インタビューにご協力いただいた制作スタッフ(順不同)
● プロデューサー 牧野治康
株式会社プロダクション・アイジー
● サウンド・デザイナー/リレコーディング・ミキサー 高木 創
有限会社デジタルサーカス
● サウンド・エンジニア 小西真之
株式会社角川大映スタジオ 営業部ポストプロダクション技術課
● クリエイティブテクノロジーエンジニア 宮川 遙
ネットフリックス株式会社
クリエイティブテクノロジー&インフラストラクチャー
作品のクオリティに対して大きな影響を与える音響
PS 音響が作品に与える影響について、どのようなお考えをお持ちになっていますか?
牧野 映像作品は、全体の効果、見る人に与える印象やインパクトを100とした場合、その半分は音の力だと思うんですね。押井 守監督をはじめ、私がこれまでお仕事をさせていただいた監督の方々の多くが、そのようにお考えでした。映像が出来上がったところで、5合目であると。
そう考えると、映像が完全に出来上がってから音を付けていくのがベストですし、本来制作進行とはそうあるべきだと思うんです。しかし、残念ながら様々な理由で、映像が出来上がる前という中途半端な状態で、場合によってはほとんど映像のない状態で、セリフや劇伴、効果音を付けてもらうというケースもあります。
『攻殻機動隊 SAC_2045』、そして『ULTRAMAN』(両作ともに、Netflixオリジナルアニメとして全世界配信中)では、映像が音を付けるに値するコンディションになってから、セリフ、音楽、効果音を付けてもらうように留意しています。きちんと制作の順序を整える事で初めて、映像と音のクオリティが担保され、“ハイエンド”と言い得るものになると思いますし、そうなるようにスケジュールを調整する。ここはとても気をつけているところです。そうしないと、音世界という作品の半分を占める要素が中途半端な状態で作業される事になってしまい、ひいては作品全体のクオリティを下げてしまうことになると考えています。
PS そうして出来た作品をNetflixへ納品する際の仕様について、教えていただけますか?
宮川 弊社ではIMF(Interoperable Mastering Format/相互運用マスターフォーマット。DCP“DIgital Cinema Package”をベースにした放送/パッケージメディア向けのファイル受け渡しの標準規格。SMPTE ST2067-2)にて納品していただいております。しかし、最近、IMFにIAB(Immersive Audio Bitstream)を含むことができるようにSMPTEの規格も更新されたのですが、本作品納品準備段階では未対応でしたので、弊社への納品はAtmosから派生した5.1/2.0音声を含むIMFとは別に、Atmos BWAV ADMファイルを配信用に納品していただきました。IMFにIABを含むことができるようになれば、今後は非常にシンプルな納品形態になると思います。
また、弊社の納品仕様やガイドラインと言った技術資料については、どなたでもウェブサイト(Netflix パートナーヘルプセンター = https://partnerhelp.netflixstudios.com/hc/ja )で見ることができるようになっています。これは他の会社では、あまり無いことかもしれません。それを読んでいただければ、Netflixが制作において、どういったものを求めているのか分かると思います。
PS この技術資料を拝見すると、納品仕様に加えて、推奨事項としてガイドラインも記載されていますね。
高木 そうですね。そのため私達が音響制作作業に入る前に、基本的な技術に関する打ち合わせがNetflixで行われ、その時点で宮川さんとNetflixの音響に関する技術要件など(下記囲み参照)の確認を行いました。その後は実務作業時の音響制作エンジニアリングに応じて、Netflixの技術エンジニアリング的観点から俯瞰的にサポート頂いておりました。
打ち合わせにおいて、特に重要視されたのが、Atmos Homeを採用するにあたり、5.1chサラウンドからのアップミックスではなくネイティブで作ることを確認された事でした。
Dolby Atmos Home制作時における技術的な条件について
制作においてNetflixから技術的に求められたガイドラインは以下の通り。なお下記は、本作品制作開始時にNetflixとの打ち合わせによって決まったものもあるので、作品によって若干の違いがあります。(2020年4月現在)
① Atmos Homeのミックスは、7.1.4ch以上のモニター環境下で行う
② UP MixではなくNativeで行う
③ サンプリング周波数:48kHz、ビット深度:24bit
④ モニター音圧レベル:ニアフィールドモニタリングとして、79dB/SPL
⑤ ラウドネス:ダイアログベースで-27LKFS±2LU(ITU-R BS.1770-1、dialogue-gated)
⑥ トゥルーピーク:-2dBFS以下(-2.3dBFS推奨)
⑦ 納品物はDolby Atmos Home、5.1サラウンド、ステレオの3種類
⑧ D+M+E+Optional:Print MasterとなるようにMix Pathを構成
⑨ ダビングスタジオからアップする音響の納品物は次の通り
・Atmos:Print Master、M&E
・5.1ch:Print Master、M&E&Optional、DME
・Stereo:Print Master、DME
⑩ 上記納品物以外に、作品の制作に応じて、いくつか納品要項が発生する。この部分については、Netflixからのリクエストと協議により決まる。
宮川 高木さんのおっしゃるように、この作品はAtmos Homeのネイティブで制作していますが、弊社としては5.1や7.1サラウンドからアップミックスしたDolby Atmos作品でも問題はありません。『攻殻機動隊 SAC_2045』は、最初の打ち合わせの段階でAtmos Homeを採用するという話でしたので、予算や時間を考えて「それなら最初からAtmosで作った方が良い」と判断しました。
高木 もう1つ納品時に求められたのが、他言語への吹き替えをするためにM&E(セリフを除いた音楽“Music”と効果音“Effect”のみのファイル)の制作を作ることでした。この納品仕様については、かつて在籍した会社で、アメリカのアニメ映画の吹き替えを、よく行っていた経験が役立っています。
また、Netflixは納品基準が明確で技術的ガイドラインも含めて、きちんと僕らに資料で示されます。僕ら映画屋にとって、この環境はとても仕事がやりやすい側面でもあり、安心して取り組めました。これは「デジタルサーカス」にある仕込み部屋や、ダビングを行った「角川大映スタジオ」のMAルームの伝播特性が、SMPTE ST202に準じて調整されている事にも見るように、ISO2969などの技術規格に準拠している環境で音響仕上げをし、完成品の国際的やり取りを念頭に置いている映画音響制作と基本的には同じ制作環境でした。
逆に国内向けのテレビ放送やCMを主な制作としている場では、5.1ch仕上げや吹き替えを前提に作る必要が少ないでしょうから、ハードルが高いかもしれませんね。そういう点から見ても、映画作品の納品に精通しているスタッフのいる「角川大映スタジオ」でダビングできたのは良かった点です。
PS 小西様はNetflixの納品使用に対して、作りやすさ、逆に作りにくさを感じたところはありますか?
小西 高木さんとはこれまでに、3本のNetflixオリジナルアニメで一緒に仕事をさせていただき、また、それとは別に私はこれまでに弊社で仕上げた、2本のNetflix実写作品のスタジオエンジニアを担当させていただきました。その経験からM&Eの制作に対しても柔軟に対応できたと思います。吹き替えについては、弊社スタジオでミックスしている邦画よりも厳しい仕様でした。
特に作中のセリフに加えられるエフェクトは、他言語に吹き替えても違和感なく再現するというところまで作り込まなければなりません。これは実写映画などでも言えることなのですが、なるべく吹き替えをイメージした作りにしておかないと、クオリティの高いM&Eはできないという印象を持っています。
宮川 M&Eについてですが、オリジナル言語を聴きながら字幕を読んで楽しむ方もいれば、吹き替えでしか海外作品を見ないという方もいらっしゃいます。そのどちらでも楽しんでいただけるよう、吹き替えを作るわけです。その時、オリジナルの日本語は素晴らしいのに、多言語にした途端に雰囲気がまったく変わったら、素晴らしい映像体験には繋がらないですよね。その為、弊社では“オリジナル言語とイコールになるような音を用意してください”と音声の制作者の皆さんにお伝えしています。
『攻殻機動隊 SAC_2045』制作スタッフ
● 原作:士郎正宗
● 監督:神山健治、荒牧伸志
● シリーズ構成:神山健治
● 脚本:神山健治、檜垣 亮、砂山蔵澄、土城温美、佐藤大、大東大介
● キャラクターデザイン:イリヤ・クブシノブ
● 音楽:戸田信子、陣内一真
● サウンド・デザイナー:高木 創
● 音響効果:千本 洋
● 録音アシスタント:萬年沙織
● スタジオ・エンジニア:小西真之
● フォーリー・エンジニア:井沢佳世
クオリティ・コントロールについて
PS Netflixのクオリティ・コントロール(QC)についてお話いただけますか?
小西 NetflixにはQCを行う専門チームがありまして、最初の打ち合わせで『攻殻機動隊 SAC_2045』の納品音声について必要とされる条件をすり合わせました。そこで聞いたのが、ダビングを終了した完成音声に対してNetflixのガイドラインに沿って行われるPre-QCという工程の事です。普通の邦画やアニメでは、ダビングを終えて納品された完成音声に対してQCが行われますが、NetflixではIMF納品後のQCに対する修正の負担軽減の点からも、このPre-QCを推奨しています。(※『攻殻機動隊 SAC_2045』においてはPre-QCが行われたが、全ての作品で行われているわけではありません)
このPre-QCで指摘された修正を入れて、IMF化したもの(今作の場合、Atmos Homeの完成音声ファイルも別途納品)をIMF-QCとして、改めてチェックに掛けます。また、M&Eについても別途QCに掛けられます。
高木 ここで最も重要な事は、僕らが1度MAルームでミックスしたものをPre-QCとして提出すると、Netflixのガイドラインに従ったQCレポートが返ってが出てきますので、それに対応するための時間を残しておくことが必要です。また、Pre-QCで出た問題がIMF-QCできちんと修正されているのか再度チェックが入ります。さらに、M&Eのチェックもある。
これだけのチェックがあるので、なるべく効率良くQCに対応していく必要があります。これはノウハウというよりも、修正が入っても対応できる余裕を作る。そうしないと、大事故に繋がり兼ねないと強く思いました。
また、IMF-QCでの修正となると、映像作業まで巻き込む事になりますし、金銭的、時間的なリスクが生じます。最後まで自分の仕事のクオリティを保つため、Netflixの厳格なQCに対して、リカバリーできるようなスケジュールを組む。当たり前の事ですが、改めて非常に重要なことだと思いました。
小西 今回、私が高木さんと仕事をご一緒して学んだのは、まさにこの部分でした。QCから修正が来た時、さかのぼって直す事になりますが、その時、素早く作業するために、それぞれの要素はどこまで遡る事ができるのか。そこを整理しておくことで、修正が来ても迅速に対応できるようになる。ここはとても勉強になりました。
そういう面で言うと、スタジオに導入した「Dolby Laboratories」社のハードウェア・レンダラーRMU(Rendering Mastering Unit)にも、だいぶ助けられました。特にダウンミックス機能がとても優秀で、Atmosミックスをしている時に、5.1chをリアルタイムに出力。さらにラウドネス値も計測できます。また、Atmosのマスタリングの際に、リレンダラーアウトから5.1chとステレオのステムを出す事も出来たので、かなり助けられました。
宮川 私はQCチームではないので、大枠しかお伝えできませんが、弊社のQCに対する考え方は、Pre-QC時に出てくるような明らかな修正を除けば、“何がなんでも直してください”という強制的なものではありません。健康診断のような形で“こういうところが気になりますよ”“制作意図かもしれないですけど、念のためお伝えしておきますよ”というような、お知らせをするリポートになっています。
Dolby AtmosのCinamaとHome Theaterとの違い
現在、Dolby Atmosが視聴される場面は、大きく分けると映画館(Cinema)と家庭(Home Theater)がある。映画館のスクリーンスピーカーが前提としてISO 2969:1987/SMPTE ST 202:2010の規格に準拠し、その拡張としてスピーカー数が決められている事に対して、家庭環境は規格に準拠できるものではないので、スピーカー数と配置は各家庭の事情に合わせてITU-R BS.775-1に緩やかに沿わせている。
Dolby Atmosの基本動作はCinemaもHomeも同じであり、その違いは大空間と家庭空間に対応したスピーカー数の違いに過ぎないが、その音響表現では映画館用、家庭用それぞれに最適マスタリングが施される。
国内で制作されているDolby Atmos作品のほぼすべてが、映画館(Cinema)で上映された後に、家庭用(Home Thater)としてパッケージ販売されている。当然、この間に変換工程が必要となるが、最適化作業への対応は作品によってまちまちだ。対して今回ご紹介している『攻殻機動隊 SAC_2045』は、Netflixでの配信を目的として、最初から最後まで家庭用(Home Theater)を前提に制作されている。もちろん本作品は映画館での上映も想定した深い密度の音響であることは言うまでもない。
人数の少ない音響チームであってもハイクオリティなサウンドは生み出せる
PS 『攻殻機動隊 SAC_2045』では、音響デザイン、仕込みからファイナルミックスまでを担当した高木さん、音響効果に同じ「デジタルサーカス」所属の千本 洋さん、スタジオエンジニアの小西さん、そして、フォーリーエンジニアの井沢佳世さん、録音アシスタントの萬年沙織さんと、Atmos Homeは、サラウンドよりも制作工程や時間が掛かりそうですが、一般的なアニメ作品のサウンド・スタッフの人数と大きく変わりません。少人数で制作するメリットを教えていただけますか。
高木 今回の私のような立場だと、多くの仕事を1人でやるから世界が狭くなるという弊害はあるかもしれません。しかし、同僚の千本とは『ULTRAMAN』の時からフォーリー・アーティスト(スタジオでの効果音実演者)をお願いしていますし、小西さんとも同じ作品を作ってきている気心の知れた人物です。確かに人数としては少ないかもしれませんが、意思決定の早さが大きなメリットになります。
例えば、神山監督と荒牧監督の話をうかがって「それなら、こうしましょうか?」と提案して、その反応に対して、自分で仕込んでバランスをとって、ガイドミックスを監督に送って、一同が「角川大映スタジオ」のMAルームに集まってプレビューする。その時に、さらに監督からのリクエストを引き受けて揃える。ここは1人で行った方が早いと思いますね。
そして、セリフと効果音は同次元で鳴る音ですから、Atmosならではの没入感を生み出すアンビエンス・リヴァーブを共通化する必要があります。人数が増えると、そのやり取りに意外と時間が掛かるんです。そこも私1人がハンドルを握っていれば「Pro Tools」で作り込めば良い。Atmosならではの密度の高い空間再現を作るには、もしかしたら、少人数のチームで音響制作を行なう意味があるかもしれない、という風には思いました。
また、ダビングのために監督が来る前日に、劇中の音楽を担当した戸田信子さんと陣内一真さんの内、日本にいる戸田さんとは音楽と音響効果とセリフのバランスを詳細に話し合いながら整える作業もありました。普通のアニメーションでは、作曲家がここまで関わる事は稀でしょうね。実に映画的な場面ですが、シリーズ・アニメにおいてはすごく特異なプロセスだと思います。しかし、このプロセスを経た事で、音響的なレベルがさらに高まった非常に重要な工程だったと思います。
攻殻機動隊 SAC_2045の効果音制作について
PS 『攻殻機動隊 SAC_2045』の効果音制作について、教えていただけますか?
高木 フォーリー(生音)に関しては、千本に実演してもらいました。『ULTRAMAN』の時でもそうだったのですが、フォーリーは作品のオリジナリティを際立たせる上で重要な要素です。なので「角川大映スタジオ」にあるフォーリー・ルームを使って、一般的なシリーズ・アニメには余り見られない密度で録音しています。
また、UI(User Interface)関係音、特に電脳空間の音響は『攻殻機動隊』シリーズでの重要なシーンですので、MAX/MSPを用いて千本がクリエイトしています。これは、効果音ライブラリにある素の音で構築すると、エンジニアは「ああ、この音は、あのライブラリを作っているな」と、だいたいバレてしまうからです(笑)。『攻殻機動隊 SAC_2045』は、世界中にファンを持つ作品ですので、ライブラリを素のまま多用して良いような作品では決してありません。そのため例に上げた電脳空間だけでなく、UI系の効果音は千本にゼロからデザインしてもらいました。チョビッとライブラリも混ぜていますが(笑)。
PS フォーリーの多くをゼロから作ったそうですが、『攻殻機動隊』シリーズには、様々な作品がありますので、シリーズすべてに共通する効果音はあったのでしょうか?
牧野 この点について、まずお伝えしておきたいのは、『攻殻機動隊』のフランチャイズ作品に関する定義に、ビジネス的な側面とクリエイティブな側面がそれぞれあるということです。映像作品に関しては、今まで押井守監督が制作した2作の劇場版、神山監督による『攻殻機動隊 S.A.C(スタンド・アローン・コンプレックス)』というTVシリーズ。弊社の黄瀬和哉が総監督に立って作られた劇場版『攻殻機動隊 ARISE』が4作プラス長編1作。アメリカで制作された実写版『GHOST IN THE SHELL』。そして、今回の『攻殻機動隊 SAC_2045』があります。
これらは、すべて士郎正宗先生の原作を元にしていますが、異なる世界観を持ってパラレルに存在するという建て付けなんですね。観る側が「あれとあれは繋がっているよね」と解釈するのはもちろん自由なのですが、作り手はそれぞれ別の作品と思って作っています。そのように展開している作品群ですから、音響面においても、高木さんがおっしゃったように異なる作りになっています。もちろんオマージュだったりリスペクトだったり、作品に対するアイデンティファイとして、音空間を繋げていく趣向は有り、たとえば電脳空間の様に類似性を持たせるところもありますけれども、実は続き物としての縛りはないんですね。
高木 牧野さんのおっしゃるように、それぞれの作品が独立していますので、私達も自由に効果音を作って行きました。しかし、やはり『攻殻機動隊』たらしめているアイコンは電脳空間であると思いましたので、空間を表現するアンビエント・リヴァーブや効果音、声優のセリフに付けるエフェクトなどで、どうやってオリジナリティのある電脳空間を表現するのか。この部分において、私は押井監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』で音響監督の若林和弘さんと、僕の先輩で録音・整音エンジニアの井上秀司さんの下で作品に参加した体験が影響しています。
その時も、電脳空間の音は重要な場面として、試行錯誤を繰り返していました。頭の中に響く音だからと、ポリバケツを主人公の声優田中敦子さんに被ってもらったり(笑)、壺など共鳴する容器を集めて独特な響きを出そうと苦心した事は良い思い出です。この作品も、それに似たイメージで空間を作りたかったので、当時を知っている田中敦子さんからはアフレコの時にバケツ被せられた話を懐かしみましたが、もうバケツの結果は知っているので今回はやっていません。さらにAtmosですから、電脳空間も3Dに展開する必要がありましたので、初作品をリスペクトしつつ、オリジナリティを持った音となっていると思います。
それ以外の効果音、例えば『攻殻機動隊 S.A.C』でも登場する、架空の兵器“タチコマ”というキャラクターが出す音も、牧野さんがおっしゃるとおり別作品ですし、見た目はほとんど同じであっても、機械的な仕様が違うので、当然出る音も変わると考えて、自由に音を作っています。
また、電脳空間内で声に掛けるエフェクトに関しては、プラグインの組合せとバランスがかなり複雑になっています。これは、他言語に吹き替えしても、僕の意図した音と異なってしまう事は避けたかったので、プラグイン込みのセッション・ファイルを、吹き替えする際に共通化できるよう、別に納品する、とNetflixへお願いしました。
PS 小西さんはAtmos制作に関わったのは、この作品が初めてでよろしいでしょうか。
小西 映画作品では7.1chからのアップミックスに携わった経験はあるのですが、最初からネイティブで作る事は初めての経験でした。
PS Atmosにしたことで、これまでとは違った演出ができたなど、制作を終えて感想はありますか?
小西 今回、Atmosネイティブで制作する中で、工夫する部分や発見が色々とありました。例えば劇中の音楽を作った戸田信子さんと陣内一真さんから送られてきた音楽は、5.1サラウンドでしたので、どの音をどの空間に配置すれば、どんな効果が生まれるのか、作業に携わる中で得たものは大きかったです。
PS 高木様はいかがです?
高木 Dolby Atmosの制作に携わった経験のあるエンジニアが、異口同音に言っているのは“オブジェクトの扱い方”です。僕自身も試行錯誤を重ねながら、ベストを尽くしていますが、まだまだ大いに研究の余地があると思いました。
今作で得たノウハウを少し話しますと、ベッドでガッチリ作り込んで、ハードFX(FX=Sound Effects)もそれに対して定位させ、さらにオブジェクトで音を動かすぐらいの気持ちでやった方が、3D空間の中での移動感、および立体感が効果的に出てくる。そこが、今回の制作を通してわかってきた所です。
ベッドとオブジェクトとの組合せで、私が近年感動した作品では『ブレードランナー2049』です。特にラスベガス廃墟でのプレスリーショーを背景とした銃撃シーンは、とても素晴らしい出来でした。ああいうものを見せつけられると、もっと頑張らなければという気持ちになりますね。
小西さんもおっしゃっていますが、音楽は5.1で作られました。それを7.1.4ch空間上の適切な位置に置き、状況によって高さ方向へ拡張しています。そういうバランスを仕込みの段階で行いつつ、角川大映スタジオで最終バランスを組み、戸田さんにチェックしていただく、というプロセスを経ています。
Atmosミックスとはどんなものなのかを体験できる『Sol Levante』プロジェクト
宮川 最後に1つ、映像作品に関わる音の仕事をしている方々に、ご紹介したい実験プロジェクトがあります。『ソル・レヴァンテ(Sol Levante)』という4分ほどのアニメ作品で、4K HDRとAtmos Homeで、アニメ作品を作ったらどうなるか、というプロジェクトです。構想から実に2年間。映像はプロダクションI.Gにお願いし、音響は、アメリカ・ロサンゼルスでミキサーをしているウィル・ファイルズ(Will Files)さんに、音楽はエミリー・ライス(Emily Rice)さんにお願いした作品です。音楽収録、効果音制作、ダビングとすべての工程を、7.1.4のAtmos Homeでこだわり抜いたものです。
このプロジェクトは、視聴するメンバーの方に向けた作品でもありますが、最終目的はオープン・ソースとして、制作者の皆さんに、Atmosミックスとはどんなものなのか、体験してもらいたいという気持ちから生まれたプロジェクトです。
この作品は、映像や音声に関わる様々なアセットをすべて公開しておりまして、効果音、音楽のいずれも最終ミックスされたセッション・ファイルは誰でもダウンロード( http://download.opencontent.netflix.com/?prefix=SolLevante/protools/ )できます。これはプラグインを使わずに作られているので、どなたの「Pro Tools」でも開くことができます。
私は国内のAtmos作品が少ないのは、作りたい気持ちはあっても、モニター環境が普及していない、制作するチャンスがないなどの理由から“Atmosを作りたくてもできない”という事だと思っているんですね。その少ない機会の中で、それぞれのエンジニアが少しずつ経験値を増やしている。そんな状況を、どうやったら打開できるのか、我々なりに考えた結果です。“なるほどオブジェクトはこうやって作るんだ”“こんな風にすると、こう聴こえるのか”など、Atmosミックスを始めようとしているみなさんにとって、少しでもインスピレーションになれば嬉しいですね。その結果として、クリエイターの皆さんと日本発の良質なAtmos作品を世界中のメンバーに届けていきたい。『Sol Levante』がそのベースになったらなと思っています。ちなみに著作権はすべて弊社に帰属しています。
高木 この作品は、どうやって観るのですか?
宮川 作品自体は、Netflixメンバーであれば観ることができます。また、弊社では技術的な話題を載せているテックブログ( https://netflixtechblog.com/ )があり、そこは様々な技術的な話題がありますが、『Sol Levante』と検索していただければ、画と音がどういう工程で作られたのか、テキストとYoutube動画でメイキングを見る事ができます。
小西 弊社のスタジオでも、制作されるのは5.1サラウンドがほとんどで、7.1chのダビングも年に数本しかありません。しかし、アジア圏を見回しただけでも、Atmosミックスの可能なスタジオが日本よりも遥かに多く、Atmos作品もたくさん作っています。
そのような状況なので、我々エンジニアは「日本は遅れを取っているんじゃないか」という危機感が日を追うごとに増加しています。国内需要を考えた作品ではなく、この『攻殻機動隊 SAC_2045』の様に、海外への発信を意識して、Atmosのコンテンツを増やす事も大切だと思います。我々もノウハウをもっと蓄積し、世界に負けない作品を作っていきたいですね。
Dolby Atmos Homeで音響制作を行った感想
PS 最後にDolby Atmosによる音声制作に対して、どのようなご感想をお持ちになりましたか?
牧野 高木さんをはじめとする音響チームの皆様には、素晴らしい音を付けていただきました。この『攻殻機動隊 SAC_2045』は現在最高の“ハイエンド”シリーズを目指した作品です。10年後の人々が見ても、まったく古いものと思われない強度を持っていると思います。が、昨今はコンテンツの消費度がどんどん早まっている時代です。その中で、いつになっても古びないものを作るということが、大変難しくなっていると思うんですね。
しかもハイエンドな作品は、どうしても長い制作期間とコストが必要になります。その制作期間が長ければ長いほど、どんどん時代から取り残されていってしまうような感覚に陥るんですよ。今から作り始めて3年先にリリースするようなスピード感では、その間に、社会がどうなっているのか誰にもわかりません。
『攻殻機動隊 SAC_2045』も、企画開始から5年以上掛かっています。そういう大作に挑戦させていただけたことに、関係各位に感謝をしつつ、にも関わらず、まさに2020年7月現在、この瞬間を切り取ったかのような同時代性と、10年先に振り返ってみても意義深い内実を深掘りした稀有な作品になったと自負しています。
PS 高木様は、どんな感想をお持ちになりましたか?
高木 今回配信開始になったのは、第1シーズンの12話です。第2シーズンの前章的構成である第1シーズンの物語は、敵の属性が明確にならないまま、その不明な敵による圧迫感に支配されていました。作品世界への認識について、登場人物達と共に悩むような幻惑感がある音響制作の日々でした。激しい戦いがあっても、その戦いが更なる謎を呼ぶような物語なので、作曲の戸田さんと陣内さんのクリエイティビティも、まさにその世界観で構成されていたと思います。自然と私がイメージした音響デザインの音色の基調も解放的な音色ではなく、自然と重心の低いものになっていった事を思い返しました。
これから配信開始(配信日未定)となる第2シーズンで展開される劇的な状況変化を音響的に表現していくにあたり、Atmos Homeの高次立体音響環境は、『攻殻機動隊 SAC_2045』における表現上、望み得る最高の環境でした。第1シーズンで取り組んだ成果を第2シーズンで応用しながら、より高次に作品を盛り立てる音響デザインを、両監督、両作曲家と組み上げてゆきたいと考えております。
PS 『攻殻機動隊 SAC_2045』は、今年4月23日から配信開始、それから約2ヶ月が経ちました。その間、どのような反響がありましたでしょうか?
牧野 おかげさまで、『攻殻機動隊 SAC_2045』は配信開始からしばらくの間、ずっと視聴ランキングの上位に位置しておりまして、非常に大きな反響をいただいた作品になりました。
神山健治監督の『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』という優れたシリーズ・アニメが、約20年前(2002年10月より放送)にありました。それがお客様の心を掴んで、大ファンになった方もたくさんいらっしゃいます。そういうファンの方々からの反応、逆に、この『攻殻機動隊 SAC_2045』で、初めて攻殻機動隊シリーズに触れた方の反応。その人の持つバックグラウンドによって、本当に様々なリアクションをいただきました。
特に嬉しかったのは、我々の制作した『攻殻機動隊 SAC_2045』のローンチによって、「攻殻機動隊」の作品群すべてに対する視聴者の興味を喚起し得たことです。Netflixで観られる過去の「攻殻機動隊」シリーズを観る方が増え、過去作品も視聴回数が急上昇しているという事でした。ツイッター上でも「いろんな作品があるけれど、どれから観たら良いのか」というツイートに対して、「この順番が良いよ」という返信があったり、それが何万ものリツイートを呼んでバズったりしています。
「攻殻機動隊」シリーズは、今に至るまでプロダクションI.Gが誇りをもって制作してきた作品群です。我々の先輩方が血と汗と涙を注いで作ってきた作品の数々を、今回の新作を契機にまた観ていただけた。それが一番嬉しく思いました。
また、音響効果に対して言うならば、音がすごく良いよと気づいている人たちがいらっしゃいました。それも嬉しい事でした。先ほど申し上げた通り、映像と同じだけの力を注いでいる要素なので、音響面を評価していただけたということも、とても嬉しいことでした。
この『攻殻機動隊 SAC_2045』は、現時点で我々ができることはすべてやったという、自負があります。しかし、これから配信を予定する第2シーズンは、さらにレベルを高めた作品になると思います。本当にたくさんの人に見てもらいたいですね。
『攻殻機動隊 SAC_2045』Ⓒ士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会
※本企画内のすべての劇中画像クレジットは上記になります
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