ヘッドホンのドライバーを紹介する記事の後編をお届けします。前編では、ドライバーの中で一番歴史の古い「マグネチック形」や、もっともポピュラーな「ダイナミック形」などについて紹介しました。しかしオーディオ用としてもその他にも様々なタイプがあり、さらに補聴器用として開発されたものを含めると、実に多くの種類のドライバーが使われています。後編ではそれらについて解説していただきます。(Stereo Sound ONLINE編集部)
§11 ヘッドホンのドライバー(後編)
ヘッドホンのドライバー技術について、§10ではマグネチック形、バランスド・アーマチュア形、ダイナミック形についてご紹介してきましたが、こちら後編では更に様々なドライバー形式の技術、歴史と未来について深く掘り下げてご紹介してまいります。
●静電形
プラスやマイナスの電極間に発生する吸引反発力を応用した駆動方式です。振動板と背面電極との間で静電界を作りつつ、音声信号を加えることで起きる力の変化で振動板を動かします。
静電界を作る方法として、回路でDCバイアス電圧を加える方法と、「エレクトレット」と呼ばれる永久帯電加工を施したポリマー材料を用いる方法があります。エレクトレット方式の中にも、バックプレートにエレクトレット膜を形成する形式と、振動膜にエレクトレットフィルムを使う形式とがあります。
エレクトレットとは、ポリマー材料を永久帯電させる技術です。この帯電素材は1919年に海軍大学の教授だった江口元太郎氏が発見した材料で、溶融した樹脂材を強電解中で急冷することで生成されます。
ちなみに 「Electret」とは、「Electro」(電気)と「Magnet」(磁石)を合わせた造語で、 磁極を作る永久磁石のように電極を作れることから命名されたものです。

静電形は振動系に金属導体を持たないので振動板がきわめて軽量で、また平面磁気形同様に全面駆動となるため高音域の再生に有利な方式といえます。
静電形の最初は静電スピーカーでしたが、これはオーディオ用でなくUS海軍のソナー用高周波音源として開発されたものです(1953)。最初の静電形ヘッドホンとしては、STAX社でイヤースピーカー「SR-1」として製品化されました(1960)。

STAX「SR-1」
av.watch.impress.co.jp静電形ヘッドホンは、一般的に前面密閉/背面開放の音響構造を採りますが、極薄のポリマー振動板は音響透過性が高く、背面からの外音をほぼそのまま耳に伝える開放感をもたらします。この特徴と、高音再生での伸びの良さから、音の鮮明さや音場の空気感再現で大変に優れた製品が多いです。
ちなみに、ヘッドホンドライバーの形式としてはダイナミック形が市場の主流ですが、マイクユニットの場合は市場の大半が静電形の駆動原理によるものとなっています。
●圧電形
水晶や特定の種類のセラミックなどには、圧力を加えることで電圧が発生する「圧電効果」を備えた物質がありますが、逆にこの圧電物質に電圧を印可すると伸縮変形を起こします。この力を応用して発音するのが圧電形ドライバーです。
圧電体結晶内の分極方向と印可する電圧方向との関係で伸縮しますが、これを金属板の片側に配置した「ユニモルフ式」と、金属板の両面に配置した「バイモルフ式」のふたつの構造があります。圧電素子は伸縮変形量が小さく駆動力が高いのですが、これを大振幅/小駆動力の空気振動に合わせて変換する様々な工夫がなされています。

ヘッドホン応用としては、A.M.ニコルソン(Alexander Mqlean Nicolson)が1919年に水晶結晶を用いたクリスタルイヤホンのデモを行ったのが最初とされています。
この圧電素子の屈曲による変位を振動板に連結して音を出す例として、セラミックイヤホンとクリスタルイヤホンの構造を紹介します。

圧電形のヘッドホンへの応用としては、パイオニア製SE-700(1974)が上げられます。
これはセラミックでなく、高分子フィルムに圧電効果を持たせたもので、ウレタンフォームで突き上げるように配置されたフィルムの伸縮によって発音するものです。ウレタンフォームのクッションは、振動板のメカニカルバイアスとして働くとともに音響制動の働きも持たされています。

パイオニア「SE-700」(1974)、および構造図
ここまで、現存する主なヘッドホンドライバーの形式を紹介してきましたが、ここからはドライバーの駆動方式分類から少々離れ、人に音を伝える仕組みとして根本的に異なるものを3点ご紹介したいと思います。3点とも、主に補聴器で使われている技術です。
補聴器というとヘッドホンとは関係のない分野と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、補聴器の要素技術がオーディオ製品に応用されることも多くあります。過去には、小型の補聴器で一般的に使用されていたBAドライバーや、カスタムシェルの筐体技術などは、カナル式のイヤホンに応用されました。またAI音声処理や無線のインターフェイス、電力マネジメントといった、ヘッドホンと共通の技術分野では、ヘッドホン以上に進んだ技術もあります。
やはりオーディオと同様の音響技術のひとつとして、補聴器の技術にも着目していきたいと私は思っています。
●骨伝導
人が音を感じる要素として、鼓膜を経由しないで中耳以降の器官を震わせる「骨伝導」や「肉伝導」と呼ばれる音経路による成分もあります。このような音の伝達経路に加振機による音信号を伝える方式です。
近年のヘッドホンでは、骨伝導を特徴とした製品も多数販売されていますが、まずは補聴器で製品化されている本格的な骨伝導ドライバーを紹介します。
骨伝導補聴器は、主に外耳部分に障害がある伝音難聴の方のためのもので、圧電素子などで頭骨を直接加振するためにアンカーボルトを使用した形式が一般的です。皮膚越しで頭骨を振動させるタイプの骨伝導では振動の伝達ロスが大きく、また接触状態のばらつきによって音質が安定しない点があり、このように頭骨に直接振動させる方式が取られています。
近年では、音声を受けたシグナルプロセッサーが、皮膚の下に埋め込まれた圧電式加振器に信号と電源をワイアレス供給する方式も商品化されています。

Cochlear社の骨伝導補聴器システム例
www.cochlear.com骨伝導の技術を応用したヘッドホンが、近年多数商品化されています。加振デバイスで音を発する構造は骨伝導の方式に倣っており、耳穴を開放できる利点があります。試聴の印象としては、骨伝導で聞こえる成分よりも、主に耳珠や外耳近辺の皮膚を振動させて発する音を鼓膜経由で聞いている比率が高い印象ではあります。
商品化の例として、Shokzの「OpenRun」をご紹介します。

Shokzの骨伝導技術を搭載したスポーツイヤホン「OpenRun」
focal.co.jp●人工内耳
主に内耳の機能が弱った、感音難聴の方向けに製品化されている補聴器として、人工内耳の技術を紹介します。
プロセッサーと呼ばれる受信装置で受けた音声は、帯域分割されたマルチチャンネル信号に変換された後に送信器経由で埋め込み受信器に送られ、さらに蝸牛管の鼓室階(基底膜下)に挿入された電極アレイに送られます。電極アレイは、周波数チャンネルごとの電極に振り分けられた電気信号を受け取り、聴覚細胞を刺激する構造になっています。
製品の例として、Oticonの「Neuro System」を紹介します。

Oticon社の人工内耳「Neuro System」
www.oticonmedical.com最初のマルチチャンネル人工内耳が開発されたのは1978年でした。人工内耳製品での音質向上の重要な指標のひとつとなるのは周波数帯域のチャンネル分割精細度ですが、開発当時は10チャンネルしかなかったものが、現在では2024年最新の人工内耳で70〜8,500Hzを24帯域に分割しているものもあります。
人工内耳は今や現代の科学技術でもっとも普及している人工臓器とも言われ、その音質の改善と装着負担の軽減に向けての技術進歩は大きいです。
●イヤーレンズ
最後に、私が体験した中ではもっとも特異なドライバー技術を紹介します。
1980年台の後半、私はアメリカからEarlens(イヤレンズ)社の訪問を受けました。ヘッドホンの画期的な技術の売り込みということでしたが、彼らのイヤレンズの技術というと下記のような驚くべきものだったのです。

イヤレンズと称して彼らが実際に装着していたのは、なんと鼓膜に貼り付けられたマグネットだったのです! そして、首に巻いたコイルに音楽信号の電流を流すと、発生した磁力線によってマグネットが振動し鼓膜を励振する、というシステムだったのです。
そもそも、一般のヘッドホンのドライバーというのは、電気信号を空気振動に変える部分の変換効率が低く大半のエネルギーをロスしているのです。また空気振動で鼓膜が励振される部分でも同様なので、全体でのエネルギー変換効率は低いといえます。しかし、イヤレンズでは鼓膜がマグネットでダイレクトドライブされるので、ひじょうに優れた伝達方法だということは理解できました。
私が、駆動コイルのアンプ回路に手持ちのウォークマンをつないでマイケルジャクソンの「スリラー」を再生すると、当然ながら音漏れもまったくない中で実際に曲名を当てましたので、きちんと聴き取れていたのだと思います。
そして、彼らは私にアメリカに来てイヤレンズの実装体験することを勧めてきました。私は、それが画期的な技術だということは理解し、色々な可能性に興味は沸いたのですが、やはり鼓膜にマグネットを装着することの拒否感で躊躇していました。そんな状況で、彼らが私に伝えた内容は下記のようなものでした。
「Mr.投野、イヤレンズ装着の違和感を心配しているね。でも、考えてみてくれ。20年前だったら、ガラスのレンズを目に入れて眼鏡の代りにするというアイデアを現実的に理解した人間はいなかったんだ。しかし、今では多くの人がコンタクトレンズを愛用している。イヤレンズは、音のコンタクトレンズだ。実用的な技術は、最初は抵抗感があったとしても、時間とともに受け入れられるものなんだよ。」この話に私は大いに感銘を受けたのですが、結果的には採用に至らずに終わっていました。
そしてその後30年ほどたって、2017年に私はアメリカで開催されたAudiology Now!という補聴器の展示会に行き、忘れ去っていた「イヤレンズ」の技術が継続しているのを発見したのです。
彼らの技術は、補聴器に転用されていて、見た目が一般的なRIC(Receiver In Cana)形補聴器に似た製品ですが、音声信号は耳孔入り口に置かれた送信ユニット(イヤチップ)から鼓膜位置に置かれた受信ユニット(レンズ)に無線送信され、鼓膜をダイレクトドライブする、という形へと大きな進化を遂げていたのです。

イヤレンズの製品と動作説明図
earlens.comヘッドホンドライバーを振り返って
ヘッドホン用のドライバーについて、過去150年間の進化の歴史として技術内容を辿ってみました。振り返ってみると、時代ごと、製品ごとに、開発者の意図が見て取れます。どの技術にも共通するのは、時代背景としてヘッドホンに対しては通話や音楽聴取といった体験向上への期待があり、技術者の「より良い音質を具現化したい」という意志と、独自技術への自信があったという点です。
また、補聴器の世界ではいろいろな制約の中で音を伝える目的で開発がなされており、それらの技術は従来のオーディオ機器とはまったく異なるアプローチでの具現化を実現しつつ、年々その音質を向上させていることも分かります。また、「そもそも人が音を聞くのはどういうプロセスなのか?」「人が言葉を聞いて理解する仕組みとは?」「人が音楽を聴いて感じる仕組みとは?」といった人と音の関わり方を深く探って高めていくこのような技術は、未来のオーディオの進化にも影響してくるのではないでしょうか。
今後で注目されるドライバー技術の例としては、半導体の製造プロセスを応用した「MEMS」と呼ばれるタイプが徐々に実用化されつつあることが上げられます。ヘッドホンと技術的に近いマイクの分野でいうと、ECMのカプセルがMEMSマイクに20年以上かけて徐々に置き換わっていったように、何年か先にはヘッドホンドライバーもそのような変化を遂げるのかもしれません。
また、MEMSドライバーは画期的な小型化が期待される新しいデバイスではありますが、その動作原理は今主流のダイナミック形でなく昔ながらの圧電形あるいは静電形であり、また小型で高感度を得るための要素技術が、本稿で紹介したような従来からの工夫やアイデアが基礎になっている点を考えると、技術進化というものが、時代ごとの成熟技術の延長上でなく、過去に蓄積された技術を萌芽として生まれるものが多い点を、技術者は忘れてはならないと思うのです。
近年のヘッドホンでは、TWS(完全ワイヤレスイヤホン)に代表されるような無線通信やAIを含む信号処理、スマホとの連携機能などの技術進化に注目が集まる傾向ではあります。しかし、「音を聞く」という最終目的の心臓ともいえる技術として、ドライバーも進化し続けていくものだと私は信じています。