今回の本連載では、(おそらく)世界で初めてのクラシック作品の比較試聴をお届けする。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が年末年始に開催しているニューイヤーコンサートから「美しく青きドナウ」を再生し、指揮者による楽曲解釈の違いを聴き比べる。

 ニューイヤーコンサートは、同じ会場と同じ楽団で、演奏される楽曲もほぼシュトラウス一家のワルツ、大きな違いは指揮者だけという珍しいコンテンツでもある。その点に注目した麻倉さんが、現在配信されているハイレゾ音源をじっくりチェックして、特徴のある年(指揮者)を選び出した。

 ウィーン・フィルに関する著作を上梓したばかりの音楽プロデューサー、渋谷ゆう子さんをゲストに迎え、麻倉さんのオーディールームで、軽やかでありながら、ひじょうに真剣な試聴が始まった。(StereoSound ONLINE編集部)

画像: 音楽プロデューサーの渋谷ゆう子さんを麻倉さんのオーディオルームにお迎えし、様々な年代のニューイヤーコンサートをチェックした

音楽プロデューサーの渋谷ゆう子さんを麻倉さんのオーディオルームにお迎えし、様々な年代のニューイヤーコンサートをチェックした

麻倉 今日は音楽プロデューサーの渋谷ゆう子さんを私のオーディオルームにお招きして、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートのハイレゾ音源を聴き比べてみようと思います。このコンサートでは同じ曲目が演奏されますので、その中から「美しく青きドナウ」を再生し、指揮者によってどんな風に違って聴こえるのかを確認しようという狙いです。

 これを思いついたのは、渋谷さんが最近上梓された著作を読んだからです。一冊は『ウィーン・フィルの哲学』(NHK出版新書)というウィーン・フィルの裏側を描いた内容で、もう一冊は『名曲の裏側』(ポプラ新書)というクラシックビギナー向けの新書です。どちらも着眼点がとても面白く、クラシックの新しい捉え方を教えてもらいました。

 特に前者は、ウィーン・フィルの組織論とか経営論、リーダーシップ、さらには社会的な位置についても書かれています。当然ながら演奏内容は凄いんだけど、なんでこんなも素晴らしいのかについて、楽器とか奏者というところではなく、もっと深いとこまで分析としているので、今日はそんな話もしていただこうと考えています。ウィーン・フィルについてああいった切り口の本にまとめようと考えたきっかけは何だったのでしょう?

渋谷 そもそものきっかけはコロナ禍になったことでした。私はコロナ以前にニューイヤーコンサートの取材や録音現場に立ち会わせていただいたことがあり、ライナーノートにも原稿を書いています。そういう時期のウィーン・フィルを見ていた後にロックダウンが起こって、このままでは音楽業界が止まっちゃうと思いました。

 当時は世界中がそうだったと思うんですけど、その時にウィーン・フィルが何を思って、これからどうしようとしてるのかについて、割と密に連絡させていただき、取材も兼ねてお話を聞ける立場にいることができたのです。

 また一方で、録音するという立場でも、例えばニューイヤーコンサートだとオーストリア放送協会(ORF)の方とお話をする機会が頻繁にあって、彼らが組織としてどう動いているかを知っている私が、日本語で残しておくべきじゃないかと思ったのが一番の動機です。

麻倉 ご本を拝読すると、コロナ禍の中でウィーン・フィルが何をしてきたんだろう、なぜいち早く日本でコンサートを実現できたんだろうといったことが詳しく書かれています。あんな閉塞的な社会情勢の中でも音楽を忘れなかったウィーン・フィルって凄いね、ということがよく分かりました。

渋谷 本にも書きましたが、ウィーン・フィルは演奏家が自主的に集まった組織です。そんな彼らがあれだけのことをやっているって、ちょっと考えにくいですよね。なぜそんなことができるんだろうと思った時に、長い歴史が引き継がれているとか、伝統ということもあったでしょうが、一番大きいのは彼らの信念じゃないかと思いました。

 コロナ禍でのインタビューで奏者たちが、音楽を止めてしまったら、やり方を変えてしまったら、これまでのウィーン・フィルじゃないっていうのをひじょうに強い口調でおっしゃっていたのが印象的だったんです。

麻倉 渋谷さんの本で一番印象に残ったのは、ウィーン・フィルのリーダーシップで、革新と保守のどっちがいいのかという点でした。ウィーン・フィルのような超保守的な環境にあって、ちゃんと革新的な意見も出てくる。でも、革新派の人は1年ぐらいでやめて、また元に戻るみたいな。組織の中の伝統と確信とのせめぎ合いとダイナミズムが凄く人間味がありました。

渋谷 革新派のアンドレアス・グロスバウアー(2014年9月〜2017年9月)が楽団長になったことで、ウィーン・フィルもがらっと変わりました。ザ・フィルハーモニック・スーツを作ったり、ニューイヤーコンサートの指揮者に当時35歳のグロスターボ・ドゥダメルを抜擢したり、サマーナイトコンサートを若い人向けの選曲にしようだとか、一生懸命変えようとしたのです。

画像: 今回はe-onkyo musicからダウンロードした96kHz/24ビットのハイレゾ音源をUSB DACは経由で再生している。写真上がUSB DACのコルグ「Nu:I」で、下がプリアンプのオクターブ「Jubilee Pre」

今回はe-onkyo musicからダウンロードした96kHz/24ビットのハイレゾ音源をUSB DACは経由で再生している。写真上がUSB DACのコルグ「Nu:I」で、下がプリアンプのオクターブ「Jubilee Pre」

麻倉 でも、ここまではやりすぎだから戻しましょう、みたいな動きもあったそうですね。

渋谷 はい。その結果、そこまでは行き過ぎみたいな線引きができて、保守に戻ったという動きはありました。でも一度振り切ったからこそ、今のいい感じのウィーン・フィルになったんじゃないかと私は思っています。ニューイヤーをコンサートは、映像として、日本でだけじゃなく、世界で見られているのですから、ザ・フィルハーモニック・スーツなんて最高の革新ですよ。

麻倉 さて、渋谷さんは取材を含めて、ニューイヤーコンサートに何度も立ち会っているそうですね。このコンサートの歴史についても紹介していただけますか。

渋谷 ニューイヤーコンサートが元々ウィーン・フィルのものじゃなかったっていうのは一般にはあまり知られていないかもしれません。1800年代ぐらいからオーストリア、ウィーンに居たイギリス人が新年を祝うコンサートを始めていたという記録が残っています。

 第一次世界大戦後でオーストリア=ハンガリー帝国が滅び、新しく共和制になるみたいなゴタゴタがあった頃に、今のウィーン交響楽団が楽友協会でニューイヤーコンサートを開催しています。

 その後ウィーン・フィルがナチス統治下でニューイヤーコンサートを担当するようになったんです。そのダイナミズムとか、ウィーン・フィルの狡猾さみたいなところも、紐解いていくと凄く面白くて、本の中にも結構な紙幅を取って説明しています。

麻倉 第一次世界大戦後というと、1920〜30年代ですね。

渋谷 コンサートを毎年開催するようになったのがその頃からで、最初はジルベスターだけだったのですが、ニューイヤーとして1月1日にもやるようになったんです。その前からラジオ中継は始まっていて、特に1月1日の放送が盛り上がっていたようです。

麻倉 ところで今日はウィンナ・ワルツを聴きますが、当時のワルツは流行歌、歌謡曲みたいなものですよね。それを一流のオーケストラが演奏するというのも珍しかったんじゃないでしょうか。

渋谷 ウィーン・フィルは、もともとシュトラウスのワルツは流行り物であって自分たちとは相容れないという思想が、それこそヨハン・シュトラウスが生きていた頃からあったようです。

 しかし、偉大な指揮者がワルツを振るといったことを続けていくうちに、ウィーン・フィルでも、よく言えばワルツの中にある芸術性を認めたのでしょうし、穿った見方をすれば流行っていてお客さんも入るから曲目に入れようという風に考えたのではないでしょうか。その辺はビジネス的にもしたたかですよね。

 伝統を守るだけだと、時代が変わっていくと置いていかれてしまうということをウィーン・フィルはよくわかっているんじゃないかなと思うんです。

画像: PCとNu:IはエイムのUSBケーブルで接続し、Nu:Iのアナログバランス出力をプリアンプJubilee Preにつないでいる。両機の空き端子にはノイズ対策用アクセサリーも装着済み

PCとNu:IはエイムのUSBケーブルで接続し、Nu:Iのアナログバランス出力をプリアンプJubilee Preにつないでいる。両機の空き端子にはノイズ対策用アクセサリーも装着済み

麻倉 近年では1979年までヴィリー・ボスコフスキーが指揮者をやっていて、彼はウィーン出身ですからある意味ローカルの極致みたいな存在でした。しかし80年からロリン・マゼールという当時の世界的な指揮者に交代して1986年まで担当し、翌年はヘルベルト・フォン・カラヤンに引き継いだ。あの辺りの動きも面白いですね。

渋谷 確かに面白いですね。しかもカラヤンは1回しか指揮していないんですよ。そこからウィーン・フィルはニューイヤー・コンサートの指揮者を毎年変えるようになった。これはレーベルとの契約などもあったのでしょうが、変化性みたいなのが出てきて、結果としてよかったですよね。

麻倉 そうですね。それがなかったら今回の企画も成り立ちませんでした(笑)。個人的には89年、92年のカルロス・クライバーの指揮も素晴らしいと思います。

渋谷 そうですね。カラヤンやクライバーをひとつの完成形、リファレンスとして、そこに近づいていきたいという思いから後進が育ってきたんじゃないでしょうか。

麻倉 渋谷さんにとって、特に印象に残っているニューイヤーコンサートというとどれでしょう?

渋谷 私が見てきたコンサートでは、2020年のアンドリス・ネルソンス指揮の回は別格として、2021年に無観客でリッカルド・ムーティが振った回でしょうか。この時は現地のテレビ放送を見ていたんですが、無観客という衝撃と、それとは裏腹に音のクリアーさ、完成度の高さが印象的でした。

麻倉 ニューイヤーコンサートのパッケージとしてのクォリティは、決して最高ではないと思うんです。ホールトーンの扱いが難しいし、どのぐらい明瞭さを出すかも重要です。しかし2021年のムーティはホールトーンも透明だし、明瞭度も凄く高かったですね。

渋谷 残響時間も長いんですよね。普段お客さん入っていると、あそこまでの残響は出ないんですけど、ひじょうにクリアーで雑音がないので、後ろの残響用マイクも透明度高く録れていますし、客席の好きなところにマイクを立てられるのもよかったと思います。そういう意味でも2021年のムーティは、音楽性ももちろん、録音物としての完成度の高さでも心に残っています。

麻倉 私は、やっぱりクライバーの時代まで戻ってしまいますね。ニューイヤーコンサートではありませんが、1986年に日本の昭和女子大学ホールでクライバーの指揮するバイエルン国立歌劇場管弦楽団のコンサートに行ったことがありますが、最初からもの凄い勢いで、本当に驚きました。

渋谷 いいなぁ、本当に巨匠の時代ですね。私も見てみたかったです。

麻倉 ではそろそろ試聴を始めましょう。e-onkyoでは2003年から11年分のニューイヤーコンサートのハイレゾ音源が販売されていますので、この中から2003年のニコラウス・アーノンクール、2005年のマゼール、2018年のムーティ、2023年のフランツ・ヴェルザー・メストの4つを聴き比べます。またリファレンスとして1987年のカラヤン指揮による「美しく青きドナウ」(CD音源)も再生します。

――5種類のハイレゾ音源を再生。試聴システムは以下のコラムを参照

「美しく青きドナウ」を再生した主なシステム
●PC:VAIO(foobar2000で再生)
●USB DAC:コルグ Nu:I
●プリアンプ:オクターブ Jubilee Pre
●パワーアンプ:ザイカ 845PP
●スピーカーシステム:JBL K2 S9500

画像: 世界初のクラシック比較試聴に挑戦!? ウィーン・フィルハーモニーの「美しく青きドナウ」で、指揮者による楽曲の違いを聴き比べる:麻倉怜士のいいもの研究所 レポート99

麻倉 ニューイヤーコンサートについては、会場も演奏される日時も同じで、観客もほぼ同じです(笑)。さらにオーケストラも曲目もほぼ変わらず、違うのは指揮者だけということで、なかなかこういう風に指揮者による差、個性を比べられるソースもないでしょう。渋谷さんはこの4つの中では、どれが一番よかったですか?

渋谷 2018年のムーティです。演奏も録音もダントツじゃないかと思います。もうすべてが劇的!

 これは有観客で演奏された年ですが、どうやってワルツを構築しようとムーティが思っているかがひじょうによくわかりました。小さな音から大音量までダイナミックレンジも広いし、喩えるなら “見えるワルツ” とでも言いたいなと思います。

 ムーティがどう振っているか、どんな風に体を動かしているかも音から容易に想像がつくし、ワルツ自体もまるで舞台のようで、フレーズがセリフの掛け合わせのように聴こえます。ダイナミックに鳴っている部分なんかは交響曲っぽいし、トッティが綺麗に揃って盛り上げていくところもいいですね。

 特に第5ワルツから最後の主旋律に回帰して終わるところなどは、コール・ド・バレエ(バレエの群舞)に近い。本当に見える舞台、見えるワルツっていうような意味合いを感じました。録音もひじょうによかったです。

麻倉 2003年から2023年まで飛び飛びで聴いたわけですが、録音技術的にもこのオケの音をどうやって録ろうか、このホールの音をどうやって収録しようかというところが、だんだん慣れてきたといえそうですね。例えば2003年のアーノンクールの場合は、全体像は分かるんだけども音質的には……。

渋谷 録音ということについては、アーノンクールは今回最下位でしたね。

麻倉 ハイレゾ音源を再生しているんだけど、ハイレゾ的なニュアンスは全然なく、分厚い響きはあるんだけども、細かい表情がわからない。会場ではもうちょっとこの辺りの情報が出ているんだろうという気はするんですが、配信音源ではそれが感じられないので、のっぺりとした印象になっています。

渋谷 全体的にバランスが悪いんですよね。残念です。

麻倉 一方のムーティは “帝王” らしさ、“巨匠” らしさがちゃんと出ていて、しかも弦と木管、金管が凄くバランスがいい。

 ソロが素晴らしいだけでなく、トッティが凄く綺麗なんですよ。綺麗というのはオケとしての響きの緻密さプラス、会場の響きをうまく利用しているなぁと感じました。その中で、第1ワルツの溜めの長さというか、深さが印象的で、その溜めの後の弦がひじょうに綺麗に再現されています。ディテイルの美しさと、マクロ的な美がうまくバランスしているなぁと感じましたね。

 それも含めて、渋谷さんがおっしゃった“見えるワルツ”というのは、この演奏の魅力についての、素晴らしい表現だと思います。

渋谷 ありがとうございます。作り込んでいるという点でもムーティがベストですね。バイオリンのトレモロの強さや、ワルツの1拍目にずーんとコントラバスが入るところといった細かな部分まで、きちんと楽団員に指示されているんだろうなぁと思いました。

画像: 渋谷ゆう子さん

渋谷ゆう子さん

麻倉 渋谷さんはニューイヤーコンサートのリハーサルにも立ち会われたそうですが、「美しく青きドナウ」のような定番の曲でも、ちゃんとリハーサルをするんですか?

渋谷 指揮者によってポイントとするところが違うみたいで、割と細かく指示していたと思います。ムーティのように何回もニューイヤーコンサートを指揮している場合は、それほどリハーサルでたくさんの指示をするという感じではなかったですね。

 でも今日のように何年にも渡る演奏を聴いてみると、指揮者によってこれだけ違うんだから、リハーサルではこういうところをもっとこうしようという風にきちんと指示を出しているんだろうなぁと思いました。

麻倉 さて私のナンバーワンは、本当はムーティだと思っていたんですが、渋谷さんに先に言われてしまったので、2023年のメストにしたいと思います。

 こちらも何と言っても録音がいい。デジタル録音が始まって、もう30年〜40年経っていますし、最近はハイレゾ収録も当たり前になっているわけで、その使いこなしが上手くなったなと感じました。

 全体像もそうですし、細かい音がきちんとあって、それが集まって全体の音場を構築している。「美しく青きドナウ」は単純なメロディなんだけど、その奥に違う和声が含まれているといった工夫があるんです。それが凄くよく分かる再現でしたね。

 またウィーン・フィルの音のよさというか、味わいがよく出ていて、特にメストの第1ワルツの溜めの部分では、小太鼓がちょっと遅れるんです。アンサンブルが乱れているくらいの溜めがあるんですが、それが逆に凄くチャーミングなんですよ。音色的なところ、音楽的なところ、それから録音的な解像感みたいなところがウィーン・フィルらしいというか。

 第4ワルツでも、音場感が縦横に広がっているんですが、さらに奥行もある。奥に配置したマイクで間接音も録っていたんじゃないかと思ったくらいです。

渋谷 確かに、コントラバスが綺麗に前に出てきますよね。

麻倉 今日は2chミックスを聴いていますが、録音現場ではもっと多くのマイクを使っているわけですよね。

渋谷 ニューイヤーコンサートの場合そこも面白くて、CDや配信用の2ch音源を作るチームと、Auro-3D用などのサラウンド音源を作るチームはまったく別なのです。収録しているマイクは同じですが、どのマイクの信号をどんなレベルで使うか、どうミックスするかは各チームが決めています。ですので、仕上がってきたバランスが全然違うんですよ。

 特にAuro-3Dなどのサラウンド音声の場合は映像とセットになるので、ORF のチームが作らないといけない。なので、音のバランスは違うし、編集も細かい部分が違ったりするので、その差は明確にありますね。

 現場にはマイクが60本近くあるんですが、それがひとつのラックに収まって、そこからCDを作るチームはアナログで受けてミックスする、ORFのラジオはラジオチームが、テレビはテレビクルーの中継車で別々に作業するという感じです。特にラジオやテレビの場合は周波数帯域が制限されるので、それぞれのトーンマイスターが音を決めているというのが面白いところです。

麻倉 現場は凄く大がかりなんですね。

渋谷 マイクを立てる場所もある程度は決まってはいるんですが、楽曲が変わったり、打楽器が足されることもあるので、今年はこうしようとか、新しいマイクが出たから試してみようみたいな感じで、いくつかバリエーションはあるようです。

画像: 「美しく青きドナウ」のこのあたりを聴きましょう、と自身で演奏をしながら打ち合わせをする麻倉さん

「美しく青きドナウ」のこのあたりを聴きましょう、と自身で演奏をしながら打ち合わせをする麻倉さん

麻倉 さて、今日聴いたその他の演奏はいかがでしたか?

渋谷 2019 年のティーレマンも面白かったですね。ひと言で形容するなら、“優等生の舞踏会” という印象でした。

麻倉 “舞踏会” というからには、踊りやすいワルツなんですね?

渋谷 踊りやすいそうでした。曲の緩急があまりないし、きちんとテンポを刻んでくる。極端にルバートしたり、溜めが長すぎると、次の足をいつ出すんだみたいなことになるんですが、ティーレマンはそれがない。いつまで後ろ向きで回っていなきゃいけないんだろうみたいことがなくて、予想通り次の音が入ってくるのはひじょうに踊りやすい感じです。オケも多分やりやすかったと思いますね。オペラっぽいというか、ティーレマンっぽいですね。

麻倉 とても素朴な演奏でしたね。決して都会的ではないし、お洒落でもないんだけど、誠実にワルツを演奏していますという感じでした。そのぶん、今回聴いた中では、あまり個性がなかったかなぁという気もしました。ニューイヤーコンサートは大きな違いといったら指揮者しかないんだから、個性を出さないと駄目だと思うんですよ(笑)。

渋谷 その意味ではこのティーレマンの指揮は、破綻の無さがお手本かもしれないですよ。彼はこれまで2回ニューイヤーを振っていますが、3回目も呼んでくれたわけが分かりますね(2024年の指揮者に決定済み)。

麻倉 それはありえますね。だけど、音楽的にはもうちょっと個性が欲しかったな。その意味で感動したのは、やっぱりカラヤンです。

渋谷 カラヤンは別格ですね。美意識が高すぎるっていう感じもしますが、あれは誰にも真似できない。

麻倉 本当に雲の上にいるようで、ウィーン・フィルも夢心地で弾いているんじゃないでしょうか。

渋谷 付いて行かざるを得ない何かがあるんでしょうね。カラヤンについては色々言う人もいらっしゃいますけど、それでもウィーン・フィルがカラヤンの逸話だったり、自分たちが教えてもらったことをまとめた本を独自に作るぐらいですから、この人を超えるのは難しいんだろうと思いますね。

麻倉 1987年の録音ですが、音が全然古くないです。しかもその後の色々な指揮者によるニューイヤーを聴いても、やっぱりカラヤンはだんとつに別格だと思わされる。

渋谷 そうですね、ここに帰ってきちゃうんですよね。楽曲をどう聴いてもらったら美しいかといった目標がカラヤンの中にあって、楽団にもそこに合わせてもらいたいっていう気持ちしか感じないですね。

麻倉 溜めもあるんだけど決して人工的じゃなくて、音楽が持っている自然の勢いでちょっとブレーキを掛けているといった感じです。チャーミングというか、節回しの魅力的なところがいいんですね。論理的には分析できないんだけど、カラヤンにしかできない情緒的な演奏というものを感じました。

渋谷 本当に不思議な魅力、色気がありますよね。

画像: 渋谷さんの著作。左の『ウィーン・フィルの哲学』(¥930、税込、NHK出版新書)は、同楽団の歴史や今に至る組織原理を紐解く内容で、右の『名曲の裏側』(¥890、税込、ポプラ社)はクラシック音楽家のヤバすぎる人生を女性目線で解説している。どちらも興味深い内容なので、夏の読書にぜひ!

渋谷さんの著作。左の『ウィーン・フィルの哲学』(¥930、税込、NHK出版新書)は、同楽団の歴史や今に至る組織原理を紐解く内容で、右の『名曲の裏側』(¥890、税込、ポプラ社)はクラシック音楽家のヤバすぎる人生を女性目線で解説している。どちらも興味深い内容なので、夏の読書にぜひ!

麻倉 ところで、先程のお話で、テレビとCDや配信では音が違うということでしたが、それらの音決めはどのように行われているのでしょう?

渋谷 世間的にはあまり知られていないんですけど、オーケストラ録音をする時の最終責任者は指揮者です。例えば楽団員が音を聴いてどうこう言うことはなくて、どこを編集するか、どういう音にしてくれというのは指揮者に責任を持って決める権限があるので、やっぱり指揮者が変われば同じ楽団でも音が違うことになります。

麻倉 ということは、今日聴いた5つの演奏も、それぞれの指揮者の意図に沿った音ということになりますね。

渋谷 彼らはコンサート後に必ず録音を聴きに来ていますし、ここはもうちょっと弦を大きくして欲しいとか、ここはちょっと強すぎるみたいなバランスについても指示していますから、その差はでてきますね。

麻倉 それは1月1日の演奏が終わって、ある程度ミックスができた段階で聴いているのですね。

渋谷 指揮者によってはマイクを立てて音を決めた時に、リハを仮に録ってみて、音を聴きに来る方もいらっしゃいます。また最初に要望をディレクターに伝えておく方もいますね。ファーストエディットができるのは1日の夕方なので、ミックス担当者も忙しいですよね。5時間ぐらいでやっちゃうわけですから。

麻倉 同じ楽曲なのに、今日これだけの違いがあったというのは、指揮者の個性がきちんと再現できていた証拠でもありますね。

渋谷 指揮者の個性×ディレクションするチームの個性ということになりますね。レーベルが変わったり、プロデューサーやディレクターが変わるとどうしても差が出てくると思います。その掛け算が録音物の面白さですね。

麻倉 さて、今日は私のオーディオルームで色々なニューイヤーコンサートの音を聴いていただきましたが、いかがでしたか?

渋谷 とても楽しかったです。でもここの音を聴いちゃうと、自宅でCDを聴けなくなっちゃいますね。見た感じ重厚なシステムをお使いなんですが、全体的に音が柔らかい。こういうシステムの場合、低音が出過ぎることもあると思うんですけど、そういった感じもなく、私が言うのもなんですが、ひじょうにバランスのいい、心地いい音を聴かせていただきました。

麻倉 情報量を前面に出すという再生方法もあるんですが、私はもっとナチュラルで気持ちよく、音楽が自発的に出てくるような音が好みなのです。

渋谷 同じハイレゾファイルを自宅でも聴いていたのですが、ここまで違いがあるとは思ってもいませんでした。

麻倉 最後に、これからの渋谷さんの活動予定も教えていただけますか。個人的には次の著作も期待しているんですが。

渋谷 次のニューイヤーコンサートにはぜひ行きたいと思っています。また次回作、身近なクラシック音楽を紹介する本を執筆しています。いつか録音についても書いてみたいですね。録音と再生っていうのは現場から全部つながっているので、そこについてきちんと言葉で残しておきたいなと考えています。

 オーディオが好きな方でも、録音物がどんな手順や素材で作られているかを知らないまま再生している人も多いと思いますので、例えばニューイヤーコンサートならどんなマイキングで、どんな風に作業しているかを知ってもらえたらもっと楽しくなるのではないでしょうか。

麻倉 とても重要なテーマですね。オーディオファンの中にも録音現場に興味を持っている人はいるはずですので、ぜひ生の声を届けて下さい。

麻倉さんが選んだ “注目したいニューイヤーコンサート”

2003年 指揮:ニコラウス・アーノンクール

2005年 指揮:ロリン・マゼール

2018年 指揮:リッカルド・ムーティ

2023年 指揮:フランツ・ウェルザー・メアスト

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