聞き手・構成:伊藤隆剛
写真:斎藤弥里
音楽とオーディオの原体験は、自宅のコンポーネントステレオ
──小室さんが音楽を仕事にしようと思ったのはいつ頃のことでしょうか。
小室哲哉(以下・小室) 中学2年生なので、14歳の頃ですね。それ以降は「どうやったらプロのミュージシャンになれるのだろう」ということばかり考えていました。3歳からヴァイオリンを習って、鍵盤楽器に初めて触れたのは12歳。グループ・サウンズもどきの音楽をやっている親戚がいて、その人を経由して我が家にエレクトーンがやってきたんです。
前年に大阪万博で冨田勲さんのシンセサイザー演奏を見たことも別軸で大きなきっかけになっているのですが、いずれにしてもその時期から本格的に音楽にのめり込んでいきました。もちろん、10代でいきなりプロになれるとは思っていなかったので、中学・高校のうちはとにかくいろんなレコードを聴いて、いろんなライヴを見て勉強しようと。
小室哲哉|TETSUYA KOMURO
1958年11月27日東京都生まれ。音楽家、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、ミキシングエンジニア。1983年、宇都宮隆、木根尚登とTM NETWORKを結成し、1984年に「金曜日のライオン」でデビュー。同ユニットのリーダーとして、早くからその音楽的才能を開花。以後、プロデューサーとしても幅広いアーティストを手がけ、これまで世に生み出した楽曲総数は1,600曲を超える。日本歴代シングル総売上が作詞/作曲/編曲のすべての分野でTOP5に入り、20曲以上がミリオンセラーを獲得する稀代のヒットメーカー
──たとえばどんなレコードを?
小室 洋楽だとビートルズやT・レックス、邦楽だと(吉田)拓郎さんや(井上)陽水さんといったフォーク系の人たちが多かったですね。高校に上がってからは、プログレッシヴ・ロックやハード・ロックを掘り下げていきました。ELPとか、レッド・ツェッペリンとか。
T・レックスといえばひとつエピソードがあって、僕は中学3年生の頃に放送部の部長をやっていたのですが、ある昼休みに2年生の男の子にT・レックスの「20th Century Boy」をかけてほしいと頼まれたんです。実はその生徒が、のちに漫画家になる浦沢直樹くんでした。彼の『20世紀少年』を読んでいて、あまりにも自分の体験に重なるので不思議に思っていたのだけれど、府中市の職員さんを通じてその事実を知らされました。同じ府中第四中学校のひとつ後輩だったんです。それ以来、浦沢くんとは仲良くさせてもらっています。
──『20世紀少年』の冒頭、主人公が放送室をジャックして「20th Century Boy」をかけるくだりですね。
小室 そうです。「20th Century Boy」のシングル盤だけでなく、校舎や放送室の雰囲気にも既視感があって。さすがにジャックはされませんでしたが(笑)。
浦沢くんは、僕が初めて人前で演奏した学園祭のステージも見ているんです。ビートルズの「Hey Jude」なんかを演奏したんだけど、僕らの下手くそな演奏を見て、「俺に手伝わせてくれ」と思ったらしい(笑)。彼はビートルズやボブ・ディランのマニアで、当時から熱心にギターを弾いていたんです。
オーディオというか、音楽の再生環境を意識するようになったのもその時期でした。教室に備え付けられているスピーカーってモノーラルじゃないですか。そのことがとても不満だった。
──ご自宅ではどんな環境で音楽を聴かれていたのでしょうか。
小室 それなりのオーディオ機器が揃っていました。両親に音楽を聴く趣味はなかったし、それほど裕福な家庭でもなかったので不思議ですけど。当時流行っていた家具調のステレオではなく、しっかりとしたコンポーネントステレオでした。
──そのシステムが小室さんのオーディオの原体験になったわけですね。
小室 メーカーや機種名までは憶えていませんが、けっこう使い込みました。当時の中学生で、僕のようにスピーカーの位相を気にしていた子はほとんどいなかったと思います。スピーカーケーブルのプラスとマイナスをあえて逆に接続して、「逆相ってこういうことなのかと」、ひとりで納得したりして。
あの時代はまだステレオという概念が正確に浸透していなくて、友人の家に遊びに行くと、スピーカーの1台はリビングに、もう1台は玄関の靴箱の上に置いてある(笑)。だから同級生に「2台のスピーカーの真ん中で聴かないと、音像が立体的に聴こえないよ」と教えた記憶があります。
そのいっぽうで、この時期にはレコードに入っているピアノやキーボードのパートを耳で聴き取ってコピーするようになっていたので、鍵盤のある帯域の音を大きくして聴いたりもしていました。秋葉原でトーンコントロール機能のついているプリアンプを買ってきてね。
トッド・ラングレンらの仕事でプロデューサーの重要性を認識
──高校進学後も同じように音楽中心の生活が続いたのですか。
小室 ええ。昔もいまも、音楽以外に趣味と呼べるものがないんです。高校は高田馬場の早稲田実業だったので、新宿に寄り道してレコード店やロック喫茶に入り浸りするようになりました。レコード店は「ESP」や「ディスクユニオン」、ロック喫茶もいろいろ行ったけれど、一番憶えているのは新宿伊勢丹横のビルに入っていた「怪人二十面相」という店。中学の頃から何度も聴いてきたレコードも、そういう店で聴くと印象がまるで違って、何を聴いても新鮮な驚きがあった。お客さんが何も話さず、じっとレコードに耳を傾けている店内の光景は、いまの若い人たちが見たら異様に思うでしょうね。
──そうですね(笑)。高校時代はどんなレコードを聴いていたのですか。
小室 たくさんの音楽に触れるなかで、レコード制作のカギを握るのがプロデューサーだとわかってきて、高校以降はプロデューサー括りでレコードを聴くようになりました。TM NETWORKのデビュー・アルバム『RAINBOW RAINBOW』のジャケット裏に「PRODUCED BY TETSUYA KOMURO」とクレジットされているのは、僕が強く希望したからです。
最初に意識したのは、イギリスだとトニー・ヴィスコンティ。T・レックスやデヴィッド・ボウイのレコードで、彼は自分でオーケストレーションまで書いていた。それに、トレヴァー・ホーンらが結成したバグルス。『The Age of Plastic(ラジオ・スターの悲劇)』は、収録楽曲のトラック・シートがインサートに掲載されていて、それを食い入るように眺めました。アメリカだとワーナーのテッド・テンプルマン。ドゥービー・ブラザーズ、リトル・フィート、ヴァン・ヘイレンなど、音楽性が全然違う人たちにもどこか共通するテイストがあった。
特に憧れたのがトッド・ラングレンです。グランド・ファンク・レイルロードの『We’re an American Band(アメリカン・バンド)』や『Shinin’ On(輝くグランド・ファンク)』は、トッド以外のプロデューサーだったらあれほど凄いアルバムにはならなかっただろうと思います。トッドはプロデューサーであるだけではなく、自らがアーティストであり、卓越したマルチプレイヤーでもあり、エンジニアリングまでこなします。彼の3枚目のソロ『Something/Anything ?(ハロー・イッツ・ミー)』のジャケットを開くと、たくさんの楽器や録音機材が並ぶ自宅スタジオらしき薄暗い部屋で、外光が射す窓に向かってトッドが両手を広げてピースサインをきめる写真が使われています。きっとワンマン・レコーディングで徹夜したあとに撮られた写真でしょう。僕が早くプロのミュージシャンになりたいと思ったのは、好きなだけスタジオを使って、好きなだけ音楽的な実験をしたいと思ったから。そんな自分の夢を具現化させたようなトッドのこの写真のインパクトは強烈でしたね。
──以降もオーディオ環境はアップグレードしていったのでしょうか。
小室 自宅で真剣に音楽を聴いていたのは高校ぐらいまでです。大学に進んだぐらいの時期に、ある音楽出版社で作家のような仕事を始めて、その出版社が所有する小さなレコーディング・スタジオを使えるようになったんです。ですから、それ以降はスタジオがリスニングルームになりました。スタジオのコンソールを通せば、レコードの音を自分の好きなようにイコライジングできますし。
──「好きなだけスタジオを使う」という夢が、早くも叶ったわけですね。
小室 TM NETWORKの最初のデモも、そのスタジオにあったスチューダーの16トラックのレコーダーを使って制作しました。とはいえ、作家仕事だけで食えるわけはなく、いろんなバンドのサポートやディスコのハコバン、セッションの仕事など、とにかく何でもやりました。『音楽専科』という洋楽系雑誌でライターとして記事を書いていたこともあります。
手間暇をかけてつくられた音楽をしっかり聴かせてくれるシステム
──この部屋のオーディオについて教えてください。先ほど「プロのミュージシャンになってからはスタジオがリスニングルームになった」というお話がありましたが、民生機で揃えたこのシステムは現在の小室さんにとってどのような位置づけにあるのでしょうか。
小室 この部屋はプライヴェート・スタジオと隣接していて、毎日いろんな方がきて打合せなどを行なう場所です。ですから私的な空間というわけではないけれど、このオーディオ自体は僕のなかでかなり私的なものです。もちろん打合せの流れで自分の音源をかけることもありますが、基本的にはひとりでゆっくり好きな音楽と向かい合うためのシステム。誰かと話しながらカジュアルに聴くという感じではないです。そういう意味では、高校生や大学生の頃に新宿のロック喫茶で純粋にレコードと向き合っていた感覚に近いかもしれません。
“音楽は時間の経過と空気の振動が織りなす芸術。
聴き手はその作品に閉じ込められた時間と空気に耳を傾けることになる”
小室哲哉さんのオーディオシステム
スピーカーシステム:フォーカル Sopra N°2
アナログプレーヤー:ラックスマン PD-151 MarkII
フォノカートリッジ:ラックスマン LMC-5
SACD/CDプレーヤー:ラックスマン D-07X
プリメインアンプ:L-507Z
──スピーカーはフォーカルのソプラN°2、プレーヤーとプリメインアンプはラックスマンで統一されています。スタジオではモニターとしてアダムオーディオのS2Vを使用されていますが、両者の鳴り方はまったく違いますか。
小室 まったく違いますね。何と言えばいいのかな……フォーカルとラックスマンの組合せは、ある意味で聴く音楽を選ぶスピーカーだと思っています。もっと正確に言うと、手間暇をかけてつくられた音楽にはそれに見合った鳴り方で応えてくれるけれど、そうでない音楽はそれ相応にしか再生してくれない。そう言うと語弊があるかもしれませんが、つまりは手間暇をかけてつくられた音楽をしっかり聴きたくなるシステムということです。
──「手間暇をかけてつくられた音楽」と「そうでない音楽」とは、具体的にどんなものを指すのでしょうか。
小室 はっきり言ってしまえば、手間暇をかけてつくられた音楽というのは「お金と時間がかかっている音楽」だと僕は思います。音楽は時間の経過と空気の振動が織りなす芸術ですから、聴き手はその作品に閉じ込められた時間と空気に耳を傾けることになる。設備の整ったスタジオや響きのいいホールで一流の演奏家を集めて録音された作品には、おのずと余裕のようなものが表われます。趣味としてのオーディオがクラシックやジャズと親和性が高い理由は、そこに尽きると思うんです。
オーケストラは、生活環境や置かれた立場、もっと言えば1分間の呼吸回数や心拍数が違う50人以上の人たちが、ほんの数十分だけ時間を共有します。自分の生活を止め、指揮者と作品のために時間を捧げているわけです。
──そういった音楽の持つ「余裕」を表現してくれるシステムだと。
小室 そうです。とても贅沢な体験を与えてくれます。クラシック以外でも、たとえばマイケル・ジャクソンの『Thriller』を聴いてもそれは感じられます。「Beat It(今夜はビート・イット)」は、冒頭の“ゴーン、ゴーン”という音も含め、シンセ・パートはほぼ手弾きですが、聴くシステムによっては細かいニュアンスが伝わらないため、打ち込みのように聴こえることがある。エディ・ヴァン・ヘイレンのギター・ソロも同様です。「小節をはみ出しているけど、カッコいいからOK!」と判断したマイケルとクインシー・ジョーンズの意図が伝わってくる。アース・ウインド・アンド・ファイアーの「Let’s Groove」もそう。2小節のシンセのフレーズが正確無比な手弾きで延々繰り返される。その熱量が確かに感じられるんです。
小室さんのプライヴェート・スタジオは約15帖。中央にシンセサイザーのヤマハMontage7、左に同じくシンセサイザーのヤマハreface DXを配置する。モニタースピーカーはアダムオーディオS2V。DAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)は用途に応じて変るという
SACDは広がり感があり、音像が深彫りされている
──このシステムではあまりご自身の作品を聴かないとのことですが、2024年1月にステレオサウンドからリリースされたTM NETWORKのSACD/CDハイブリッド盤の2タイトル、『Gift for Fanks』と『CAROL 〜 A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991〜』はお聴きになりましたか。TM初のSACD化作品です。
小室 聴きました。実はSACDの音はこれまで真剣に聴いたことがなく、ほとんど初めての試聴体験だったのですが、SACD層とCD層の差は歴然としていました。SACD層の方が圧倒的にステレオの広がり感があると同時に、音像が深彫りされています。それがどちらのアルバムにも共通した印象です。
1987年の『Gift for Fanks』はCDしか出なかった初めてのアルバムで、1988年の『CAROL』はLPが出た最後のアルバム。前者は編集盤なので楽曲によって制作環境が異なりますが、後者はロンドンで現地のミュージシャンを惜しみなく起用し、ジャパンや教授(坂本龍一)との仕事で知られるスティーヴ・ナイにミックスしてもらいました。
──このアルバムは、スティーヴ・ナイの提案によってドルビーSRを通したハーフ・インチのアナログテープにトラックダウンされていますね。
小室 最終的にアナログテープに落とすことで滲み感を出す手法は、TMだけでなくglobeでも試しました。スティーヴとの作業は刺激的で、改めて「ステレオって凄いな」と感じましたね。ステレオのパンニングは、時計で言えば7時から5時ぐらいの範囲で割り振られるのですが、彼のミックスではそれ以上の広がりや奥行きが表現されるんです。冒頭のタイトル曲を聴くと、すぐ目の前でウインドチャイムが鳴らされ、その奥で巨大なドラム・フィルが鳴っています。
──『CAROL』は数ある小室作品のなかでも、特に手間暇をかけてつくられたアルバムですよね。このSACDではその「余裕」が感じられますか。
小室 よく「スタジオで聴いた音がそのまま再現されている」と言うでしょう? 僕は自分の作品に関してはそういうふうには思いません。やっぱりスタジオで聴いた音こそが自分の理想です。でも、このSACDはそれをかなり近いところまで再現できていると思います。
──『Gift for Fanks』についてはいかがでしょうか。
小室 この当時は自分もまだ若かったから、いまの自分の耳で聴くとシンセの音色で気になる部分がありますが……まあ、それは制作者としてのマニアックな目線ですから。ファンの皆さんには新鮮に楽しんでもらえると思います。
音職人・小室哲哉の現在と未来。求めてくれる人の期待に応えたい
──1月31日の「Billboard JAPAN」で、西川貴教 with t.komuro 名義の映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』の主題歌「FREEDOM」がダウンロード・チャートの1位を記録しました。
小室 僕にオファーしてくれた皆さんに結果で応えることができて安心しました。ただ自分が鳴らしたい音を鳴らすのではなく、時代に求められる音を可能な限りオーダーに応えながら鳴らしたい。僕の音楽活動の根底には、いつもそんな思いがあります。名前を前面に出さなくても「この曲、小室哲哉っぽいよね。あ、やっぱり小室哲哉の曲なんだ」と感じてもらうのが一番嬉しいです。
2023年の秋に参加させていただいたユーミン(松任谷由実)の50周年記念コラボ作品集『ユーミン乾杯!!』では、乃木坂46の皆さんと一緒に「守ってあげたい」をリメイクしました。僕の職業作曲家としての実質的なデビューは、岡田有希子さんの『十月の人魚』というアルバムに提供した「Sweet Planet」と「水色プリンセス-水の精-」になるのですが、この2曲を編曲してくださったのが松任谷正隆さん。まだ素人同然だった僕の曲をていねいにアレンジしてくださって当時からとても感謝していたので、今回は恩返しのつもりで取り組みました。
あと何年できるのかわかりませんが、僕を必要としてくれる人がいる限り、音の職人として期待に応えていきたいと思います。