僕は薬師丸ひろ子と同じ、前の東京オリンピックの年の生まれで、1978年に彼女が映画『野性の証明』でデビューした時のことはよく覚えている。『犬神家の一族』『人間の証明』に続く角川映画第3弾だったわけだが、大量のTV CMの投下や、ほとんど映画宣伝のために『バラエティ』という月刊誌を作るなど、角川書店のやり方はそれまでの映画興行の常識を打ち破るものだった。オーディションで選ばれ、公開時まだ14歳だった少女の名や姿を、当時、日本で目にしなかった人はいなかったと思う。
その後、彼女は多くの映画に出演し、また歌手としても活躍を始めたわけだが、あいにくこちらは洋楽、洋画にのめり込むようになり、ほとんど接点がなくなってしまった。だが、たまたま2013年、2014年の『紅白歌合戦』に出場した彼女を目にし、その超然とした佇まいと「正確」な歌唱に驚かされた。
たっぷりとニュアンスを忍ばせた歌が
見えるように浮かぶ45回転LPの威力
その薬師丸ひろ子が、映画に縁のある歌を集めたアルバム『Cinema Songs』を2016年にCDでリリースし、2019年3月には収録曲を45回転2枚組の180g重量盤に収めたアナログ・レコードがステレオサウンド社の制作によって発売された。
既に96kHz/24ビットのハイレゾ音源も発売されているのだが、最初の制作時にレコーディング、ミキシング、マスタリングを担当されたエンジニアの村瀬範恭氏が今回のアナログ化にあたって、あくまでも「盤」でベストなサウンドが得られるようにミキシングをやり直されたという。さらに、ステレオサウンド社制作LPではおなじみ、日本コロムビアのカッティング・エンジニア武沢茂氏が33.1/3回転と45回転のテスト盤を制作し、スタッフたちがそれを聴き比べたうえで、45回転盤2枚組という商品形態が決定された。
▶収録曲
Side-A
①ムーン・リバー 映画『ティファニーで朝食を』主題歌
②Smoke Gets In Your Eyes 映画『オールウェイズ』挿入歌
③Mr.Sandman 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』挿入歌
Side B
①ベンのテーマ 映画『ベン』主題歌
②Tea For Two 映画『二人でお茶を』主題歌
③Cavatina 映画『ディア・ハンター』テーマ曲
Side C
①トゥモロー 映画『アニー』挿入歌
②追憶 映画『追憶』主題歌
③コール 映画『ナースコール』主題歌
Side D
①愛のバラード 映画『犬神家の一族』テーマ曲
②戦士の休息 映画『野性の証明』主題歌
③セーラー服と機関銃 〜Anniversary Version〜
映画『セーラー服と機関銃』主題歌
●カッティング・エンジニア:武沢茂
●45回転 180g重量盤LP2枚組●本LPのための新リミックス・デジタルマスターを使用
今回、普段はブルーレイやUHDブルーレイを評価するためにお邪魔しているオーディオビジュアル専門誌「HiVi」の視聴室で、このアルバムを試聴することになった。いつもの映像用のスクリーンは巻き上げられ、左右のスピーカーの間には黒い壁だけがあるのが、なんだか落ち着かない。
今回のアナログがどれほど違っているのか、まずは比較対象として、CDで1曲目の「ムーン・リバー」を聴く。言うまでもなく、映画『ティファニーで朝食を』の、ヘンリー・マンシーニ作曲による主題歌だ。このアルバム、1曲を除いて、大河ドラマや映画の劇伴等で人気の高い吉俣良が編曲を担当しているのだが、青山のビクタースタジオ302で録られた流麗なストリングスが心地よく、昨今のアイドルなどとはまるで住む世界の違う、薬師丸の清潔でストレートな歌唱がきれいにハマる。スクリーンはないけれども、左右のスピーカーの間に綺麗なサウンドスケープが浮かんで来て、充分に美しく、楽しめる。
だが、45回転LPでもう一度「ムーン・リバー」からかけ始めると……さっきのCDで浮かんで来たのが普通の映画館のビスタサイズの画面だとするなら、こちらは最新のプロジェクターを備えたIMAX3Dと言いたくなるくらい、音が天地左右にグッと拡がり、奥から手前までの距離も長くなる。アナログ、特に45回転は低域が豊かになるが、単に量感が上がるということではなく、その低域の中の各楽器の分離がよく、それらがお互いに絡み合いながら生み出すうねりが、さらに重心を安定させるような感じだ。さっきは悪くないと思っていたCDだが、ここらへんの音域はなんとなくダマになってぬかるんでいたかもなあ、という気がしてくる。
楽器の分離のよさ、位置表現は低域に限らない。曲が進むに連れてスタジオ内でのミュージシャンの配置が見えてくるようだし、スタジオ全体の空間も出てくる。時たま放たれるハープやパーカッションの音などは、抽象画家のジャクソン・ポロックが筆にタップリと含ませた絵の具をまき散らしたかのように、予想もしないようなポジションから飛び出してくる。
そしてイチローの送球のような、レーザービームのような力強さで相手に届かんとする薬師丸ひろ子の歌声。アナログになるとそのレーザービームの周辺に空気中の水蒸気や分子までもが見えてくるようだ。歌によって、またフレーズによって、この人がどれほどていねいにニュアンスを歌声に忍ばせているかがより明確に見えてきて、味わいが深まる。
収録曲はマイケル・ジャクソンの「ベンのテーマ」、先頃亡くなったドリス・デイ主演『二人でお茶を』の「Tea for Two」、映画『アニー』の「トゥモロー」、バーブラ・ストライサンドの「追憶」等々、どれも有名な曲ばかりだから、ウェルメイドなアレンジ、綺麗な歌唱で演じられると(外国の歌でも日本語詞で歌われるものもあり、これがまたスッと馴染めていい)、なんとなく聞き流してしまう恐れもあるのだが、ここまで色んなものが見えてくると、瞬間瞬間での変化が楽しくて、一曲一曲があっと言う間に終わってしまう。自分が得ているものがまるで違うのだと知る。
45回転にしたことで図らずも最終面が、彼女ゆかりの角川映画に因んだ曲ばかりになった。人によってはこの面ばかりがヘヴィーローテーションになりかねない。元々の彼女の持ち歌は最後の「セーラー服と機関銃」だけだが、僕にはやはり『野性の証明』の主題歌「戦士の休息」が印象深い。オリジナルは町田義人の歌唱で、歌詞に「俺」と出てくる男性一人称の歌なのだが、彼女が歌うと、このデビュー作となった映画で共演し、その後も彼女を支えてきた高倉健への鎮魂歌に聞こえる。健さんにもこのレコードで聴いてもらいたかった。
文:山下秦司
アナログ・レコード(2枚組)
ANALOGUE RECORD COLLECTION
『Cinema Songs/薬師丸ひろ子』
(JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント/ステレオサウンドSSAR-038〜039) ¥8,000+税
●問合せ先:㈱ステレオサウンド 通販専用ダイヤル03(5716)3239(受付時間:9:30-18:00 土日祝日を除く)
●ご購入はこちら→ https://www.stereosound-store.jp/fs/ssstore/rs_lp/3130