第48回 日本アカデミー賞 協会特別賞を受賞した、ドルビーサウンドコンサルタントの河東 努さんに、これまで関わってきたお仕事の内容や、日本の劇場音響の進化についてうかがったインタビューの後編をお届けする。今回は河東さんが映画音響の一番の転換期だったと語るドルビーデジタルの登場期から、最新のドルビーアトモスの制作で注意するべきことまで幅広く語っていただいた。インタビュアーは前編同様、潮 晴男さんにお願いしている。(まとめ:泉 哲也)

前編はこちら ↓ ↓

 さて、河東さんは30年以上映画音響に関わってきたわけですが、一番印象的だったことは何でしょう?

河東 僕にとっての最大の変化は、やはりドルビーデジタルの登場でした。1995年頃は、1年に1本くらいでしたが、すぐに年3本ぐらいになり、翌年は5本、10本と増えていった記憶があります。

 劇場も、従来のアナログのドルビーステレオ用シネマプロセッサーにデジタルアダプターやデジタルリーダー、LFEを追加してサラウンドをステレオ化するなど、割とシンプルにドルビーデジタルの上映が可能になるということで、普及が進んでいきました。

 当時のドルビーデジタルプロセッサーは何を使っていたんですか?

河東 CP65やCP200にDA10を追加した形です。ドルビーデジタルの信号はフィルムのパーフォレーションの間にQRコードのような形で記録されていましたが、上映時にサウンドヘッドでデータをピックアップして、それをDA10でデコードして5.1ch信号に戻し、シネマプロセッサーのCP65やCP200に送るという仕組みでした。

 その後にCP650という、1台でアナログとデジタルの両方をデコードできて、ドルビーデジタルの信号が正常ならデジタルで、異常があった場合はドルビーSRに切り替える機能が付いたプロセッサーが出てきました。後にCP650はドルビーサラウンドEXまで対応できたんです。

 この頃に、劇場でディスクリートサラウンドを体験して驚いた読者も多いはずです。

河東 世界的に考えても、ドルビーデジタルが劇場音響を変えるきっかけになったのは間違いないと思います。日本では導入から5年ほど経ってから爆発的に増えたように思いますが、これは上映可能な劇場数が多くなったことと、ドルビーデジタル対応のダビングステージが整ってきたということが大きいでしょうね。

 その段階では、河東さんがドルビーサウンドコンサルタントとして、スタジオとのやりとりや、環境設定を担っていたわけですね。

河東 はい。日本でもドルビーデジタルの制作ができるよう、Dolby本社から複数台ハードウェアが支給され始めたタイミングで、制作環境を整えるところを森(幹生)さんと一緒に担当していました。

 ただし、そこでも悩ましいことはありました。ドルビーデジタルといっても信号はフィルムに記録しなきゃいけないので、圧縮は不可欠でした。ドルビーデジタルはAC-3コーデックを使っていましたので、ドルビーデジタル化することによって音色的な変化が起きてしまったのです。

画像: ドルビーサウンドコンサルタントの河東 努さん(左)と潮 晴男さん(右)。ドルビージャパンの視聴室をお借りしてインタビュー取材を実施しました

ドルビーサウンドコンサルタントの河東 努さん(左)と潮 晴男さん(右)。ドルビージャパンの視聴室をお借りしてインタビュー取材を実施しました

 音質も変化するし、AC-3はロッシー圧縮だからなくなる情報もある。

河東 おっしゃる通り、ドルビーデジタルでは、この時点でこういう音量で鳴っているんだったら、この部分の音はマスキングされて聞こえないからカットしてもいいだろうという処理を行っていました。つまり、聞こえないと判断された音は圧縮率が高いんです。

 先程申し上げた通り、ドルビーサウンドコンサルタントとしては、マスターの音を劇場まで届けることが一番だったわけですが、デジタル圧縮が伴うことによって音が変化してしまったわけです。つまり、クォリティコントロールとして、本来は起こっていけない事態が発生してしまった。

 でも、それはロッシー圧縮の問題であって、コンサルタントとしてはいかんともしがたい。

河東 しかしその頃は、CDであれMDであれ、デジタル記録なら音が変わらないという考え方がありました。だから「デジタルなのに音質が変化するってどういう事???」「どうしてくれるんだ!」みたいな話になることがあって、その対応のために3日徹夜したこともありました(笑)。

 普及の裏では音質についての葛藤もあったんですね。ところで、ドルビーデジタルの頃には、エンコーダーはスタジオに常設されていたんですか?

河東 いえ、以前と変わらず作品ごとに貸し出しをする契約でした。設置場所はダビングステージで、それ以外の時期にエンコーダーがあると管理責任にも関わってくるので、デリバリーも厳しかったですよ。

 さて、ここ数年で日本映画の音もよくなってきた気がしますが、河東さんはどう思っていますか?

河東 今は録音技術も含めて、各制作工程でクォリティが維持された状態で作業が進んでいくので、情報自体があまり欠落しないで最終のマスター制作まで進められるんです。それに伴って、音質チェックの際の聞き方も変化しています。

 日本映画では、アナログ時代はDMS(ダイアローグ、音楽、効果音)がごっちゃになっている作品も多かったよね。それがドルビーデジタルになって、各要素の聞き分けができるようになってきた。それもあって、日本のサウンドエンジニアの効果音とか音楽の作り方がレベルアップしたんじゃないでしょうか。

河東 そうですね。ディスクリート時代の音作りに馴染んでいる若い世代の音響エンジニアも育ってきていると思います。最近の日本映画は音の情報量がしっかりあるので、この音はこうやって作っているんだろうなと想像しながら楽しんでいます。

画像: 潮さんのコレクションから、ドルビーデジタルのデモ用フィルムをお借りした。写真左側、パーフォレーション間の四角い部分、中央にドルビーマークが見えるエリアにデータが記録されている。その右側の光学トラック部分にはバックアップ用のドルビーSR信号を記録する仕組みだ

潮さんのコレクションから、ドルビーデジタルのデモ用フィルムをお借りした。写真左側、パーフォレーション間の四角い部分、中央にドルビーマークが見えるエリアにデータが記録されている。その右側の光学トラック部分にはバックアップ用のドルビーSR信号を記録する仕組みだ

 最近の劇場の音には、河東さんも満足していますか?

河東 よくなっていると思いますよ。作り手の狙いを伝えるという意味でのクォリティは維持されています。映画館で邦画を観ながら、本編の音がXカーブ環境下のダビングステージで制作された音だと伝わりますし、エンドロールでスタジオ名や音響スタッフのお名前を見ると、制作時の環境自体も維持されているな、と感じます。

 ちなみに、河東さんはドルビーデジタルの最初の作品から担当されているそうですが、具体的な作品名は何だったのでしょう?

河東 ドルビーデジタルの劇場公開作としては、東宝の『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)が日本映画初といわれていますが、あの作品はミックスからマスター制作まで日本国内で、その後のマスタリングと光学録音などの作業はドルビーのLAオフィスで行っています。

 ミックスからマスター制作、光学録音のすべてを日本国内で行って一般公開された作品としては、スタジオジブリの『耳をすませば』(1995年)と、同時上映の『On Your Mark』が最初だと思います。同時期にドルビーデジタルで制作されていた作品もありましたが、劇場公開されたのは『耳をすませば』だったと記憶しています。スタジオジブリ作品としては、その後が『もののけ姫』(1997年)になるはずです。

 『ゴジラ対メカゴジラ』はミックスまでが日本での作業だったんだ。

河東 5.1chマスターとドルビーSRマスターの制作は東宝スタジオで行いました。マスターは35mmのシネ・テープに録音して、それをロサンゼルスのドルビーに持っていきました。ドルビーにはスタジオ兼試写室があり、当時は光学録音の設備もあったので、そこでマスタリングと光学録音作業をしています。そして完成したサウンド・ネガを日本に持って帰ってきて、日本で上映用プリントを作るという流れでした。

 音はデジタルだけど、マスターはアナログテープだったんだ(笑)。

河東 はい。当時は映画のプリントマスターの録音は35㎜シネ・テープが主流でした。また、ドルビーデジタルのマスタリング機器はプリントマスターの音をドルビーデジタルのデータに変換して5インチMOディスクにレコーディングしていました(笑)。ドルビーデジタルのマスタリングは映像と音のマスター、ドルビーのマスタリング機器を同期させて作業しますが、当時まだ映像は35mmフィルムを映写機に掛け、音はシネコーダーという35㎜シネ・テープの再生機に掛け、これらの機器を同期させるマスター信号はバイフェーズ信号でした。そしてドルビーのマスタリング機器もバイフェーズ信号に同期させます。

 ミックスした環境とは違うドルビーLAでマスタリングを行う際には、35mmシネ・テープを使うのが一番安心だったと思われます。ちなみに、ドルビーデジタルの光学録音作業の際も、MOディスクの再生機器と光学録音機の同期信号にバイフェーズ信号を使用します。

 バイフェーズ同期は一定のテンポで発信されるパルス信号であって、タイムコードと違い時間情報や絶対番地は持っていません。ですので、スタートマークに絵と音を合わせておいて「せーの!」で再生や録音ボタンを押すというやり方でしたから、途中で何かが起きて止めた時に同期のロックを外しちゃうと画も音もスタートマークに合わせ直す必要があります。フィルムは巻き戻しにも時間がかかりますので、ロールごとにマスタリングが終わったら、「同期を外しますよいいですね!?」といった具合に確認する必要がありました。

画像: 河東さんが劇場で見て印象に残ったという『ザ・ファースト・スラム・ダンク』は、UHDブルーレイとブルーレイにドルビーアトモス音声が収録されている

河東さんが劇場で見て印象に残ったという『ザ・ファースト・スラム・ダンク』は、UHDブルーレイとブルーレイにドルビーアトモス音声が収録されている

 なかなかにアナログな作業をしていたんですね(笑)。

河東 その後、ドルビーのマスタリングユニットがタイムコードも受け付けるようになり、ProToolsのようなDAWやデジタルレコーダーが主流になってきてからはマスタリングの自由度があがりました。映像もフィルムじゃなくなったので、巻き戻しも簡単になりましたし。

 そうかぁ、もうフィルムじゃないからロールという概念がなくなってきているのか。

河東 最近はロール分けする方がたいへんなようです。そもそも上映用フィルムでは音のトラックが先行して記録されているから、ロールの頭の3秒ぐらいには重要な音は入れないっていう約束があったじゃないですか。いわゆる巻頭処理ですね。でも今は、フィルムの物理的な構成をご存じの監督さんや編集マンが減っていると聞いたことがあります。アナログなら20コマ、デジタルは26コマぶん音が先行しているという話をしても、若いエンジニアには話が通じなくなりました。(笑)

 河東さんが今まで見てきた中で、この作品の音はよくできていたと感じたタイトルを教えて下さい。

河東 印象に残っている作品としては、最近の作品では『ザ・ファースト・スラム・ダンク』(2022年)でしょうか。ドルビーシネマで見たのですが、ドルビーアトモスという器をしっかり意識して、素材を準備しているのがよくわかりました。

 ミックスももちろんですが、音楽と効果、ダイアローグなどの編集も含めて、メリハリの付け方が素晴らしかったんです。さらに一音一音を意識して聞いていると、これは凄いなと思うところが随所にあって、それって単純なミックスよりも、音の素材を録る段階での配慮が凄いんだろうと思いました。

 同じような意味では、『ゴジラ-1.0』(2023年)もよかったですね。ゴジラの鳴き声をどうやって収録したかについて、StereoSound ONLINEでも音響効果の井上奈津子さんがお話されていますが、そのこだわりには感動しました。

 過去作品だと『耳をすませば』ですか?

河東 そうですね、この作品ではドルビーデジタルの5.1chを体験して、ディスクリートだとこうなるんだということに驚いたのです。次の『もののけ姫』では、低音域の使い方などについて、これはドルビーSRじゃ出せないぞっていう体験をしました。

 どれも名作だよね。やはりいい映画にはいい音がついている。

河東さんが注目した『劇場版マクロスF〜サヨナラノツバサ〜』をスクリーンで。
109シネマズプレミアム新宿で、オールナイト上映決定!

画像: ドルビーサウンドコンサルタントの河東 努さんに聞く。ダビングステージのサウンドクォリティを映画館に届けるために、現場でどんな努力をしているのか(後)

 東急レクリエーションは、109シネマズプレミアム新宿で開催している「マクロス超時空フェスティバル プレミアム映画祭 2 at 109シネマズプレミアム新宿」において、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか 4K ULTRA HD ver.』『劇場版マクロスF〜イツワリノウタヒメ〜』『劇場版マクロスF〜サヨナラノツバサ〜』の3作品のオールナイト上映を4月4日(金)〜4月5日(土)を追加開催する。

「マクロス超時空フェスティバル プレミアム映画祭 2 at 109シネマズプレミアム新宿」オールナイト上映
●日時:4月4日(金)22:00〜4月5日(土)4:40頃
※1時間前からメインラウンジ利用可能で、各作品終了後に約15分の休憩あり。
●上映作品:『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか 4K ULTRAHD ver.』『劇場版マクロスF〜イツワリノウタヒメ〜』『劇場版マクロスF〜サヨナラノツバサ〜』
●料金:CLASS S¥12,500均一、CLASS A¥9,200均一 ※各種割引サービス使用不可

河東 あと、音楽の力ってやっぱ凄いなって思った作品は、今 敏監督の『千年女優』(2001年)でした。他に『劇場版マクロスF 恋離飛翼 〜サヨナラノツバサ』(2011年)なども、劇中での音楽の展開だったり、力強さが印象に残っています。

 僕自身の映画の音の聞き方にも変化があって、音として問題がないか、ノイズはないかという、いわゆる品質管理としての聞き方から、映画としての効果音の聞こえ方やダイアローグを楽しめるようになってきました。そういった点を意識しだしたのは、この頃からだったかもしれません。

 クォリティチェック、プラスアルファで映画の音を楽しめるようになったわけだ。

河東 最近は、スタジオでマスタリング作業に立ち会っている時でも、ここの音作りはたいへんだっただろうなぁと気がつくようになって、作業が終わった後にあのシーンってどうやったんですかと録音エンジニアに質問できるようになってきました。

 そういったことを覚えておくと、別のタイミングでドルビーアトモスを作るうえで注意した方がいいことについて聞かれた時にもアドバイスができるので助かっています。具体的には、撮影時や素材の収録時にマイクの本数は多くして、実音としての素材を用意した方がいいですよといったこともありました。実音が多いと位相の管理がしやすいとか……。

 知識の伝導ですね。そこはひじょうに重要です。

河東 ドルビーデジタル時代から僕が学んできたことを、どうやって若いエンジニアに伝えていくかは心がけています。

 音の素材という話が出ましたが、これからドルビーアトモスで映画を作るとしたら、ステム(音素材)をどれくらい用意すればいいと思いますか?

河東 ドルビーアトモスで音を記録できるトラック数は、最大128に決まっています。これに対し、映画館で再生する際の出力チャンネル数は最大64chです。これはドルビーアトモスの映画館では、スピーカーを最大64基設置できますということです。

 ここで注意してもらいたいのは、物理的に64基のスピーカーは鳴らせますが、それが必須ということではないんです。劇場によってはそこまでのスピーカーは設置できないこともあるので、ドルビーアトモス対応シネマプロセッサーが各劇場の出力条件に合わせてレンダリング処理によって適切なバランスで再生できるようにコントロールしています。

 劇場によってスピーカー数は違っていても、ドルビーアトモスとしての再現は変わらないと。

河東 音を記録できるトラック数が最大128で、これをベッズとオブジェクトのふたつのカテゴリーに分けます。ベッズは、フロントL/C/RとLFE、さらにサイドサラウンド、リアサラウンドのL/R、あとはトップのL/Rで、合計10トラックぶんになります。

画像: 同じく河東さんが印象的だったと語る『ゴジラ-1.0』のパッケージ。UHDブルーレイはドルビーアトモスとドルビービジョンで収録されています

同じく河東さんが印象的だったと語る『ゴジラ-1.0』のパッケージ。UHDブルーレイはドルビーアトモスとドルビービジョンで収録されています

 ホームシアターでいうフロアーチャンネルに近いのかな。

河東 そうですね。残った118トラックがオブジェクト用です。さらに映画の場合、DMSの3要素があります。そこで、それぞれの要素でオブジェクトをいくつ使うかを分ける必要がでてきます。ここをきちんと決めておかないと、後からたいへんなことになるんです(笑)。

 そうかぁ、DMSそれぞれで118トラックずつ使えるわけじゃないんだ。

河東 なおベッズは10トラックと言いましたが、DMSそれぞれの素材段階では10トラックずつ使うことができます。最終的にプリントマスター段階で複数のベッズがミックスされた1つのベッズになります。

 なるほど、ベッズチャンネルにはDMSの要素が既にミックスされているけれど、オブジェクトの場合は効果音だけ動かしたり、音楽だけを動かしたりと言った形で別々に処理しているんですね。それは知らなかった。

河東 はい、ひとつのオブジェクトに対して、それを動かすためのメタデータもひとつと決まっていて、1~118にナンバリングします。トラックとナンバーが一致していないと、音のパンニングが正しく再現されないんです。トラックとナンバーがDMS間でバッティングしないように、トラックの割り振りを考えておかないといけないんです。

 映画作品の場合、担当者が事前にステムを準備してくることが多いですね。ドルビーアトモス・ホームの環境で素材を作っておいて、その際にオブジェクトに番号を振っておく。そしてシネマ用のダビングステージで再調整したうえでファイナルミックスを行うケースが増えてきました。

 日本でドルビーアトモスの制作が始まったのが10年くらい前だと思うけど、その間スタジオのエンジニアも頑張ってきたのかな。

河東 はい。エンジニアの皆さんも最新技術をどんどん身に着けてきていますので、これからの日本映画の音はさらによくなっていくと思います。

 そうなってくれれば、河東さんもサポート業務で済むようになってくるね。

河東 現在も、何かあったら呼び出しがかかるというレベルですので、映画サウンドトラックの標準化は実施できていると思います。そのことは、皆さんが映画を見に行って、映像だけではなく音への印象や意識が変わったと感じてもらえていることからもわかるのではないでしょうか。

 その手応えは僕も感じています。でも、日本映画の音はまだまだよくなって欲しいから、河東さんもいっそう頑張ってくださいよ。期待しています!

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