去る6月19日(金)〜21日(日)に、東京国際フォーラムで開催された国内最大級のオーディオとホームシアターの祭典「OTOTEN 2026」。今年は金曜日を含めた3日間開催となり、初日(19日)は有料のプレミアムデーに設定されたことも注目を集めた。
今回、そのプレミアムデー特別イベントとして開催された「麻倉怜士が語る『魅惑のアナログレコード』 45回転LP『ボヌール』の制作秘話と情家みえライブ」に参加してきたので、その様子を改めて紹介したい。

トークイベントに登壇した面々。左からメモリーテック株式会社 技術部 製造技術グループ マネージャー勝間田和樹さん、ジャズシンガーの情家みえさん、麻倉怜士さん
本イベントは、オーディオビジュアル評論家の麻倉怜士さんが故・潮 晴男さんと設立したUA(ウルトラアート)レコードから発売された情家みえさんの45回転アナログレコード『ボヌール』の制作について紹介するとともに、その音を来場者に体験してもらうという内容だった。
登壇したのは、麻倉さんとジャズシンガーの情家みえさん、メモリーテック株式会社 技術部 製造技術グループ マネージャー勝間田和樹さんの3名だ。まず麻倉さんから今回のレコード制作の経緯が語られた。
『ボヌール』は情家さんの歌唱によるジャズのスタンダードナンバーを収めたタイトルで、昨年秋にはCDやハイレゾダウンロードでも発売されて人気を集めた。さらに今年4月の発売に向けて45回転LPの制作が進められていたが、検証盤の確認を終えた時点で潮さんが急逝、遺作となってしまった。

麻倉さんはまず、ディスク制作時の潮さんのこだわりから解説してくれた。そもそもUAレコードのタイトルは、すべて一発録りで収録が行われている。そこについては、「うちのレーベルは、後編集はしません。これは演奏の現場の空気、グルーブまで収録したいという思いからですが、何かあったらやり直しになるので、演奏者から評判が悪いんですよ(笑)」と語る。
情家さんも、「8年前に1作目の『エトレーヌ』を録音した時に、スタジオに入って数曲歌った頃に一発録りだということが分かりまして、先生たちを睨みつけました(笑)。でも、一発録りの恐ろしさはあるんですけど、やっぱり演奏のライブ感がすごいと思ったんですよね」と、厳しい条件であってもいいものを生み出したいというアーティストの思いを話してくれた。
ここで改めて、UAレコードが情家さんのタイトルを発売することになった経緯が語られた。そもそもは潮さんが情家さんの歌声を聴き、「俺が最高の音を作ってやる」と発言したことがきっかけだったそうだ。そこから山本剛さんを始めとする錚々たるメンバーを揃え、第一弾『エトレーヌ』の発売が実現したという。

ちなみに、『ボヌール』は異なるメディアで販売されているが、実はCDやストリーミングとLPではマスターから異なるという。というのも、収録時にアナログテープとデジタル(PROTOOLS、Pyramix)で別々に録音していたとかで、LPのマスターにはアナログテープが使われているのだ。さらにアナログ録音にはスチューダA800レコーダーを使い、2インチテープで24トラック録音、なおかつ毎秒76CMというスピードで回していたそうだ。
その違いを来場者に知ってもらおうということで、同一システムでの聴き比べが行われた。1曲目の「ラバー・カムバック・トゥ・ミー」をCD、LPの順番で再生する。試聴後に麻倉さんから、「ここで皆さんにお聞きします。今ふたつのソースを聴きましたけど、どちらがお好きでしたか?」という質問が出た。
これについては、LPの音が好きという方の方が多かった。この結果に麻倉さんは、「CDは高音までしっかり出して、はっきりくっきりという印象で決して悪い音じゃないと思うんですよ。LPは45回転ということもあって、空気感がいいし、音楽がまとまっている感じがします。CDはマスターに忠実な再現をすることを、それに対してLPは演奏している風景が見えるような音を意識して作りました。その違いが皆さんに分かってもらえて、嬉しいです」とコメントしていた。

その収録はポニーキャニオンの代々木スタジオで行われ、録音エンジニアはコロムビアの塩沢利安さんが担当している。「なぜ塩沢さんにお願いしたかっていうと、すごく上質な音を録ってくれるんです。過剰な音ではなくて、誰もが認めるいい音を収録してくれるところが良かったわけです」(麻倉さん)とのことだ。
続いてLPから『オーバー・ザ・レインボウ』を再生。これは2テイクの中から選ばれたそうで、そこについて情家さんは、「山口さんや古木さん、後藤さんがものすごいソロを演奏してくれるんです。その後に私が入ってぶち壊してしまうと、もう1回やらなければいけない。そのプレッシャーが本当にすごかったです。今も音がものすごくリアルなので、レコーディングの現場で汗をかきながら歌っていたのを思い出して、ドキドキしてきました」と、現場ならではの緊張感についても語っていた。
続いてカッティング工程が紹介された。レコードを作る場合、マスターテープの音を音溝としてラッカー盤に刻み、そのラッカー盤からスタンパー(金型)を制作、これで型押ししてレコードを量産している。
当然ながら、ラッカー盤の完成度はレコードの音質にも影響が大きいわけで、『ボヌール』ではコロムビアの武沢 茂さんが担当してくれた。武沢さんはステレオサウンド社が発売しているレコードの多くでもカッティングを担当してくれている名人で、麻倉さんによると「レコード界の至宝」とのことだ。
そして今回『ボヌール』のレコード制作を行ったのは、メモリーテックの御殿場工場だ。潮さんは実際に本工場まで足を運んで設備を確認した上でプレスを依頼しており、その様子は以前の記事で紹介している。これを踏まえて勝間田さんが、プレス工程でのこだわりを解説してくれた。
「当社はレコード事業を始めてまだ3年目で、国内のレコードプレス工場としては最後発になります。しかし潮さんが弊社の工場まで足を運んでくれて、その上でプレスを任せていただいたということで、自信を持って作業をさせていただきました。
レコード事業を始めるにあたっては、音質ありきでスタートしておりまして、最初の2〜3ヵ月は色々な材料をプレスして音を聴いて、条件を変えてまた音を聞いてといった具合に、品質確認を繰り返しました。あとは、スタンパーによっても出来上がりが変わってきますので、その辺りを微調整しながら対応させていただいています」(勝間田さん)

メモリーテック御殿場工場には3台のプレスマシンを備える
なお『ボヌール』では、その微調整の部分で予想外の出来事もあったそうだ。レコードは、熱した塩化ビニルの塊を両面からスタンバーでプレスして音溝を転写する。その際の温度やプレスの強さによって転写にも微妙な違いが起こり、音質にも影響するそうだ。『ボヌール』は180g重量盤仕様なので、それに応じて塩化ビニルの量やプレスの強さを設定し、テスト盤を制作した。
「ここで、潮さんのこだわりがでたんです。最初のテスト盤の音が気に入らなかったそうで、条件を変えてプレスをやり直してもらったわけです。メモリーテックさんも頑張って、温度からプレスの圧力まで細かく調整してくれました。ところがこれが大事件を起こしまして(笑)。
というのもある販売店から、180gと書いてあるけど重さを計ったら166gしかないぞ、といわれてしまったんです。規格上は150g以上なら重量盤と呼べるんですが、帯に180gと書いてありますから、返品も結構来ちゃったんです。でも実はこれは、メモリーテックさんが高音質化を試した証拠だったんです」(麻倉さん)
ここについて、勝間田さんが詳細を説明してくれた。「今回は、音溝が一番よく転写できるようなプレスの強さを探りました。そこで通常より少し強くしているんですが、その分プレスの際にはみ出る塩化ビニルの量も増えてしまいます。結果として、今回は180gよりちょっと軽くなってしまいました」とのことだ。

オーディオ協会が準備してくれたハイエンドシステムで、UAレコードのCDやLPを再生
「メモリーテックさんが頑張ってくれた結果、潮さんと私が望む音には166gがぴったりだったということなんです。180gという重さにこだわったら、この音にはならなかったと思います」と、麻倉さんも今回のLPの完成度にはかなり満足している様子だった。
最後に、レコードの回転数による音の違いを体験できるデモも行われた。一般的に、レコードは回転数が早い方が音質的には有利となる。しかし回転数を上げると片面に記録できる時間が短くなってしまう(曲数が減る)ので、LPも33 1/3回転盤がほとんどだ。しかし『ボヌール』では音質のために45回転を採用している。これも潮さんのこだわりだったそうだ。
さらにUAレコードでは、過去に78回転レコードを発売したこともある。オーディオ協会の会長でもある小川理子さんのピアノを収めた『バルーション』で、LPサイズながら片面1曲ずつ、合計2曲を収録した78回転LPシングルとなる。これも潮さんの、「他にないことをやろう」というアイデアから生まれた一枚だ。その『バルーション』から、「Oh lady be good」が再生されたが、音の生々しさに驚いた参加者も多かったようだ。

ライブイベントも大いに盛り上がった
ここでトークイベントが終わり、続いてプレミアムデーの特別ライブが行われた。ボーカルが情家さん、サックスが山口真文さん、ピアノが後藤浩二さん、ベースが古木佳祐さん、ドラムが小松伸之さんという豪華メンバーで、『ボヌール』に収録された楽曲を中心に、潮さんのお気に入り曲も披露されている。
こうして中身の濃いイベントは終了した、来場者もレコード制作についての詳しい解説や試聴内容、ライブの素晴らしさに満足してくれた様子だった。さらにイベント終了後のUAレコード即売会では、麻倉さんや情家さんからその場でサインをしてもらえるということもあり、多くの参加者が列を作っていた。このように潮 晴男さんの “いい音” への思いがこもったレコードを、ぜひ貴方の愛機で楽しんでいただきたい。 (取材・文:泉 哲也)


