NHK放送技術研究所では6月初旬に「NHK技研公開2023」を実施した。今回は「メディアを支え、未来を創る」をテーマに、昨年に引き続き東京・砧の同研究所にてリアル開催された。今回は本連載恒例の、麻倉怜士さんが注目したテーマについての深掘りインタビューをお届けする。今年の展示で麻倉さんが注目した4つのテーマについて、前後編にわけて紹介したい。(編集部)

<テーマ3>イマーシブコンテンツ体験に向けたディスプレー技術
「色鮮やかな量子ドットEL素子」

画像1: 「NHK技研公開2023」で見つけた、これからの映像収録やディスプレイの進むべき可能性。基礎研究開発のあるべき姿を再確認する(後):麻倉怜士のいいもの研究所 レポート105

 粒子状の半導体結晶である量子ドットを使ったディスプレイの研究成果も展示されていた。量子ドットは液体に溶かしてインクのように塗ることもでき、色純度の高い発光材料として期待されている。これまでは有毒なカドミウムを含む素材もあったが、近年はカドミウム以外の新しい量子ドット材料も登場している。展示では、ディスプレイの広色域化に有効な色鮮やかな赤・緑・青色EL素子も並んでいた。

麻倉 量子ドット発光については以前の技研公開でもお話をうかがったことがありました。その後、どのように進化しているのでしょう?

本村 量子ドットは色鮮やかに発光する材料で、今回の量子ドットは多元系半導体という、複数の元素が含まれている素材を用いたものになります。代表的なものとしては、硫化銀インジウムガリウムなどです。一般的に量子ドットと呼ばれているものはカドミウム系が多かったのですが、最近はカドミウムフリーの方向に進んでおり、リン化インジウムなどの素材も用いられるようになってきました。

麻倉 多元系というと、具体的にはどんな素材になるのでしょう?

本村 例えば緑色は硫化銀インジウムガリウムで、赤色はさらに銅が入った硫化銀銅インジウムガリウムといった具合で、組成や材料の組み合わせを変えることで、出てくる色が変わってくるという性質を持っています。

麻倉 その元素をどうやって光らせるんでしょう。

本村 例えば、量子ドットを分散させた液体に紫外線を当てて、光のエネルギーを与えると発光します。

麻倉 量子ドットに外部から光を与えて、波長を変えて色を出すという仕組みということですね。量子ドットをテレビに応用する時には、エネルギーとして電気を与えるんですか?

画像: 量子ドットEL素子のサンプル。外部から電気を与えることでRGBに発光する仕組みとのこと

量子ドットEL素子のサンプル。外部から電気を与えることでRGBに発光する仕組みとのこと

本村 はい、有機ELパネルと同じようにガラス板などの上に電極を配置して、そこに量子ドットを塗って電気を流して発光させます。それが量子ドットEL素子になります。

 量子ドットのディスプレイへの応用方法としては主に二通りあり、このように電気を与えて自発光させる方法と、青色光源から緑や赤の色を出す色変換フィルターのような使い方になります。

麻倉 色変換フィルターは、最近の液晶テレビなどで採用されています。

本村 今のところ、色変換で使う方で実用化が進んでおり、次の技術として直接電気を流して光らせる研究が進められています。

麻倉 既存の表示デバイスに対し、量子ドットの方が優れている点はどこにあるんでしょう?

本村 量子ドットの優位性としては、色再現性が優れています。一般的なハイビジョンテレビの色域であるBT.709 に対して、最近はデジタルシネマの色域であるDCI-P3に対応したデバイスも出てきています。

 さらに4K/8Kテレビの理想的な色域としてBT.2020がありますが、これは従来はレーザー光でないと再現が難しいと言われていました。しかし量子ドットを使ったデバイスであればBT.2020も可能ではないかと考えています。

麻倉 量子ドットだと、なぜ広色域が実現できるのでしょうか。

画像: 量子ドットディスプレイの映像を確認する麻倉さん

量子ドットディスプレイの映像を確認する麻倉さん

本村 量子ドットの発光は、スペクトルの幅がひじょうに狭いです。光の場合、スペクトル幅が狭い方が純度の高い色を再現できます。多元系半導体は、今一般的に使われているリン化インジウム系よりももっと狭いスペクトルが出すことができるのもメリットです。

 ただし複数の成分を含んでいるので、欠陥発光と呼ばれる余分な成分が出てきてしまうことがあります。今回は多元系半導体を使いながら、欠陥発光を抑えることができました。

麻倉 その欠陥発光の余分な成分は、どうやって取り除いたのですか?

本村 量子ドットEL素子に電荷を流して発光させる際には、欠陥発光の方がエネルギーが低いところにあるので、電荷が入りやすく、欠陥発光が目立ちやすくなります。今回はそうならないように、周辺の材料との組み合わせを工夫し、量子ドットに電荷を適切に届けるよう対策をしています。

 もう一点、多元系半導体の利点としては、材料の選択の幅が広い点があります。色々な材料を組み合わせているので、その一部を変えることで波長を自在にコントロールできます。また粒子の大きさを微調整して、色を微調整することも可能です。

麻倉 将来的には、テレビのパネルに量子ドットEL素子を使って、自発光させようと。

本村 そうですね。色のいい量子ドット素子ができれば、将来的にはディスプレイにも使えるだろうと思っています。現状では64×64ドットのパネルを試作していますが、こちらはRGBの量子ドットをインクジェットで一色ずつ塗って作りました。今後は大型化もテーマです。

麻倉 タイムスケジュールとしては、いつ頃の完成を目指しているのですか?

本村 EL発光については5年単位くらいの時間はかかりそうです。量子ドットパネルは塗布型で製造できますので、コスト的には有機ELよりも抑えられるでしょう。また現状で優位性を示せているわけではありませんが、無機の結晶材料ですので、有機材料に比べると熱にも強くできると期待されます。

画像: ●取材に対応いただいた方:日本放送協会 放送技術研究所 新機能デバイス研究部 本村玄一さん

●取材に対応いただいた方:日本放送協会 放送技術研究所 新機能デバイス研究部 本村玄一さん

<テーマ4>自然な3次元映像を再現するホログラフィックディスプレー

画像2: 「NHK技研公開2023」で見つけた、これからの映像収録やディスプレイの進むべき可能性。基礎研究開発のあるべき姿を再確認する(後):麻倉怜士のいいもの研究所 レポート105

 夢の立体テレビにつながる、メガネなしで自然な3次元映像を再現するホログラフィックディスプレイの視域拡大に向けた、磁気光学式空間光変調器(MOSLM)の展示も行われていた。MOSLMは超微小な磁石で光の偏光方向を制御するデバイスで、今回は世界最小画素サイズ(1×4ミクロン)の電流誘起磁壁移動を利用したMOSLM(10000×5000画素)を開発し、水平視域30度の3次元画像の表示に成功したという。

麻倉 ホログラフィックディスプレイは、技研公開でも色々な方式が提案されていましたが、今回はメガネなしなんですね。

川那 はい、こちらはメガネなしで、より広い範囲で立体映像をご覧いただこうという提案です。この展示は、実際はここに物が置いてあるわけではなく、上から光を当てることで立体像が再生されます。

麻倉 確かにすごく立体的な映像ですね。当てている光が特別なんですか?

川那 いえ、普通の照明です。このカラーの再生像は古典的な手法で作製したモックアップですが、感光フィルムに微細な干渉縞が描かれていて、そこに光を当てることでホログラムが再現される仕組みです。

麻倉 今回は静止画ですが、これが動画になれば、裸眼の立体テレビが実現できそうですね。

川那 映像を動かすためには、空間光変調器の干渉縞をデジタル的に描き換えてあげる必要があります。さらに空間光変調器では、画素ピッチが重要です。そもそも裸眼で立体像を見ることができる範囲は、画素ピッチに依存するんです。画素ピッチが広いとこの範囲は狭くなり、逆にピッチを狭くできると広くなります。今回の展示では視野角30度を実現しました。

 ピッチを狭くするのもなかなか難題でした。液晶素材では横に電界が漏れてクロストークが発生するため、ピッチを狭くすることが難しいのです。今回は、磁気光学式空間光変調器を開発し、1ミクロンという画素ピッチを実現しています。

画像: 今回施策された磁気光学式空間光変調器(MOSLM)

今回施策された磁気光学式空間光変調器(MOSLM)

麻倉 投写している光は同じで、それを空間光変調器で反射することで立体像を再現するわけですよね。そして空間光変調器の画素が信号に応じて変化することで動画として立体映像を再現できると。さらにこの画素ピッチが狭くできたので、広い視野角を持った立体像が楽しめると。カラー化する場合も、再生する原理は同じでいいんですか?

船橋 カラーで再現する場合は照明をRGBの時分割で投写し、赤色光の時には赤用の干渉縞を表示するといった具合に再現します。

麻倉 その干渉縞を表示するのに磁石を使った点が新しいんですね。

川那 今回試作した空間光変調器は、ひとつひとつの画像が磁石でできているのが特徴です。たくさん並んでいる小さな磁石のN極とS極を切り変えることで色々な干渉縞を描いて、光の反射を操作します。

 それぞれの磁石にはトランジスターがついており、ここに電流を流すとN極とS極の境目が切り変わり、磁石の極性が変化します。この極性の向きに応じて、磁気光学効果で光の偏光面が回転します。ここに偏光フィルターを組み合わせれば、片方の光だけを取り出すことができますので、白黒画像が再現できるという仕組みです。

画像1: <テーマ4>自然な3次元映像を再現するホログラフィックディスプレー

麻倉 なるほど、なぜ今回空間光変調器に磁石を使おうと考えたのでしょうか?

川那 磁石は電流を流す向きによって極性を自由に変えられるというメリットがあります。また磁石は微細加工に適しているので、1ミクロンピッチの画素も製造できました。

船橋 同様の技術という意味では、DMD(デジタルマイクロミラーデバイス)がありますが、あちらは鏡の周りに構造物を作らなくてはいけないので、画素ピッチとしては5ミクロンより小さくはできません。

 液晶材料も光変調器としては有望なのですが、有機材料が連続的につながっているので電極を微細化する必要がありますが、隣の電極画素とのクロストークが発生するので、微細化は難しいと思います。

 磁気光学効果は光の変調方式としてはメジャーではありませんが、金属を微細加工してしまえば100nm(ナノメートル)といった細かいオーダーで、確実に白黒画像を表示することができます。その点を考えて、今回はこの方式に注目しました。

麻倉 立体映像の表示デバイスとして、磁気光学効果を採用しているのはNHK技研だけなんですか?

川那 磁界や熱による駆動方式の磁気光学式空間光変調器に関する先行研究はありますが、微細化・高速化に有利な電流誘起磁壁移動で駆動する磁気光学式空間光変調器の研究はNHK技研だけになります。今回試作した表示デバイスは10×20mmなので、今後はデバイスを大きくすることと、カラー化を研究していきます。もちろん動画を再生できるデバイスも将来的には狙っていきたいと思います。

麻倉 磁気光学効果に気づいたことが、今回の最大のトピックですね。

画像2: <テーマ4>自然な3次元映像を再現するホログラフィックディスプレー

船橋 技研には色々な研究をしているスタッフがいます。私も以前はテープやハードディスクドライブなどの磁気記録を研究していたのですが、それが終わって次のテーマを考えていた時に、当時の上司がたまたま隣に座っていた研究者から3Dディスプレイでは空間変調器の微細化が課題だと聞いて、そこで磁気が使えるんじゃないかと考えたのです。

麻倉 それは面白い。専門分野が違う研究者がたまたま隣にいたってのがすごく大きいですね。

船橋 そういう意味では、思いがけない出会いがあるというのはいい環境でした。

麻倉 まさに運命的な出会いですよ。そういった話をうかがうと、早く等身大のホログラムを見たくなります。楽しみにしています

川那 そこまで大きくするのはなかなか難しいとは思いますが(笑)。

船橋 開発目標としてはそれくらいを目指したいと思っていますが、まずはスマートフォンなどで使える10cmくらいの立体像を実現したいと思います。

麻倉 その場合はバックライトで光を当てることになるのでしょうか?

船橋 パネルの横から光を投写する方式もありますので、色々な方法を考えたいと思います。もちろん空間光変調器の性能を上げるだけでなく、光学系もよくしていかないと実用化にはつながりにくいでしょう。

画像: ●取材に対応いただいた方々:日本放送協会 放送技術研究所 空間表現メディア研究部 チーフ・リード 博士(工学) 船橋信彦さん(左)、川那真弓さん(中央)

●取材に対応いただいた方々:日本放送協会 放送技術研究所 空間表現メディア研究部
チーフ・リード 博士(工学) 船橋信彦さん(左)、川那真弓さん(中央)

NHK技研らしい、ハードにより近い基礎研究の成果に注目した。
今後の技研公開では、メインの展示になって行って欲しい …… 麻倉怜士

 今日はNHK技研にお邪魔して、たいへん興味深いお話をうかがいました。そもそもNHK技研は、様々な分野での基礎研究をしっかりやって、その基礎研究をある程度のステージまで高めたら、次にメーカーと一緒に実用化を目指すというところが一番の存在価値だと考えています。そういう意味で、今回私は4つの技術に注目しました。

 ひとつが「シーン適応型イメージング技術」です。最近の撮像素子は4K/8Kなど高解像度化が注目されていますが、それだけでなく、フレームレートや解像度、HDRについても様々な要望があります。しかし、個々の項目に対応できるとしても、それらをすべて統合したセンサーはなかなか難しい。

 今回のシーン適応型イメージングセンサーは、撮影するシーン内の部分的な明るさとか動きに応じて、最適な映像をひとつのセンサーで撮ることができる、きわめて画期的なデバイスだと思います。

 特に360度映像を撮ろうと思ったら、例えばひとつの画面の中に明るい太陽はあるし、ガレージの暗い部分もあって、さらにそこから車が出てくるといった具合に、ひじょうに情報量が多いのです。それらひとつひとつを最適に撮影する技術として、たいへん注目だと思うんです。

 次は「伸縮可能なディスプレー」です。これは最高ですね。これまでは、ディスプレイは画角が4:3や16:9です、あるいは形も四角ですといった具合に、制約が多かった。つまりこれまでは、ユーザー側が見方や使い方をディスプレイに合わせているところもあったんです。しかし、フレキシブルなテレビとして、大きさもそうですし、伸縮性を備えてくると、ディスプレイの応用範囲がものすごく広がると思うんです。

 テレビの形をユーザーが選択できる、外に持っていく時には畳んで持ち出したり、大画面で楽しみたいと思ったら簡単に引き伸ばせる。そうなったらディスプレイと人間の関係性も変わるし、コンテンツもそれに応じたものが出てくると思うんです。

 そういう意味では非常に画期的な技術で、21世紀のテレビはフレックスで、自在に変形できるというものが見えてきた。これもすごく面白いと思いました。

 「色鮮やかな量子ドットEL素子」は、発色の良さがポイントです。その色の良さを、材料を工夫して実現していたということが、今回とてもよく分かりました。

 薄型テレビとしては、液晶や有機ELといった表示デバイスが普及していますので、量子ドットではそれらとどう差別化するかも重要になるでしょう。しかし既に量子ドットフィルターを色改善技術として使うということが普通になってきていますし、その量子ドットの色の魅力をさらに活かしたディスプレイというものが、その先に出てきて欲しいと率直に思いました。

 最後の「自然な3次元映像を再現するホログラフィックディスプレー」は、開発ストーリーとしても面白かったですね。

 まず立体像を表示するためには空間光変調器と干渉縞が必要で、さらにそこでは画素ピッチが非常に重要になる。加えて立体動画の再生には、この干渉縞をリアルタイムに描いていく必要があるのですが、そこに高速で動作する磁石を利用している。この発想には感心しました。

 しかもそのきっかけが、担当者がたまたま同僚から聞いた言葉だったそうなんです。彼はテープの磁気記録を研究していて、それが別の分野で応用できることに気がついて新しいテーマに移った。既存の技術を新しい分野で活かすというのは、技術ストーリーとしてもすごく美しいと思いました。

 それは、NHK技研という、色々な基礎研究を一緒にやっている場所の強みだと思うんです。ひとつのテーマを専門的にやっているのではなく、全然違うことをやっているんだけど、たまたま話を聞いてみたらそちらにも応用できて……みたいな感じでつながっていく。

 そういうシナジーが技研にはあると思うんです。応用研究は現場に近いところでやるべきだけど、基礎研究というものは、こういう風にひとつの建物の中で、色々な人がいて、みたいなところが新しいものを生み出す土壌につながっていくのではないでしょうか。そういう意味では、研究所が持つ談論風発の風土がいい感じで出たなと、とても嬉しく感じました。

 最後に私の要望として、最近の技研公開で気になっているところを申し上げます。数年前の8K開発の頃までは、テーマ選びや展示内容もNHK技研らしいところがあったんだけど、最近はコンテンツとかシステムに偏りがちで、どこかで見たことがあるような展示が多い気がします。

 もちろんそういった展示も必要ですが、ハード分野における放送の基礎研究は他ではできない分野ですので、ここについては、ぜひNHK技研に頑張ってもらいたい。もちろんそういった基礎研究をしていないとは思いませんが、問題はその成果が展示に出てこないことです。今回私が選んだ4つのテーマのような有望な基礎研究については、もっと詳しく、丁寧にアピールしてもらいたいと思います。

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