公益財団法人 新日本フィルハーモニー交響楽団は、文化庁「文化芸術収益力強化事業」の支援を受け、すみだトリフォニーホールで高品質に特化したコンサート収録を行った。具体的には、新日本フィルの演奏会をハイレゾマルチチャンネルで収録し、その素材を元にドルビーアトモス音声と96kHz/24ビットの2ch音源を制作、ストリーミングサービスのU-NEXTとThumva(Live Extreme)で、音声内容の異なるコンテンツとしてそれぞれが配信するというものだ(どちらも2月8日で配信終了)。
今回はふたつの配信コンテンツを麻倉怜士さんのシアタールームで視聴し、それぞれのパフォーマンスを確認している。さらにその音源がどのようにして作り出されたのかを取材した。まずはドルビーアトモスでの配信についてU-NEXTにインタビューを実施。同社事業企画担当部長の柿元祟利さんには麻倉宅での視聴に立ち会ってもらいながら、CTOのリー・ルートンさんにはリモートでインタビューをお願いした。(編集部)
麻倉 今日はよろしくお願いします。おふたりには松田聖子さんの『40th Anniversary Seiko Matsuda 2020“Romantic Studio Live”』の取材でもお世話になりました(関連記事参照)。今回は新たにドルビーアトモスを使った音楽コンテンツ配信ということで、興味深く拝見、拝聴しました。
視聴環境としては、アマゾン「Fire TV Cube」のHDMI出力をマランツのAVセンター「AV8805」につないで7.1.4システムで再生しました。感想から言うと、とても楽しめる内容でした。ドルビーアトモスの効果もよくわかり、会場の雰囲気もきちんと再現されていた。
すみだトリフォニーホールは、音のいい空間としても知られています。適切な残響特性を持っていて、音の響きが綺麗です。そのホール感が上手く出ていて、オーケストラが音を出した時にフワッと広がる様子など、会場で聴いているような感覚になりました。
その音源ですが、新日本フィルハーモニーさんが録音した素材を各配信サービスがドルビーアトモスやハイレゾ2chにミックスしたのでしょうか?
ルートン 収録から各フォーマットのミックスまでは新日本フィルさん側が行いました。今回は業務用レコーダーのピラミックスを使い、384kHzのマルチチャンネルで録音したと聞いています。そこからドルビーアトモス用や2ch用にミックスダウンした素材を、各配信サービスに提供いただきました。弊社ではそれを配信用にエンコードしています。
麻倉 ドルビーアトモスのチャンネル数はいくつだったのでしょう?
ルートン 今回は7.1.4です。
麻倉 さて今回はドルビーアトモス以外にもマルチアングル映像の切り替えができるなど、様々な工夫がなされています。
ルートン はい、メニューから7つの画角が選択できました。実は映像のアングルによって、ドルビーアトモスの音も少しずつ変えています。アングルは7つで、音声は6種類準備しました。
麻倉 それは新日本フィルさんから、このアングルにはこの音源を使ってください、といった指示あったのですか?
ルートン そうです。バイオリンの近くに設置したカメラの映像ではバイオリンの音を少し強調するなど、映像とイメージを合わせてありました。
麻倉 ただし、画質があまりよくなかったのが残念でしたね(笑)。これはU-NEXT側の問題ではなく映像を撮影した側の問題でしょうが、もう少し配慮して欲しかった。また、今回は実験という意味合いもあったと思うのですが、それならもっと大胆にアングルを変えるなど、工夫して欲しかった。
柿元 そうですね。今回はカメラを7台使っていますが、システム上はもっと多くのカメラを配置できます。例えばジャズのコンサートでメンバーが10数人いたとしても、すべてのプレイヤーにカメラを割り当てることも出来ます。アイドルグループなら、一人一人に専用カメラを配置してもいいわけです。今回は実験的に、コンパクトにまとまっていましたが、この技術を使ったらもっと面白いことが出来ると考えています。
麻倉 今回のマルチアングル配信はU-NEXTさんから提案したということですが、そういった新しい試みが増えていくといいですね。ピアノのアングルでも、手元のアップや上からの俯瞰など複数の視点があれば、ピアノ好きの人にも喜んでもらえるでしょう。それはギターでも弦楽器でも同じです。
理想は、すべての奏者の前にカメラがあって、しかも前からだけではなく3方向から撮影してプレイの詳細が楽しめること。さらに演奏中は、画面下に楽譜が表示されると、なおいい。
柿元 私は以前ドラムを演奏していたのですが、その頃に「ドラムだけ映してくれる映像があったらいいのに」と思っていました。今はそういった映像の配信も技術的に可能になっています。そういう取り組みが始まったら、個人的にも嬉しいですね。
麻倉 もうひとつ、指揮者を写した映像を選んだら、その指揮者に聴こえている音に切り替えて欲しい。指揮者には演奏がどんな風に聴こえているのか知りたいし、それはドラマーでも同じです。ドラマーに聴こえているサウンドがドルビーアトモスで届いて、自分が演奏しているような体験ができたら最高です。
柿元 確かに。それは面白い発想ですね。
麻倉 さて、U-NEXTさんでは以前から音楽コンテンツにも積極的に取り組んでいます。今回、オーケストラの配信をドルビーアトモスで実現したのは、どんな狙いがあったのですか?
ルートン クラシック音楽は、ポップスよりも聴く人が限定されるのは確かです。でも、音楽として聴いて気持ちのいいものだと考えています。私自身、以前はクラシックにそこまで興味はなかったのですが、実際にコンサートの現場の音を聴いて「こんなに違うんだ!」と驚いたことがあります。
麻倉 感動されたのですね。
ルートン 「音」そのものに感動しました。そこからクラシックを聴くようになったんですが、スマートフォンとイヤホンでクラシックを聴いても、このよさはわからないのでは? という疑問がありました。そこで、もっと臨場感のある、音として感動してもらえるような体験を作れば、多くの人たちがクラシックに興味を持ってくれるんじゃないかと思ったのです。
麻倉 今回のドルビーアトモスは48kHz/24ビット収録でしたが、わが家で再生してみたら、現場の雰囲気が現れるというか、楽器から音が発せられた時に会場にフワッと広がる、その様子がしっかり再現できていたことに驚きました。これは、ソースが本来持っていた情報がきちんと再現されている証拠ですが、今回は送出側で高品質のための工夫はしているのでしょうか?
ルートン ドルビーアトモスのパラメーターを、音楽コンテンツに合わせて調整しています。また転送レートも高めにしました。普通、配信用のドルビーアトモスは448kbps前後なのですが、今回は540kbpsです。配信コンサートを視聴する場合、スピーカーやネットワーク環境も整えてご覧いただく方が多いだろうと思い、高いビットレートを選択しました。ミキサーさんが聴いていたものと変わらない音で送り出す、というのが我々の目指したゴールです。
麻倉 今回は、録音を深田晃さんが手がけています。深田さんはマルチ収録の名人として有名な方ですが、今回もまさに「深田さんの音」になっていました。
彼の録音する音は、とてもナチュラルなのです。虚飾がないというか、自然な音です。今回U-NEXTのドルビーアトモスとLive Extremeの96kHz/24ビットの音を聴きましたが、共通してそのように感じました。これは、先ほどルートンさんが話していた、ミキサーが聴いている音と遜色なく送り出すという狙いに沿ったことでしょう。
ルートン そう言っていただけると安心します。
麻倉 さて、先ほど今回の配信では7つのマルチアングル映像と6つのドルビーアトモス音声を同時に配信したとおっしゃっていました。これは従来なかった仕様ですし、システム開発にも苦労があったと思います。
ルートン 切り替え時にタイムラグがあると音楽鑑賞の障害になりますから、なるべく早く、選択や切り替えが出来るようにしました。次の機会ではもっと早く切り替えが出来るように、今も改良を続けています。
麻倉 これまでのマルチアングルは、いくつかのカメラアングルがあって、そこからユーザーが切り替えが出来るというものばかりでした。しかし配信というメディアを使えば、例えばステージ上のカメラを自らでスイッチングするといったインタラクティブな楽しみ方もできるかもしれません。そうすると、今回のようなクラシックだけではなく、ジャズやポップスにも応用できるでしょう。ぜひ今後も実験を繰り返し、完成度を上げていってください。期待しています。
ルートン はい。頑張ります。