公益財団法人 新日本フィルハーモニー交響楽団は、文化庁による「文化芸術収益力強化事業」の支援を受け、すみだトリフォニーホールにて高品質に特化したふたつのシステムでコンサート収録を実施。ドルビーアトモス(U-NEXT)と96kHz/24ビット/2ch(Thumva)による配信を行った(どちらも2月8日で配信終了)。

 配信コンテンツのインプレッションについては前回の本連載でも紹介しているが、それに続いて、今回の取り組みを実現した、新日本フィルハーモニー交響楽団とドルビージャパンのスタッフ、さらに録音を担当した深田 晃さんへのリモートインタビューも実施している。高音質配信に対し、それぞれの皆さんがどんなスタンスでトライしたのか、じっくりお楽しみいただきたい。(編集部)

画像: Thumvaによる96kHz/24ビット配信を、MacBook PROで再生した

Thumvaによる96kHz/24ビット配信を、MacBook PROで再生した

麻倉 今日は、1月末に行われた新日本フィルハーモニー交響楽団さんの高音質配信の実現に尽力した方々に集まっていただきました。無観客コンサートを352.8kHzのマルチチャンネルで収録し、そこから7.1.4のドルビーアトモスと、96kHz/24ビットのハイレゾ音源を作成、配信するという試みでした。

 私も先日、自宅でこのふたつを試聴しました。ドルビーアトモスは配信サービスのU-NEXTをアマゾンの「fire tv cube」経由で再生し、96kHz/24ビットはマックブックPROを使ってブラウザ経由でThumvaにアクセスしています。その際の感想としては、どちらも予想以上の素晴らしいサウンドが実現できており、それぞれ趣の異なるコンサートとして楽しめました。

 まず、新日本フィルハーモニーさんにうかがいます。今回の配信は実験精神に溢れた内容だったと思います。3Dサラウンドとハイレゾ、マルチアングルといった多方面にここまで意欲的に取り組んだのは、初めてではないでしょうか。

貝原 新日本フィルハーモニー事業部の貝原です。今回の配信については、我々だけでは成し得なかった事業でした。そもそもは、文化庁の「文化芸術収益力強化事業」の支援事業の一貫として、「新しいことをやってみなさい」と言う形でご指名をいただいたのです。

 そこで、これまで世界で誰もやっていないことにトライしようということになり、予算内で可能なことを精一杯やらせていただきました。いくつか反省点もありましたが、ドルビーアトモス、ロスレス・ハイレゾというそれぞれの配信も無事実現でき、両方式の特性もきちんとお分かりいただける内容になったと思っています。

 また今回の配信では、ドルビーアトモスとロスレス・ハイレゾの両方に対応できる音源を収録しました。そのためにハイレゾで、かつマルチトラックでの収録が必要でしたが、それが出来たのは深田 晃さんのおかげでした。

麻倉 確かに、私も深田さんのナチュラルな音、グロッシーなサウンドが好きなので、今回はとても感動しました。ところで、今回の配信はドルビーアトモスと96kHZ/24ビットの2chというフォーマットだったわけですが、今回このふたつを選んだ理由は何だったのでしょう?

貝原 複数の選択肢から選んだのではありませんでした。352.8kHzの音源があったら何が出来るかという話になった時に、今回はこのふたつが出てきたという流れになります。

画像: Thumvaでの配信では96kHz/24ビットと、48kHz/24ビットの音声が選択できた

Thumvaでの配信では96kHz/24ビットと、48kHz/24ビットの音声が選択できた

麻倉 ではここから、深田さんにお話をうかがいたいと思います。まず、今回の収録はどのような狙いで行い、どんな工夫をされたのでしょう?

深田 コロナ禍ということもあり、昨年来から音楽配信の需要が増えています。しかしそれらのほとんどはAACなどの圧縮音源で、音がよくない。それもあり、今回のお話をいただいた時に、音をよくしたいということと、オーディオ業界のひとつの傾向として3Dオーディオという流れがありますので、その両方を活かせないかと考えました。

 具体的な編集作業を考えるとDSDファイルでは難しいので、DXD(最大352.8kHz/32ビットのリニアPCM)で録音することにしました。これを活かせればハイレゾ配信は無理なく実現できると考えたのです。

 3Dオーディオに関しては、どんなマイク配置で収録するかが難しかったですね。今回は、
イギリスのハダースフィールド大学のヒュンコックリーさんの論文を参考に高さ方向のマイクの設置を行なっています。

 5.1chや7.1chなどの普通のレイヤー(フロアー層)は全指向性のマイクで全体像を捉えるのですが、高さ方向のマイクも全指向性にすると、再生した時にハイトスピーカーとフロアースピーカーで音の被りが出てきます。それを避けるために、高さ方向は単一指向性のマイクで収録して、音を分離する様にしています。

 ただ、今までそういった方式で録音した3Dオーディオでは、オーケストラが前に居て、響きが後ろに広がるという再現が一般的でした。しかし今回は、もう少しオケの方に踏み込みたいと考えました。客席よりもちょっと前で、包み込まれるような音場にしたいと考えたわけです。

 ではどのようにマイクを置いたらいいかと考えた時に、オケ全体を上から俯瞰するマイクがあった方がいいだろうと思い、全指向性のマイクを4本加えてみたのです。もちろん、フロアーマイクとの時間軸のズレや被りは生じますが、いわゆる包まれ感は出てきました。そこで今回は、オケの頭上に高さ方向の全指向性マイクを4本置き、同時にメインマイクの上に単一指向性マイクを配置するという、新しいマイキングを試しています。

麻倉 わが家でドルビーアトモス音声を視聴した時も、響きが後ろからだけでなく、前からも、垂直方向に響き渡るように感じました。うちのスピーカーは視聴位置から約3m離れているのですが、フロントチャンネルの情報が豊かになって、面として響いてきたと感じたのです。

 もうひとつ感動したのは、「深田サウンド」が聴けたということです。ナチュラルなんだけれど味のある音が、響きの中にも感じ取れました。そもそもすみだトリフォニーホールは音が凄くいい。オケも上手いのですが、ホール自体にもクリアーで豊かな響きがある。そこに深田サウンドが合わさって、気持ちのいいライヴ感、ベールを取り去ったような澄んだ音場が楽しめました。

 今回はアーカイブ配信を視聴しましたが、生成りの音の情報量というか、とても生々しい体験ができたなあという感じがしました。音作りも、イコライジングなどは施さず、生々しさに重点を置いていたように思ったのですが、いかがでしょうか。

深田 マイクの数が普段よりも多いので、加工をしなくてもトリフォニーホールの音がそのまま録れていると感じていました。それもあり、多少の調整は加えましたが、極端な加工はしていません。

麻倉 完璧にマスタリングをして送り出すというのが、これまでの配信サービスの常識だったと思います。でも今回は、生々しさというか、その場でしか体験出来ない臨場感、ワクワク感に重きを置いているように感じました。演奏の良し悪しも含め、響きそのものがダイレクトに来る。そういうところに感動しました。これは新しい「音楽再生芸術」と呼んでいいでしょう。

深田 そう言っていただけると嬉しいです。

画像: 新日本フィルハーモニー交響楽団の告知ページより

新日本フィルハーモニー交響楽団の告知ページより

麻倉 さて、今回は映画コンテンツだけではなく、音楽コンテンツでもドルビーアトモスが活躍できると示したことが画期的でしたが、これまでに同様の例はあったのか、またこれからどんな取り組みを考えているのか、ドルビージャパンの大沢さんにうかがいたいと思います。

大沢 弊社の技術は、既に映像のない音楽再生用として採用いただいていました。Amazon Music HDやTIDALといったストリーミングサービスでもドルビーアトモスの技術が使われており、対応ハードウェアも世界中で普及しています。またNetflix、U-NEXTなどの映像配信サービスでもドルビーアトモスを採用いただいています。

 最近では、高中正義さんの日比谷のコンサートをリアルタイムに配信したり(『高中正義TAKANAKA SUPER LIVE 2020 Rainbow Finger Dancin'』)、NOKKOさんのライヴをドルビーアトモスで再ミックスして配信するなど(『2020.9.20 NOKKO LIVE「廃墟の夜〜spin-off episode 1〜」Dolby Atmos Special Edition Mixed by GOH HOTODA』)、多くの方々に楽しんでいただいています。

 新日本フィルさんについても、今後はプロモーションの方でもお手伝いして、リッチコンテンツを広くご体験いただけるようにしていきたいと思っています。ライヴ会場に行った時のような臨場感や体験は、これまでの配信では難しい部分もありました。弊社の技術を使って、コンサート会場にいるかのようなサウンドで大勢の方にお届けしたいですね。

麻倉 今回のようなトライアルをどんどんやっていこうということですね。

大沢 はい。ただ、既にたくさんの経験を積んできましたので、トライアルの段階は過ぎつつあると感じています。音楽業界の方、アーティストの皆さんと一緒に、ビジネスとしても成立するようなお手伝いができたらと思います。

麻倉 ドルビーさんはフォーマットと機材を提供する立場だと思いますが、トライアルの過程で得られた教訓や、今後の本格展開にあたって、こういうことが大事だと感じたテーマはありましたか。

大沢 ドルビーの名前を知っていただいている方は多いのですが、残念ながらご自宅でドルビーアトモスの配信をきちんと再生できるという方はまだ限られています。新日本フィルさんやU-NEXTさんのように、新しいことに取り組んでいらっしゃる方々を応援して、世の中にもっともっと広まっていくよう頑張りたいですね。

 また、先ほど「深田サウンド」というお話がありましたが、深田さんご自身もチャンスがあったら、もう少しこうしてみたい、ああしてみたいと感じていらっしゃるかもしれません。さらに、プロデューサーやミキサーさんそれぞれの考え方もありますので、ドルビーアトモスの作り方にも色々なアプローチがあってもいいんじゃないか、そんなことを学んだ気がします。

麻倉 深田さんは今回新しいマイキングを試したわけですが、これからの3Dオーディオ、特にオーケストラ収録の中で、今回の方法論がひとつのメソッドになりそうですか?

深田 ベーシックにはいい方法だったと思います。ただ、今回とまったく同じ方法ではなく、多少の応用は必要だと考えています。

麻倉 ところで、今回はドルビーアトモスとハイレゾといった複数のフォーマットで配信されましたが、それらはすべて深田さんがミックスダウンを担当されたのでしょうか?

深田 マルチアングルの映像に合わせて、バイオリンに焦点が当たっている映像ならバイオリンの音を上げて、木管楽器の映像なら木管を上げて、といった細かい変更を加えています。

 ポップスのような3〜5分の曲ならいいのですが、コンサート全体で90分以上あり、それを何種類もミックスしなおしたので、ものすごく時間がかかりました(笑)。

画像: 今回のインタビューはリモートで行った。写真左上から深田さん、新日本フィルハーモニー交響楽団の小田さんと貝原さん、ドルビージャパンの林さん、左下が同じくドルビージャパンの大沢さんで、右下が麻倉さん

今回のインタビューはリモートで行った。写真左上から深田さん、新日本フィルハーモニー交響楽団の小田さんと貝原さん、ドルビージャパンの林さん、左下が同じくドルビージャパンの大沢さんで、右下が麻倉さん

麻倉 新日本フィルさんからみて、今回の配信の成果はどんな点にあったのでしょう?

貝原 配信に先立って、小田と一緒に東銀座のドルビージャパンさんのスタジオでドルビーアトモスを体験させてもらいましたが、リアルなコンサートとして楽しめました。今回の配信では、ドルビーアトモスでの視聴者が多く、その点でも手応えを感じています。

小田 パトロネージュ部の小田と申します。私は自宅の5.1ch環境で今回の配信を観ましたが、ドルビージャパンさんの視聴室で聴いたサウンドとは異なるものでした。個人的には、ドルビーアトモスの再生環境が揃っていなくても、いかにコンテンツのよさを伝えていくかということが今後の課題になるのかなと感じました。

麻倉 再生環境をどう整えてもらうかは難しい問題です。しかしそもそもコンテンツがないと、ユーザーはシステムを整えてはくれません。今回の配信で、新日本フィルのファンがドルビーアトモスやハイレゾに注目し照れたら、それは大きな意味があると思います。

 また、音質がよくなることで配信の価値自体も上がります。今回も、96kHz/24ビットのハイレゾ音声はディテイルがあってマッシブでした。全体像がしっかり再現され、かつ細かい情報も出てくるので、オーケストラらしいサウンドとして堪能出来ました。生々しさがあって、そこにハイレゾが加わることで、これまでとは違う音楽鑑賞になっていたのです。

 ドルビーアトモスは、空気感というか、現場での体験感が出て来ました。すみだトリフォニーホールの響きは、芳醇かつクリアーです。そういう雰囲気の再現が見事で、高さのある、ドーム状のサラウンド空間が感じられたのです。それはとても特徴的だと思いました。

 ただし、絵はまったく物足りない。正面から全体を捉えたショットと客席のカメラはいいのですが、下手のステージカメラの絵が甘い。せっかく音がいいのに絵がダメではバランスが取れません。この点は改善を強く希望します。

大沢 その点は新日本フィルさんも理解していて、「ドルビービジョンで収録したら画質も変わりますか?」という質問もいただいています。弊社でもHDR対応カメラの用意がありますし、最近はスマホのカメラも進化していますので、それらを組み合わせることで、自然な立体感のある美しい映像が撮影できるのではないでしょうか。

麻倉 それは期待したいですね。あと今回の配信を観て、ピアノの演奏はマルチアングル視聴に合っていると思いました。今回はカメラが演奏者の左側に一台のみだったので、高音部のパートでは鍵盤が見えなくなってしまったのです。せっかくなら、右側や上からの俯瞰カメラも設置して、いろいろなアングルで演奏の様子を見てみたかったですね。

 もうひとつ、ユーザーとっての新しい音楽体験を増やす工夫も必要です。そもそもこれまでのコンサートでは、ユーザーは客席で聴くという選択肢しかなかった。でも配信ならもっと色々な聴き方が出来るはずです。例えば、客席から10m上の音とか、指揮者の立場で音を聴くといったものです。

 指揮者の位置ほどサラウンドを感じる環境はないはずです。左から第一バイオリン、前方からはチェロやヴィオラが聴こえて、上からは金管楽器が聴こえてくる。こんな体験は誰もが体験出来るものではないので、貴重です。

 そんな従来とは違ったオーケストラ体験が出来ると、これまでのようなトラディショナルなクラシック鑑賞ではない、新しい楽しみ方が生まれます。そして、それは配信だからこそ実現出来る“新しい価値”です。今回の取り組みをきっかけにして、新たなオーケストラ体験をユーザーに届けることが出来るといいですね。期待しています。

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