映画評論家 久保田明さんが注目する、きらりと光る名作を毎月、公開に合わせてタイムリーに紹介する映画コラム【コレミヨ映画館】の第57回をお送りします。今回取り上げるのは、タイトルの通り、お爺ちゃんスパイが大活躍!?する『83歳のやさしいスパイ』。果たして、セルヒオは無事任務をまっとうできるのか? とくとご賞味ください。(Stereo Sound ONLINE 編集部)
【PICK UP MOVIE】
『83歳のやさしいスパイ』
7月9日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開
拳銃は撃たず、秘密兵器も使わないスパイが登場するドキュメンタリー映画である。あ、超小型カメラが仕込まれた黒ぶちメガネは手渡されるけれど。
撮影中に84歳になったお爺ちゃんのセルヒオは、80歳から90歳までの退職者募集という新聞の求人広告を見て、多くの老人たちが椅子に並ぶ探偵事務所を尋ねる。少し前に妻を亡くし消沈していた彼は、なにか生きがいになればと面接を受けることにしたのだ。
担当者から依頼されたのは、虐待を疑う娘からの母親が入所している養老ホームの実体を探る潜入調査だった。ある程度スマホなどが使え、合格したセルヒオは目的を伏せてホームに入所する。怪しい事件はないか? 本当に虐待が行なわれているのか?
こうしてセルヒオの〝ミッション・インポッシブル〟が始まった!
『ノマドランド』が作品賞を獲得した今年のアカデミー賞の長篇ドキュメンタリー賞ノミネート作品。演出のマイテ・アルベルディはチリ出身の女性作家で、探偵事務所に務めていた経験があり、そのときに目立った家族からの虐待調査の依頼をヒントに今回の構想を立てたという。
少人数の撮影隊はホームに先入りして入居者たちに慣れてもらい、そこに83歳の老スパイが登場し、さっそく観察したり、話しかけたりの身辺調査がスタートする。といっても調査されるのはセルヒオのほうで、新参者に興味シンシンのおばあちゃん部隊から根掘り葉掘り吟味されるのだ。
根がマジメなセルヒオは雇い主の事務所に報告するため、おばあちゃんたちの愚痴や身の上話につきあい、男性入居者が少ない施設という理由もあるが、モテ期を迎えることになる。中学生のように告白しようか迷うおばあちゃんまで現れて、極秘潜入捜査のなかで彼はなにを発見するのか?
場に溶けこみ、共感することで距離を縮めてゆく女性監督はドキュメンタリーに向いているのだろう。デジタルカメラの小型化で撮影が大袈裟なもので無くなり、その機動性、カジュアルさも活きているのだと思う。
いろいろなことが起きる。笑ったり、しんみりしたり、驚いたりできる秀作ドキュメンタリー。養老ホームの庭の、名も知れぬ草花の姿も印象に残る。
女性たちは老後を生きているが、セルヒオを除いて、男たちは見栄と理屈ばかりでてんで使えない。他人事ではないな。棺桶に入るまで自分も気をつけよう。
『83歳のやさしいスパイ』
7月9日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開
監督・脚本:マイテ・アルベルディ
出演:セルヒオ・チャミー、ロムロ・エイトケン、マルタ・オリヴァーレス、ベルタ・ウレタ
原題:EL AGENYE TOPO
配給・宣伝:アンプラグド
日本語字幕:渡邉一治
2020年/ドキュメンタリー/チリ、アメリカ、ドイツ、オランダ、スペイン合作/ビスタサイズ/89分/5.1ch