今回から、ヘッドホン、イヤホンにフォーカスした新連載をお届けする。近年はヘッドホンやイヤホンで音楽再生を楽しんでいる音楽ファンが増え、それを受けて様々な新技術、新製品が登場している。だがそんなヘッドホン、イヤホンもその誕生時期には業務用機器としての存在であり、家庭でのオーディオ再生で使われるものではなかった。では、ヘッドホン、イヤホンはいつ頃からオーディオ製品として認知され、どんな進化を遂げてきたのか。そしてこれらのアイテムで楽しむオーディオ再生にはどんな魅力があるのか。本連載では、ソニーで長年ヘッドホンの開発に携わってきた投野耕治さんに、そういったヘッドホン、イヤホンについてのお話を、様々な側面から紹介してもらう。ぜひお楽しみいただきたい。

●筆者プロフィール
投野耕治(なげのこうじ) 1958年佐賀県生まれ。1980年ソニーに入社し、ヘッドホン開発に従事。1989年のMDR-CD900STやMDR-R10など数々の名機の誕生に立ち会ってきた経歴の持ち主。2023年に定年を迎え、現在はフリーランスで活動している。

§1 スタジオモニターヘッドホン「MDR-CD900ST」の誕生まで

 投野耕治と申します。1980年から2023年までソニーで主にヘッドホン開発に携わってきましたが、こちらの紙面をお借りして今回からStereoSound ONLINEで連載記事を担当することになりました。ヘッドホンというオーディオ特有の技術や、私が直面してきた近年のヘッドホンの進化について、読者の皆様にお伝えしていければと思っています。

画像: ウォークマンの第一弾モデル「TPS-L2」(1979年発売)

ウォークマンの第一弾モデル「TPS-L2」(1979年発売)

 私のソニー入社当時は、1979年に発売されたウォークマンのヒットにより、ポータブルオーディオの黎明期といえる時代でした。ヘッドホンに関しては、オープンエアヘッドホン「MDR-3」の画期的に開放的な音や軽い装着性が、新しいパーソナルオーディオという音楽文化の普及に拍車をかけていたと思います

 この新しいヘッドホンの誕生には、希土類磁石や極薄の高分子フィルム振動板などの最新素材を活かした、23mmという当時としては画期的に小型のドライバーユニット開発が大きく寄与しています。このドライバーのフォーマットこそが、それ以降のヘッドホン音響のベースになったといっても過言ではないと思います。ソニーは、以降この新しいドライバーフォーマットによるヘッドホンを、「MDR」(Micro Dynamic Receiver)というシリーズ名称で次々と生み出していきます。

 1982年には、CDとCDプレーヤーの発売によって、いよいよデジタルオーディオが一般市場に登場します。従来のアナログメディアに付きまとっていたテープヒスやスクラッチのノイズ、回転ムラなどから解放され、両端帯域に伸びがあるスピード感溢れる先進音質に注目が集まっていました。

画像: ソニーのCDプレーヤー1号機「CDP-101」(1982年発売)

ソニーのCDプレーヤー1号機「CDP-101」(1982年発売)

 ソニーで、この最新フォーマットの高音質をヘッドホンでも再現しようと開発が始まったのが「MDR-CDシリーズ」で、この音作りを私が担当しました。CDシリーズでは、技術的には下記の2点を重視しての音作りを行いました。

・MDRシリーズの新しいドライバーフォーマットをベースに、CCAW(銅被覆アルミ線)ボイスコイルの活用で振動系を極限まで軽量化しての高域拡張と、30mmまで大口径しての低域強化。
・軽快な装着感を活かした耳乗せでありながら、極薄ウレタン塗膜イヤパッドの開発によりフィット性を向上した密閉型音響による、低域再現と遮音性の改善。

 つまり、密閉音響の優れた点を、新型オープンエアヘッドホンの良さの延長上で実現することを強く意識したのです。こうして、「MDR-CD7」「MDR-CD5」の2機種は、開発当初からの目標としていた高い装着性とCD音質の両立を実現し、1983年に発売されました。

 私がCDシリーズのさらなる進化を模索して開発に着手した頃、当時の音楽としてはジャンルで言うとロックに代表されるようなベースラインに音楽のグルーブ感が凝縮したものが主流の印象でした。特にデジタル録音によって極低音の記録再生も容易になってきて、楽曲としても従来よりも1オクターブ低いサブベースの活用が進んできた時代でもありました。このベース音質の再現を特に重要と考え、下記の2点を技術的な重点に開発されたのが「MDR-CD900」です。

・さらに40mmまで大型化し、高いレスポンスと低域再生、空間表現に優れたドライバー。
・あくまでも軽量で耳や頭部へのコンパクトなフィット性を実現する、新しい耳覆い密閉の装着スタイル。

 こうして1985年に、MDR-CD7の上位機種としてMDR-CD900は発売されました。

 ソニーのCDシリーズヘッドホンが市場で好評を受けている中で、同じソニーグループのCBS・ソニースタジオ(現ソニーミュージックスタジオ東京)と新しいスタジオモニターヘッドホン開発のプロジェクトが1986年に始まります。

画像: 「MDR-CD900」(1985年発売)

「MDR-CD900」(1985年発売)

 当時CBSソニーは信濃町と六本木のふたつのスタジオでレコーディングを行っていましたが、実はそちらのスタジオでは老舗の藤木電器製モニターヘッドホンを使用していました。

 そこで、ぜひ新しいCD時代のモニターヘッドホンとしてソニー製を採用してほしいという気持ちでMDR-CD900を持ち込んだのです。しかし、スタジオ技術者からは改善の余地があるという返事で、それから音作りの共同開発プロジェクトが始まることになります。

 音質に関しては、様々なコメントをもらったのですが、一番大事な点は「音の距離感」に関するものだったと思います。

 私がそれまで経験してきたヘッドホンの音作りは、音の空間を広くイメージできる音を常に意識していました。そもそもヘッドホンで試聴する音源はスピーカー再生用に調整されたものであり、部屋に置かれたスピーカーが一定の距離や部屋の間接音を含んで楽曲を再生した時に、適度な空間感や音の潤いが満たされるものです。しかし、この音源をヘッドホンで再生した場合、どうしてもこの部屋の空間の音要素は再現しにくいものになりますので、ヘッドホンとしては音像が遠めにイメージしやすい音作りを志向していたのです。

 しかし、モニターヘッドホンの主たる用途は、レコーディングに際して歌手や楽器演奏者にキューバックや伴奏音、クリックなどを提供することです。また、スタジオ技術者が演奏者にキューバックを返す際にその音質を確認したり、トラックごとの楽器生音の収音状態(マイキング)のチェックに使うものなのです。当時のスタジオでミキシング後の完成音質をモニターする用途は、ヘッドホンでは副次的に用いることはあっても、それは主にスタジオごとに置かれたメインスピーカーで行うものだったのです。

 このキューバックに求められる音質の特徴として、スタジオ技術者から説明を受けた言葉で、私の印象に強く残っているのは「10cmの音」というフレーズです。

画像: 投野さんの長女、彩香さんにモデルをお願いしました。「童謡歌手をやってます」とのことです

投野さんの長女、彩香さんにモデルをお願いしました。「童謡歌手をやってます」とのことです

 人は、日常的に自ら声を発して話したり歌ったりする際には、口から耳までの約10cmの距離でのフィードバックを聞きながら発声を調整しているものなのです。したがって、例えばカラオケで自分の声がまったく聞こえない状態で歌ったりすると、声量も音程も調整できずに音痴になってしまいます。

 プロの歌い手がスタジオでトラック録音を行う際には、伴奏やクリック音を聴きながら歌うのですが、その音はマイクに入れられないのでヘッドホンを使い、自分の発声音は返し音をヘッドホンに戻すことでこのフィードバックとしているので、そのヘッドホン再生音の距離感が変わると発声が変わってしまいます。つまり、返し音がソフトすぎると大声でがなってしまったり、逆にうるさい音だと声が抑えめになってしまうことになり、音楽表現が変わってしまいます。求められるのは普段通りの10cmのフィード音なのです。

 この10cmの距離感は、レコーディングエンジニアにとっても大事なもので、実は彼らはとても大きな音量でモニター音を聴いているんです。レコーディングエンジニアにとっては、例えば歌手の口元からマイクまでの距離も10cmなので、モニターヘッドホンで聴いた時には目の前10㎝の位置に口が見えてほしい、つまりその実音量での試聴が大事なのだと私は理解しました。人間の聴覚の特性として、再生音の音圧によってラウドネスバランスは変わるものなのですが、この差が想定以上に大きいと実感したものです。

 また、近距離表現だけでなく、リバーブその他のエフェクトで距離感を足した時に、今度はその空間表現力も求められる、といった具合で、この開発プロジェクトの中で私が学んだことはひじょうに多くあったと思っています。

 こうして、モニターヘッドホンとしての用途の理解や実体験、音の聴き方の理解から始まり、試作品の音を調整してはスタジオに持ちこみ、スタジオ技術者と一緒に試聴と意見交換を繰り返しました。私自身が同じ試聴機に対して同じ感想を持てるようになるまでにはかなり時間を要しました。その改善のため実際にどのような技術が適用されたのかは記載できないのですが、音作りが完成したのは実に足掛け3年で1988年のことでした。

 完成した音は、モニターヘッドホンとしての必要な要素を満たすだけでなく、従来機に不足していたCDの時代に合致した広いレンジの再生能力を持つことができたと思います。

画像: 「MDR-CD900ST」(1989年発売)

「MDR-CD900ST」(1989年発売)

 こうして、1988年には、CBS・ソニースタジオの専用機として「MDR-CD900CBS」が、信濃町、六本木のスタジオで使われるようになりました。また翌1989年には外部スタジオ外販用の標準ヘッドホン「MDR-CD900ST」を発売、さらに1990年からはお客様の要望に応え一般民生販路での販売も開始し、今でも続く超ロングセラーとなっています。

 このMDR-CD900STの共同開発プロジェクトの中で、私が個人的に印象に残っている出来事があるのでご紹介します。

 実は私は子供のころからソニーの音のファンだったと思っています。我が家のオーディオとして親しんだのは「システム200」というソニーのステレオシステムでした。また、中学から部活動で吹奏楽を楽しむようになりましたが、1972年に「ニューサウンズインブラス」と称するポップス曲の吹奏楽編曲楽譜と音源LPが販売されました。部活仲間と幾度となく試聴する中で編曲や演奏の良さに感心しながらも、私個人的にはこのCBS・ソニースタジオの録音のすばらしさに感動していました。従来録音になかった明るさ、クリアーさと迫力を感じたのです。私はジャケットの隅に記載にある録音技術者の辻暁さんのお名前までを心に刻むまでになっていました。

画像: 投野さんが学生時代に愛用していた「システム200」

投野さんが学生時代に愛用していた「システム200」

 そしてなんとその14年後、私がCBS・ソニースタジオとの共同開発プロジェクトに参画した時、CBS・ソニースタジオ側の技術者として紹介されたのが外ならぬ辻さんだったのです。「あのレコード録音を担当された辻さんですよね!」と本当にびっくりしたものです。

 これは、単なる偶然といえば偶然の出来事ではありますが、私の長年のソニーの音への憧憬であったり尊敬があったからこそで、ソニーに入社してオーディに携わることができたのですし、ソニーの音響技術者としてヘッドホンの開発に関わり、CBS・ソニースタジオとのプロジェクトに参加して、辻さんとの再会(?)まで実現できたのですから、ある意味で必然的なことだったのではないかとも思うのです。

 また、ソニーの後輩技術者の中には、長くMDR-CD900STを愛用していて、それがソニー入社の理由という者もいてくれています。こういった、ソニーの音への愛着がDNAのように引き継がれ、今後もオーディオの進化を続けていってくれるであろうことを、私は信じています。

次回へ続く

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