NHK放送技術研究所では、去る5月26日〜29日に「NHK技研公開2022」を実施した。コロナ禍の影響もあり、リアルでは3年ぶりの開催で、「技術が紡ぐ未来のメディア」をテーマに、東京・砧の研究所に様々な研究成果が展示されていた。

 その詳細はStereoSoundONLINEでもリポートしているが、今回はその中から麻倉怜士さんが注目した5つのテーマについて、改めて詳しい取材をお願いしている。以下で麻倉さんが注目したテーマと、それに関するインタビューの後編を紹介しよう。(編集部)

<テーマ4>紙より薄い有機ELフィルム

画像1: 3年ぶりの「NHK技研公開」で、放送技術の進むべき方向が見えてきた。2022年の注目テーマをより詳しく紹介する(後):麻倉怜士のいいもの研究所 レポート82

 わずか0.07mmという薄さの有機エレクトロルミネッセンス(有機EL)フィルムも展示された。丸めたり、折りたためるなど薄くて使いやすいディスプレイの実現を目指し、水分を通しやすいフィルムをベースにしても、安定に発光する仕組を開発したそうだ。

 一般的な有機ELは、大気中の水分が少しでも侵入すると瞬時に非発光部が発生するため、ガラスなどの水分を通さない素材や、厚くて硬いバリア膜を使って水分の侵入を防いでいる。しかしこのような構造では、薄く、柔らかく、あらゆる形状に変えられるディスプレイを実現することは困難だ。

 今回は「アルカリ金属を用いない電子注入技術」の実現により、0.07mmという紙よりも薄い有機ELを赤、緑、青の3原色で実現できている。

麻倉 今回の技研公開で一番驚いたのが、厚さ0.07mmの有機ELフィルムでした。これまでもフィルム素材を使った有機ELパネルを展示されていましたが、ここまで薄くできた秘密は何だったのでしょう?

大野 ありがとうございます。現在テレビで使われている有機ELパネルは1mm前後のものがほとんどですので、世界トップレベルの薄さだと思います。

麻倉 世界トップレベルというのも素晴らしいですね。今回ここまで薄い有機ELフィルムを実現できた要因を教えてください。

大野 一般的な有機ELパネルでは、薄いフィルム上にそのまま作ると電子注入層に不可欠なアルカリ金属が大気中の水分によって簡単に劣化してしまうのです。そうなると、発光しない部分が発生し、いわゆるドット抜けのような見え方になってしまいます。

 そのため、ガラスなどの水分を通さない素材や硬いバリア膜を設けて水分の侵入を防いでいますが、この構造では薄く、柔らかく、自由な形状に成形できるディスプレイの実現は困難だったのです。

画像: <テーマ4>紙より薄い有機ELフィルム

麻倉 なるほど、空気中にも普通に存在する水分が、実は有機ELパネルの大敵だったと。ではその欠点をどのように解決したのでしょう?

大野 われわれは水分に強い独自材料を開発し、電子注入層に使用しています。この新素材はアルカリ金属を使っていないので、薄く柔らかいフィルム上でも長期間、発光部が劣化しない有機ELフィルムを作ることができました。水が侵入してきたとしても、発光しない部分が発生せず長期間発光することが可能です。

麻倉 それは画期的です。基板はプラスチックを使っているのですか。

大野 基板はPETフィルムを使用しています。今回はNHK技研で電子注入材料の基礎構造を考え、材料の製造と有機ELフィルムは日本触媒さんとの共同研究で試作していただきました。それを使ったテストを繰り返して安定した特性を実現しています。

麻倉 フィルムということで、テレビ用だけでなく色々な展開が期待できそうです。

大野 今後は “伸びる有機EL” も実現したいと考えています。例えば絆創膏のような柔らかい基板を使えば、伸びる有機ELパネルも可能でしょう。用途としては、新生児のおでこに貼り付けてのバイタルサインを表示するといったデバイスも考えられます。

 今回の展示以降、曲がる有機ELパネルに関する取い合わせや、提携のお話を多くいただいていますので、様々な応用を考えていきたいと思っています

画像: 0.07mm有機ELフィルムについて詳しくお聞かせいただいた日本放送協会放送技術研究所新機能デバイス研究部の大野 拓さん

0.07mm有機ELフィルムについて詳しくお聞かせいただいた日本放送協会放送技術研究所新機能デバイス研究部の大野 拓さん

<テーマ5>コンピュテーショナルフォトグラフィーによる3次元撮像

画像2: 3年ぶりの「NHK技研公開」で、放送技術の進むべき方向が見えてきた。2022年の注目テーマをより詳しく紹介する(後):麻倉怜士のいいもの研究所 レポート82

 コンピュテーショナルフォトグラフィーは、昨年に続いての取材となった。自然光下での高精細な3次元撮像を目指した研究で、被写体とカメラの間に特殊な光学系を組み込み、コンピューターで演算処理することにより、通常のカメラでは捉えられない特殊な映像を撮影できる技術だ。

 レーザー光などの特殊な照明を使用しない、インコヒーレントデジタルホログラフィーによる3次元撮像技術で、条件の異なる複数枚のホログラムを撮影するため、動画撮影は難しいといわれていた。技研公開では、条件の異なる4枚のホログラムを一度に撮影できる光学系を開発し、動きのある被写体の撮影を実現している。

 さらに被写体とカメラの間に画像の解像度を高める超解像技術を導入することで、没入感や臨場感あふれるコンテンツの制作に必要な、3次元空間におけるあらゆる光の情報を高精度に捉えられるカメラの実現を目指していくとのことだ。

麻倉 このテーマは昨年も展示されていましたが、どこが進化したのでしょう。

片野 3次元の動画が撮れるカメラの研究ということで、インコヒーレント光を使って高解像度の映像を撮影できるインコヒーレントデジタルホログラフィー方式を採用しています。今回は、動画化に向けた高速撮影の実現と、そこから得られる3次元情報のクォリティを上げる超解像技術を組み合わせることを目指した展示になります。

画像1: <テーマ5>コンピュテーショナルフォトグラフィーによる3次元撮像

 まず撮影速度についてです。昨年展示していた装置では、カメラ内部の光学系でミラーを4回動かします。それぞれで得た4つのホログラム情報を演算処理し、3次元の画像を録画しています。この方法では4回撮影をするというところで時間がかかり、動画化に向けての課題になっていました。そこで今回は、撮影回数を少なくしました。

麻倉 4つのホログラムを使うのは去年と同じだけれど、撮影する光学系の改良によって、撮影自体を1回で済ませると。

片野 1回で4つのホログラムをまとめて撮影できるように工夫しました。これにより、動画撮影としても1歩進んだと考えています。

麻倉 昨年は、撮影したホログラムを解析する処理時間も必要という話でした。

片野 コンピュテーショナルフォトグラフィーはコンピューターで処理して画像を再構成する技術ですので、後処理は必要です。またカメラの画素数が多いので、計算処理も、現時点では1fpsほどです。

画像2: <テーマ5>コンピュテーショナルフォトグラフィーによる3次元撮像

麻倉 今回は撮影した映像に超解像処理を加えていく拡張性を見せているのも新しかったです。

信川 ホログラムは干渉縞の細かい縞模様の重なり合いなので、人間の目ではちゃんと撮れているかどうか判別できません。一見するとただの波紋で、真ん中は白黒がはっきりしていますが、外側に行くと、どんどん間隔が狭くなります。

 これがひとつの光源からの映像で、光源が増えていくとさらに複雑になります。特に外縁部の縞模様は高精細で解像度が高いカメラを使って情報を取らないと、最終的に変換したホログラムの映像も汚くなってしまいます。

麻倉 ホログラム自体の画質がよくないと、そこから計算した映像も貧弱になってしまう。

信川 そこで、被写体と撮影カメラの手前に超解像処理を加えることで、縞模様をより正確に撮影し、画質を上げようと考えました。

麻倉 そうだったんですね。もともと3D撮影技術だったのに、今年いきなり超解像という言葉が出てきたので驚いたのです。

信川 具体的には、インコヒーレントデジタルホログラフィー光学系とカメラの間に超解像の光学系を組み込みます。ここにDMD(デジタル・マイクロミラー・デバイス)を入れ、あるパターンを撮影した時にはこういう絵が、別のパターンではこれが撮れましたという形で複数回撮影して、その組み合わせから超解像処理をします。

画像3: <テーマ5>コンピュテーショナルフォトグラフィーによる3次元撮像

麻倉 これによって画像の解像度を上げるわけですね。

片野 光学系でカメラを2台使っているのがわれわれのオリジナルです。ミラーがある方向を向いている時には、ひとつの光は上方向に進みますが、そうではない光は逆方向に向かっています。今までは片方の光だけを撮影していましたが、逆方向の光も撮影することで、撮影時の情報量を2倍にできました。

麻倉 超解像の処理速度はリアルタイムなのでしょうか?

片野 現在は2fpsくらいで、このシステムの撮影としては問題ない速度が達成できています。コンピュテーショナルフォトグラフィーによる超解像ですので、インコヒーレントデジタルホログラフィーとの親和性は高いと考えています。

麻倉 将来的にはもっと小さいカメラが期待されますが、小型化という点ではいかがでしょう?

片野 具体的な製品化ということになれば、小型化は可能だと思います。技術としては2030年頃の実現を目標にしています。

画像: 日本放送協会 放送技術研究所新機能デバイス研究部の信川輝吉さん(左)と同じく新機能デバイス研究部の片野祐太郎さん(中央)

日本放送協会 放送技術研究所新機能デバイス研究部の信川輝吉さん(左)と同じく新機能デバイス研究部の片野祐太郎さん(中央)

「人に優しい技術の積み重ねが、放送の未来を提示している」 …… 麻倉怜士

 今年のNHK技研公開は、3年ぶりのリアル開催とのことでたいへん楽しめました。

 まず高画質化については、ハイビジョン(2K)から始まって4K、8Kといった具合に、NHKが作った放送フォーマットが1980年代からずっとテーマとしてありました。2018年には4K8K放送が始まったわけで、それ以後はどうするんだろうと注目していました。

 これまでは解像度に注目し、画面を大きくすることに終始したという感じがしていましたが、最近は多様性というか、ユーザーは様々なディスプレイで色々な見方をします、といったテーマも登場しています。今回の技研公開ではそのイメージが見えてきたように思います。

 そういう意味で面白かったのが、ライトフィールドHMD(ヘッドマウントディスプレイ)で3D立体視に取り組んでいたことです。裸眼視聴やHMDを使うタイプなど再生方法は色々ですが、具体的にどうやって3D空間を作っていくかというところが、大きなポイントになっていると感じたのです。

 これまでも繰り返し3Dブームが起こっています。直近では10年ぐらい前にプラズマや液晶テレビでメガネをかけて観るといった製品がありました。でもそれは普及せず、裸眼やHMDといった自然に楽しめる3Dが求められています。それをそれどうやって作るのか、どうやって視聴するのかといったところが見えてきた気がします。

画像3: 3年ぶりの「NHK技研公開」で、放送技術の進むべき方向が見えてきた。2022年の注目テーマをより詳しく紹介する(後):麻倉怜士のいいもの研究所 レポート82

 また今回の展示では、コンピュテーショナルフォトグラフィーに感心しました。去年から継続したテーマですが、前回は白黒画像の静止画だけでした。しかし今回は撮影速度を上げ、さらにDMDを使った超解像処理も組み合わせようとしている。これは興味深かったですね。

 技研公開の展示は基礎技術ですから、これをどうやって製品に展開していくかには、エンジニアリングとソリューションが必要です。ここは日本の得意な分野ですから、遠からずデジカメサイズで、毎秒60コマの3D映像、しかもカラーが撮れるようになることでしょう。

 それをライトフィールドHMDで視聴できるようになれば、ひじょうにリアルな映像体験が楽しめます。2030年の映像鑑賞スタイルが見えてきたという点が大きな意義がある展示だと感じました。

 また0.07mmの有機ELフィルムも革新的でした。よくこんなものを作ったなと感心したのです。新たに水分が入っても大丈夫な素材を開発したということですが、これはもの凄い突破口になると思います。

 夢のディスプレイと言われてきた巻取り式とか、折りたたみ式といった製品を具体化しようとしても、基礎的な要素が欠けていると開発が止まってしまいます。しかし0.07mmの有機ELフィルムが実現されれば、無限の可能性が広がります。

残念なのは、地デジの高品質化が4Kまでで、8Kにしないということですね。2018年にBS8Kが始まった時から、10年後には地デジも8Kになるだろうと思っていたのに、4K止りというのはいただけません。

 これはNHKだけの問題ではありませんが、放送政策上もしっかり地デジは8K化するという方向に変えていかないと、日本の技術の優位性が失われてしまいますよ!

 技研公開としては、ここ数年で色々なことができますという提案が増えてきたように感じていましたが、今年はそれらの目指すべき方向が固まってきたように思います。特に人間に優しいこと、目に見える部分で頑張っていこうというニュアンスが感じ取れたのが嬉しかったですね。

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