映画のまち調布。昭和8年(1933年)に日本映画株式会社が京王電気軌道多摩川原駅(現在の京王多摩川駅)前に多摩川撮影所を開設、以来この地には映画関連の業種が集まり、今でも「日活調布スタジオ」「東京現像所」「東映ラボ・テック」などが社屋を構えている。その中から今回、「角川大映スタジオ」さんが StereoSound ONLINE の取材に応じてくれた。そこで今回から3回に渡って、戦前から日本映画を支えてきた角川大映スタジオの “今” をお届けしたい。第一回は同社代表取締役社長 小畑良治さんへのインタビューを実施。聞き手は潮 晴男さんと酒井俊之さんのおふたりだ。(編集部)
潮 今日はお時間をいただきありがとうございます。角川大映スタジオさんといえば戦前からの歴史を持つ、日本映画の老舗です。今回その施設をじっくり拝見させていただき、思っていた以上に進化していることに驚きました(編集部注:スタジオ取材の詳細は次回以降で紹介します)。まずは角川大映スタジオの歴史から教えていただけますか。
小畑 ひと言で歴史といってもひじょうに複雑です(笑)。
そもそもは1933年にこの地に日本映画多摩川撮影所が誕生し、そこから1934年には日活多摩川撮影所、1942年に大日本映画東京第二撮影所と経営母体を変えながら映画を作ってきました。
1945年に大映東京撮影所になって、永田雅一氏の下、いわゆる5社体制の一角として多くの映画撮影が行われてきました。その後も1977年に徳間書店の傘下に入って大映映画撮影所、大映スタジオと名称が変わっていきました。
2002年に角川グループに営業譲渡されたのに合わせて名称が角川大映撮影所に、2013年にはスタジオ事業が分離されて角川大映スタジオとなって今に至っています。
酒井 日本映画界の黎明期から黄金時代、低迷の時代を経て今に至る激動を乗り越えてきたのですね。その間、ずっとこの場所で映画が作られていたわけですから、僕のような大映映画ファンにとっては感慨深いものがあります。
小畑 さすがにすべてが当時のままというわけではありませんが、No1、No2ステージは昭和36年(1961年)の建物をそのまま使っています。今でもテレビやCM撮影で人気のステージです。
潮 小畑さんは角川大映の生え抜きなのですか?
小畑 僕は1980年代の徳間時代に大映に入社しました。元々はミュージシャンになりたくて音楽事務所に入ったのですが、思っていたような内容ではなかったので、このまま続けてもと、やめてしまったのです。
その後1ヵ月半ほど遊んでいたのですが、遂に一文なしになってしまった(笑)。その頃ちょうど友達が大映で働いていて、バイトなら募集していると言うことで働き始めました。当時は大道具さんを手伝っていました。
潮 映画より音楽がお好きだったと。
小畑 そうですね。そうしているうちに社員にならないかと誘われたんです。そしたら直後にバブルが弾けて、会社が倒産しそうだということになった(笑)。そこからがたいへんで、声が大きいし、頼まれると嫌とは言えない性分なので、いつの間にか労働組合の委員長にされてしまったんです。
その後、経営が徳間から角川に引き継がれた頃は営業職を担当していましたが、その当時から現在に至るまでスタジオの新規建設計画にはすべて関わっています。2004年にメディアシップ(事務所棟)、2006年に竣工したA〜Dステージ、そして2011年に竣工したこのGステージ/ポスプロ棟の順番で建て替えていったのですが、ドアノブから壁紙一枚に至るまで全て自分で選んでいます。
潮 そんな細かいことまで自ら指示したのでは、さぞたいへんだったでしょう。
小畑 僕は事務的な感じのする建物が嫌なんです。映画スタジオは物作りの場所なので、事務所っぽい雰囲気にしたくなかった。
たとえば役者さんの控え室も自分の家にいるような感覚にしたかったので、ひとつひとつ違う仕上げにしてもらいました。壁紙が花柄だったり、洋室、和室といろいろなバージョンがあります。役者さんそれぞれにお気に入りの部屋があって、誰々なら何番、誰々さんは何番といった具合に使っていただいています。
二体の大魔神が迎えてくれる。日本映画の歴史が詰まったスタジオとは
角川大映スタジオは京王相模原線 京王多摩川駅のほど近く、学校や住宅地に囲まれた静かな環境の中にある撮影所だ。大型のステージG(305坪)から2階建てのステージA〜D(167〜209坪)まで9つを準備し、映画、ドラマ、CM、ミュージックビデオ、グラフィック撮影など、様々なジャンルの撮影に対応している。
また敷地内には劇場作品のサラウンドミックスができるダビングステージや、ドルビーアトモス・ホームにも対応したMAスタジオ、ビデオ編集室といったポストプロダクション施設も充実。さらに生音収録のためのフォーリースタジオまで準備されている。
スタジオの入り口横には、「ガメラ」「大魔神」などの名作映画関連商品から、映画のまち調布応援キャラクター「ガチョラ」グッズなどを購入できるアンテナショップ「Shop MAJIN」も併設。こちらは誰でも入店歓迎なので、お近くにお出かけの際はぜひ覗いていただきたい。オリジナル商品の「魔神クッキー」は、来店記念・調布手土産として大人気とのこと。
酒井 そんなに急激に改革を進めて、社内で反対の声はなかったんですか?
小畑 反対の声を聞いたことがありませんでしたね。当時はこれ以外の選択肢もなかったのです。
潮 選択肢もそうですが、そこまでダイナミックに改革するとなるとコストもかかりますよね。
小畑 そうですね。角川歴彦会長も、当時映画スタジオを買うとなると反対の声もあったと思いますし、われわれとしてもストレートにお金を出してくださいとは言いづらい雰囲気はありました。
でも角川会長は映画がお好きなので、会長から提案してもらえるように持っていこうと心がけました。僕が「スタジオは汚くても大丈夫ですよ」と見栄を張ると、会長から「本当に大丈夫なのか?」と心配してもらえますので、そこでうまく話を……(笑)。そういう方法しかなかったんです。
それに角川会長は、自らハリウッドのスタジオを見学に行くなど新しい物が大好きなので、いろいろ提案もしてくれます。そういったチャンスに、「じゃあちょっと図面を描いてみましょうか」と言うと乗ってきてくれる。スタジオの改修もそこから始まったというところですね。
酒井 僕はCM制作の仕事で角川大映スタジオさんに何度かお邪魔したことがありますが、2階建てのステージなど、他とは違う特徴があって面白いと思いました。それらはどのようにして生まれたのでしょう?
小畑 A〜Dステージは第3ステージを建て替えたもので、当時の黒井和男社長が2階建てスタジオを作るんだと言い出したのが始まりです。結局ひとつのステージの敷地に4つのステージが入る建物を作ったのですが、それが功を奏して今に至っています。
酒井 それは稼働率がよくなったということですか?
小畑 その通りです。当時はどこの映画会社の人に聞いても、2階建てスタジオなんてうまくいくはずがないといわれました。上や下から音が漏れてきたら撮影にならないという声もありました。建物自体は浮き床のボックス・イン・ボックス構造ですが、完成直後は確かに音漏れがあった。しかしそれは浮き床が繋がっていたことが原因だったりして、施工業者さんと一緒に対策していったら、充分撮影に使えるようになりました。
酒井 そのプロジェクト全体の陣頭指揮を小畑さんがとられたということですね。
小畑 そうです。毎日工事現場にも足を運びました。角川会長が細かい部分はすべて任せてくれたので、やりやすかったですね。この4つのステージを作ってからスタジオとしての経営も安定して、戦略が練りやすくなりました。
そうして収益も上がってきた頃に、角川会長から「入り口の近くに古い建物が残っているのはよくない。それにうちではポスプロ業務はやらないのか」という話が出たのです。確かに一番目立つところに古いステージが残っていたので、さっそく「じゃあ図面を描いてみましょうか」と(笑)。でも、それから実現までには時間がかかりましたね。
当時は角川映画自体の経営も良くなかったし、工事を始めたらステージが使えないから収益が落ちます。タイミングを見ながら準備を進めましたが、その間に70回くらい図面を描き直してもらいました。予算もあるし、使い勝手が悪いとせっかく作っても意味がありません。最終的にいいものに仕上がったので、角川会長に図面を見てもらい、完成したのは2011年でした。
潮 それがこのG棟ですね。確かにGステージは巨大で使い勝手もよさそうでしたし、ポスプロ施設もよく考えられていると拝見しました。
小畑 ありがとうございます。
酒井 ポスプロと撮影スタジオも見せていただきましたが、ひじょうに快適そうで、他のスタジオとも違っているなぁと感心しました。
小畑 僕は現場出身なので、使う側の気持ちも、スタッフの気持ちも分かります。ステージを作る時は、美術と照明の意見は重視しました。このふたつの使い勝手がよくないと意味がありません。
潮 せっかく入れ物を作っても、使いにくいと意味がありませんからね。それにしても、高さ方向にステージを作るという発想は凄いですね。縦移動で映画撮影がすべてできる、よく考えられています。
小畑 役者さんの控え室などが棟分けになっていると、使い勝手がよくないんです。特に着物での撮影は、雨が降っているとステージに移動するだけでひと苦労です。だったら雨に濡れないで移動できる環境を作るべきだし、上から下に動くだけで効率よく撮影できた方がいいでしょう。限られた空間を広く使うという意味でも成功だったと思っています。
潮 角川大映スタジオさんは、敷地面積は限られているのでしょうが、とても広いスタジオのようなイメージがあります。
小畑 ただNo1、No2ステージの改修はまだ着手できないでいます。このふたつは古い建物ですが、稼働率もいいので収益に直結します。別の場所に新しい建物を作ってからでないと、ここの改修は難しいかもしれません。
僕自身は、ステージを壊して同じものを作るという考えはありません。立て替えるなら、付加価値をつけていかないとこれから数十年やっていけない。今後は撮影の仕方も変わっていくでしょうから、そういった余裕を作っていきたいと思っています。
たとえばLED背景を使ったバーチャルプロダクションです。あのシステムをテレビドラマで使ったことがありますが、ビルの数十階から見た窓の外の風景などの動きがまったく違いました。あれならドラマ作りも相当変わってくるでしょう。
酒井 新しい撮影技術にも積極的に取り組まれているのですね。なにより角川大映スタジオさんといえばやはり美術が大きな特長になっていると思います。たとえばかつて各社が競作していた忠臣蔵ものでもひときわ美術セットに目を惹きつけられるのは大映作品です。
小畑 美術は、スタジオを運営する上でとても大切です。特に弊社の場合、美術スタッフが社員なので、フットワークも軽いのが特徴です。自前の大道具スタッフがいるということがとても大きいのです。
たとえば背景を作るにしても、ホリゾント(背景用の垂れ幕・壁)にペンキを自由に塗れないスタジオもあるようですが、それでは狙った絵を作るのが難しい。ホリゾントの改修や平台・箱馬等、自分達で改善できる事が大事なのです。特に弊社は貸しスタジオですから、何でもできることが求められます。極端な話、雨でも雪でも、砂でも降らせないといけない。吊り物、背景にできるだけ制約をつけないスタジオじゃないと、撮影する側にとっては意味がないと思うのです。
潮 確かにその通りです。それはご自身が美術を担当していた経験から得た考えですか。
小畑 どちらかというと、営業担当になって、スタジオ業務全体を客観的に見るようになってから、美術の大切さがわかりました。
酒井 美術は映画作りのなかでもお金がかかり、なおかつ映像になった時に一番観客の目に留まるものですからね。
小畑 しかも美術は人を育てるのがとても難しい。美術は昔から親方制度というか、職人気質のところがありました。昔は親方の下で、残業時間なども考えずに働いていたようですが、それだと中堅クラスになったらすぐに独立してしまいます。映画界でもそんなことが繰り返されてきました。
でも新しい技術や材料、機械を積極的に取り込もうとすると、資本力がないとできません。それができる体制があって、かつ美術スタッフが正社員として働いているということは、やはり強みなのです。
潮 角川大映スタジオさんでは毎年美術スタッフを採用しているとうかがいました。しかも現場を拝見したら、みんなとても若いし、思っていたより女性スタッフも多かった。これは本当に珍しいことです。
小畑 そうですね(笑)。女性の比率はすごく高いですね。みんな夢中で仕事をしてくれていますから、きっと楽しいんでしょう。
酒井 映画の現場というより、どことなく“自由な工房”的なイメージもありました。それぞれが自分の好きなことをしているというか。
小畑 弊社では、若くてもどんどん親方になっています。入社2年目くらいでクライアントと打ち合わせをして、それを現場に伝えている。そこも面白いのかもしれません。
酒井 クライアントも、ステージの使いやすさや働いている人の様子を見れば、角川大映スタジオはちょっと違うぞ、という印象を持つのではないでしょうか。
小畑 最近は写真を見せられて、こんなセットにして欲しいという要望も増えています。弊社のスタッフは図面も描けますから対応可能ですが、これもなかなか難しいのです。
潮 撮影の内容としては、やはりCMが多いのでしょうか?
小畑 今はCMが7割くらいです。でもCMで培ったノウハウが映画で活かせるといったこともあります。CMデザインは常識ではあり得ない世界を作ることが多い。素材もそうですし、美術として遊べる要素もたくさんある。
そうしたことは映画作品ではありえないので、美術の幅としては広がります。弊社の美術は色々な経験をしていますから、こちらからクライアントに「こんなこともできますよ」と提案して、驚かれることもあります。
クライアントの中には日本家屋に詳しくない人も多く、柱の木材に向きがあるということも知られていません。敷居や鴨居でも木目を正しく使わないと、後々垂れてきてしまいます。うちの場合そこも美術サイドから提案できますので、喜んでくれる方も多いのです。
酒井 社内スタッフなので意思疎通が早いという話もうかがいました。
小畑 同じ社員ですから、意見がいいやすいのでしょう。細かいことをいうと、大道具として作りやすい材料と、塗装部が塗りやすい材料は違うんです。色を塗るにしても、染みこみやすい材料だとむらが消えないこともあります。
弊社ではそれらを踏まえて、仕上げから逆算して大道具を作るという考え方で材料を選んでいます。なぜなら仕上げが一番重要だからです。そういった情報を共有できることが大切で、会社が違うとなかなかこうはいきませんが、弊社では普通にそうなっています。
酒井 みんなが無駄なくいい物を作れるように考えられている。だから現場では楽しく仕事ができるのですね。
小畑 遊び心がないと面白くないじゃないですか。辛いと思っている仕事は長く続かないでしょう。
酒井 ところで、以前別のインタビューで、小畑さんは過去の作品のデジタル化についても考えていきたいとおっしゃっているのを拝見しました。その作業も進んでいるのでしょうか?
小畑 親会社(KADOKAWA)は過去作品約1,800タイトルの権利も持っていますし、もちろんフィルムも保存しています。
潮 それだけのフィルムをずっと保存しているというのは凄いことです。誰か先見の明のある人がいたのですね。
小畑 このフィルムの為に、前の会社から裁判を起こされた事もありました。
酒井 それは小畑さんとしても思い出のあるフィルムですね。
小畑 愛着はありますね。ただフィルムは絶対劣化してしまうので、何とかしようと思っていました。そこで角川会長に、フィルムは修復しないと見られなくなりますと直訴したら、数億円かけて修復してくれた。今CS放送などでオンエアされているのは、その時にデジタル化したものです。
実は角川会長もフィルムが大好きなんです。以前山田洋次監督と一緒にフィルム倉庫に入った時に、市川雷蔵さんのフィルムが残っているのを見て、山田監督が「これは宝です」と言ってくれたそうです。それが凄く嬉しかったみたいですよ。
酒井 最近は4Kスキャンなどの技術も定着しています。改めて4Kでアーカイブするといったお考えはありますか?
小畑 残念ですが、一社だけで1,800もの作品を4Kでアーカイブするというのは予算的にも難しいです。文化財として国がなんとかしてくれないかとずっと提案しているのですが……。
倉庫にあるフィルムも、500タイトルくらいはもう誰も見たことがないと思います。有名な作品はデジタル化できていますが、1950年以前の作品は、内容チェックすらできないで眠っている状態でしょう。見てみたら面白い作品もあると思うのですが……。
いつかは4Kスキャンできるスタジオを自前で持ちたいし、そうすべきだと思ってはいます。ただ、今ですらフィルムの編集や修復のできる人がほとんどいなくなってきていますので、そこをどうすればいいか、悩ましいですね。
潮 ちなみに小畑さんは自社作品ではどれが一番お好きなのでしょう?
小畑 どれかひとつというのは難しいですね。忍者作品は好きですから、『忍びの者』などはもう一度綺麗にして観たいと思います。
酒井 市川雷蔵さんは今でも人気がありますよね。他にも若尾文子さんなど自社のスター作品が数多くあるというのも、角川大映の強みだと思います。
小畑 眠狂四郎は雷蔵さんじゃないとね。衣装さんに聞いた話では、雷蔵さんの歩き方、着物の裾を払う動きは他の人にはできないそうです。確かに、独得の色気がありました。
時代劇はいいですよね。日本固有の文化ですし、やっぱりなんとかしないといけません。本来、予算の関係からいえば、もっと簡単に時代劇を撮れる空間が東京近郊に必要なんでしょうが。
酒井 そういった規模になるといち映画スタジオの話ではなくなりますね。
小畑 都や国として取り組んでいくべきテーマだと思います。日本の映画文化としてやるべきだし、そこに映画博物館を作って、映画殿堂も設立していただいて、活躍した人を文化人として表彰すべきではないでしょうか。
潮 今回スタジオを見せていただき、今の時代に相応しい美術スタッフを育てている、しかも最新のノウハウを持った人材を育てているのは角川大映さんだけだし、素晴らしい取り組みだと思いました。
小畑 昔はみんなで映画を作っていたと思うんです。技術パートは、自分が新しいテクノロジーを修得して、それを作品づくりに活かせるというのが面白かったわけですよね。誰もやっていないことをやってみたいというのは、技術者の願いでしょうし、それが映画につながっていた。でも今はほとんどの場合、難しくなってしまった。
監督がセットを見て、こういうセットになるのかと驚く。監督が思ったままとも違う、色々な人のアイデアが詰まっているものの方が作品も面白くなります。今はそんなアイデアが出せる環境が少なくなっていますので、それを何とかしないといけませんよね。特に音楽はもっとこだわって欲しいと思います。
角川大映スタジオで撮影された主な劇場作品
1949年「静かなる決闘」(黒澤明監督)
1953年「あにいもうと」(成瀬巳喜男監督)
1955年「楊貴妃」(溝口健二監督)
1961年「黒い十人の女」(市川崑監督)
1962年「私は二歳」(市川崑監督)
1965年「兵隊やくざ」(増村保造監督)
1965年「大怪獣ガメラ」(昭和ガメラシリーズ)
1966年「白い巨塔」(山本薩夫監督)
1975年「金環蝕」(山本薩夫監督)
1988年「敦煌」(佐藤純彌監督)
1991年「シコふんじゃった。」(周防正行監督)
1995年「大怪獣空中決戦」(平成ガメラシリーズ)
1996年「Shall we ダンス?」(周防正行監督)
2005年「妖怪大戦争」(三池崇史監督)
2006年「犬神家の一族」(市川崑監督、遺作)
2009年「沈まぬ太陽」(山崎豊子原作、渡辺謙主演)
2012年「天地明察」(滝田洋二郎監督)
2016年「エヴェレスト 神々の山嶺」(平山秀幸監督)
2017年「ナミヤ雑貨店の奇蹟」(廣木隆一監督)
2018年「ビブリア古書堂の事件手帖」(三島有紀子監督)
2020年「Fukushima 50」(若松節朗監督)
※次回は、9月11日公開予定。進化した角川大映スタジオの撮影ステージを紹介します。