニー「MDR-MV1」と「360VME」は、ヘッドホンによるサラウンド再生の革命だ! 立体音響制作の現場を大きく変える新提案に迫る(3):麻倉怜士のいいもの研究所 レポート98

●型式:オープンバックタイプ
●使用ユニット:40mmダイナミック型
●音圧:100dB/m/W
●再生周波数帯域:5Hz〜80kHz
●インピーダンス:24Ω(1kHz)
●最大入力:1500mW
●質量:約223g(本体)

麻倉 今日はメディア・インテグレーションさんのMIL Studioにお邪魔しました。以前も本連載で360 Reality Audioの試聴にお邪魔したことがありますが、今回はここでソニーの360VMEの測定サービスをスタートするとのことで、その効果を確認させてもらいたいと思っています。

松尾 今日はよろしくお願いいたします。先日ご説明を差し上げましたが、ソニーでは立体音響のコンテンツ制作者に向けたモニターヘッドホンとしてMDR-MV1を開発しました。今回ご体験いただく360VMEは、その空間表現のクォリティをエンハンスするための測定サービスです。MDR-MV1はヘッドホン単品でも活用できますが、360VMEの測定サービスを受けていただけると、さらに高精度で快適な環境で制作が可能になります。

 ソニーとしては立体音響として360 RealityAudioを推進しています。そういった立体音響の制作では、マルチチャンネルスピーカーが必要になりますが、そのような環境を作るにはコストもかかりますし、設置もたいへんです。またひとつのスタジオで同時に制作できるのはひとつの楽曲だけなので、時間的にスタジオを押さえるのも難しいという問題もあります。

 360 VMEは、立体音響制作のスピーカー環境をヘッドホンで高精度に再現することで、今申し上げた課題を解消しようという提案です。これによってクリエイターは、どこでも最良の制作環境を手に入れることができるわけです。弊社としては、MDR-MV1と360VMEとの組み合わせで、立体音響制作の加速とクリエイターの制作環境への貢献を果たしたいと思っています。

麻倉 360VMEで測定をし、その結果をMDR-MV1にインストールすることで空間のシミュレーションができるという理解でいいでしょうか。

花田 測定結果は、MDR-MV1にインストールされるというよりは、専用の再生用ソフトウェア上で反映されます。360 Reality Audioの制作に適したスタジオ、今回で言えばMIL Studioで、測定用ソフトウェアと専用マイク、ユーザーの愛用ヘッドホンを使って、スタジオの響きと頭部伝達関数、ヘッドホンの特性を測ります。そしてそれらを個人のパラメーターとして再生ソフトウエアに反映します。

画像2: ソニー「MDR-MV1」と「360VME」は、ヘッドホンによるサラウンド再生の革命だ! 立体音響制作の現場を大きく変える新提案に迫る(3):麻倉怜士のいいもの研究所 レポート98

麻倉 今マルチチャンネルで聴いている音、MIL Studioでの聴こえ方を測定するということですね。

花田 360VMEは測定した空間の音の聴こえ方をヘッドホンで再現する技術ですので、今回でいえばMILStudioの音を再現することになります。他のスタジオで測定すれば、その空間の音が再現されます。

麻倉 360VMEの測定ができるのは、日本国内はMIL Studioだけということでした。

松尾 サービス開始時点では、国内はMIL Studio、海外はロサンゼルスのGold Diggers StudioとニューヨークのThe Hit Factoryの合計3ヵ所になります。一度測定したら、以後はその音で聴いていただくことになりますので、リファレンスになる場所でないといけません。今回選定したそれぞれのスタジオは、音響的な特性、音の再現性、反応のよさといった条件を満たす場所だと考えています。

麻倉 ユーザーは、測定後にどうやってMIL Studioの音を再現するのですか?

花田 測定が終了すると、個人のプロファイルデータと再生用アプリ「360VME Audio Driver」が提供されます。これをお使いのPCにインストールしていただくことで、MIL Studioの音響を再現できるようになります。なお、360 RealityAudioコンテンツを作成するには360 WalkMix Creatorなどの制作ツールが必要ですので、今回の360VME測定サービスも、これらをお使いの方を対象にしています。

麻倉 測定時には愛用のヘッドホンを持ってくるというお話でした。ということは、MDR-MV1以外のヘッドホンを持ってきて測定してもらうことも不可能ではない?

松尾 技術的には可能です。ただしヘッドホンの歪が少ないこと、低域まで再現できて、かつダイナミックレンジも広いといった性能が求められますので、現時点では360VMEに対応しているモデルとして弊社の「MDR-MV1」「MDR-M1ST」「MDR-Z1R」「MDR-Z7M2」の4モデルを選定しています。

画像: 東急東横線・祐天寺駅近くにあるMIL Studioは、視聴位置を取り囲むように43.2chのスピーカーが配置され、360 Reality Audioはもちろん、ドルビーアトモスなどのイマーシブオーディオを理想的な環境で再現可能

東急東横線・祐天寺駅近くにあるMIL Studioは、視聴位置を取り囲むように43.2chのスピーカーが配置され、360 Reality Audioはもちろん、ドルビーアトモスなどのイマーシブオーディオを理想的な環境で再現可能

麻倉 測定できるのは、360 Reality Audioの制作環境だけですか?

花田 360VMEの測定は、再生フォーマットを限定するものではありません。MIL Studio自体は色々なフォーマットの再生に対応していますので、360 Reality Audioに限らず他の立体音響フォーマットに準じて測定することで、ヘッドホンでの再生が可能になります。

麻倉 今回のサービスを始めるにあたり、ソニーからスタジオに対してこんなビジネスを考えているといった具合に協力をお願いしたんですか?

松尾 そうです。メディア・インテグレーションの皆様に相談をさせていただき、MIL Studioを活用することで合意を得ることができました。海外のスタジオは過去に360Reality Audioのコンテンツを制作した実績もあります。

麻倉 測定の申し込みはソニー経由になるんでしょうか?

松尾 MIL Studioのホームページから測定のお問い合わせをしていただくと、測定費用のお見積り、測定可能日をお送りします。お見積り金額を確認いただき、測定日を調整の上対応ヘッドホンを持って、MIL Studioにお越しいただくことになります。

麻倉 MIL Studioについては、私も以前連載で取材させてもらったことがありますが、改めてどんな場所なのか紹介していただけますか?

前田 メディア・インテグレーションの前田です。MIL Studioは、43.2chのスピーカーを備え、様々なサラウンドフォーマットを理想的な配置で鳴らすことができる空間です。コンセプトは4πチャンネルフリーで、360 Reality Audioの特長である南半球(ボトム)スピーカーも備えたスフィア(球状)の再生環境を実現しています。それもあり、360VMEでもフォーマットにとらわれない測定が可能だと考えております。

 そもそもは音楽を体験する場所として考えており、音場としてのまとまり、音のつながりのよさを重視した構成になっています。物理的にはスピーカーを等間隔に、かつ球面状に配置されるという理想にできるだけ近づけようと工夫して施工しました。

画像: 左が360VMEの測定用マイク。耳の中に入れた際に空間をふさがないよう細い針金の先に取り付けられている。耳に挿入した後、テープで固定して動かないようにする

左が360VMEの測定用マイク。耳の中に入れた際に空間をふさがないよう細い針金の先に取り付けられている。耳に挿入した後、テープで固定して動かないようにする

 スピーカーはフォーカル製で、フロントL/C/Rは「1000 IW LCR UTOPIA」、ワイド/サラウンド/サラウンドバックは「1000 IW LCR6」という構成です。ハイトスピーカーは「1000 IW 6」でトップは「1000 IW LCR6」、ボトムには「300 IW LCR」を使いました。12台のフロアースピーカーにはサブウーファーを加えています。

 再生用PCはMac Studioで、これにRMEのオーディオインターフェイス(ダンテ)を介してIPベースでアンプに伝送しました。なにしろ最大43chの信号ですから、アナログで伝送するわけにはいきません(笑)。AVプリアンプにはストームオーディオの「ISP MK3」を導入しており、ドルビーアトモス等はこちらで再生します。

松尾 では360VMEの測定をご体験ください。まずは測定用マイクを耳の中に固定して、次にMDR-MV1を装着していただきます。この段階でMDR-MV1のスライダーの位置なども確認しておきます。こうすることで、次回以降に装着する際に再現性が高くなります。

麻倉 マイクは針金で耳の中に固定するんですね。

松尾 はい、そうです。色々試したのですが、この形が一番耳の中の音を邪魔せず、測定結果がよかったのです。マイクを大きくすると、外耳道に対して中に入っているマイクの断面積の割合が変わってしまうので、音に影響があるんです。

 今回は360 Reality Audioでの測定なので、13本のスピーカーを使います。ヘッドホンを付けた状態で、各スピーカーから順次スイープ信号を再生し、マイクで測定を行います。

麻倉 この段階では何を測っているんでしょう?

画像: マイクを取り付けた後にヘッドホンのMDR-MV1を装着して測定を行う

マイクを取り付けた後にヘッドホンのMDR-MV1を装着して測定を行う

前田 最初のスイープ信号では、周波数特性とインパルス応答を測ります。部屋の特性も含め、各人の頭の形に応じて反射音がどのように聴こえているかを測定しています。その意味では、頭部伝達関数を含めた測定を行っていることになります。

麻倉 耳に届く音の特性、ということですね。

花田 そうです。このスタジオのスピーカーで音を再生した場合に、麻倉さんの鼓膜にどんな音が届いているかを測っています。

前田 続いてヘッドホンから同じスイープ信号が再生されます。これで、ヘッドホンで再生した場合にはどのように聴こえているかを測定し、ふたつのデータを元にパラメーターの最適化を行います。

花田 ここまでで、スピーカーからの音がどう聴こえているかと、ヘッドホンの特性を測定しました。次にピンクノイズを使って、スピーカーとヘッドホンの音量レベルを調整します。

前田 実際のスピーカーから出たピンクノイズと、ヘッドホンから出たピンクノイズのレベル差を計算して、音量を調整します。これで測定は完了です。パラメーターの計算は数分で終了しますので、少々お待ち下さい。

麻倉 測定を含めて10分もかかっていませんね。こんなに簡単にできるとは驚きです。

前田 われわれもかなり測定の練習を行ってきましたので、比較的スムーズに対応できるようになりました(笑)。さて、パラメーターも反映できましたので、360 Reality Audioのデモ音楽を聞いていただきます。ヘッドホンとスピーカーから順次音を鳴らし分けますので、両方の聴こえ方を比較して下さい。

画像: リアルスピーカーとヘッドホンから交互にテストトーンが再生され、その測定結果を元に個人最適化のためのパラメーターが算出される仕組み。このパラメーターを持ち帰って自宅の再生環境にインストールすることで、MIL Studioと同じイマーシブ環境を再現できることになる

リアルスピーカーとヘッドホンから交互にテストトーンが再生され、その測定結果を元に個人最適化のためのパラメーターが算出される仕組み。このパラメーターを持ち帰って自宅の再生環境にインストールすることで、MIL Studioと同じイマーシブ環境を再現できることになる

麻倉 MDR-MV1で聴いているのに、センターがちゃんと前方に定位しますね。リアチャンネルの距離がちょっと近い感じで、音場は全体的に小さめかな。でも、ぱっと気いただけではヘッドホンとスピーカーのどちらが鳴っているのかわからないくらい、再現性が近似しています。リアルスピーカーとMDR-MV1での再生で、音像も音色もほとんど差がなかった。ほぼニアリー・イコールと言っていい。この技術はまさに革命です。

松尾 ありがとうございます。クリエイターの皆様に安心して使ってもらえるクォリティを目指した甲斐がありました。

麻倉 この測定結果は、一度インストールしたらその後はずっと同じでいいですか? 何年かおきに再測定する必要はないのでしょうか?

前田 今回の測定でお使いいただけるプロファイルは、有効期限が3年になります。その後は更新するか、測定をやりなおすかをユーザーに選んでいただくことになると思います。

麻倉 そうなんですか。期限を設けた理由は何でしょう?

松尾 サポートをしっかりしていきたいという思いがありました。ある程度の有効期限を決めて、その間でちゃんとアップデートしていくといったシステムの方が、品質的にも担保できると考えたのです。有効期限が過ぎると、プロファイル自体が認識されなくなるという形を予定しています。プロファイルデータに影響する髪型や体型も変わりやすいものですので、定期的に再測定していただいた方が安心です。

前田 プロ用途ということを考えると、やはり常にブラッシュアップしていただいた方がいいのかなと思っています。

MIL Studioでの360VME測定サービス受付が7月10日にスタート

 今回麻倉さんに体験リポートをお願いしたメディア・インテグレーションMIL Studioでの360VME測定サービスの受付サイトが7月10日にオープンした。

 測定可能なフォーマットは360Reality Audio 5.5.5+1T(水平5ch/ハイト5ch/ボトム5ch/トップ1ch)、360 Reality Audio 7.4.4+1T(水平7ch/ハイト4ch/ボトム4ch/トップ1ch)、Dolby Atmos 9.1.6(水平9ch/LFE 1ch/ハイト6ch)から選択できる。

 測定代金は測定するフォーマット数次第だが、1プロファイルが¥68,000(税別)で、追加1プロファイルごとに¥20,000(税別)を予定。詳しくは以下のサイトで確認のうえ、お申し込みいただきたい。

麻倉 ソニーは以前から、プロ用グレードの製品をエンドユーザーにも提供してくれる貴重なブランドでした。今回は測定サービスも含めてとても魅力のあるサービスが構築できていると思いますので、これをぜひエンドユーザーにも届けてもらいたい。

 360 Reality Audioはフォーマットとしてとてもよくできているので、今後は、配信の立体音響方式MPEG-Hの音質改善、HRTFの個人最適化のパフォーマンス向上にもおおいに期待したいです。
立体音響の体験では、“元々の音”をいかにユーザーに届けるかが重要で、そのためには今回のMDR-MV1+360VMEというソリューションが強みになると思うんです。だからこそ、よりいい形でユーザーにこれを届ける方策を考えてもらいたいですね。

 これまでの立体音響では、クリエイターやエンジニアは自分の作品が、スマホを通して再生したらどう聴こえるかを想像して音を作っていたわけです。でも360VMEのような再生環境が実現できてくれば、クリエイターも安心してコンテンツを作れるだろうし、そうなればより魅力的な作品が増えていくのではないでしょうか。

 MDR-MV1+360VMEはサラウンド再生の革命です。ヘッドホンで前方定位ができるのに加え、イマーシブオーディオとして360度の定位が出せるのですから。今までは、音場という概念はヘッドホンにはなかったんですが、それが実現できている。

 クリエイターが作った正確な音場はなかなかユーザーには体験できないわけで、ダイレクトにクリエイターとユーザーをつなぐ方式として、このサービスはきわめて重要です。色々ハードルはあるでしょうが、ぜひこの技術をユーザーに届けましょう!

 360 Reality Audioやドルビーアトモスをもっと気軽に体験したいと思っているユーザーはものすごく多いはずです。そんな人に対して、ヘッドホンでここまで正確な音場が再現できるというのは大きなメリットですから、最終的な目標としてぜひ頑張って欲しいと思います。

画像: 取材に対応いただいた皆さん。左から株式会社メディア・インテグレーションMI事業部の山口哲さん、同ROCK ON PRO Product Specialist 前田洋介さん。麻倉さんの右隣がソニー株式会社 パーソナルエンタテインメント事業部 プロフェッショナルソルーション事業室の松尾伴大さん、花田 祐さん

取材に対応いただいた皆さん。左から株式会社メディア・インテグレーションMI事業部の山口哲さん、同ROCK ON PRO Product Specialist 前田洋介さん。麻倉さんの右隣がソニー株式会社 パーソナルエンタテインメント事業部 プロフェッショナルソルーション事業室の松尾伴大さん、花田 祐さん

This article is a sponsored article by
''.