先頃、音響ハウスのマスタリング・スタジオ「Studio No.7」が2chマスタリングに加え、Dolby Atmos 7.1.4chのイマーシブ・オーディオのミックスおよびマスタリングにも対応する部屋に進化を遂げた。ここでは音響ハウスに在籍する主要スタッフにスタジオのコンセプトとその狙い、そしてDAWを核に据えたシステム設計を担当したタックシステムの担当者に話をうかがった。
画像: 音響ハウス「Studio No.7」イマーシブ・オーディオへ対応、コンセプトと狙いについて

── はじめに「Studio No.7」がDolby Atmos対応に進化した背景から教えてください。

櫻井繁郎(以下・櫻井) 「Studio No.7」は従来から2chと5.1chのマスタリング・ルームとして稼働していたのですが、3〜4年ほど前からDolby Atmosが映画や音楽の新しいフォーマットとして注目されるようになりました。

株式会社音響ハウス
スタジオ事業部門 技術部
マネージャー
音楽グループ グループ長
レコーディングエンジニア
櫻井繁郎氏

── これまでもサラウンドの音声フォーマットは幾つもありましたが、Dolby Atmosの優位性はどこにあるとお考えですか。

櫻井 Dolby Atmosは天井に4つのスピーカーを設けることで、上下方向の再現性が従来より明確になったことが大きいですね。Dolby Atmos が採用された2018年公開の映画『ボヘミアン・ラプソディ』が世界的なヒットを記録したことで、クイーンというロック・バンドの存在のみならず、Dolby Atmosという新フォーマットが映画ファン/音楽ファンの間で、一気に認知度が高まりました。さらにApple MusicやAmazon MusicがDolby Atmosを内包する形で「空間オーディオ」という音声フォーマットを推進することで、サラウンド・ミックスとマスタリングの需要が一気に高まってきたんです。

── 確かにドルビーの公式HPを閲覧すると2018年以降、Dolby Atmosでミックスされた映画が充実してきていることが確認できます。いっぽう、音楽分野のDolby Atmosはどれくらい注目されているのでしょうか。

益子友成(以下・益子) 私は「Studio No.7」におけるProToolsを核とするDAWのシステム設計を主に担当させていただいたのですが、音響ハウスさんと今回のプロジェクトを進めていく過程で気付いたことがあるのです。それは一般ユーザーにとって、映画などにおけるDolby Atmosコンテンツはあくまで劇場で体験するのが一般的ですが、いっぽう音楽のDolby Atmosはすでにコンテンツを消費するユーザーが所有しているスマートフォンと対応のイヤホンやヘッドホンさえあれば、多くのユーザーが場所を選ばず体験できるフォーマットであるということが大きいと感じています。例えば自宅で映画のDolby Atmosを厳密に再生するにはDolby Atmos対応のAVアンプやサラウンドスピーカーを用意して設置する必要があります。これは日本の住宅環境ではハードルが極めて高いと言わざるを得ません。

タックシステム株式会社
営業部
益子友成氏

 それに引き換え、音楽のDolby Atmosはすでに一般ユーザーが所有しているiPhoneやAirPods、あるいは私が利用しているMACBook Proの内蔵スピーカーさえあれば立体音響が聴けてしまう。消費者は空間オーディオということを意識せずにすでにDolby Atmosを楽しんでいるんです。この度、音楽市場を活性化させるため、音響ハウスさんの「Studio No.7」で国内初といってもいい、音楽に特化したDolby Atmos 7.1.4chのイマーシブ・オーディオ対応のミックスおよびマスタリング環境を完成させました。

須田淳也(以下・須田) 2021年6月、AppleがDolby Atmosによる空間オーディオを導入すると発表したことはターニング・ポイントになったと思います。同時に多くの曲がロスレスオーディオで楽しめるようになったことも見逃せません。近年、ビートルズ一連の復刻プロジェクトを手がけてきたジャイルズ・マーティンによるDolby Atmosの取り組みをはじめ、ヒット・チャートを賑わせているザ・ウィークエンドの「Sacrifice」などを聴くと、ミキシングの新たな可能性を感じずにはいられません。

株式会社音響ハウス
管理部門 技術開発管理部長
ビンテージ機器
リペアリングスペシャリスト
須田淳也氏

櫻井 私はここ数年、ゲーム分野においてDolby Atmosを実験的に取り入れた仕事に携わってきました。ゲームはSEが数多く採用されているので、上下方向の再現性を巧く活かせることが少なくありません。

── 数年前、都内のポスト・プロダクションのスタジオで音楽映像のDolby Atmosミックスを体験する機会がありました。ProToolsと連携したプラグインなどを巧みに活用することで、多くの映像作品がDolby Atmos化されているとうかがいました。

益子 まだ日本国内では櫻井さんのようにDolby Atmosの可能性を見極めながら、経験と実績を積んでこられたエンジニアは限られており、とても貴重な存在です。音楽制作に特化したこのスタジオで、多くのリスナーに新たな音楽体験を味わってもらえるのが理想的だと考えます。

 ここ数年、弊社がイマーシブ・オーディオ制作環境のシステムをご提案するなかで、数多くのスタジオへ導入いただいているのが、弊社タックシステム㈱が製造販売している「VMC-102IP」というモニターコントローラーなんです。多チャンネルのスピーカーをフレキシブルにコントロールすることが可能な本製品は、128チャンネルオーディオを2系統のMADIで入出力していたのですが、最新モデルは、近年プロオーディオ機材でトレンドになっている64チャンネルのDANTE IPオーディオを装備し、MADIと合わせた2つのデジタルオーディオ・フォーマットを同時に利用することが可能になりました。イマーシブ・オーディオのモニターコントロールに最も適した製品となっています。

画像: 多チャンネルのミックス/マスタリングに不可欠となる、モニターコントローラーのタックシステムVMC-102IP

多チャンネルのミックス/マスタリングに不可欠となる、モニターコントローラーのタックシステムVMC-102IP

──「Studio No.7」のイマーシブ・オーディオ環境への対応はどのような形で実現したのですか。

須田 この「Studio No.7」は2006年、スタジオの音響設計で知られるソナさんが理想的なモニター環境を整え・デザインしてくれていたんです。今回のモニター環境の構築に際して、われわれがアクティヴ型ではなくパッシヴ型のアンフィオン・スピーカーの導入を決めた時点で改めてソナさんへ部屋づくり全般を相談しました。それはアンフィオンのスピーカーがDSPを搭載しておらず、部屋の壁や床はもちろんのこと、天井の音響特性まで物理的に追い込む必要があったからなんです。

太田友基(以下・太田) ソナさんが理想的なモニター環境づくりを全面的にサポートしてくれたと聞いております。実績を積んでこられた会社のノウハウが集約しているので、音の移動感や細部の再現性が驚くほどナチュラルに聞き取れると感じます。

画像: 株式会社音響ハウス スタジオ事業部門 技術部 統括部長 レコーディングエンジニア 太田友基氏

株式会社音響ハウス
スタジオ事業部門 技術部
統括部長
レコーディングエンジニア
太田友基氏

須田 この部屋でイマーシブ・オーディオのモニター環境をつくり上げるには、中央のリスニング・ポイントから2,150mmの半円を描いて、各スピーカーを配置するのが理想的だという結論に達しました。Dolby Atmos環境で不可欠となるトップスピーカーの設置は取り付け場所や仰角の付け方によって、上下方向の音の移動感がガラリと変わるので、理想的な設置場所をカット&トライで追い込んでいったんです。

── 近年はいっぽうでソニーが推進する360 Reality Audioもよく耳にします。

櫻井 実はこの「Studio No.7」も近々360 Reality Audioのミックスやマスタリングに対応するため、新たな機材を発注済みなんです。すでに「amazon music unlimited」ではハイレゾ、Dolby Atmosに加え、360 Reality Audioが対応ヘッドホンで楽しめるなど、イマーシブ・オーディオの世界は加速度的に普及しています。今後、このスタジオから奥行き再現の優れた音楽を発信していきたいんです。

益子 スタジオの構築をサポートしている弊社の役割は、制作側のミックス環境を時代の需要を鑑み、先端技術を取り入れながらエンジニアの方々がミックス作業をスムーズに行なえる場を提供することだと考えています。近頃、いろんな方々と話していて感じているのは、イマーシブ・オーディオは突き詰めていくと、サラウンド感を聞き手に感じさせない音と音楽がスタンダードになっていくのではないかということなんです。

須田 新世代リスナーの大半は、Dolby Atmosだからとか、360 Reality Audioだからといったフォーマットで音楽を聞いている訳ではありません。スマホやタブレットなどで手軽に楽しんでいる音楽がたまたまイマーシブ・オーディオだったという認識がスタンダードになりつつあると思うんです。先程、櫻井が奥行き再現のことに言及していましたが、リスナーがその奥行き再現を快適で心地いいなと感じてくれたなら、それはわれわれにとっても大きな励みとなります。こうした点がAppleやAmazonが牽引する現代の音楽マーケットの動向と、従来からのステレオ・ミックスによる音楽体験と大きく変わってきていると感じるんです。

── イマーシブ・オーディオの可能性はまだまだ計り知れないので、今後の展開が楽しみです。「Studio No.7」におけるイマーシブ・オーディオの取り組みが、わが国の音楽マーケットを牽引していけるといいですね。本日はありがとうございました。

 

画像: 7.1.4chのスピーカーシステムは、すべてフィンランド製アンフィオン・ブランドの製品で統一。L/C/Rスピーカーの高さは当然ながらすべて揃って設置されている。デスク左にAVID S1、右にProTools|Dockが配置されている

7.1.4chのスピーカーシステムは、すべてフィンランド製アンフィオン・ブランドの製品で統一。L/C/Rスピーカーの高さは当然ながらすべて揃って設置されている。デスク左にAVID S1、右にProTools|Dockが配置されている

 

「Studio No.7」のシステム一覧

フロントL/C/Rスピーカー:アンフィオンTwo18✕3
サラウンドスピーカー:アンフィオンOne18✕4
トップスピーカー:アンフィオンOne18✕4
サブウーファー:アンフィオンFlex Base25
パワーアンプ:アンフィオンAmp700(フロントL/C/R用)
アンフィオンFlex Amp1200(サブウーファー用)
アンフィオンAmp400.8(サラウンド✕4、トップ✕4用)

画像: パッシヴ型のアンフィオン製スピーカーを駆動するパワーアンプのアンフィオンAmp700(2台)とサブウーファー用のFlex Amp1200。手前に見えるゴールドムンド製パワーアンプは2chのマスタリング時に使用されるという

パッシヴ型のアンフィオン製スピーカーを駆動するパワーアンプのアンフィオンAmp700(2台)とサブウーファー用のFlex Amp1200。手前に見えるゴールドムンド製パワーアンプは2chのマスタリング時に使用されるという

画像: 2枚のディスプレイはフロントL/C/Rスピーカーのモニター環境の妨げにならないよう、角度を考慮した上で設置されている

2枚のディスプレイはフロントL/C/Rスピーカーのモニター環境の妨げにならないよう、角度を考慮した上で設置されている

画像: マシーン・ルーム内のラック部。中央に見えるのはサラウンドおよびトップスピーカーを駆動する8chアンプのアンフィオンAmp400.8。その下部に10MHzクロック・ジェネレーターのアンテロープ10MXを設置。AppleのMac Miniを格納したHT-RMUユニットを挟んで、AVID Sync|HD、AVID ProTools|MTRXを設置している

マシーン・ルーム内のラック部。中央に見えるのはサラウンドおよびトップスピーカーを駆動する8chアンプのアンフィオンAmp400.8。その下部に10MHzクロック・ジェネレーターのアンテロープ10MXを設置。AppleのMac Miniを格納したHT-RMUユニットを挟んで、AVID Sync|HD、AVID ProTools|MTRXを設置している

画像: Dolby Atmosミックスおよびマスタリングが完了した音源はヘッドホンアンプでモニターするプロセスが不可欠となる。ドイツ製のバイオレクトリックDHA V590 PRO。本機は256ステップ/リレーベースによるボリュウム・コントロールが特徴で、一部のヘッドホン・ユーザーの間でも注目されている

Dolby Atmosミックスおよびマスタリングが完了した音源はヘッドホンアンプでモニターするプロセスが不可欠となる。ドイツ製のバイオレクトリックDHA V590 PRO。本機は256ステップ/リレーベースによるボリュウム・コントロールが特徴で、一部のヘッドホン・ユーザーの間でも注目されている

音響ハウスHP

*取材後、スタジオは9.1.4ch + Bass Extenderに進化を遂げている

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