映画のエンドロールで、「ドルビーサウンドコンサルタント」という名前を目にしたことのある方は多いはず。ひと昔前は森 幹生さん、現在は河東 努さんがクレジットされていることがほとんどだ。その河東さんが第48回 日本アカデミー賞 協会特別賞を受賞した。「長年に渡り、映画館の音響特性の維持管理への協力や映画音響技術のコンサルタントとして、日本の映画産業に貢献してきたこと」が受賞理由だが、ではその具体的な仕事の内容はどんなものなのか、実はよくわからないことも多い。今回はドルビーサウンドコンサルタントというお仕事の内容や、最近の映画音響制作の状況について河東さんにお話をうかがった。インタビュアーは河東さんとも親交の深い潮 晴男さんにお願いしている。(まとめ・撮影:泉 哲也)

 まずは、日本アカデミー賞 協会特別賞受賞おめでとうございます。

河東 ありがとうございます。

 協会特別賞を河東さんのような現役世代が受賞するのは珍しいですよね。

河東 今回一緒に受賞された森 賢正さんは僕も現場でご一緒したことがありますが、確かにベテランの方が選ばれるような印象はあるかもしれません。協会特別賞受賞に関しては、長い間映画録音に関わってきたという経緯があるので、日本映画・テレビ録音協会様が推薦してくれたというお話も聞いています。

 今回は、ドルビーサウンドコンサルタントという映画音響のスタッフという立場から選ばれたというのが貴重です。

河東 もともと日本ではコンチネンタルファーイースト株式会社がドルビー製品の輸入総代理店でした。同時に家庭用機器のライセンスから、映画制作の窓口と実務を行っていて、僕は1992年に入社して当時ドルビーサウンドコンサルタントを担当していた森 幹生さんと一緒にこの職務を担当することになりました。

 せっかくなら森さんも表彰してあげればよかったのに。彼は元気にしていますか?

河東 既に引退されていますが、お元気だと思います。僕自身も現在はフリーランスという立場で、ドルビージャパンと業務提携して、日本映画でドルビーの技術を採用した作品についてコンサルタントをさせていただいています。

 さて、そのドルビーサウンドコンサルタントという仕事について、読者の多くはどんなことをしているのかピンとこないと思います。まずは仕事の内容を教えてもらえますか?

河東 説明が本当に難しいんですよ(笑)。ドルビーステレオやドルビーSR、ドルビーデジタル、ドルビーアトモスは、それらの音響制作を行うダビングステージで使う専用の機材があります。私の基本的な仕事内容には、そういった機材関係の準備と設置時のキャリブレーション、モニターレベルのアライメントが含まれています。また、機材を設置して、制作で使っていただく際には操作方法の説明なども行います。

 音響制作環境、そこで使うドルビーの機材についてのサポートを行っていると。確か、昔の国内のダビングステージではドルビーのエンコーダーは常設じゃなく、毎回借りてきていた覚えがあります。

河東 まず、採用いただく作品毎にドルビーへの申請手続きが必要です。映画の制作プロダクション様に書類へサインをいただいて、初めてドルビーの機器を使ってミックス作業を行う事が可能となります。そしてその作品のエンドロールに「Dolby」のロゴを記載して頂きます。

画像: ドルビーサウンドコンサルタントとして活動している河東 努さん。映画サウンドの歴史にも造詣が深く、今回もフィルム時代からの貴重なお話を聞かせていただきました

ドルビーサウンドコンサルタントとして活動している河東 努さん。映画サウンドの歴史にも造詣が深く、今回もフィルム時代からの貴重なお話を聞かせていただきました

 なるほど、作品ごとの契約なのでドルビーの機材はスタジオに常設できなかったわけだ。

河東 はい。歴史的にさらに遡ると、アメリカのアカデミー協会が1970年代に映画のサウンドトラックのクォリティを高めると同時に、標準化をしようと考えたのです。光学サウンドトラックとか磁気トラックではヒスノイズが発生しますので、どうしてもダイナミックレンジが狭くなってしまいます。それを改善するためにドルビーのノイズリダクション技術を使おうと考えたのが始まりだったようです。

 既に映画の70mm上映ではマルチチャンネルが使われていましたし、そのためのサラウンドスピーカーレイアウトも基本的には決まっていました。ただ、上映時のコストがかかるとか、70mmフィルムを用意するのがたいへんだったこともあってあまり活用されていませんでした。そこで35mmのステレオ音声トラックにサラウンド信号を記録できないかという相談もドルビーに来ていたそうです。

 それがドルビーステレオにつながっていったと。

河東 35mm用のサウンドトラック標準化を進める段階で、ノイズリダクションとか4-2-4マトリックス(プロロジック)技術、さらにXカーブなどが選定されていきました。当時はモノーラル上映用にアカデミーカーブという基準があったんですが、それをベースに周波数特性の幅を広げて、Xカーブの環境下でドルビーのノイズリダクションを映画のサウンドトラックに適用させる、さらに4-2-4マトリックスのサラウンドをプラスさせる、これを標準にしましょうという形になったのです。

 つまり、ドルビーの技術はアカデミー協会との関係の中で形成されてきたんです。それが現代では世界的に受け入れられて、どこの国に行っても映画館にはドルビーのプロセッサーが入っている、まさに標準になったわけです。ドルビーへの申請の際に作成する書類には、このサウンドトラックの標準化についての記載が含まれていました。

 映画館では再生環境も整っているけど、作品を作るダビングステージでは完全に入っているわけじゃなかったわけだ。

河東 そこでダビングステージの標準化をサポートするために、ドルビーサウンドコンサルタントが、Xカーブの調整であったり、エンコーダーなどの専用機器を使える状態に整える役割を担っていたわけです。

 さらに、DCP(デジタル・シネマ・パッケージ)以前の35㎜フィルム時代のサウンドトラックは、ダビングステージで仕上げた音を光学録音によってサウンド・ネガフィルムにする必要があるのですが、この光学録音でも、周波数特性の品質管理が求められます。ミックスしたマスターの音源が光学録音されて、さらに上映用のフィルムへ映像と共にプリンティングされ、当然ポジフィルム(上映用のフィルム)となるまでのクォリティを一連で管理することが必要とされます。光学録音以降の作業は専門の技術者の方々が担当しますが、最終的なクォリティの確認として私は0号試写へも参加していました。

 制作時だけでなく、上映用フィルムの品質にも責任を持っていた。それは凄いですね。

画像: 自身もサウンドデザインを手掛けた経験を持つ潮 晴男さん。河東さんとも長いお付き合いとのこと

自身もサウンドデザインを手掛けた経験を持つ潮 晴男さん。河東さんとも長いお付き合いとのこと

河東 なので、当時は作品毎に制作スケジュールに合わせてスタジオで機材の準備、各スピーカーの音圧が基準の85dBになっているかなどを確認し、ミックスの初日にスタジオにお邪魔して、本編の音を聞いていました。というのも、全編ではないにしても最初の音を知っていれば0号試写で音を聴く際の判断基準になり、問題点をある程度自分でも判断できますので。

 また試写の後に、録音担当者や監督から音のイメージが違うという指摘もあったりするんです。そういった時は、試写の再生状況自体に原因があるのか、それともフィルムに録音されている音自体に問題があるのかを調べるために、「別の部屋で音を聞いてみませんか?」といった提案も行うこともあります。

 現場のトラブルシューティング担当だね。特に音の場合は最終決定を誰がするかなど曖昧なことが多いから、河東さんのような立場の人が必要なんでしょうね。ところで、Xカーブについてはどこまで関わっているの?

河東 以前はほとんどのダビングステージのXカーブに関わっていました。最近はハードウェアが進化していますから、関わり方が昔とはかなり違います。僕がこの仕事に関わり出した頃は、アンプも数時間使って暖まってくるとボリュウムが変動しましたし、Xカーブ補正用のイコライザーもつまみにガリが出たり変動しやすく、今ほど細かく詰められませんでした。

 また最終的には直接音だけじゃなく、空間的な反響も含めて測定した結果なので、測定器の理想カーブに沿ってXカーブを合わせるだけではうまくいかないこともあります。その場合はいくつかの作品を試聴して確認し、必要があれば低域のこの部分を微調整しようといったことを、私の意見だけではなくスタジオのスタッフと一緒にやって、平均的になるように追い込むといったこともしていました。

 最近はパワーアンプがデジタル化していることからか稼働時間による変動も少なく、一回Xカーブ補正を行うと長期的に安定しているようですね。それと、Xカーブの必要性が周知されている今では、Xカーブの補正と管理はスタジオの人たちにお任せにしている部分もあります。また、音響制作に関わる皆さんもXカーブの考え方については当たり前のこととして捉えているので、昔の様に「何でこうなんだ!」とか、「なぜこんなに高域が減衰しているんだ!」といったことをおっしゃる方はいなくなりましたね。

 そんなことを言う人もいましたか(笑)。

河東 はい(笑)。劇中に使用される音楽の制作を担当された方の中にはいました。ただ、それには正当な理由があって、音楽スタジオのモニタリング時とダビングステージでのモニタリング時では、スピーカーとの距離や空間容積とXカーブの影響で聴感上の音質や音場の変化が確実にあるためなんです。

画像: 今回のインタビューは、東京・東銀座にあるドルビージャパンの視聴室をお借りして行いました

今回のインタビューは、東京・東銀座にあるドルビージャパンの視聴室をお借りして行いました

 河東さんはこの仕事について30年になるんでしたっけ?

河東 25歳の時にコンチネンタルファーイーストに入社しましたので、今年で33年になります。

 まさに映画音響が激変した時期を過ごしてきたわけだ。

河東 そうですね。入社当時は劇場の音といえばドルビーステレオでしたが、そこからドルビーSR、ドルビーデジタルと進化が続いていきました。

 ドルビーサウンドコンサルタントとしては、森さんの後任で、日本で二人目になるのかな。これまで何作品くらい担当したんでしたっけ?

河東 いわゆる本編については、試写や吹き替え作品も含めると1000タイトルぐらいに関わってきました。1990年代後半から2000年代前半には、年間120タイトルくらい担当していたと思います。ちょうどドルビーデジタル音声が普及してきた頃で、昼間にある作品のマスタリングをやって、夜は別のスタジオで他の作品のマスタリング作業をするといったこともありました(笑)。

 とはいえ当時も全部の映画館がドルビーデジタル上映じゃなかったから、アナログ用音声トラックも作らないといけなかったでしょう?

河東 もちろんです。ドルビーデジタル上映であってもバックアップの音声トラックにドルビーSRを使っていたので、必ずこの2種類の音声を制作してマスタリングも行っていました。また、予告編もドルビーデジタルが採用されるようになった頃は、本編と同様に2種類の音声を作ってマスタリングもする必要がありました。1日で予告編のバージョン違いを含め10作品仕上げたりしていました。それでも人手が足りず、当時のコンチネンタルファーイーストのドルビーフィルム製作部には、森さんと僕の他に2〜3人スタッフがいました。

 今は河東さんしかいないということですが、後任も育てないと困るんじゃないの?

河東 フィルム上映に関しては、今の若い人は経験していないので、私がいなくなったら困るかもしれません。でもドルビーアトモスに関しては、レンダラーの使い方を含めて、ダビングステージのエンジニアも作業できるようになってきています。実は私も最近は、ドルビーアトモス作品だから必ず現場に行くかと言うと、そこまでの必要性がなくなってきています。

 ドルビーアトモスのプロセッサーやエンコーダーはそれぞれのスタジオに標準で入っているんですか?

河東 シネマ用については、東映東京撮影所とグロービジョン、直近だと角川大映スタジオに導入されています。各所のダビングステージのスタッフへのレクチャーだったり、技術的な相談事については私の方で対応しています。

 ただ、僕の仕事はあくまでもダビングステージにまつわる機械や空間の管理であって、実際にミックス作業を担当するのはエンジニアや音響監督です。1000タイトルの作品に関わったと言っても、音響演出に口を出す立場ではありません。ドルビーサウンドコンサルタントは、あくまでもドルビーの技術が使われている器、空間を最適な状態に整えるためのサポートをしているということになります。

 偉いねぇ。僕だったらミックスにも口を出したくなってしまう。

河東 それだと越権行為になってしまいます(笑)。僕自身は、お客さんの立場で音を聞くようにしています。劇場に来てくれたお客さんに、ダビングステージで作られた感動が伝わることが重要ですから、チェックの時にもそれがちゃんと表現されているかを第一に考えています。

 さっき名前の出たスタジオはドルビーアトモス・シネマに対応した場所だと思いますが、他にも映画用のダビングステージはありますよね? 河東さんはそこもサポートしているんですか?

河東 以前ほどではありませんが、必要に応じてTOHOスタジオ、日活撮影所、iYunoスタジオ、シネマサウンドワークスなどのダビングステージですね。あくまで映画音響のためのダビング・ステージのサポートです。

 ただ、DCPは基本的にリニアPCM記録なので、ドルビーアトモス作品以外はドルビーのコーデックは必要なくなり、専用機器でのマスタリングも必要なくなりました。Xカーブ環境下でのミックスは標準となりましたし、ドルビーアトモス作品以外は私の名前やドルビーのロゴはエンドロールに表示する必要性がなくなりましたね。

画像: 左が35mmフィルムで、右が70mmフィルム(潮さんのコレクションより)

左が35mmフィルムで、右が70mmフィルム(潮さんのコレクションより)

 話は変わりますが、最近はフィルムで映画を仕上げることはなくなったんですか?

河東 新作は、ほぼないと思います。アーカイブ用として、サウンド・ネガフィルムと上映用のポジフィルムを作っておくといった作品はありますね。また数年に一度くらい、DCPで作った作品をフィルム化しておきたいというお話もあります。でも、最近はフィルム現像や光学録音の技術が失われているので、ひじょうに厳しい状況にはなっています。

 河東さんの仕事として、フィルムの品質管理も重要だったんですよね。

河東 そうですね。フィルム上映の頃は、光学録音やプリント現像の段階でクォリティが下がってしまうことがないように、それぞれの技術担当の方達が苦労していましたので、私も必要に応じアドバイスやお手伝いをしていました。

 確かに。当時は光学録音の良し悪しが、音質に影響しましたからね。

河東 同じプリントでも、初回は音がいまいちだったのに2回目の上映では問題なかったこともあります。一度上映することで、フィルムのサウンドトラックを光が透過して波形が安定するといった化学的な変化もあったようです。なので、試写で音がいまいちだった時にも、時間を置いてもう一度チェックしましょうといったアドバイスをしていました。

 光を当てると音が変わる、なんてこともあるんだ。

河東 光学サウンドトラック方式では科学的な要素での変化が音質の違いにつながるようですね。ネガフィルムをきちんと乾燥させないと、最終的に上映用フィルムの光学トラックの波形がシャープに現れず、音もシャープさがなくなると技術者の方から聞いたのですが、実際に私も体験しました。

 ドルビーステレオやドルビーSRサウンドトラックはノイズリダクションもエンコードされていますので、サウンドトラックの波形に正確性が重要でした。ノイズリダクションの動作ポイントも変わってしまうので、変な現象が起こったりしました。

 また、4-2-4マトリックスのサラウンドの広がり方に関しても、高音域がしっかり再生できないとモノーラルっぽく聞こえちゃったりするんです。そんなことにならないように、光学録音に関わる技術者の方達はフィルムの状態を確認したりしていましたし、僕は試写の結果が悪かった場合、一連の作業をどこまで遡ってチェックする必要があるかを踏まえて、その後の対策を考えるようにしていました。

画像: 光学トラックが記録された35mmフィルム。左側の波型の模様がL/Rの音声信号

光学トラックが記録された35mmフィルム。左側の波型の模様がL/Rの音声信号

 そういえば、行定 勲監督のデビュー作『OPEN HOUSE』の音響監督を担当したことがありました。その時の音源に、人の耳には聴こえない超高域の音が入っていたんです。それが原因で、ミックスの時におかしな現象が起こって苦労しましたよ。

河東 その作品は僕もマスタリングに関わっていました。あの時は、ロケ先の施設で撮った音に、ネズミ駆除用の高周波ノイズが入っていたんですよね。ドルビーデジタルでは大丈夫なんですが、ドルビーSRは制作の段階でノイズリダクションのミス・トラッキングが起きてしまい、一部の音がなくなってしまったんです。

 しかも素材段階での再生に問題はないのに、磁気テープに録音した後にそのテープを再生すると問題が起きるから、余計に原因が探しにくくて困りました。結局磁気テープの録音特性が関わっている事が分かったので、対応策として音素材に20kHz以上をカットするフィルターをかけて、なるべく素材に影響が出ないところまでフィルターの周波数を下げて余分な高域をカットしました。しかもフィルターを二段重ねにしないと効果がなかったんです。

 そうだったんだ、奇遇ですね。アナログの時代って、結構いろんなことがありましたね。

河東 撮影時に録音されてしまう不要なノイズは、聞こえるものは素材の段階で録音の方が処理されているんですが、20kHz以上の音は普通は聞こえないので、気がつくまでにかなり悩みました。この時も、周波数特性をスペクトラム・アナライザーでチェックして、可聴帯域外の高音が含まれているのを見つけたので、ここをカットしたらどうだという話になったんです。実際、僕の仕事ってそんな経験ばかりですよ(笑)。

 ドルビーサウンドコンサルタントという響きからは、ミックス作業のアドバイスをしているように考えがちかもしれませんが、決してそんなことはないわけだ。

河東 はい。例えば初期のドルビーデジタル制作ではエンドロールの音楽が5.1chのL/Rにステレオで記録されていることも多かったんですが、多分、CD用の音源をそのまま収録していたんでしょう。その場合、ドルビーデジタル上映なら問題は起きませんが、ドルビーSRでは4-2-4マトリクス(プロロジック)処理が入るので、音楽がL/Rではなくセンタースピーカーに寄ってしまうんです。そういった点についても、事前に気がついた場合には、こうした方がいいですよといったアドバイスをさせてもらいました。

 なるほど、確かにありえる話です。当時は音源の種類と上映方式が複雑だったから、そこをちゃんと理解できていないとおかしなことが起きていたんですね。

※4月2日公開の後編へ続く

This article is a sponsored article by
''.

No Notification