2020年後半のオーディオビジュアル的注目事は、音楽ライブ配信の急激な充実だろう。コロナ禍の影響で大規模ライブが中止になったことを受け、多くのアーティストが配信ライブに取り組んでいる。当初は画質・音質的には“そこそこ”だったが、この10月以降は様々なクォリティ改善に向けた試みが実施されてきた。その最たるものがWOWOWによる高音質配信実験だ。10月6日にMQA、28日にはAURO-3Dを使った“世界初”の配信を実現、さらに12月8日には熱海市と共同で「3Dオーディオ体験会」も開催している。今回はそれらの取り組みのキーマンであるWOWOW技術局 エグゼクティブ・クリエイター/博士の入交英雄さんにお話を聞いた。(編集部)
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麻倉 2020年は音楽ライブ配信が飛躍した一年でした。コロナ禍という要因があったのとはいえ、その進化は予想を超えていました。中でもオーディオビジュアルファンとして嬉しかったのは、音質に配慮した取り組みが多く出てきたことです。
例えばU-NEXTが配信した松田聖子さんの「40th Anniversary Seiko Matsuda 2020 “Romantic Studio Live”」も画質・音質ともに素晴らしく、わが家の150インチシアターでも充分楽しめました。メジャーなアーティストとしては山下達郎さんもMUSIC/SLASHで初の配信を実施しています。これらは既存の配信システムの中でどこまでいい音を届けられるかに取り組んだものです。
さらに注目なのが、よりオーディオファーストな配信を目指した取り組みです。先日はコルグとキングレコード、IIJの3社が「Live Extreme」という4KとDSDによる配信実験を行い、閉じられたネットワークの中ではありましたが、大成功を収めています。
先進的といってよかったのが、WOWOWによる2度の高音質配信実験です。まずはMQAの仕組を使って192kHz/24ビットのハイレゾ音声を伝送するという試みを10月6日に開催、続いて10月28日にはAURO-3Dによるマルチチャンネル配信も行われました。
詳しくはStereoSound ONLINEでもリポートされていますが、どちらも一般回線を使ってユーザーの皆さんにモニター体験してもらうなど、より現実的なトライアルになっています。まずはこの2回のイベントについて、どんな反響があったのかからお聞かせ下さい。
入交 おかげさまで、充分な手応えがありました。今回はStereoSound ONLINEの読者の皆さんにもモニターにご協力いただきましたが、そのアンケートでも、的確なご意見をいただきました。もともとオーディオビジュアル感度の高い皆さんだったこともあり、とても参考になりました。
特に驚いたのが、第2回のモニターに参加してくれた方の2割以上がAURO-3D対応のAVセンターをお持ちだったことです。その方々は今までの配信とも違う、ハイレゾマルチチャンネルならではの臨場感を楽しんでいただけたようです。
麻倉 初回はMQAの2chで、富ヶ谷のHakuju Hallでの名倉誠人さんによるマリンバの演奏をリアルタイムに配信しました。私も実際に会場の生演奏と、配信を経由した音を聴き比べましたが、配信もいいクォリティが実現できていたと思いました。
入交 マリンバはオーディオでの再生が難しい楽器と言われていますが、今回はMQAを使うことで、細かいニュアンスまで再現できていたのではないでしょうか。その意味でも、配信でどれくらい生音に近い再現ができているかを体験してもらえたと思っています。アンケートでは、MQAのあり/なしでの聴き比べができるようにして欲しかったという要望もいただきました。これは今後の参考にしたいと思います。
麻倉 マリンバの、どこがオーディオ再生にとって難しいのでしょう?
入交 アタックの音を正しく再現するのが難しいのです。特に名倉さんの演奏の力強さは、これまでは192kHzのハイレゾじゃないとそのニュアンスが表現できなかったのですが、MQAを使ったので48kHzでも伝送出来ました。しかもMQAデコードなしで聴いても、マリンバらしさが充分、感じられたのです。これは予想外でした。
麻倉 編集部によると、今回モニター参加してくれた方の半分くらいはMQAデコードに対応していないDACをお使いだったそうです。そんな方にも、48kHzのいい音で配信を楽しんでもらえたことでしょう。
入交 もうひとつ今回の配信でMQAを選んだ理由は、放送の仕組みの中に取り込みやすいからです。48kHz/24ビットでアーカイブできますから、これで素材を残しておけば、通常の放送用としても使えるし、配信なら対応DACをお使いの方にはハイレゾで楽しんでもらえる。ここが非常に魅力的でした。
何よりMQAエンコードしたリニアPCMは、その後にAACで圧縮しても、MQAとしてのエッセンスを残してくれるのが素晴らしい。もちろん圧縮しないにこしたことはないのですが、放送の場合は、非圧縮でのオンエアはできない。AACで圧縮した後でもオリジナルのよさが残っているのを確認できて、嬉しくなりました。
麻倉 WOWOWとして次のテーマはMQAをどう活用するかだと思いますが、何か具体的なビジョンはお持ちですか?
入交 まだ確定したわけではありませんが、アンケートでも要望が多い、使いやすい再生アプリを開発したいと思っています。
麻倉 それはいいですね。プラットフォームはスマホですか?
入交 まずはiPhoneとMacを考えていますが、まだまだ検討段階です。機能面では、MQAとAURO-3Dのデコード機能、さらにAuro-Headphone(ヘッドホンによる3Dオーディオ再生技術)やAuro-Scene(バーチャルスピーカー技術)も盛り込めると良いなと考えています。
麻倉 立体音響の総合アプリですね。とても使いこなし甲斐がありそうで、楽しみです。有料でもいいと思いますので、ぜひ実現してください。
入交 今回のモニターアンケートでも、性能がよければアプリにお金を払うという方も2割ほどいらっしゃいましたので、そういった方に満足して使ってもらえるアプリにできると良いですね。
麻倉 さて、再生環境が整ってくると、次は魅力的なコンテンツをどんどん送りだしていかなくては駄目です。特に有料配信ということになると、ユーザーの要求は厳しくなります。
ハイレゾで収録したコンテンツをMQAの48kHz/24ビット音源として保存しておけば放送でも使えるわけですから、ぜひハイレゾでの番組制作を実現して欲しいと思います。
入交 それについては、現場のプロデューサーを説得しなくてはいけませんね。効能については理解してくれた人もいるのですが、実際に採用するとなると、予算がどれくらい必要かも問題です。
麻倉 技術的には可能で、あとはコストや人的な問題ということですか。
入交 弊社では先日、西本智実さん指揮の『バチカン国際音楽祭サンパオロ編ベルディ・レクイエム』をHPL(ヘッドホンリスニング)で放送しましたが、実はこの時はMQAでエンコードした素材を使っています。残念ながら放送はAACになってしまうのでMQAとしてお楽しみいただくことはできませんが、先ほどもお話ししましたようにAACでも音質改善を感じるのです。
麻倉 その番組は私も録画してあるのですが、ハイレゾでは聴けないんですね。残念です。
入交 HPLで放送したのは、番組を3Dオーディオで作っておきたいという思いからです。再生環境はまだこれからですが、3Dオーディオのコンテンツを増やすために、HPLを活用していきたいですね。演奏者の皆さんには将来の配信ではAURO-3DやMQAで配信しますという確約をとっておけばいでしょうし。
麻倉 その3Dオーディオについては、10月28日にAURO-3Dによるマルチチャンネルの配信実験が行われました。第一回と同じHakuju Hallで、仲野真世さんと馬場高望さんによる、ピアノとドラムのデュオコンサートをAURO9.1(フロントL/C/R、サラウンドL/Rの5.1chにフロントとリアハイトL.R、サブウーファーを加えたスピーカー構成)で配信しました。
入交 この時も読者の皆さんにモニターとしてご協力いただきましたが、3割ほどの方が既にARUO-3D対応のAVセンターをお使いとのことでびっくりしました。
麻倉 再生ソースがパッケージメディアしかない今の段階でその数というのは期待が持てます。2021年はAURO-3D対応AVセンターも増えていくでしょうから、ユーザーはもっと多くなることでしょう。
私はAURO-3Dの配信の音も現場で確認しましたが、会場の響きの量もちょうどいい感じで再現できていて、入交さんのマイキングは素晴らしいと実感しました。
入交 ありがとうございます。今回はステージ上に設置したマイクツリーの音だけを活かして、会場側に設置したサラウンドマイクは一切使いませんでした。後からAURO11.1で仕上げる際にはサラウンドマイクの音もミックスしましたがライブ配信では使っていないのです。
麻倉 マイクの距離が近いので明瞭度も高いし、なおかつ広がりも感じられる、まさにコンサートホールが引っ越してきたような再現でした。配信でこれだけのサウンドが楽しめるのは、ユーザーにとっても新しい体験ですから、ぜひ実用化していただきたい。
入交 先ほど申し上げたアプリが実現すれば、より簡単にお楽しみいただけるでしょう。
麻倉 今回の2度の配信実験は、トータルでは手応えがあったとのお話でしたが、今後もこのような実験は続けていくのでしょうか?
入交 はい、配信実験自体は続けていく予定です。既に来年6月頃に向けて企画を進めており、次回はMQAとAURO-3Dを同時に配信したいと考えています。
麻倉 それは面白いですね。日程や曲目は決まっているのですか?
入交 現時点では詳細までは決まっていません。その他にも、『おうちで指揮者』という本を参考にして、指揮台の位置にマイクを置いてオーケストラを収録し3Dオーディオを配信するといったアイデアもあります。
麻倉 これまではマリンバの演奏や室内アンサンブルの配信でしたが、次は本格的なオーケストラがいかに聴こえるかというアプローチに入るのですね。これは期待したい。
入交 WOWOWによる配信サービスが実現したら、アプリも商用化しなくてはなりませんから、まだまだ課題が山積みです。個人的にはハードウェアのプレーヤーが作れると良いのにと思いますけどね。
麻倉 それはぜひ欲しいですね。お力になれることがあったらひと肌脱ぎますよ。
入交 ありがとうございます。WOWOWは全社的に配信サービスに舵を切ろうとしていますので、2021年は3Dオーディオについても流れをさらに進めていきたいと思います。
麻倉 近年、これだけ音楽ライブの配信が増えていて、しかも音質の向上が叫ばれているわけですから、視聴者のニーズは間違いなくあります。さらに画質・音質でのプレミアム感がでてくれば、愛用者増えていくのは間違いない。WOWOWの配信は他とは違う、品質的な価値があるということをわかりやすくアピールしていってはいかがでしょう。
WOWOWは来年3月から4K放送も始めるわけですから、そこで音もグレードアップできるといいですね。4K放送でMQAを採用することはできないのですか?
入交 放送は規格が厳密に決まっているので難しいですね。しかし配信は自由度も高いので、そこで新しいことを試したいと思います。もちろん4K画質での配信にも取り組みたいですね。
麻倉 4Kとしては最後発なのですから、それくらいの差別化は必要です。ぜひ頑張って下さい。
2020年12月8日に熱海市の「起雲閣」で、熱海市観光建設部観光経済課とWOWOWによる「3Dオーディオ(超臨場感音響)体験会」が開催された。館内の「音楽サロン」に85インチ8Kテレビと7.1.4の3Dオーディオシステムを設置し、WOWOWが制作した3Dオーディオコンテンツを体験するというものだ。ここではそのイベントを企画した熱海市役所 観光建設部 観光経済課 観光推進室 室長の遠藤浩一さんにお話をうかがった。(編集部)
麻倉 今回は熱海市観光建設部観光経済課とWOWOWの両者で「3Dオーディオ体験会」を開催したわけですが、その経緯を教えて下さい。
遠藤 もともとは、WOWOWの入交さんが熱海市にお住いで、ある喫茶店で市会議員の方と懇意になった事がきっかけです。その方が入交さんのホームシアターで3Dオーディオを聴かせてもらったところ、感動してすごく気に入ったのです。そこから3Dオーディオで何か観光振興ができるのではないかという話になって、今回のイベントにつながりました。
麻倉 それはたいへん面白い。
遠藤 現在は、あらゆる分野で新しい在り方が求められています。例えば泊食分離です。今までの旅行では、一泊二日食事付きが当たり前でしたが、最近は泊まる所と食事は別々というケースが増えています。
また熱海市としては、コロナ禍で団体のお客さんも減っています。当然、会議室や宴会場などはこれからの時代どうなっていくかわかりません。そこでこの空間でエンタテインメントが楽しめないかという発想が出てきました。ホテルに泊まって、広い空間でコンサートやスポーツをリモートで楽しむというものです。
その可能性について、最先端の技術でどこまでできるかのきっかけ作りとして、実際にホテルや旅館の経営者の皆さんに3Dオーディオを体験していただいこうということで企画しました。
麻倉 今日は音楽コンテンツ上映が中心ですが、その他にはどんな取り組みをされているのでしょう?
遠藤 熱海市では花火大会もひんぱんに開催していますので、ゆくゆくは、これもリモートで楽しめるようにできないかというアイデアもあります。配信方法をどうするかなど、まだまだハードルは高いのですが……。
麻倉 花火大会の上映となると、垂直音場が再現できる3Dオーディオの臨場感や迫力は欠かせませんね。
遠藤 それもあって、地元の方に体験してもらいたいと思いました。今回は市の方から、観光協会や商工会議所、旅館組合等にお声がけしており、多くの皆さんにおいでいただいています。
まずはこういった上映や体験ができること、さらにもっと多くの可能性があることを知っていただき、アイデアを募っていきたいと考えているところです。
麻倉 われわれは3Dオーディオというと、どうしてもライブや映画を考えてしまいますが、他にも色々なアイデアが出てきそうですね。これからの発展、応用が楽しみです。
遠藤 熱海には介護ホームも多くありますから、そういった場所でのエンタテインメントにも有用かもしれません。東京までは行けないけど、見たいコンサートやスポーツはあるでしょう。
麻倉 コンサートホールと施設をつないでのライブビューイングも、今なら可能です。そうなるとAURO-3Dの“場が再現できる”というポテンシャルが価値を持ってきますね。熱海市の先進的な取り組みに期待します。
イベント視聴を終えて
今回の熱海市とWOWOWの試みはとても素晴らしいと思いました。社会の中に3Dオーディオをいかに広めていくかは、誰かが仕掛けていかないと進みません。今回は熱海市を挙げての試みとのことで、これが成功すれば新しい観光資源になるのではないでしょうか。
音楽だけでなくスポーツやイベント中継が4Kの高画質と3Dオーディオで届くということは、まさに場の体験ができるということですから、社会的意義は大きいと思います。
今回はソニーの8Kテレビで映像を上映していましたが、液晶らしい明るさ、パワーが印象的でした。名倉さんのマリンバ演奏も、ドキュメンタリー作品の『バーミリオン』も4K/HDR収録なので、輝度パワーをしっかり感じることができました。
音はジェネレックのアクティブスピーカーによる7.1.4システムでしたが、もともとの音質はもちろん、つながりが素晴らしいので、音場が濃密に再現されていました。
それらハードウェアのよさもあって、名倉さんの演奏では東京カテドラル教会の天井が高く、響きの厚い空間で響きが垂直に立ち上る様子がとても綺麗に再現出来ていました。現場で聴いてもここまでの明瞭度では体験できないのではないかと思うくらいです。
音楽のライブ収録では、アンビエント主体か、楽器音主体かという二律背反的な要素があります。しかし3Dオーディオなら楽器の音はフロントチャンネルから明瞭に再現されるし、アンビエントはサラウンドスピーカーから聞こえます。うまく分業して、それぞれのオイシイところが正しく再現できていると感じました。
『バーミリオン』も火山の噴火音がアンビエントを伴って生々しく再現されていました。入交さんに確認したところ、この時の収録にもサラウンド用のマイクをセットしていたそうで、これは凄いことです。
セリフはきちんと前方から出てきて、全体の広がりは3Dオーディオらしい空間として再現されている。音楽と同様に、言葉が明瞭でありながら、環境音がしっかり場を再現しています。その効果はドキュメンタリーでも有効で、映像だけでなく音でも雄弁に空間を描き出しています。これは新しいドキュメンタリーの在り方だと感じました。
今回のイベントはWOWOWのコンテンツを使った上映でしたが、同社は2021年3月にこのコンテンツを持ってBS4K放送に参入します。4Kチャンネルとして最後発ですから、今までにない独得の切り口が求められますが、音声に関してはかなり期待できるでしょう。(麻倉怜士)