§3 ヘッドホン音響のお話

 私は、ヘッドホンの設計に長く携わってきて、残念に思っていたことがひとつあります。スピーカーに関してであれば、例えば「密閉箱」「バスレフ」「マルチウェイ」「ネットワーク」といった技術については、ある程度のオーディオファンが理解しているけど、ヘッドホンの音響技術はあまり知られてないように思うんです。

 そういうわけで、今回はヘッドホン音響の技術について、基礎的なところを紹介させていただきたいと思います。スピーカー技術とは違う、ヘッドホン技術の独自な面をご理解いただけたら幸いです。

 皆さん、「密閉形」とか「開放形(オープンエア形)」とかの名称は聞いたことはあるかと思います。ヘッドホンであればイヤパッドが合成皮革などで覆われていたり、イヤホンであればシリコンなどのイヤーチップで密閉しているのが密閉形で、スカスカに抜けているのが開放形という理解ではないでしょうか。その理解で間違ってはいないのですが、本稿ではこの「音響形式の分類」について、もう少し詳しく紹介させてください。

 ヘッドホンの音響を考える時に、大事なのは「前面容積」と「背面容積」のふたつを分けて考えることです。

・前面容積は、イヤパッドで囲われたドライバーから耳までの空間のこと。
・背面容積は、ドライバーとハウジングで囲われた空間のこと。

 それは下図のような感じで整理できます。

画像: 図1. 前面容積と背面容積

図1. 前面容積と背面容積

 この前面と背面それぞれに、密閉から開放まで通気度(空気の通りやすさ)の調整があり、この組み合わせがヘッドホンの音響調整のかなめといえます。ヘッドホンの音響設計では、通気の穴にメッシュ素材などを貼ることでトーンバランスを整えるので、重要な技術といえます。

 ちなみに、前面通気を持たせる方法としては、図2-aのイヤパッド部分に通気性の素材を用いるケースや、前面容積に大きな開口を持たせたもの(フルオープン形)の他、図2-bのように前面容積と背面容積とを仕切るバッフル板上に通気孔を設けることもあります。

画像: 図2. 前面通気と背面通気の構造

図2. 前面通気と背面通気の構造

 まず、前面容積の通気度に関してですが、前面を完全に密閉した時には、たとえば振動板が前に出た時には前面容積は圧縮されて気圧が上がります。逆に前面容積に通気を持たせた時には、振動板が前に出ても前面容積から空気が抜けるため、気圧が上がらずに低音がロールオフして減衰することになります。

画像: 図3. 前面密閉と開放

図3. 前面密閉と開放

 このように、ヘッドホンでは前面容積を密閉する方が、振動板の動きをダイレクトの耳に伝えて低音再生には有利であることがご理解いただけると思います。

 次に背面容積についてですが、背面を完全に密閉した時には、たとえば振動板が前に出ようとすると振動板背面の気圧が下がり、振動板が引き戻されることになります。振動板の最低共振周波数を「f0」と呼びますが、背面を密閉した場合にはこのピークが低く抑えられ、低音が抑制される方向に働きます。

画像: 図4. 背面密閉と開放

図4. 背面密閉と開放

 このように、ヘッドホンでは前面/背面の通気処理が、再生音に影響を与えることになります。仮に、前面を全密閉、背面を全開放にすると、特に低音域の感度を最大化できますが、それではトーンバランスが取れないので、一般的には前面を密閉すれば背面も密閉、前面を開放すれば背面も開放の調整になることが多いと思います。

 前面容積は、スピーカー音響にはない要素です。ヘッドホンドライバーは、閉じた前面容積という少量の空気を負荷として動かせばいいから変換効率が高いし、更に前面容積の開閉を調整することで特に低音域のロールオフを自在に設定できることになります。

 また、背面の音響処理も、スピーカーとは大きく異なります。スピーカーでは、バッフルスピーカーであれ、バスレフスピーカーであれ、背面の音を外に抜けば、最低音域では逆相の出力が回り込んで、前面の出力音をキャンセルしてしまいますし、逆に背面を閉じれば、空気ばねとなって振動板には強い制動になり、f0の共振を抑えることで、やはり低音のレスポンスに制限が出ることになります。

 ヘッドホンでは、音響調整上で背面の出力音は外部に捨てることができるので、独立した調整要素として使える点で自由度が高いといえます。

 前面/背面の通気の有無によって変わる、もうひとつの音の要素として遮音性があります。ヘッドホンには、内部容積から外気への音の漏れ出し、外気から内部容積への音の漏れ込み、ふたつの遮音性要因があります。

 前面と背面から外気への通気がなければ遮音性は高いものになり、逆に前面か背面いずれかに通気があれば遮音性は損なわれます。ヘッドホンの選択においては、用途によってこの遮音性を意識して選択されるといいと思います。

 もうひとつ、遮音性の高低による音質影響についてもお話させてください。

 遮音度の高い密閉形にした場合、外部の騒音は入ってきにくくなりますが、低音部分はわずかな隙間でも通過して入ってきてしまうし、最終的に筐体全体が振動してしまうので、低音の侵入音だけが残る傾向があります。密閉の方が外部騒音による音楽再生音への妨害は少なく、周囲の人への音漏れの心配も減るのですが、音質への影響としては、音楽の背景音が低域に寄ってしまい、特に弱音部分では全体の音色が暗い印象を招く場合もあります。

 逆に、遮音度の低い開放形にした場合、外部の騒音はあまり減衰せずに入ってくるので、騒音下での試聴ではノイズになるし、近くに人がいる場合は音漏れで迷惑をかける心配があるものの、入ってくる騒音の音質は高域まで伸びることで、再生音の背景が自然な印象に聴こえてきて、閉鎖感が少なく聴き疲れしにくい再生音になるという利点もあります。

 このように、ヘッドホンの「密閉形」と「開放形」には、それぞれの利点がありますが、過去のヘッドホン製品を振り返ると、特に高級機種では密閉形のものが多く商品化されてきた印象が強いかと思います。開放形のよさを追求した機種として、私が開発担当した「MDR-F1」を紹介させていただきます。耳の周辺を完全に開放した「フルオープンエア形」として音作りを行ったモデルです。

画像: ソニー フルオープンエア型ヘッドホン「MDR-F1」(1997) ※「型」はソニー表記に従っています

ソニー フルオープンエア型ヘッドホン「MDR-F1」(1997) ※「型」はソニー表記に従っています

 近年のヘッドホン市場では開放形のユニークな機種も増えてきていて、選択肢が増えてきているのは喜ばしいと思います。

 では、一般に「密閉形」「開放形」と呼ばれているものの基準、定義は何でしょうか?

 実は、IECなどの国際規格による分類では、音漏れの有無で密閉形/開放形と呼ぶことになっているものの、その再生音質は前面と背面の音響の組み合わせで決まるもので、これがユーザーに誤解を与える要素になっていると思うのです。

 この分類では、前面密閉で背面開放のヘッドホンは「開放形」の分類になります。確かに、音漏れの観点では「開放形」の分類でいいのですが、低音再生の音響性能的には「密閉形」のよさを持っているので、「開放形」と呼んでしまうと誤解を招きやすいのも事実です。ヘッドホンで「開放形」というと、一般的には前面と背面ともに開放のものが多く、これは低音再生能力では密閉形に劣るため、この背面開放のヘッドホンに対しても「この機種は開放形なので、低音再生に不利だ」という誤解を招くことにもなっていると思います。

 こういった弊害を避けるために、「背面開放形」というような一般の開放形との差を分かりやすいタイプ名称にしている製品も出てきていますので、ご紹介いたします。

画像: ソニー 背面開放型ヘッドホン「MDR-MV1」(2023) ※「型」はソニー表記に従っています

ソニー 背面開放型ヘッドホン「MDR-MV1」(2023) ※「型」はソニー表記に従っています

 今回はやや難しい技術論になってしまいましたが、ご理解いただけましたでしょうか。趣味というものは、料理でもファッションでも、材料や加工法を知ることで味わいの深みが増し、より楽しめるものになります。ヘッドホンについても、より深い技術を理解いただき、本連載にも永く付き合っていただけたら嬉しいと思います。

ヘッドホン関係の用語、豆知識

 今回の本文中で、私は「開放形」や「密閉形」のように、「形」の字を用いています。一般的には「型」の字を使うことの方が多いと思いますが、私の記事の中では「形」で統一させていただくことにしました。少し、この辺りの用語について、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

 ヘッドホンの用語定義として、まずJEITA(電子情報技術産業協会)の名称定義について説明させてください。私自身、1990年代から10年ほどJEITA(当時はEIAJ:日本電子機械工業会)のヘッドホン小委員会に在籍していましたので、名称定義について議論に参加した経験を踏まえてのお話になります。

 現行のJEITA規格には、RC-8140C「ヘッドホン及びイヤホン」という規格があり、これは国際規格のIECとも連携を持った、ひとつの業界標準というべき用語定義が記されています。その中で、まずは「ヘッドホン」と「イヤホン」の用語の定義について、ご紹介します。

 規格上で、ドライバーによって電気信号を音に変換するブロックは「イヤホン」、そして基本的にふたつの「イヤホン」をヘッドバンドで連結したものが「ヘッドホン」となっています(ただし、ヘッドバンドが無くても『ヘッドホン』と称する、といった例外があります)。

画像1: ヘッドホンの「密閉形」「開放形」には、どんな違いがあるのか? スピーカーとは異なる独自の音響技術を紹介します【ヘッドホンについて知っておきたい◯◯なこと 03】

 この分類では、モノーラルのイヤホン以外、今の呼び名でIE(インイヤー)/OE(オーバーイヤー)/AE(アラウンドイヤー)などの装着スタイルのステレオ用モデルは、すべて「ヘッドホン」ということになります。

 次に、開放形、密閉形の用語定義です。「開放」「密閉」の分類は、私の記事の本文中にある内容になりますが、「型」でなく、「形」の字を使っています。

画像2: ヘッドホンの「密閉形」「開放形」には、どんな違いがあるのか? スピーカーとは異なる独自の音響技術を紹介します【ヘッドホンについて知っておきたい◯◯なこと 03】

 この使い分けに関して、私の理解は下記のようなものです。

「形」=スタイルや方式といった「形式」の分類は「形」を用いる。「開放形ヘッドホン」「ダイナミック形ヘッドホン」など。

「型」=個別のモデルを指す「型式」(かたしき)の表現は「型」を用いる。「ソニー社製、MDR-CD900型ヘッドホン」など。

 一般的に使われている用語と異なるので違和感をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、私の連載では基本的に規格定義に準拠した用語で統一しようと思いますので、ご了承ください。

This article is a sponsored article by
''.