この4月6日、ステレオサウンドから新たに「名盤コレクション」のクラシック作品が一挙5タイトル、リリースされた。いずれもSACD+CDという2枚組の体裁で、ハイブリッド式を採らなかったところに音質への配慮が感じられる。その中からここでは『メンデルスゾーン:交響曲第3番<スコットランド>、他』と『ブリテン:戦争レクイエム』の2タイトルを紹介しよう。
これこそ、デッカ黄金時代の音。豊穣たるオーケストラサウンドに酔う
最初に、この2枚のデッカ盤に共通した重要点ふたつを記しておく。それは、録音エンジニアに巨匠ケネス・ウィルキンソンが携わっていることだ。オーケストラの細部をマルチマイクで収録するのでなく、必要最小限の本数(いわゆるデッカ・ツリーと称されるマイクアレンジで、概ね5〜6本)にて勇壮でスケールの大きな響きをマスで捉える名ミキサーである。小さなレコード会社で録音エンジニアとしてのキャリアをスタートさせた後、その会社がデッカ・レコードに買収されたことが彼のターニングポイントとなった。以降80年に引退するまでの数十年間、数多くの優秀録音を輩出し、デッカ黄金時代を築いたのである。
もうひとつのポイントは、いずれの盤も英ロンドンのキングスウェイホールでの録音ということ。ウィルキンソンはもちろん、デッカにとっても、音響特性を充分に把握した“根城”といってよいホールでの収録であったことはプラス要因だ。それ故、後々ポストプロダクションでの編集に頼らず、しかもマルチマイクでなくても良質の録音体制が整えられたのだろうと推測する。
ここで採り上げた2枚を含む全5枚の復刻化に際しては、デッカ出身で現在は英クラシック・サウンド社所属のエンジニア、ジョナサン・ストークスが担当している。ユニバーサルミュージック所蔵の最良のコンディションにあるオリジナルアナログマスターテープを元に、SACD用とCD用を個別にイコライザー等を用いずフラットトランスファーにてマスタリング。A/D変換にはHORUS(ホルス)コンバーターが用いられ、PYRAMIX(ピラミックス)のワークステーションにて作業が行なわれた。アナログマスターの送り出しは、かつてデッカにてモディファイされたスチューダーA80オープンリールデッキが活用されている。
オーディオ名盤コレクション SACD+CD
メンデルスゾーン:交響曲第3番《スコットランド》、序曲《フィンガルの洞窟》/ペーター・マーク指揮ロンドン交響楽団、ほか
(ユニバーサルミュージック/ステレオサウンドSSHRS-056〜057) ¥5,500 税込
●仕様:シングルレイヤーSACD+CDの2枚組
●録音:1960年4月21、22日ロンドン、キングスウェイ・ホール
●プロデューサー:レイ・ミンシャル
●エンジニア:ケネス・ウィルキンソン
●デジタルトランスファー:ジョナサン・ストークス
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メンデルスゾーン『スコットランド』は、彼が完成させた最後の交響曲であり(番号は出版順。作曲の中断・改訂が断続的に行なわれたため)、1829年3月のスコットランド旅行中に着想したことからこの標題が付けられたという。エジンバラのホリールードハウス宮殿そばの修道院跡において、第一楽章の序奏パート/16小節分の楽想が書き留められ、全編完成後の1842年5月に英ヴィクトリア女王に献呈された。
4つの楽章は連続して演奏されるよう指示されているが、ゆったりとしたテンポで演奏される第一楽章は、ほの暗い楽曲のムードをいっそう色濃く抽出するかのよう。第二楽章ではノスタルジックなテーマがきれいに浮かび上がっている。録音は1960年4月。つまりステレオ初期の録音なのだが、60年以上も前に収録されたマスターの保管体制がよほどしっかりしていたのだろう。ホールの馥郁とした残響の、とりわけ管楽器の余韻の美しさには惚れ惚れする。それでいてハーモニーの造型に緩慢さはなく、ビシッと骨格の整った旋律の芯とダイナミクスが明確に感じ取れるのである。今回リニアPCMのハイレゾ音源と比べてみたが、響きのなめらかさとステレオイメージの立体感という点では、本SACDの方が好ましかった。
ロマンチックなムードの弦と葬送行進曲的な管楽器群の主題が印象的な第三楽章も素晴らしいが、やはり第四楽章の迫力が圧巻。激しくリズムを刻む低弦と、昇降するテーマをダイナミックに奏でるヴァイオリン。その雄大さが出せればオーディオ的満足度も高まることだろう。
オーディオ名盤コレクション SACD+CD
ブリテン:戦争レクイエム/ベンジャミン・ブリテン指揮ロンドン交響楽団、ほか
(ユニバーサルミュージック/ステレオサウンドSSHRS-060〜064) ¥10,120 税込
●仕様:シングルレイヤーSACD2枚+CD2枚の4枚組
●録音:1963年1月3〜5、7、8、10日ロンドン、キングスウェイ・ホール
●プロデューサー:ジョン・カルショー
●エンジニア:ケネス・ウィルキンソン、マイケル・マイレス
●デジタルトランスファー:ジョナサン・ストークス
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ブリテン『戦争レクイエム』は、管弦楽付きの合唱作品。第一次世界大戦に従軍して25歳の若さで戦死した英詩人ウィルフレッド・オーウェンの詩がモチーフとなっており、第二次世界大戦におけるすべての国の犠牲者を追悼し、戦争の残酷さと非合理さを憂い、世界平和への願いが込められているのがポイントだ。
私は長野県松本市で2009年8月に開催された「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」にて、小澤征爾の指揮による本楽曲の生演奏を聴いている。決して広くはない舞台に3人の独唱者と混成合唱団、さらに大小2群の大所帯のオーケストラが並び、視覚的にも壮観な見通しだったが、演奏もたいへん素晴らしかった(ライヴ盤がCDとSACDで発売された)。
1963年1月初旬、作曲者ブリテン自らロンドン響を指揮し録音された本盤は、その時の記憶を思い起させる生々しい響きに満ちている。SACDならではの情報量の多さと細やかなテクスチャー再現がその源といえよう。手持ちのSHM−CD(96kHz/24ビット・リマスタリングマスター使用)と比べてもっとも顕著な違いを感じたのもその点であった。
マスターに起因するテープヒスが目立つのは仕方がないが、それとてこの鎮魂に満ちた演奏の前ではどうでもよくなる。合唱団の奥行はどこまでも深く、オーケストラの豊穣としたハーモニーがそれを柔らかく包み込む。ステージ左右の広がりは管楽器がそれぞれ繰り出すソロの旋律の克明な定位からも感じ取れる。独唱者、オーケストラ、合唱団の音のレイヤーが複雑に絡み合いながら広大なサウンドステージを形成しているのだ。
ロシアによる無差別なウクライナ侵攻が起こっている今だからこそ、改めてこの曲の真意を聴き込み、戦禍に思いを馳せ、平和が訪れることを願いたい。
※本記事はHiVi2022年6月号に掲載されています