ひとくちにオーケストラといっても、その規模は千差万別。40人に満たない小編成から100人を超える大規模なものまで、ステージに並ぶ演奏家の数は曲によって大きく増減する。モーツァルトやベートーヴェンの作品なら40人前後でも演奏できるが、マーラーの交響曲など19世紀後半に書かれた曲だとその2倍くらいの演奏家が招集される。
編成の拡大はベルリオーズが1830年に書いた『幻想交響曲』がきっかけのひとつとされる。弦楽器の人数まで作曲家の指示に従うと総勢97名に上り、舞台はたくさんの演奏家で埋まる。なぜそこまで規模を大きくしたのだろうか。
リアルな音響が立体的に展開する
これぞ、録音芸術の極致だ
ベルリオーズはベートーヴェンをはじめとする当時最先端の音楽を聴いて強い刺激を受けるいっぽう、独自の表現を模索し続け、27歳のときに型破りというべき『幻想交響曲』を完成させた。標題を付けた5楽章構成で、交響曲としては前例がないほど楽器の種類も多い。
ベルリオーズはきわめて個人的な動機に突き動かされてこの作品を書いた。ある女優に恋焦がれて一方的に交際を申し込むものの、あえなく無視される。逆恨みした末にその激しい感情をモチーフにして「ある芸術家の生涯の出来事」と題した交響曲を完成させたのだ。
曲の構成は前半と後半の落差が極端に大きい。情熱的な憧れから舞踏会での出会いに至る前半は明るい曲想が支配するが、第3楽章「野の風景」後半で一転して不安が頭をもたげ、後半は妄想と狂気の世界に突き進む。夢のなかで相手の女性を殺害して死刑を宣告され、断頭台に歩む情景を第4楽章で描き、続く第5楽章は魔女と亡霊に囲まれた葬儀の場面だ。とは言っても厳粛さは皆無で、グロテスクな饗宴が異様に盛り上がったまま幕を閉じてしまう。阿片の幻覚作用を曲紹介文で自ら示唆するなど、現代の視点から見ても「やり過ぎ」感が強い異色の作品だ。
ベルリオーズは、その過激な内容を表現するのに既存のオーケストラでは音量も音色も不充分と考えた。弦楽器の人数を増やしたうえで、ピッコロ、コーラングレ、Es管クラリネット(※1)、コルネットなど複数の管楽器を追加して音色の幅を広げ、打楽器群も当時としては最大級の陣容に拡大して音圧を強化。ティンパニ4台を4人で演奏したり、最終楽章で教会の鐘を鳴らすなど、異例の手法で聴き手を圧倒する。
19世紀前半に突然変異的に生まれたこの『幻想交響曲』には夥しい数の録音があるが、人気作品だけに演奏のアプローチも多種多様で決定盤を選ぶのが意外に難しい。そんななかポール・パレーがデトロイト交響楽団を振った演奏は、この曲に初めて接する聴き手とベテランのクラシックファンどちらにもお薦めできる稀有な録音だ。劇的な起伏の大きさを的確に再現しつつ、極端な感傷や深刻さとは距離を置いてテーマをわかりやすく提示。停滞感や冗長さが微塵もないのは速めのテンポにも理由があるが、なによりパレーの確信に満ちた指揮に演奏者全員が強く共感しているからだ。響きの純度を探求した現代の演奏にも重要な意味があるが、60年を経たこの録音にはそのときその場所だけに存在した高揚と緊張が刻印されている。
本シリーズのSACDで聴くと録音のよさにあらためて気付かされる。名盤が多いこの時期のマーキュリーの録音のなかでも遠近感の深さが抜きん出ているし、打楽器や金管楽器のアタックが俊敏で切れがよく、弦楽器群のアグレッシブな音色にも舌を巻く。第3楽章後半以降、低弦と打楽器群が繰り出す低音は従来盤よりも空気の絶対量と広がりが増し、凄みすら感じさせる。
ベルリオーズが先鞭をつけたオーケストラの拡大志向は他の作曲家にも波及し、19世紀後半から20世紀前半にかけて重要な潮流に成長した。その流れのなか、交響曲ではマーラーとブルックナーの作品群が双璧をなすが、特にマーラーは声楽を加えることで表現の幅を広げ、他の誰とも異なる革新的な音響世界を作り上げた。現代の演奏会でマーラーの演奏頻度は高まるいっぽうだが、それは規模と性能が極限に達した現代のオーケストラが生み出す音響世界を100年以上も前に彼が先取りしていたことを意味する。
メータがロサンゼルス・フィルを振った第3番は、録音の側面から今日のマーラー人気を加速させた重要な演奏だ。マーラーが書いた全交響曲のなかでもっとも長大な第3番は、アルト独唱や児童合唱など声楽陣に加えて多数の特殊楽器を含み、大編成の代表格。その長大で大規模な作品をメータは隅々まで完全に掌握し、一瞬たりとも弛緩させず一気呵成に終曲まで追い込む。この録音はレコード時代から筆者が一番多く聴いてきた演奏だが、100分近い長さを感じさせない点で他の追随を許さない。
聴き手を飽きさせないもうひとつの理由は、今回のSACDで真価が浮き彫りになった録音の素晴らしさである。特に、どの瞬間を切り取ってもリアル極まりない音が目の前に展開する立体的な音響の素晴らしさにある。これぞ紛れもないデッカのサウンドであり、独奏楽器とオーケストラの巧みなバランスは録音芸術の極致と呼ぶにふさわしい。ヴァイオリンは弓の動きが見えるようなリアリティで鮮度の高さを印象付け、かたやポストホルン(※2)はアルプスの谷間にこだまするような距離感を感じさせる。独奏楽器をここまで入念かつ高精度に描き分けた第3番の録音はこれ以前には存在しない。
マーラーの交響曲は意外な楽器間でフレーズを呼応させ、ステージ上とホールのなかに精緻な立体空間を作り出す。ジェイムズ・ロック率いるデッカの録音チームが作り上げた高精度な空間描写はアナログ録音の最高峰のひとつだが、それと同時に低音のリアルな描写が筆者を夢中にさせた。弦の震えが見えるコントラバス、皮の撓みが伝わるティンパニは何度聴いても戦慄がはしる。100分の間、一瞬たりとも退屈する暇などないのだ。
文:山之内 正
※1:クラリネットの中で特に高音域を担当する種類のこと
※2:無弁の丸巻きホルン。18〜19世紀に門衛や郵便馬車の御者によって使われた
SACD+CD 2枚組 オーディオ名盤コレクション
『ベルリオーズ:幻想交響曲/ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団』
(ユニバーサル・ミュージック/ステレオサウンドSSHRS-029/030)
¥5,000+税 ●2枚組(シングルレイヤーSACD+CD)
●初出:1960年マーキュリー・レーベル
●録音:1959年11月28日 デトロイト、Cass Technical High School
●Recording Director:Willma Cozart
●Musical Supervisor:Harold Lawrence
●Chief Engineer and Technical Supervisor:C. Robert Fine
●Associate Engineer:Robert Eberenz
●Mastering Engineers:Jonathan Stokes &
Neil Hutchinson(Classic Sound Ltd UK)
●ご購入はこちら→ https://www.stereosound-store.jp/fs/ssstore/rs_ss_sacd/3038
2SACD+2CD 4枚組 オーディオ名盤コレクション
『マーラー:交響曲第3番/ズービン・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団』
(ユニバーサル・ミュージック/ステレオサウンドSSHRS-035〜038)
¥9,200+税 ●4枚組(シングルレイヤーSACD2枚+CD2枚)
●初出:1979年デッカ・レーベル
●録音:1978年3月27〜31日 ロサンゼルス、ロイス・ホール
●Recording Producer:Ray Minshull
●Balance Engineer:James Lock、Simon Eadon
●Mastering Engineers:Jonathan Stokes &
Neil Hutchinson(Classic Sound Ltd UK)
●ご購入はこちら→ https://www.stereosound-store.jp/fs/ssstore/rs_ss/3041
●問合せ先:㈱ステレオサウンド 通販専用ダイヤル103(5716)3239(受付時間:9:30-18:00 土日祝日を除く)