ミキサーズ ラボが提案している「Lacquer Master Sound」(ラッカーマスターサウンド)が音楽ファンの間で注目を集めている。これは既存の音源をハイレゾ化する際にアナログラッカー盤を経由することで、デジタル音源では失われてしまった倍音成分を再現、多くの情報をもったハイレゾとして楽しめるという提案だ。
今回はそんなLacquer Master Soundについて、なぜこういったアイデアを思いついたのか、また具体的にどんな環境・機材で作業を進めているのか、さらにはそのメリットについてミキサーズ ラボの面々にインタビューをお願いした。
対応いただいたのは、株式会社ミキサーズ ラボ 会長の内沼映二さん、副会長の菊地 功さん、代表取締役社長の三浦瑞生さん、専務取締役の中村隆一さん、カッティングエンジニアの北村勝敏さん、マスタリング部の加藤拓也さん、課長補佐の山口 雄さんという、Lacquer Master Soundを生み出した面々だ。(編集部)
麻倉 今日は東京・南青山にあるミキサーズ ラボのワーナーミュージック・マスタリングにお邪魔しました。ここでは同社が考案したLacquer Master Soundの制作作業が行われているそうです。
私はこのLacquer Master Soundで制作されたハイレゾ音源第1弾の中森明菜『Listen to Me -1991.7.27-28 幕張メッセ Live <2021 Lacquer Master Sound>』を聴いて、音のよさに驚きました。
自宅では、Lacquer Master SoundによるリニアPCM 96kHz/24ビット音源と、そのマスターに使われたオリジナルの44.1kHz/16ビット音源を聴き比べましたが、オリジナルではヴォーカルと演奏が混濁気味で、すべての音が主張している印象でした。しかしLacquer Master Soundでは音場が整って、音色も素晴らしかった。艶とコクが一挙に増えました。
なぜここまでの変化があるのか、その理由を解明しないわけにはいけないということで、今日のインタビューをお願いした次第です。まずはLacquer Master Soundを始めようと思ったきっかけからお聞かせ下さい。
菊地 Lacquer Master Soundを気に入っていただきありがとうございます。もともと録音の立ち合いにこられる皆さんからは、アナログ盤のテストカットでラッカー盤の音を聴いてもらった際に、デジタルにはないレンジ感があっていいという感想をもらっていました。
さらにあるアーティストさんからも、ラッカー盤の音をエンドユーザーに届けられるような仕組みを作れないかという提案をいただいたのです。そこで弊社のカッティングエンジニアの北村と一緒にアイデアを練っていきました。
麻倉 なるほど、アーティスト側からリクエストがあったのですね。それはハイレゾ化のための提案だったんですか?
菊地 いえ、その時はハイレゾは考えていませんでした。
麻倉 あくまでもラッカー盤の音をユーザーに伝えたいという思いだったんですね。それで、まずどんなことに取り組んだのでしょうか?
菊地 ラッカー盤を再生した音を96kHz/24ビットで取り込んで、マスタリング等はしないで、レンジ感をそのまま伝えようと試してみたのが最初です。それが2019年末頃のことで、2020年にテストを何回か行ったところ結果がよかったので、弊社のサイトでレコード会社さん向けに、こんな方法もありますと紹介しました。
そんな時に、『Listen to Me〜』がCDでしか発売されておらず、それをリマスタリングしたいというお話がワーナー・ミュージックさんから、ありました。私は以前から明菜さんのマスタリングを担当していたので、今回もこれをハイレゾにできないかという相談をもらったのです。そこでせっかくならとLacquer Master Soundを提案したところ、採用していただきました。
麻倉 それは運命的な巡り合わせでしたね。やってみたら、結果もよかった。
菊地 Lacquer Master Soundで録音した音源について、スペクトラムアナライザーで波形を確認してみたのですが、高域が48kHzまで綺麗に伸びていたんです。96kHzでサンプリングしているから当然といえば当然ですが、元々は44.1kHzのデジタルデータなのに、ですよ。
その後、10kHzのテスト信号で試してみたら、Lacquer Master Soundを使うと10kHz/20kHz/40kHzの倍音成分がちゃんと確認できました。
麻倉 デジタル的に加工をして高域を創り出すわけではないのに、なぜLacquerMaster Soundでは倍音成分が発生するのでしょう?
菊地 はっきりした理由はわれわれにも分かっていません。一番の理由は、カッターヘッドで切る時の機械的な動作が自然な高調波を発生させているのだと思います。
麻倉 これまでもデジタル音源をツートラ・サンパチのテープに録音し、それを再生してハイレゾ化するという方法はありました。しかしそこで止まっていて、ラッカー盤を使おうという考えまでには至らなかった。ミキサーズ ラボというカッティングエンジニアがいる会社だからこそ思いついた発想ではないでしょうか。
内沼 そうかもしれませんね。
菊地 もともと、ラッカー盤の音をダイレクトにユーザーに届けられたら面白いんじゃないかというところからスタートしていますから、ハイレゾ化はその副産物ともいえます。でもその音が綺麗になっていることについて、これだ! という説明がつかずに困っているんです(笑)。
麻倉 でも実際に音を聴くと、もの凄い違いがあります。『Listen to Me〜』は結果的にアップコンバートになっていますが、そうではなく、もともと96kHz/24ビットなどのハイレゾ音源に対してもLacquer MasterSoundを通すことで違う付加価値が生まれるような気がしています。
内沼 CDが初めて出た時に、一気にアナログからCDに置き変わってしまいましたよね。しかし僕自身は、自宅で同じアルバムを聴いているのにアナログとCDでは音が違うと感じていました。CDはどうしてもデジタル的な無味乾燥な音に聴こえてしまった。今回のLacquer Master Soundはそれとは逆に、アナログ的な魅力を補ってくれるように感じています。
麻倉 確かに、この音にはアナログ的な魅力があります。艶とコクですね。でもそのためには、カッターヘッドや再生システムをどうするかという点も問題になると思います。
菊地 その点については、とにかくいろいろ試しました。レコードですので回転数は331/3と45回転がありますが、今回は33 1/3回転を選んでいます。
内沼 レコードカートリッジは、音のよさそうな製品を5種類くらい集めてテストしました。それをエンジニア全員で試聴して、最終的にオルトフォンの「SPU Classic GE MK II」が一番近いだろうということで選んでいます。
麻倉 それは、元の音に近いと言うことなのですか? でもこの場合は元の音といっても44.1kHzのデジタルですよね?
菊地 “自然な聴こえ方に近い”ということです。ジャンルもビッグバンド、ポップス、ロックなどいろいろ試したのですが、一番癖がなく、オリジナルが持っている雰囲気がよくでていると感じたのです。
内沼 デノン「DL-103」も癖がないと思ったのですが、不思議なことにLacquer Master Soundで使うと面白味がなくなってしまったのです。
北村 SPU Classic GE MK IIの音作りが、Lacquer Master Soundにあっていたのかもしれません。現在はこれにオルトフォンのMCトランス「ST90」を組み合わせています。フォノイコライザーアンプはフェイズメーションの「EA-550」です。
麻倉 Lacquer Master Soundの手順としては、ラッカー盤をカットして、それを再生するわけですね?
菊地 はい、カットしたら“すぐ”です。
麻倉 時間と共に材質が劣化するから、できるだけ新鮮なうちに再生すると(笑)。で、その出力をA/D変換して録音するわけですね。そこではマスタリングなどの作業はしていないのに、音がよくなるのが凄いです。
ちなみに、ラッカー盤の素材は特別なものを選んでいるのでしょうか?
北村 いえ、ラッカー盤の素材は1種類しかないので、それを使っています。今回は14インチラッカー盤の一番外側、できるだけ線速度の早い部分だけを使うようにしています。ラッカー盤も一枚に1曲、多くても2曲しかカットしません。
麻倉 ラッカー盤自体も安いものではないのに、それは贅沢ですね。45回転や78回転にするともっと音がいいのではないかという気もしますが。
菊地 可能性はあります。現在制作中の角田健一ビッグバンド『“LacquerMaster Sound”meets The BIG BAND, Vol. 1』では45回転を採用しています。
内沼 『“Lacquer Master Sound”meets The BIG BAND〜』はもともと384kHz/32ビットで収録されています。このフォーマットはハイレゾの最高峰といってもいいのですが、それでもオリジナルとLacquer Master Soundを通した384kHz/32ビットを比べると、Lacquer Master Soundの方が音楽的です。理屈では説明できないのだけど、そう感じてしまう。
麻倉 特性的にはデジタルファイルの方が上かもしれませんが、実際に聴いてみるとアナログレコードの方がいい音に聴こえるケースはよくあります。内沼さんがおっしゃる音楽性とかエモーションは特にそうです。ラッカー盤にアナログで音をカットするという行為に何かの意味があるのでしょうね。この魅力が広く認識されると、Lacquer Master Soundを使いたいという注文が殺到すると期待できます。
菊地 そうなってくれると嬉しいですね。レコード会社としては、ある意味カタログ作品についてはやり尽くしている観があります。CDだって何回リマスターしているかわからない。Lacquer Master Soundはその最高の手段になると期待しています。
なお『“Lacquer Master Sound”meets The BIG BAND〜』では、北村はオブザーバーで、加藤と山口がカッティングを担当しています。
麻倉 若い世代が現場を手がけているのですね。実際にやってみていかがでしたか?
加藤 僕は90年代のデジタル制作の音楽を聴いて育ったのですが、Lacquer Master Soundを体験して、音楽再生としてまだまだできることがあるんじゃないかと思いました。
麻倉 なるほど、アナログってこういうものだということを初めて体験する、貴重な提案かもしれません。
内沼 それもLacquer Master Soundのコンセプトです。イヤホンやヘッドホンで音楽に親しんでいる若い層にも、Lacquer Master Soundでアナログのよさを体感してもらいたいと思っています。
麻倉 ではそろそろ音を聴かせてください。今日はどんな音源を体験できるのでしょうか?
菊地 『“Lacquer Master Sound”meets The BIG BAND〜』から「タキシード・ジャンクション」のオリジナルデータとLacquer Master Soundを聴き比べていただきます。どちらも384kHz/32ビット音源です(編集部註:e-onkyoで配信されているのは96kHz/24ビット)。
麻倉 オリジナル音源はいかにもスタジオで明瞭に録音した、はっきり、くっきりの印象が強いのですが、一方のLacquer Master Soundは実にアナログ的な深みがあり、生々しい。自分も会場にいて演奏を聴いている気持ちになりました。さきほどの艶とコクという特徴は、これにも生きていると思いました。
菊地 続いてステレオサウンド社から12月10日に発売予定のSACD『小椋佳』の15曲目「眦(まなじり)」を再生します。この曲は音源が48kHz/24ビットだったので、その音源を基にLacquer Master Soundを使って384kHz/32ビットにデジタイズしたものをマスタリングしました。最終的にはSACD用にDSD2.8MHzで収録しました。
麻倉 なぜこんなに違うんでしょう。48kHz/24ビット音源では音が混濁し、ほぐれていないのに、Lacquer Master Soundでは凄くアナログライクになります。デジタルの癖を追放してアナログらしく置き換えている、そんな気がします。
内沼 そうなんです、まさに置き換えているような印象なのです。
麻倉 これまでアナログレコードからハイレゾ化したケースはありましたが、ラッカー盤を使うとそのクォリティがまったく違いますね。
内沼 個人的にはノイズがないことにびっくりしました。ラッカー盤だからノイズは少ないということは分かっていましたが、実際やってみたらまったく気にならなかったのです。
麻倉 今回はリニアPCMがメインのようですが、せっかくラッカー盤を作るのならいっしょにDSDにしておくといいですね。
菊地 作業自体は可能です。ラッカー盤はカットから再生まで、できるだけ時間を空けたくないので、盤ができたら数時間のうちに色々なフォーマットで録音しておくといいかもしれません。Lacquer Master Soundを使って最高フォーマットの音源を作っておけば、第二世代のマスターとして活用できるのではないかと考えています。
麻倉 それもいいアイデアですね。Lacquer Master Soundは、デジタルの音を“アナログ変革”する大きな可能性を持っている“革命的なアイデア”だと思います。ぜひ頑張って下さい。
Lacquer Master Soundは、右脳に訴えかける官能的な音楽を再現する。
音楽ファン全体に届けられる、発展性を感じる技術の登場を喜びたい …… 麻倉怜士
ミキサーズ ラボのスタジオで、『“LacquerMaster Sound”meets The BIG BAND〜』から1曲目の「タキシード・ジャンクション」を聴きました。これは384kHz/32ビットで録音した音源ですが、まずもって、この音が凄くよかった。
低音が雄大でキレがあって、サックスの深み、ハーモニーが素晴らしいし、トランペットの位置感も申し分ない。音にキレや力感もあって、突き抜けている。私がこれまで聴いてきた、ミキサーズ ラボが手がけたビッグバンドの録音らしい、雄大なサウンドです。
これがLacquer Master Soundによる384kHz/32ビットになると、大きく変化しました。オリジナルは、スタジオで頑張って最高クォリティで録った、そんなニュアンスがあるけれど、Lacquer Master Soundでは空気感がでてきて、スタジオというよりもライブ、しかも相当近い位置で聴いているライブの印象になります。演奏している各パートの音像が明確になって、楽器の音を空気でうまく拡大させている、そんな気がしました。
また音の柔らかさ、輪郭の丸みもいいですね。生の演奏では強さの中に柔らかさがあって、柔らかさの中に強さがある、そんな魅力を感じるのです。オリジナルの384kHz/32ビット音源は柔らかさというよりは迫力、突抜感に優れていましたが、LacquerMaster Soundでは柔らかさもありつつ、突抜感もある音でした。音楽のわくわく感、面白みがとてもよくわかるのがLacquer Master Soundの特長でした。
オリジナルが左脳で分析的に聴くオーディオだとしたら、LacquerMaster Soundは右脳に訴えかける官能的な音楽と言えるかもしれません。
小椋佳の「眦」では、48kHz/24ビット音源はいかにも古いサウンドだと思いました。ピアノの音がこもっていて、まったくヌケてこないし、ヴォーカルも輪郭が不明瞭でぼけた感じです。音場も、周波数レンジも狭かった。
でもLacquer Master Soundを通したら、びっくりする音になりました。ピアノがしなやかで柔らかくなって、弾力が出てきました。肌理も細かくなる。
一番の違いはヴォーカルです。Lacquer MasterSoundではさすが名ヴォーカリストだなという説得力がでてくるのです。同時にオケもリズム隊やチェロが明澄に描き分けられ、弦も柔らかく響いてきます。
Lacquer Master Soundがハイファイと呼べるのかは分かりませんが、音楽が活性化するとか、歌手の魅力が引き立ってくる、音場が見えてくるといった、聴く側の幸せ感が増幅されるような気がします。音楽性の救世主と呼んでいいでしょう。
Lacquer Master Soundはとても音楽的だということは間違いありません。その意味ではオーディオファンだけではなく、アーティストのファンにも広く楽しんでもらいたい。音楽ファン全体に届けられる、発展性を感じる技術です。ぜひ音楽性で、いろいろなレーベルの楽曲をリボーンさせてください。大いに期待しています。