読者のみなさんに悲しいお知らせをしなければならない。2026年1月27日に高津修さん、2月13日に潮晴男さん、二人のオーディオ/オーディオビジュアル評論家が逝去された。大きな驚きもってこの訃報をお聞きになる方も多いことだろう。敬愛するお二人の死を前に、ぼくも大きな喪失感を味わっている。
お二人には、「月刊HiVi」創刊時から原稿をお願いしていたので、当時新米編集部員だったぼくにとっては40年を越えるお付き合いだった。StereoSound ONLINE編集部の依頼を受けたので、ここでは追悼の思いを込めて、お二人との思い出を綴ってみたい。

高津 修さん
高津修(本名 高橋弘治)さんは、管球アンプ、ヴィンテージオーディオ、自作スピーカー、サラウンドサウンドなどオーディオの幅広い分野で評論活動を続けてこられた先達だった。オーディオテクニカで広報を担当されたのちフリーランスのコピーライターをされていたこともあり、その文章力は先輩方の中でも群を抜いていた。平易な達意の文章で、オーディオやAV(オーディオビジュアル)の魅力を語ってこられたが、その親しみやすい文章の奥には高津さんならではのシニカルな視線がうかがえ「ん? この数行にはこういう意味が含まれているのかな……」などと雑誌を深読みする楽しさを教えてくれた達人でもあった。
HiVi誌の「さらば、つーちゃん宣言」やステレオサウンド別冊<大型スピーカーの至宝>の「JBLパラゴン研究」などは深い洞察力を持つ高津さんならではのすばらしい文章だったと思う。

「月刊HiVi」創刊3号の1984年2月号からスタートした高津さんの連載小説。今読み直しても面白い内容です
そういえば、HiVi創刊後すぐに連載小説をお願いしたことがあった。オーディオ青年がハイファイビデオに出会って、だんだんとAVに夢中になっていくお話。高津さんだからこそ書けると信じての小説の依頼だったのだが、とても気軽に引き受けてくださったのだった。「主人公のモデルはヤマモトくんにするからね(当時ぼくは20代半ば)」なんておっしゃりながら。果たしてその連載小説はとても面白かった。若者のアホっぷりと純情を高津さんらしいシニカルな調子でからかいながら。
高津さんならではの発想力が活かされた自作記事も人気があり、モノーラル再生にこだわった「CD電蓄」製作記事等はとても大きな反響があった。技術誌ではなかなかお目にかかれない「読んで楽しい自作記事」は高津さんがもっとも得意とするところだったと思う。
「自作記事はスピーカーのハコを組み立てたり、もうホントにくたびれるんだよ。原稿料もっと上げてくんないかな?」とタバコを吸いながらおっしゃっていたのを今ふと思い出している。
HiViグランプリの選考委員になってほしいと編集部からお願いしたときのことも思い出深い。沈思黙考。「わかりました。一週間待ってもらえますか」と。あとでわかったのだが、当時まだ続けておられたオーディオメーカーのコピーライターの仕事を一週間かけて全部キャンセルされたのだった。中立的な立場を取らなければHiViグランプリ選考の仕事はできないとお考えになったからだろう。そういう筋を通すのも高津さんらしいところだったと思う。
高津さんはぼくが驚くくらいの愛妻家だったが、5年ほど前に女優だった奥様を亡くされた。その後めっきりと元気を失くされ、HiViグランプリの選考委員も辞退された。最近では親しくお話する機会も少なくなり、どうされているんだろうと思っていた矢先の訃報だった。享年82。高津さん、長い間ほんとうにありがとうございました。

潮 晴男さん
潮晴男さん、74歳没。2月13日の夜、親しい友人たちと居酒屋で楽しく呑んでご帰還。その夜お風呂場で亡くなっているのをご家族が発見されたという。ヒートショックというやつだろうか。残念でならない。昨年くらいから歩くのがびっくりするくらい遅くなり、声が張れなくなったのを目の当たりにし、老いは足とことばにくるのだなと思っていたが、こんなに急にいなくなるなんて信じられないし、信じたくないし、寂しくてたまらない。
潮さんも高津さんと同じくオーディオテクニカで広報の仕事をされていたが、HiVi創刊時とほぼ同時期に退社され、デザイン会社を経営されるとともにHiVi誌等に寄稿する評論家としてデビューされた。親分肌の気風の良い人で、当時20代だったぼくは「(はるお)にいさん」と呼んで、よく飲みに連れて行ってもらっていた。
潮さんはヴィンテージオーディオやプロオーディオ、カーオーディオなどに一家言を持ち、熱心な映画愛好家でもあった。『スター・ウォーズ』以来ドルビーステレオ映画音響に夢中になり、ご自身で深く勉強され、後年、日本の映画やアニメ作品の5.1chサウンドデザイナーとしても活躍されたのをご存じの方もおられることだろう。
近年は盟友の麻倉怜士さんと音楽レーベル「ウルトラアートレコード」を設立、情家みえさんのヴォーカル・アルバムなど、こだわりまくりの音の良い作品の制作に勤しんでおられた。

「潮晴男のAVルーム・クリーニング大作戦」は、1994年8月号からスタートした不定期連載。潮さんのキャラクターが受け、モンキー・パンチさんや角野卓造さんを筆頭に、60人近い読者宅を”お掃除”していただきました
潮さんご自身はアメリカン・ポップスの愛好家で、オールディーズをレパートリーとする「クリティックス」という評論家仲間を中心としたバンドのバンマスとして活躍されていた。ぼくも編集者時代、潮さんにこのバンドに誘われたが、「ぼくはクリティック(評論家)じゃないので…」とお断りしたことがあった。ま、潮さんみたいに人様の前で演奏する度胸がなかったからなのだが……。
そんなわけで、潮さんはほんとうに仕事好きで遊び好きで酒好きだった。近年は出身地の鳥取県米子市の観光大使も勤められていたし、地元ラジオ局で番組も持っておられた。それから、お酒の中でも日本酒について驚くほど詳しく、酒席でその蘊蓄を聞きながら呑むのも楽しかった(ときに『話長いよ、にいさんは……』と止めてましたが。ごめんなさい)。
そうそう、HiViの名物企画だった「AVルーム・クリーニング大作戦」の始まりも酒がもたらす縁だった。ぼくが編集長だったときのこと。潮さんの部屋で一緒に視聴取材を終え、近所の居酒屋で音楽談義、映画談義をしていたら、ぼくらの話にすっと入ってきた御仁がいた。近くに住む音楽マニアのイラストレーター、モリモトパンジャさん。その後なぜかパンジャさんの家で飲みなおすことになったのだが、モリモト家のオーディオを聴いた潮さん、「こんなんじゃ全然ダメ。おれがこの家の音を1000倍良くしてあげる」かなんか言い始めて……。「にいさん、初対面なのに失礼でしょ」と言いながらも「うん、コレ記事にしたら面白いな」とぼくは考え、世話好き、酒好きの潮さんならではの不定期連載記事が始まったのである。またこのときの縁で、パンジャさんはずっとこの連載のイラストを描いてくださったのだった。
ああ、書けば書くほど次々に様々な出来事が思い出される。潮さん、早すぎるよ。まだまだ一緒にクダ巻きたかったのに。今頃は向こうで朝沼予史宏さんや細谷信二さんと酒を酌み交わしているのかな。もう一度会いたいなあ、潮さん。寂しいよ……。

