クリエイター向けにさまざまな立体音響やハイレゾコンテンツなどの制作に適した背面開放型モニターヘッドホン「MDR-MV1」がソニーから発売された。近年は音楽配信サービスで空間オーディオが注目を集めており、制作現場でのニーズも増えている。しかし実際にマルチチャンネルスピーカーを設置した制作スタジオはまだ少なく、特にプライベートスタジオではハードルが高い。

 そんな状況に対し、360 Reality Audioを始めとする立体音響や、ハイレゾなどの制作に適したモニターヘッドホンを送り出すことでクリエイターの創作活動に貢献するという狙いで誕生したのが、MDR-MV1だ。しかもハードウェアとしてのヘッドホンだけではなく、理想的な制作環境で測定を行うことで、その空間の音響を再現するサービスも実施されるという。そこで今回から3回に渡って、MDR-MV1を中心としたソニーの新しい取り組みを紹介する。

 第一回はMDR-MV1の開発を担当した、ソニー株式会社 パーソナルエンタテインメント事業部 プロフェッショナルソリューション事業室 プロフェッショナルオーディオ課 シニアヘッドホンプロデューサーの松尾伴大さん、田中光謙さん、商品技術センター 機構設計第1部門メカニカルマネージャーの尾崎雄三さん、商品技術センター商品設計第2部門 アコースティックアーキテクトの潮見俊輔さんにお話をうかがった。(StereoSoundONLINE編集部)

●ヘッドホン:ソニー
MDR-MV1 市場想定価格¥59,000前後(税込)

画像: ソニー「MDR-MV1」と「360VME」は、ヘッドホンによるサラウンド再生の革命だ! 立体音響制作の現場を大きく変える新提案に迫る(1):麻倉怜士のいいもの研究所 レポート96

●型式:オープンバックタイプ
●使用ユニット:40mmダイナミック型
●音圧:100dB/m/W●再生周波数帯域:5Hz〜80kHz
●インピーダンス:24Ω(1kHz)
●最大入力:1500mW
●質量:約223g(本体)

麻倉 MDR-MV1の評判がとてもいいそうですね。360 Reality Audioを始めとする立体音響制作用としてだけでなく、ヘッドホンとしての音質もいいと聞いています。まずはMDR-MV1のヘッドホンとしての特長から教えて下さい。

松尾 ソニーでは、「音楽クリエーションの変化に技術の力で寄り添い続ける」という取り組みを続けており、一昨年、パーソナルエンターテイメント事業部の中にプロ用のレコーディングマイクやモニターヘッドホンを受け持つプロフェッショナルオーディオのチームを立ち上げました。

 その背景として、音楽制作が大規模スタジオからホームスタジオへ移ってきているといった動きがあります。また音楽供給もレーベルだけでなく、個人での配信も増えてきており、マイクやヘッドホンなどの機器は、個人で作品制作を手掛けている方にとっても身近な存在になっています。我々の担当している商品も、幅広いクリエイターに向けたアイテムとして見ていく必要が出てきているという状態なのです。そこで今回は、空間オーディオの普及を見据えて、立体音響・ハイレゾコンテンツなどの制作に適したヘッドホンということでMDR-MV1を発売しました。

 ソニーとしては、立体音響をしっかり普及させていきたいという思いもあり、360 Reality Audioを推進しています。そのためには制作環境もサポートしていくべきだと考えて、360 WalkMix Creatorという制作ツールも準備しました。このツールはソニーの立体音響技術を活用して、プロ向け制作ツールを開発しているVirtual Sonics社と共同開発し、多くの制作スタジオで活用いただいています。

麻倉 360 Reality Audioでの立体音響を普及させることが目的としてあって、そのためにヘッドホンや制作ツールを含めたエコシステムを提供しようということですね。

松尾 おっしゃる通りです。360 Reality Audioなどの立体音響を普及させていくためには、より多くのクリエイターが手軽に制作できる環境を作っていきたいと思っています。そこでの課題が、制作スタジオにマルチチャンネルスピーカーが必要ということです。

 360 Reality Audioでいえば、13 ch以上のスピーカーが推奨されています。もちろん対応スタジオを増やしていくという取り組みも進めていますが、そういった環境がないと360 Reality Audioを始めとする立体音響の楽曲制作ができないといった制約があると、クリエイターにとってのハードルも高くなってしまいます。そこを解消したいということで、今回ふたつの提案を行いました。

画像: MDR-MV1は背面開放型で、スリットの入ったハウジングがデザイン上のポイントになっている

MDR-MV1は背面開放型で、スリットの入ったハウジングがデザイン上のポイントになっている

 先程申し上げた制作ツールの360 WalkMixCreatorは、もともとヘッドホン再生用にバイノーラル再生できる機能ができました。そこでこの機能を活かして、より正確で、きちんとした3D空間を感じながら制作ができるように、ヘッドホンのMDR-MV1を開発しました。

 またバイノーラル再生の精度を高める手段として、独自の360Virtual Mixing Environment(360VME)技術を制作ツールの中に対応させるための測定サービスを始めます。

田中 360VMEについては、以前麻倉さんにご取材いただいたことがありますが、測定した360Reality Audioの13ch環境をそのままヘッドホンで再生するものです。これにより360 Reality Audioや立体音響コンテンツの制作環境を持ち運んで、自宅でも再現できるようになります。

 360VMEとMDR-MV1の組み合わせでは、空間の表現、オブジェクトの正確なポジションをきちんと再現できる点に配慮しています。実際に作り手の意図通りに再生できているかを、ソニー・ミュージックエンタテインメントを始めとする様々な制作現場のサウンドエンジニアと話し合いながら開発しました。

麻倉 以前映画製作用の360VMEを取材した際に、試作機のヘッドホンで360VMEの測定の効果を体験させてもらいましたが、確かに効果が素晴らしかったですね。特に前方下側にも音像が定位していたのに驚きました。あの効果をクリエイターがいつでも体験できるようになったら、空間オーディオに対する認識も変わるでしょう。

松尾 そのためにはヘッドホンの性能だけでなく、きちんとした測定環境も必要です。

田中 ヘッドホンとしては、まず音質面でクリエイターの要求をしっかり満たしていくこと、特に空間の再現性に注意しました。オブジェクトそのものが持っている情報、マイクで録った音がニュートラルに再現されることに気をつけています。

 また音質と同じくらい重要なテーマとして装着感にも配慮し、軽量設計を採用しました。スタジオエンジニアは、6〜8時間ヘッドホンを付けたままで作業することも多いそうですから、音質はもちろん、装着性がよくないと途中で疲れてしまいます。

画像: リケーブルにも対応したケーブルが付属する。写真右上は3.,5mm/6.3mm変換用アダプター

リケーブルにも対応したケーブルが付属する。写真右上は3.,5mm/6.3mm変換用アダプター

麻倉 確かに、イヤーパッドも柔らかくて、つけ心地もいいですね。

田中 3つ目はケーブルです。MDR-MV1ではモニターヘッドホンの「MDR-M1ST」と同一のケーブル部品を使っており、ロックリング式でしっかり固定できます。この部分は高品位なアルミの削り出しになっています。プラグはクリエイターが一番よく使っているものとして、Φ6.3mmを採用しました。

 最近はモバイルプレーヤーやPCにつなぐことも多いとのことで、3.5mm変換コネクターも同梱しています。3.5mm/4極ジャックの仕様は、「MDR-1AM2」と共通ですので、オプションのキンバーケーブルもつなぐことができます。ただしオプションケーブルにはロックリングがついていないので、公式アクセサリーとしてはお薦めしておりません。

潮見 ここから、MDR-MV1の音響設計についてご説明します。今回は背面開放型を採用しています。弊社では従来は開放型と呼んでいましたが、MDR-MV1については敢えて背面開放型と呼んでいます。

麻倉 一般的な開放型とどこが違うのでしょう?

潮見 MDR-MV1は、本体後方は通気抵抗のない構造ですが、前方は通気抵抗を持たせて音質を調整しています。それもあり、構造としては開放型ですが、より細かく分類しようということで背面開放型という呼び方を採用しました。

麻倉 映画製作用の360VMEの取材で試作機のヘッドホンについて話をうかがった時は、空間表現性を考えると、密閉型よりこの方式の方が適しているというお話でした。

画像: PET素材を使った振動板。一見すると普通のドーム型にも見えるが、実は複雑な形状を持っている

PET素材を使った振動板。一見すると普通のドーム型にも見えるが、実は複雑な形状を持っている

潮見 まさにそこがポイントです。MDR−MV1で立体音響を再生する場合、部屋の残響などは信号処理の段階で再生音に乗ってきます。つまり、ヘッドホンに音が届いた段階で既に情報として畳み込まれているのです。ですので、MDR-MV1ではなるべくフラットな再生特性を目指しました。

 また部屋の残響特性や空間に広がる音は、通常の楽器などと比べるとレベルが小さいので、そこをしっかり再現する必要がありました。そのためには、ヘッドホンでもハウジングの残響を減らす必要があったので背面開放型の形状を採用したわけです。

麻倉 360VMEでの測定で、開放型の方が有利といったことはありませんか?

潮見 それもありました。360VMEでは、ヘッドホンを装着していても、音そのものはスピーカーで聴いている感じに近い状態で再現したかったのです。開発メンバーとも相談し、そのためには背面開放型の方が向いていると判断しました。

 ただし、背面開放型にすると音響構造的に低域と中域の分離感が出しづらくなります。そのため、従来はハウジング上にダクトを設けるなどしていたのですが、今回はドライバーニット側にその構造を設けました。

 またMDR-M1STなどのドライバーユニットでは、エッジと呼ばれる部分の溝を直線にしていました。しかしMDR-MV1ではシミュレーションや試作を重ねて溝のパターンを曲線にしました。ハウジングの密閉度が低いヘッドホンで大振幅をさせようとすると、当然振動板ではメカニカルな歪みが多くなります。それが音に乗ってこないように、歪を減らすような形状を工夫したわけです。

 振動板のドーム形状も、断面は単純な球面ではなく、複数のパターンで構成されています。高い帯域については80kHzまでの再生を実現しました。一見するとただの薄い振動板ですが、ここにかなりの技術を詰め込んでいるのです。

麻倉 普通はこんな複雑な形状にはしないんですか?

画像: 40mmドライバーユニットは専用開発されている。右の写真で3箇所突き出ている部分は音響負荷ダクト

40mmドライバーユニットは専用開発されている。右の写真で3箇所突き出ている部分は音響負荷ダクト

潮見 フラッグシップヘッドホンの「MDR-Z1R」では、硬さを確保したいという狙いからマグネシウム・ドーム型振動板を使いました。しかしMDR-MV1はプロ向けで今後10〜20年と製造する予定ですので、一般的なPET素材を使って、いかに目的とした音を再現するかに挑戦しています。

 大音量を出すために前後のストロークを確保できることに加えて、高域再生時にも振動板のドーム形状に変化がなく、剛性を保ったままで振動することが重要です。今回は、動きとしてのエッジの柔らかさと、ドーム部分の硬さを両立するのが難しかったですね。

松尾 弊社では長年、超高帯域を再生できるドライバーを開発しており、振動板の形状を含めて色々なノウハウを積み重ねてきています。今回はそれを活かして、背面開放型に適したドライバーを開発しました。

尾崎 続いて、外観を含めた機構部分について説明します。MDR-MV1はプロ用ですので、先述した通り、長時間装着されることが想定されます。装着性はヘッドホンにとって重要なテーマですが、クリエイターの方が長時間使っても快適であるようなアプローチを考えました。

麻倉 “快適さ”というのは、何をもって快適と判断しているんですか?

尾崎 第一は、頭につけた時の締め付け、側圧が強くないことで、そのためには軽量化が必要となります。それによってヘッドホンをつけていることを意識しないですむようにできるのが理想です。あとはイヤーパッドも重要です。内部は柔らかい低反撥ウレタンを使用し、このモデルでは通常の合皮ではなく、スエード調の人工皮革を使っています。

麻倉 イヤーパッドは、高級車の内装にも使われているアルカンターラを使用しているのですか?

尾崎 はい。この素材は車のシートにも使われているように、通気性・放湿性があるので汗をかいても蒸れにくく、さらに適度なグリップもあってすべりにくいのが特徴です。そのため、快適性と安定性に寄与してくれます。

 今回は背面開放型ですが、前面側にもある程度の通気が許容出来たため、この素材を採用しています。

画像: イヤーパッドは、高級車の内装にも使われているアルカンターラを採用した

イヤーパッドは、高級車の内装にも使われているアルカンターラを採用した

麻倉 安定性というのは、ヘッドホンがずれにくいということですか?

尾崎 頭を動かした時にヘッドホンが簡単にずれてはいけません。特に立体音響の制作では、ヘッドホンがずれる、イコール、スピーカーの位置がずれた音を聴いていることになってしまいます。

潮見 360VMEではマイクを耳に入れて測りますが、この時もヘッドホンがずれてしまうと正確な測定ができなくなります。開発時でのテストでは、装着するたびに測定結果が変わることもあったので、誰が何回つけても同じポジションになるように筐体構造を工夫しています。

麻倉 音場の安定性が物理的要因によって阻害されないことも重要なのですね。

尾崎 はい。そのためMDR-MV1では、装着位置の再現性にも考慮してスライダーの位置を示す数字をつけました。この数字を覚えておけば、いつも同じ状態で装着できるわけです。

麻倉 こういった機能は普通の家庭用ヘッドホンにはついていないんですか?

松尾 少数のハイエンドモデルを除きコンシューマー向けでは数字はつけていませんし、すっきりしたデザインにできる無段階スライダーが採用されることもあります。

麻倉 MDR-MV1はとても軽いのも特長ですね。

田中 約223gで、MDR-M1STより約8g重いのですが、体積に対する質量が小さいので、軽く感じてもらえると思います。

尾崎 ハウジングにアルミを使うなどして軽くしています。ヘッドバンドやイヤーパッドは重い部品になりますので、厚みや幅を減らせば一気に軽量化できますが、装着性を犠牲にしないようにこの部分には気を使いました。ヘッドバンドに充分な幅を持たせることで、安定するだけでなく荷重も分散して快適になります。同様にイヤーパッドも充分な厚みを持たせています。

画像: 一体成型パーツで作られた背面エンクロージャー。アルミの板を絞り加工でこの形状にし、それから穴を開けている

一体成型パーツで作られた背面エンクロージャー。アルミの板を絞り加工でこの形状にし、それから穴を開けている

麻倉 ハウジングの側面は緩やかなカーブを描いていますが、そこに絶妙にスリットが入っているのも、アイコニックでいいですね。

尾崎 このハウジングは、平面のアルミ板から絞り加工でこの形に成形してすべての穴を開けるまで、十数工程を経て完成します。先に板の状態で全体に穴を開けて、その後にこの形に絞るという方法もあるのですが、今回の形状では、側面部分の穴が変形してしまい綺麗に揃わないのです。

潮見 樹脂製ですと剛性を担保するために太い桟が必要ですし、部品がふたつに分かれることもあるので、音響的な影響が出てしまうことが懸念されました。しかしアルミの一体成型なら、剛性が高い素材を使いつつ、開口部も均等に、大きく空けられます。これが、デザイン面でも音質面でも有利に働いていると思います。

尾崎 ハウジングを分割せずアルミの一体で作りたいというデザイナーの熱意もあり、このモデルでは絞り加工後に側面の穴を開ける方法を取っています。MDR-MV1は背面開放型ですから、こういった条件の中でどうやって開口率を高められるかをデザイナーと試行錯誤した結果が、この細かいスリットとなりました。

麻倉 アルミの一体パーツだから、このフォルムが実現できたと。

尾崎 はい、初期のプロトタイプではソニーロゴのある面だけをアルミで作り、周囲を樹脂にしていました。しかし、剛性が高い素材ですべてを覆うことで結果的につなぎ目がなく強度も有利になりますし、開口を大きく、均等に取ることもできます。つまり、デザインだけでなく、軽量化や音響面でも有利に働いています。

尾崎 6.3mm標準ステレオプラグから3.5mmステレオミニプラグへの変換アダプターも新規に設計しています。6.3mmジャックと3.5mmプラグが一体型のタイプだと本体が長くなり、プラグに過大な力がかかりやすくなります。そのため、プラグとジャックの間をケーブルにしてフレキシブルに曲がるようにしています。

※次回へ続く

画像: ●取材に対応いただいた皆さん。左からソニー株式会社パーソナルエンタテインメント事業部 プロフェッショナルソリューション事業室商品企画担当の田中光謙さん、商品技術センター 機構設計第1部門 メカ設計担当メカニカルマネージャーの尾崎雄三さん。麻倉さんの右隣が商品技術センター商品設計第2部門 音響設計担当アコースティックアーキテクトの潮見俊輔さんで、右端はパーソナルエンタテインメント事業部 プロフェッショナルソリューション事業室のシニアヘッドホンプロデューサーの松尾伴大さん

●取材に対応いただいた皆さん。左からソニー株式会社パーソナルエンタテインメント事業部 プロフェッショナルソリューション事業室商品企画担当の田中光謙さん、商品技術センター 機構設計第1部門 メカ設計担当メカニカルマネージャーの尾崎雄三さん。麻倉さんの右隣が商品技術センター商品設計第2部門 音響設計担当アコースティックアーキテクトの潮見俊輔さんで、右端はパーソナルエンタテインメント事業部 プロフェッショナルソリューション事業室のシニアヘッドホンプロデューサーの松尾伴大さん

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