ケイト・ブランシェット、惜しくもアカデミー主演女優賞を逃すも迫真の演技!

 ケイト・ブランシェットが4度目のゴールデン・グローブ賞主演女優賞に輝いた『TAR/ター』。アカデミー賞はノミネートだけに終わったが、「ミシェル・ヨーとダブル受賞でも、いいんじゃないの?」と思うくらい、独壇場の芝居だった。

 演じるのは、世界に名だたるベルリン・フィルの初の女性首席指揮者の座に君臨するリディア・ター。天才的な能力と類まれな自己プロデュース力で成功を手にした彼女だったが、マーラーの交響曲全てをひとつのオーケストラで録音するという、いわばキャリアの頂点に挑もうとしていた。しかし、そんな折り思わぬ落とし穴にハマる。そこから精神のバランスを失い、崩壊への一途をたどるのだが……。その神経質で高圧的な演技が醸し出すスリルは濃密で、まさに息もつけない。

 本作は、クラシック音楽界の裏側をリアルに生々しく描いた極上のサイコスリラーだ。登場人物が口にする団体や人物名のほとんどが実在しているし、実際にあった業界エピソードを彷彿とさせる場面も多々ある。

 となれば、観客としては“クラシック音楽の知識がなければ楽しめない?" と引いてしまうかもしれないが、その懸念を解消してくれるのが、トッド・フィールド監督が書いた巧みな脚本。前半にメディアからのインタビューや講演会、またはジュリアード音楽院などでの講義シーンを用意して、ター自身が“指揮者とは?”、“クラシック音楽とは?”といった基礎知識を理路整然と語るので、見る者は自然と予備知識を得て、中盤からのサスペンスな展開にもすんなりついていけるのだ。

画像: ケイト・ブランシェットはドイツ語とアメリカ英語をマスターし、指揮やピアノの演奏シーンも吹き替えなしで演じきった。まさに彼女でなければできない役!

ケイト・ブランシェットはドイツ語とアメリカ英語をマスターし、指揮やピアノの演奏シーンも吹き替えなしで演じきった。まさに彼女でなければできない役!

画像: 『TAR/タ~』のプレミアにて、トッド・フィールド監督

『TAR/タ~』のプレミアにて、トッド・フィールド監督

トッド・フィールド&マシュー・モディーンが自宅訪問。一緒に旅行まで!

 といったところで、本作でアカデミー賞の脚本賞ばかりか作品賞・監督賞にもノミネートされたトッド・フィールド監督について語りたい。そう、例によって、お目にかかったことがある。それも、まだ無名だった31歳の頃に。

 トッドは1995年、『カットスロート・アイランド』を携えて来日したマシュー・モディーンの友人として紹介された。ふたりは『フルメタル・ジャケット』(87年)の撮影現場で知り合って、「いつか一緒に映画を作りたい」と意気投合したそうだ。

 まず思い出すのは、マシューの「日本の普通の家庭に行きたい」というご要望を手っ取り早く叶えるため、宣伝マンがその場所として「都内2LDKに住む中年夫婦家庭=我が家」を選んだことだ。もちろん、私は丁重にお断りしたんだけど、インタビューのあとに「今夜、行くからね」とマシューに言われれば、嫌もなし。かくしてマシュー&トッド、通訳担当の字幕翻訳者・戸田奈津子さん、そして映画の宣伝マンなど数名が集まるホームパーティとなった。

 トッドは、誠実で真面目なマシューの友人だけあって、控えめで物静かだけど、時にボツンと気の利いたジョークを言ってみんなを笑わせる好青年だった。

 『TAR/ター』のプレス資料にある「自分のルーツはジャズにある。多くの人と同じようにレナード・バーンスタインをきっかけにクラシック音楽の世界を知った」というコメントを読んで、(こじつけかもしれないけれど)納得したことがある。

 当時の我が家には、ジャズ、クラシック、映画音楽、ソウル、民族音楽など、音楽好きの夫がジャンル問わずに集めたCDが(たぶん)2,000枚ほどあったのだけど、トッドはそれを一枚一枚、丁寧にチェック。そして、時に気になるCDを取り出しては聴いたり、その曲やアーティストにまつわるエピソードを、夫やマシューと楽しそうに語ったりしていた。

 また、スターが我が家に居るだけでも夢のようなのに、もっと超現実的(シュール)なシチュエーションもあった。我が家のテレビで『フルメタル・ジャケット』のレーザーディスクを再生し、無名の兵士を演じていたというトッドの出演シーンをチェックしたり、巨匠スタンリー・キューブリック監督の演出方法を、出演者のリアルな解説付きで再見したり……。

 2人が異口同音に語ったのは「キューブリックの独善的な演出は地獄のようだった」ということと、「だからこそ、あんなに凄い映画を作り出せる」ということ。とにかく、映画好きにはたまりません!

画像: 金子家にて、奥の黒い服がマシュー・モディーン、赤いチェックのシャツがトッド・フィールド。ふたりの間にいるのが筆者の金子裕子さんだ

金子家にて、奥の黒い服がマシュー・モディーン、赤いチェックのシャツがトッド・フィールド。ふたりの間にいるのが筆者の金子裕子さんだ

 その夜も更けての遅い解散となったのだけど、なんと、その翌日は早朝に集合し、修善寺の高級旅館「あさば」への一泊旅行にもご一緒させていただいた。そこにはマシューの古くからの友人の日本人カメラマン達川清さんなどが集まり、トッドらは瀟洒な能楽堂や日本庭園を散策して温泉に入り、日本を満喫してのご帰国となった。

画像: 温泉旅館にて。一番左がトッド、2人飛ばして背の高い男性がマシュー、戸田奈津子さん、カメラマンの達川清さんと並ぶ。しゃがんでいる女性は金子さん (c) 達川清

温泉旅館にて。一番左がトッド、2人飛ばして背の高い男性がマシュー、戸田奈津子さん、カメラマンの達川清さんと並ぶ。しゃがんでいる女性は金子さん (c) 達川清

 ちなみにトッドは、後にキューブリック監督の『アイズ ワイド シャット』(99年)や『ホーンティング』(99年)などに出演して俳優活動もしていたのだが、知っての通り、2001年に『イン・ザ・ベッド・ルーム』を発表してからは監督として活動している。

 この初の長編監督作がアカデミー賞5部門(作品、主演男優・女優、助演女優、脚色)の候補になったときにも「あのトッドが、やった!!」と大喜びしたのだけれど……正直、今回の『TRA/ター』は喜びもさることながら、本当にビックリ。だって脚本の深みも、繊細かつ大胆な演出も、とにかくすべて文句なしの傑作なんだもの。

こうなったら、かつて「一緒に映画を」と言っていた朋友マシュー・モディーンとのコラボ作を、ぜひお願いしたい!

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『TAR/ター』

5月12日(金) TOHOシネマズ日比谷他全国ロードショー

監督・脚本・製作:トッド・フィールド
出演:ケイト・ブランシェット/ニーナ・ホス/マーク・ストロング/ジュリアン・グローヴァ―
原題:TAR
2022年/アメリカ/158分
配給:ギャガ
(c) 2022 FOCUS FEATURES LLC
(c) 2023 Getty Images

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