香港の若い芸術家たちを通して見える“自由を手に入れるための死闘”
伴奏は兄が弾くピアノだけ。アコースティック・ギターを手にちいさなクラブのステージに立ったデニス・ホーは、「自由な香港を取り戻そうとしている若者たちに今夜の歌を捧げます」と前置きをして、清冽な声で歌いだす。
『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』(2020年)は、1977年香港に生まれ、カナダのモントリオールへ移住後も歌手のアニタ・ムイに憧れ、大学卒業のあと香港へ戻り活動を始めたポップス・シンガー、デニス・ホーの姿を追ったドキュメンタリー・フィルムだ。
思慕したアニタ・ムイが2003年に子宮頸がんで死去したあとも活動をつづけ、2012年のLGBTパレードに参加した際に同性愛者であることを表明。歌声はますます自由で伸びやかなものになってゆく。
平行して、2014年に起きた雨傘運動(香港の大規模な民主化要求デモ。警察が撃つ催涙ガスから身を護るビニール傘がトレードマークだった)や、2019年の逃亡犯条例反対デモ(香港への犯罪容疑者の引き渡しを可能にする条例。実体は中国政府の政治犯用のものだと抗議の声が巻き起こる)などに参加。
かつては大ホールの舞台に立つトップスターだったが、国連やアメリカ議会での講演、何度かの逮捕(最後は今年の5月11日。釈放後の行動はいまのところ判然としない)を経て、芸能活動は厳しく制限された。『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』は、そんな彼女のライヴシーン(生きざま)が胸に迫るドキュメント・フィルムだったのだ。
わが国では2018年に上映された『乱世備忘 僕らの雨傘運動』(2016年)を筆頭に、『香港画』、『時代革命』、『Blue Island 憂鬱之島』、今年の12月には『理大囲城』(香港理工大学の籠城戦を描いたドキュメンタリー)と民主化デモに材をとった劇映画『少年たちの時代革命』が上映される。
作り手はみな若く、いずれも自分たちの足で立ち上がった映画ばかりだ。どの作品にも、さまざまな方法で中国中央政府につながる権力にぶつかり、異議を唱え、同時に迷う若者たちの姿が活写されている。
この一本というなら「逃亡犯条例」改定を契機に燃え上がった約180日間の争乱の模様を多極的に描いた『時代革命』だろうか。結局、運動は当局に押さえつけられ、多くの逮捕者が生まれることになったのだが。
今年の6月に香港を訪れた習近平・国家主席は「香港の愛国者が自ら混乱と暴力に終止符を打ち、真の民主主義を獲得した」と讃えたが、その一方で市民の香港からの脱出ラッシュは止まらなかった。
愛する国・香港に見切りをつけた人々が、イギリスへ、カナダへ、オーストラリアへと移住を始めているのだ。
夢のように楽しい、「遊びの楽園」だった中国返還前の香港
1984年に東京国際映画祭の仕事で初めて香港へ行き、それから1997年の中国返還の前後まで足しげくあの街に通ったぼくは本当に悔しい。
物価は安かったし、宿も手ごろ。ご飯は通りの定食屋や飲茶屋で充分だった。大きめの酒楼(レストラン)も海鮮料理など高望みしなければ、どれも安くて本当においしかった。
旅先で食べ過ぎて吐き、それでも小一時間もするとまたフラフラと店に入って注文をしていたのは香港だけだ。いまはもうそんな無茶はできないけれど。
啓徳国際空港が九龍半島のはずれにあったころは、飛行機が土手っ腹を見せて市場の上などを飛び、空港を出たバス乗り場の周りには亜熱帯特有の風が吹いていて、それを嗅ぐと「ああ、戻ってきた」と思ったものだった。
半島を縦につらぬくネイザン・ロードの周囲には多くのホテルや土産物屋が軒を連ねており、通りの角には大きな映画館(戯院)があった。そう、映画館! これがまたすばらしいのだ。
当時(80~90年代)はまだシネコンはなく、館数は九龍、香港島あわせて70館ほどだったと思う。席は2階桟敷席と1階土間席に分かれており、基本は1日5回上映。戯院によっては平日朝10時からの旧作日替わり上映(早塲)をやっていることもあり、それが名画座的な愉しみだった。夏場はクーラーが狂ったように動いていたのを覚えている。
そこで掛かっていたのは大半が香港映画。チョウ・ユンファやジャッキー・チェン、リー・リンチェイにチャウ・シンチー。遅れてアンディー・ラウやトニー・レオン、レスリー・チャンなどのキラ星のスターたち。もちろん女優陣も選り取り見取りだった。
ご飯を食べて、映画を観る。市場を冷やかしてまたご飯を食べる。本屋やレコード・ショップを覗き、繁華街を散歩しながら映画を観る。地下鉄や乗り合いバスを使ってホテルに帰ったら、テレビをつけてモノクロのクンフー映画やらを観る。
ホテルから窓の下の市場を見ると、もう夜更けだというのにガキンチョが走り回っている。ほかには湾仔の広東語レゲエ・クラブのリズムも、シャティン競馬場のビッフェ・スタイルの観覧席も楽しかった。香港は本当に遊びの楽園だったのだ。
そのころは誰もが笑いながら通り過ぎていた通りや、香港名物の長い歩道橋が、いまは催涙弾の煙が漂う闘争の場所になっている。イギリス統治時代もそりゃいろいろ問題はあっただろうが、一国二制度という約束も反故にされて、香港はいったいどうなってしまうのだろうか。
あるいはそれを考えることもすでに手遅れなのか。
“愛する故郷”と“変貌した香港で生きる人たち”に贈る7本の掌篇集
今週公開される『七人樂隊』は、ジョニー・トー監督の呼びかけにより、香港を愛してきた7人のベテラン監督が作ったオムニバス映画である。
サモ・ハンが、クンフーを習う20人あまりの生徒の年老いた兄弟子を演じ、光陰矢の如し、去りて帰らずと過ぎた時代を回想する「稽古」。恩師の墓参りをする教え子たちの思いを描くアン・ホイ監督の「校長先生」。部屋でひとりクンフーの鍛錬をしながら過ごす祖父(『スパルタンX』の名優ユン・ワー!)とカナダへ旅立つ孫娘の交流を描くユエン・ウーピン監督の「回帰」。
ほかにもパトリック・タム監督の「別れの朝」、ジョニー・トー監督の「ぼろ儲け」、2018年に急死したリンゴ・ラム監督の「道に迷う」、ツイ・ハーク監督の精神科医と患者がくり広げるシュールな問答集「深い会話」と、バリエーション豊かなエピソードが並ぶ。
1950年から現在、そして未来へ。それぞれに味わいがある掌篇集だが、『七人樂隊』は現在の香港では珍しく全篇アナログのフィルム・カメラで撮影されている。これも過ぎ去った時代への思いゆえだろう。
サモ・ハンの息子のティミー・ハン、『ザ・ミッション 非情の掟』のフランシス・ン、『エグザイル/絆』などのベテラン男優サイモン・ヤム、『カンフーハッスル』ほかの名傍役ラム・シュ、最後を飾る「深い会話」ではジョニー・トー、アン・ホイ、ツイ・ハークらがゲスト出演をしている。
北京に事務所を持つスタッフも多いが、彼らがいまも愛しているのは育った香港の街並みだろう。若者が戦い破れ、今後を考える『時代革命』などの切れ味に比べたらどれもノスタルジックで甘い作りなのかもしれない。でもイギリス統治時代に“借り物の土地、借り物の時間”と呼ばれ、それゆえふわふわと浮いた自由都市と思われていた香港は、この数年でずいぶんキュークツな場所になってしまった。
去年の3月に指導部は民主派を事実上排除する新たな選挙制度を導入し、議会は親中派ばかりになった。残念ながら香港の明るい未来を思うことはできない。
それでも生きてゆく。
『七人樂隊』は、ベテラン監督たちがそんな故郷と自分たちにプレゼントしたオムニバス集なのだ。
『七人樂隊』
10月7日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
監督:サモ・ハン/アン・ホイ/パトリック・タム/ユエン・ウーピン/ジョニー・トー/リンゴ・ラム/ツイ・ハーク
プロデューサー:ジョニー・トー/エレイン・チュー
出演:ティミー・ハン/フランシス・ン/ジェニファー・ユー/ユン・ワー/ン・ウィンシー/サイモン・ヤム/チョン・タッミン/ラム・シュ ※登場順
原題:七人樂隊
2021年/香港/1時間51分
配給:武蔵野エンタテインメント
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