太田隆文監督の最新作『もしも脳梗塞になったなら』がいよいよ12月20日(土)より公開される。タイトルの通り、監督自身の脳梗塞の闘病経験を映像化したもので、症状の起き方、進み方、そして良くも悪くもある周囲の反応も、氏のユーモア精神を織り交ぜながら完成させた注目作だ。ここでは、監督の分身でもある主人公・隆太郎の妹・さくらを演じた藤井武美にインタビュー。出演を決めた背景や、撮影当時の監督の様子、役作りについて話を聞いた。
――よろしくお願いします。今回は太田監督がご自身の体験をもとにした作品『もしも脳梗塞になったなら』に出演。おめでとうございます。
ありがとうございます。
――当初は出演することに対する怖さがあった、というコメントを拝見しました。どんな心境だったのでしょう。
監督が実際に体験したことを描いた作品ということを知って、今はどういう状況なんだろう、どういう症状があるのだろうと考えてしまって、まず、監督に会うのが怖いと感じていました。前回「向日葵の丘 1983年・夏」という作品でご一緒させてもらったので、(今回)現場ではどういう感じで指示をされるのかなど、いろいろな不安がありました。
――実際にお会いしていかがでしたか。
大分お痩せになっていたので、それがすごく衝撃だったのですが、それ以外にも、喋りづらかったり、見えづらかったり、指示するのも難しいところがあるようで、スタッフさんに支えてもらいながら、現場が進んでいるのを初日で感じました。けど、その一方で、監督のユーモアは健在で、現場には楽しい雰囲気が溢れていました。
――それまでは一人で何役もこなすなど激務でしたけど、本作では、スタッフみんなで助け合いながらの現場になっていた。
そうですね。スタッフには以前の太田組の方々が揃っていたので、その部分では、監督も安心されていたように見えました。監督ご自身も、お一人でできることは、できる限り頑張っていらっしゃいましたし、指示もしてくださっていましたけど、無理はせずに、最後まで撮り切ることを一番に考えていたと思うので、スタッフのみなさんもそれを汲み取って、支えていたように感じました。
――少し戻りますが、出演することへの怖さはどのように乗り越えたのでしょう。
それはですね、『向日葵の丘 1983年・夏』をやらせていただいた際、キャストのみなさん、スタッフのみなさん含めて、本当に楽しい現場であったことと、監督は、指示はするけど、自分たち役者の意見を優先してくださるところが、すごくやりやすかったというが念頭にあった上で、本作の前にも、お声がけしてくださった作品があったのですが、ちょうどタイミングが合わず、参加できなかったんです。それなのに、またお声をかけてくださったことが、ありがたかったから、というのが大きいです。あとは、台本を読んだ時に、監督が経験されたことを映画化した作品に参加させていただけるのが、とても光栄にも感じた、というのもあります。
加えて、(作品には)たくさんの方々に伝えたいメッセージ性もあり、それも素敵だと思ったので、出演させていただくことを決めました。

――台本を読んで感じたことや、印象を教えてください。
台本を読んでまず感じたのは、監督はこんなこと――(病になった)悲しみというより、こんなに孤独だったんだ――を経験したんだ、でも、そこにはきちんと助けてくれる人がたくさんいた、というものでした。私自身が(監督の)身内の感覚になってしまい、“早く監督に会いたい”。それが一番に思ったことでした。
――病気(の症状)は深刻ですけど、監督らしいコメディが満載でした。
そうなんですよ。台本を読んだだけでは、そこまで分かりませんでしたけど、試写を見て、ポップ感がすごかったので、監督らしいなって思いました。
人から聞いた話だったら、恐らくもっとヘビーなテイストになっていたかもしれませんが、やはりご自身が経験されたことがベースになっているからこそ、こういうコメディ感たっぷりの作品になっているのだろうと思います。
――今回演じられたさくらについて教えてください。
普通の主婦像を想像していて、それがあるからこそ、兄:隆太郎(窪塚俊介)っていう存在が生きるのではないかと、自分の中で考えていました。お金とか生活とかを考えずに、夢だけを追っている隆太郎の気持ちを、分かりたいけど理解できないことに対しての、自分なりの葛藤もあるだろうし、父親とうまくいっていないのを知っているので、その間を取り持たなくちゃいけないという感情もあり、どうしようもないお兄ちゃんだけど支えたい。そこは強く意識していました。
――お兄さん(隆太郎)との仲は悪くはなかった。
そうですね、兄にとって一番に連絡できるのが、多分妹だろうと。
――その割には、兄に対する態度は少し冷たかったですね。
それはすごく考えていました。やはり兄妹(家族)ですから、兄のことはとても心配している。だからこそ、厳しいことも言う。妹なりの優しさみたいなものを出したかったので、喫茶店で直接会うシーンでは、その雰囲気を出すように意識していました。
――弱っている方からしたら、励まされているとは感じても、素直に受け取れないのでは?
そうですよね。作品の中ではそういう描写もあります。さくらとしては、強い言葉を言っても、本心ではそう思ってないし、言っているほうも傷ついているんだよ、という芝居を意識していました。
――そのシーンで、隆太郎役の窪塚さんとは何か話し合いはされましたか?
その日に初めてお会いして、すぐ撮影だったのですが、窪塚さんの方から声をかけてくださるなど、気さくな方だったので、演じていても“兄”という感覚を受け取ることができました。私もそのまま(妹として)お芝居で返す、という感じで、すごく楽しい撮影になりました。
――普通に仲の良い兄妹で、大人になって離れていても、普通に連絡を取り合っていたと。
そうですね。でも、お母さんのお葬式のシーンでは、葬儀に来ない兄に対して、かなり強い感情をぶつけていましたけど、それから何年も経って、なんとなく兄の気持ちも分かるようになった。そういう流れがあっての喫茶店のシーンになった、と思っています。
――ちなみに、役作りについては、監督と相談はされたのでしょうか?
あらかじめ監督から“(さくらは)武美ちゃんの性格とそんなに変わらないから、そのままでいいよ”と言われていたので、台本を読んで感じたものをそのまま現場に持って行った、という感じです。
――監督自体、こうしてほしいと言う方ではないですからね。
そうですね。本番やって、はいOKっていう感じでした。
――劇中の(さくらの)出番はあまりありませんでしたけど(笑)、一方でナレーションを担当されていたので、ずっとさくら目線というか思いは感じました。こちら(ナレーション)では、随分と兄のことを心配していました。
そうなんですよ(笑)。出番はあまりないのですが、今回はナレーションも担当させていただいたので、声だけほぼ全シーンに出ていますし、“さくら”としての発言なので、兄を心配している心情を口にしているんです。
――ところで、劇中に出てくる隆太郎の部屋は、監督の部屋なんですか?
そうです。監督ご自身の部屋なので、超リアルですよね。
――女子目線から見て、隆太郎のように好きなことをして生きている人は、どのように感じますか?
私も、好きなお仕事をやらせていただいているので、夢を追う大変さはすごくよく分かります。隆太郎が口にする“ハリウッドを目指す”っていうのも、それ自体はかっこいいなと思いますね。だって、実際に口にするのも、勇気がないとできないじゃないですか。自信があって、勇気がないとそんなことは言えないし、この人何を言ってるの、バカじゃないの、って思う人がたくさんいる中で、そんな人たちを無視して、はっきり言えるのって、私はかっこいいと思います。私も、同じ映画のお仕事をやらせてもらっているので、そういう人間でありたいですし、すごく共感しました。
――冗談めいて言っている、毎回遺作っていうのは?
この間の試写でも言ってました。でも、そのぐらいの意気込みでやっているのだと感じています。まあ、「そんなこと言わないでくださいよ」って、毎回返していますけど。
――今回、お母さん役の田中美里さんとの共演はいかがでしたか?
田中さんは、「向日葵の丘~」でもご一緒させていただいて、私は田中さんの高校時代の役をやらせてもらったんです。それもあって、より親近感もありましたし、今回またご一緒できて嬉しかったです。母と娘という家族になれたこともよかったですね。田中さんの発する柔らかい優しいオーラが、すごくお母さん役にお似合いだなぁと思っていました。そういう雰囲気がずっと残っていたので、お葬式のシーンでも、終盤のシーンでも、田中さんの人柄に助けられて、自然と役に入ることができたように思います。

――ところで、話を戻しますが、今回ナレーションを担当されていかがでしたか?
もともと声の仕事に挑戦したいと思っていたので、今回、担当することができてうれしかった半面、結構量(セリフ)が多かったので、プレッシャーも大きく、緊張と楽しみが混ざった感情になっていました。
――うまくできた?
うーん、役に入ってさくらとして言えたので、私なりにはうまくいったのかなと思います。
――声の仕事をしたいと思ったきっかけは?
昔、声がいいねって関係者に言われたことがあって、人って、褒められると嬉しいじゃないですか(笑)。それもあって、声の仕事をしてみたいなとずっと思っていました。あとは、ドキュメンタリー作品が大好きで、ナレーションをしてみたいっていう願望も、昔から持っていました。
――いい声をされていると思います。たまに、大阪のおばちゃんみたいな笑い声が出ますけど(笑)。
本当ですか、うれしいです。そうなんですよ、自然と出ちゃうので、笑うなってよく言われます(笑)。私自身東京出身で、家族・親戚にも、関西の人はいないんですけどね……。
――作品が公開される12月は、誕生月です。
ありがとうございます、31になります。そして、フリーになって2年経つので、良くも悪くも自分のことをよく理解できるようになりました。その間、人としての基本的なところを自分の中で考えて、成長するための2年間だったと感じています。
来年も引き続き、“藤井武美”の芝居を見たいって思ってもらえるような役者になりたいですし、本当に今の藤井のお芝居を見てほしいです。

映画『もしも脳梗塞になったなら』
2025年12月20日(土)~ 新宿K’s cinema ほかにて全国順次公開

<イントロダクション>
脳梗塞はよく聞く病気だが、詳しく知る人は少ない。それを体験したのが『向日葵の丘 1983年夏』『朝日のあたる家』等で知られる太田隆文監督。「僕の闘病生活が誰かの役に立てば」と、自身の経験を映画化した。彼は17年間休まず映画作り。そのために脳梗塞。心臓機能は危険値。両目とも半分失明。検査、治療、入院、手術、リハビリの日々を経験し、それを映画でリアルに再現。闘病中は、的外れな助言や嫌がらせの他、悪気はないのに病人を踏みつける人たちもいた。そんな時、家族や友人はどうすべきか? やがて気づいた大切なことを、暗い難病物語にはせず、笑いと感動で描いたノンフィクション映画である。
主人公・大滝隆太郎役には、太田監督が師事した大林宣彦監督の『花筐/HANAGATAMI』で主演した窪塚俊介。隆太郎の妹役で藤井武美、母役で田中美里、隆太郎をネットで応援する友人役で藤田朋子、佐野史郎らが出演。
<あらすじ>
1人暮らしの映画監督・大滝隆太郎は突然、脳梗塞を発症。目がよく見えない。言葉もうまく出ない。心臓機能が20%まで低下、夏の猛暑で外出は危険。友人に電話しても「お前が病気? 笑わせるなよー」と言われ、SNSに闘病状況を書いても、的外れな助言や誹謗中傷ばかり。「俺はこのまま孤独死?」と追い込まれるが、意外な人たちから救いの手が? 本人には悲劇、周りの人たちには喜劇? 病気と医療を笑いと涙で描く社会派現代劇。
<出演>
窪塚俊介 藤井武美
藤田朋子 田中美里 佐野史郎
<スタッフ>
監督・脚本:太田隆文
製作:鯛中淳
制作:青空映画舎
配給:渋谷プロダクション
2025/日本語/ステレオ/アメリカンビスタ/102分
(C)シンクアンドウィル 青空映画舎
●藤井武美 プロフィール
2011年、ドラマ「高校生レストラン」で俳優デビュー。2016年、『風の色』(クァク・ジェヨン監督)のヒロインに抜擢される。主な出演作に、『桐島、部活やめるってよ』(12/吉田大八監督)、『COYOTE』(21/真利子哲也監督)がある。2025年、主演した短編映画『エンパシーの岸辺』がレインダンス映画祭に正式出品。


