美空ひばりは、いわゆる歌謡曲の黄金時代を2段ステップで駆け登り、頂点を極めた昭和の一大流行歌手である。

 2段ステップという意味は、筆者の耳の勝手な判断によればの話だけれど、ひばりの歌にはふたつの時代があったと思うからだ。

 ひとつ目は、昭和24年の「河童ブギウギ」から同32年「港町十三番地」に至る天才少女時代。ふたつ目が昭和40年のレコード大賞受賞曲「柔」や、翌年の「悲しい酒」で不動の評価を確立して以後、女王の座を保持し続けた堂々たる大人の時代。そしてふたつの時代を結ぶ過渡期、といったら礼を失するかもしれないが、昭和35年には「哀愁波止場」でレコード大賞の歌唱賞を獲得したり、同37年に日活俳優小林旭のハートを射止め、結婚(39年に離婚)したりしている。あるいは筆者は知らなかったのだが、37年の「ほんとかしらほんとかしら」は日本歌謡曲初のステレオシングル盤(45回転EP)だったそうだ。

 なにしろ昭和を代表する大歌手、老若男女の庶民に愛されたウルトラアイドルなのでぶっちゃけてしまうと、筆者が大好きなのは天才少女時代のひばりちゃんだ。たとえば「悲しき口笛」(24年)、「東京キッド」(25年)、「越後獅子の歌」(25年)、「私は街の子」(26年)、「リンゴ追分」(27年)、さらに「波止場だよ、お父つぁん」(31年)などなど、なにがなんでもオリジナル・モノフォニック録音の最新リマスター盤で聴きたい(!)名曲の名唱がキラ星のごとしだ。

 ひばりちゃんは昭和12年の生まれで、存命なら今年83歳。けれども平成元年、病気のため52歳で他界した。旅立ちの翌月、遅まきながらの国民栄誉賞を受賞。女性歌手ではこんにちまでただひとりの記録保持者になっている。

凄味をどう引き出すか。鳴らし手に挑む、美空ひばり初のSACD登場

 本題の「ステレオサウンド オリジナルセレクションVol.7 美空ひばり」。

 先の時代区分をあてがえば、おおむね大人の時代のステレオ録音を集めたもので、同一内容のSACDとCDによる2枚組アルバムである。ちなみに、ひばりのSACDはこれが初とのこと。全10曲のうち「津軽のふるさと」は初出が昭和28年なので、天才少女時代に属する曲だが、本作では昭和41年の再録ステレオバージョンがつかわれている。

画像: 名盤ソフト 聴きどころ紹介14/『美空ひばり』 Stereo Sound REFERENCE RECORD

●仕様:シングルレイヤーSACD+CD 2枚組
●マスタリング・エンジニア:武沢 茂(日本コロムビア)
●ライナーノート:衛藤邦夫氏、武沢 茂氏(ともに日本コロムビア)のインタビュー

Stereo Sound ORIGINAL SELECTION
シングルレイヤーSACD+CD 2枚組
美空ひばり
(日本コロムビア/ステレオサウンドSSMS-041-042) ¥4,500+税

 1. 悲しい酒(セリフ入り)1982年録音
 2. みだれ髪
 3. 愛燦燦
 4. 舟唄
 5. 悲しい酒(セリフ入り)1966年録音
 6. 影を慕いて
 7. 川の流れのように
 8. 津軽のふるさと
 9. からたちの花
 10. スターダスト

    ●ご購入はこちら→https://www.stereosound-store.jp/fs/ssstore/3247

 いずれにせよ、このアルバムのハイライトは歌謡曲派のオーディオマニアだったら避けて通れない「悲しい酒」が、2種類入っていることだろう。昭和42年発売の「セリフありオリジナル」と、同58年の「セリフありデジタル再録」バージョン。しかもSACD/CDのセットだから、合計4種類の音で「悲しい酒」にどっぷり浸り込めることになる。 SACDのおまけにCDレイヤーが挟まった2層ディスクとは、わけがちがうのだ。

 どこがどうちがう? そこは皆様お聴きになってのお楽しみ。なのではあるけれど、酩酊気味の筆者にはどうもよく分からないところがあったので率直に印象を記しておきたい。

 それは、オリジナル(アナログ録音)とデジタル再録の音質差、というよりも情報量の差が予想外におおきいことである。その意味ではSACDに入っているデジタル再録版のクリアーな音がベストだ。

 この曲はアナログ時代からいろいろなところで耳にしてきた聴きなじみである。なんとも手ごわいヴォーカルソースなのだが、歌謡曲再生の達人のマジックにかかると、時に薄気味わるいほどホログラフィックで生々しい女王の姿が立ち現れてびっくりすることがあった。

 忘れかけていたその感覚が、今回なんとわが独楽劇場のおんぼろシステムでよみがえった、とまではいかないが、おっ、もうすこし頑張ればあの凄味が出てくれるかも、とマニア心が疼く程度の現実感は得られたのだ。それがデジタル再録版のほうで、なるほどデジタル録音。時代のちがいかと単純に納得しかけた。でもはっと気づいた。ちょっと待て。調べると、録音されたのは昭和57(1982)年の12月。CDが誕生して間もないデジタルオーディオ黎明期のことらしい。

 むろん当時はハイレゾもDSDもまだ存在しない。44.1kHz/16ビット収録のマスターテープだったはずだ。古典的なそのPCM音源をそっくり1ビット化してSACDに収めたところで、いきなりワイドレンジに化けたりはしない。20kHzあたりで高域がスパッと切れて、増えるのはノイズばかり(!?)。それにしては、なのである。

 実際、デジタル再録版は10曲の最初に入っており、このアルバムの表看板ともいえる位置を占めている。ならばこちらが「悲しい酒」の決定打、リファレンスになるのだろうか?

 そうではないような気がする。問題は5番目のアナログ録音版だ。セリフありのアナログ版「悲しい酒」は、美空ひばり自身の意向によって再度録音されたといわれるセカンドバージョン。新譜扱いのシングルカットEPでなく、4曲入り17㎝のLP盤として発売された。

 アナログ育ちの筆者などが聴きなじんだ「悲しい酒」はこのバージョンだったし、天才少女ひばりちゃんを女王の座に定着させたのもけっきょくのところこれ、なのではないだろうか。

 29歳の酒と45歳の酒がもつ意味は、あたりまえな話だがひとりの人間にとってひどくちがうものである。美空ひばりは29歳の心情をセリフにぶつけ、ステージ上でしばしば本当に涙しながら「悲しい酒」を歌った。この曲のリファレンスは、だから「セリフありのアナログ録音版」以外にあり得ないのだ。女王にガッツリ挑むオーディオマニアなら、SACDでもCDでもいい、まずは5曲目のアナログ版を制すべし。というわけで、いやはやしんどいソフトのお出ましだ。

 ●問合せ先:㈱ステレオサウンド 通販専用ダイヤル03(5716)3239
      (受付時間:9:30-18:00 土日祝日を除く)

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