英国のデッカはクラシックの名録音を語るときに必ず名前が挙がる名門レーベルだ。ショルティ指揮ウィーン・フィルのワーグナー『ニーベルングの指環』など、不朽の名盤は枚挙にいとまがないが、今回はステレオサウンド社がプロデュースする「オーディオ名盤コレクション」のなかから1970年前後に録音されたふたつの対照的なアルバムを紹介しよう。

名盤に共通する卓越した空間描写。この立体音場こそ本シリーズの価値だ

 1枚めはモーツァルト。ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団による交響曲第25番と第29番を組み合わせた録音で、どちらも1971年、英国サフォーク州スネイプのコンサートホール、モルティングスで収録されている。

 ブリテンは『シンプル・シンフォニー』や『青少年のための管弦楽入門』でおなじみだが、作曲家と同時に指揮者としても活躍し、イギリス室内管弦楽団などを率いて優れた録音を残した。指揮活動に積極的な作曲家はマーラーなど多くの先例があり、バーンスタインのように両分野で名声を得た人物も珍しくない。

 作曲家ならではの視点が解釈に深い影響を及ぼすことは想像に難くないが、ブリテンはモーツァルトに対してそれ以上の深い共感を持っていたように思える。モーツァルトの作品の多くは試行錯誤を重ねて推敲を繰り返すのではなく、特別な集中力で短時間に書き上げたと言われている。自筆譜や手紙の記述を見ればそう思わざるを得ないし、短期間で書き上げたにも関わらず一音たりとも余分な音がないほど完成度が高いことが、かえってその推測を裏付けるとも言える。推敲を重ねた作品にはその痕跡が残ることがあるのだ。

 ブリテンがモーツァルトに真摯に向き合っていることはたしかだが、個性的解釈を加えることはなく、ごく自然なテンポとフレージングでモーツァルトが10代後半に書いた作品群に接している。そうはいっても、オリジナルマスターから忠実にSACD化された今回の音源を聴き直すと、演奏上の重要な特徴が浮かび上がってくる。

 どちらも木管はオーボエだけでトランペットもティンパニもいない小編成だが、ホルンは大いに活躍し、特に第25番では4本のホルンを駆使して特筆すべき効果を上げている。他の金管楽器とは異なり、ホルンは主に間接音が中心で、複雑な倍音列が生む柔らかい音色に特徴がある。いきなりシンコペーションで始まる第25番は弦楽器の動きが強い緊張感を生むのだが、その鮮烈な印象を際立たせるのが、ステージ後方からオーケストラ全体を包み込むホルンの柔らかい響きなのだ。

 ブリテンはホルンを主役扱いするのではなく、あくまで主体はヴァイオリンを中心とする高弦群で、低弦も音をできるだけ短くして疾走感を強める。それを弦楽器だけで演奏するとせわしなくなってしまうが、離れた位置から届くホルンが響きに瑞々しさを与え、斬新な響きを作り出す。その演奏効果の大きさをモーツァルト自身が面白がっているように思えるが、ブリテンも弦とホルンの位置とバランスを工夫することで対比の妙を引き出す。見事としかいいようがない。

画像1: 名盤ソフト 聴きどころ紹介7/『モーツァルト:交響曲第25番&第29番』『アルベニス:スペイン組曲』
Stereo Sound REFERENCE RECORD

SACD+CD 2枚組 オーディオ名盤コレクション
『モーツァルト:交響曲第25番&第29番/ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団』
(ユニバーサル・ミュージック/ステレオサウンドSSHRS-045/046)¥5,000+税

●2枚組(シングルレイヤーSACD+CD)
●初出:1978年デッカ・レーベル
●録音:1971年2月28日[第29番]、9月29日[第25番] サフォーク州、スネイプ、モルティングス
●Recording Producers:Ray Minshull[第25番]、David Harvey[第29番]
●Balance Engineer:Kenneth Wilkinson
●Mastering Engineers:Jonathan Stokes & Neil Hutchinson(Classic Sound Ltd UK)

●ご購入はこちら→ https://www.stereosound-store.jp/fs/ssstore/rs_ss_amc/3090

 2枚めのアルバムはアルベニスのピアノ作品をラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスがオーケストラ用に編曲した『スペイン組曲』。演奏しているのはニュー・フィルハーモニア管弦楽団で、こちらは1967年ロンドンのキングスウェイ・ホールで録音された音源だ。

 デ・ブルゴスはスペイン音楽を得意とする指揮者として知られるが、両親はドイツ系でミュンヘンの留学経験もあり、ドイツ語圏の作品にも造詣が深い。ミュンヘン時代に作曲を学んだ経験を生かし、『スペイン組曲』では優れた編曲の才能を発揮。このアルバムは発売以来ロングセラーを続けていることもあり、オーケストラ版の方がなじみがある、という聴き手もいるはずだ。

 この演奏の特筆すべき点は、カスタネットやマリンバなど複数の打楽器を含むオーケストラから生まれる多彩な音色と、スペイン音楽特有のリズムが生む力強い躍動感にある。第1曲のカスティーリャから終曲のコルドバまで、スペインに因んだ名前が並んでいるが、アルベニス自身がそのタイトルで書いた作品は一部にすぎず、組曲としてまとめたのは作曲家本人の意思ではない。それにも関わらず今日この曲集がオリジナルのピアノだけでなく管弦楽版でも親しまれているのは、アルベニス作品に流れるスペイン音楽の本質を見事に描写したデ・ブルゴスの功績だ。ちなみに同曲集のなかでもっとも有名なアストゥーリアスはギターでの演奏も有名だが、こちらもアルベニス自身の編曲ではなく、セゴビアによるアレンジが浸透したものだ。

 この録音はブリテンのモーツァルト以上に前後の遠近感が深く、広大なステージと残響豊かなホール空間に各楽器が3次元に並ぶ描写が生々しい。リマスタリングされたSACDであらためて聴き直すと、同じ音域で重なる弦楽器とハープの描き分けや豊富な打楽器群のなかの個々の楽器のアタックや音色の違いを克明に鳴らし分けていることに気付く。トランペットの明るい音色が空間の色合いをわずか一音で一変させたり、強靭なトロンボーンがリズムと響きを支配するなど、金管楽器群の強い個性もCDに比べて鮮明に聴き取ることができる。

画像2: 名盤ソフト 聴きどころ紹介7/『モーツァルト:交響曲第25番&第29番』『アルベニス:スペイン組曲』
Stereo Sound REFERENCE RECORD

SACD+CD 2枚組 オーディオ名盤コレクション
『アルベニス:スペイン組曲/ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団』
(ユニバーサル・ミュージック/ステレオサウンドSSHRS-033/034)¥5,000+税

●2枚組(シングルレイヤーSACD+CD)
●初出:1968年デッカ・レーベル
●録音:1967年11月1、2日 ロンドン、キングスウェイ・ホール
●Recording Producer:John Mordler
●Balance Engineer:Kenneth Wilkinson
●Mastering Engineers:Jonathan Stokes & Neil Hutchinson(Classic Sound Ltd UK)

●ご購入はこちら→ https://www.stereosound-store.jp/fs/ssstore/rs_ss_amc/3040

 「オーディオ名盤コレクション」(ステレオサウンド)から4回にわたって計8枚のディスクを紹介してきたが、これらの名録音に共通するのが卓越した空間描写だ。優れたステレオ録音は前後に深い奥行が感じられる。スピーカーに音が張り付かず、背後の壁を越えてステージが浮かぶのだ。もちろん背後だけでなく、旋律など重要な楽器は手前に音像がせり出し、後方に展開する内声やリズムとの鮮やかな対比を見せる。その立体的な音場空間こそがステレオ再生の醍醐味。マスターに刻まれた空間情報を漏らさず引き出すSACDの存在価値がそこにある。
文・山之内 正

●問合せ先:㈱ステレオサウンド 通販専用ダイヤル03(5716)3239(受付時間:9:30-18:00 土日祝日を除く)

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