わがシアターでは、ステレオ再生システムと共用でマルチチャンネル再生システムを構築している。ステレオ再生ではCDプレーヤーとD/Aコンバーターを主なソース機器として、オクターブの真空管プリアンプJubilee Preampから、ザイカの真空管パワーアンプ845PUSHで、JBLのプロジェクトK2S9500を駆動している。この系にAV10を加えたのである。AV10のL/Rプリアウト信号はJubilee Preampのユニティゲイン入力を通して、ザイカに入る。センタースピーカーのJBL C5000はマークレビンソンNo20.5Lで、サラウンドのJBL 800ARRAYとオーバーヘッドスピーカーのリンCLASSIK UNIKは、AV10とコンビとなるAMP10がドライブする。
Control AV Center
Marantz AV 10
¥1,100,000 税込
●型式 : 15.4ch対応コントロールAVセンター
●寸法/質量 : W442×H189×D503mm/16.8kg
●問合せ先 : デノン・マランツ・D&M
インポートオーディオお客様相談センター TEL.0570(666)112
HDMI接続によるCD再生が絶品。2chでもハイエンドグレードの音だ
さきほどAV10を「史上最高のAVセンター」と断言したのは、それまで使用していた同じマランツのAVプリアンプAV8805との差が余りに大きかったからだ。まず驚いたのがCDの再現性だ。高級な単体CDプレーヤーではなく、パナソニックの4KレコーダーDMR-ZR1、しかもHDMI接続でのCD再生での音、だ。これまで同じZR-1とHDMI経由でAV8805で再生していたのと比べ、圧倒的な違いがあった。AV8805は、これまでAVセンターとしては、CD再生も最良のクォリティだと認識していたが、それはあくまでもAVセンターとしての範疇の中での高品位であった。
ところが、AV10は次元が違った。喩えていうならば、高級なCDプレーヤーをアナログ接続で、高級なプリアンプで聴いているような高品質の音なのだ。情報量が格段に多く、これまでの系では聞こえていなかった細やかなニュアンスが、明瞭に立ってきた。弱音/強音のダイナミックレンジ、低域/中域/高域の周波数帯域、音の立ち上がり/立ち上がりの時間軸……の各情報量のすべてにおいて特段に向上したのである。しかも音のしなやかさ、なめらかさなど、HDMI伝送では表現が難しいヒューマンな質感も、丁寧に表現されているではないか。従来からユニティゲインにて、Jubilee Preampの音質力が加算されていたわけだが、新しいAV10から来た信号があまりに上質なので、Jubilee Preampも嬉々として、パワーアンプのドライブ力を倍加(?)させたに違いない。CDがここまで嬉しく鳴るのか! しかもHDMI接続で!
まずはAV10の、AVセンター離れしたCD再生時の表現性の深さにに感動した。
新時代のサラウンドサウンド。音楽の、映画の感動が圧倒的に向上
でも、実は本当の感動はこれからなのであった。BDの音楽作品、ダニエレ・ガッティ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のAuro-3D音声盤『ストラヴィンスキー:春の祭典』。コンセルトヘボウの会場とオーケストラを知り尽くした録音集団ポリヒムニア・インターナショナルの手になる作品で、その上質なイマーシブクォリティから、AVセンターの試聴では必ず再生するリファレンスだ。
冒頭は木管の饗宴。ファゴットから始まりフルート、クラリネット、オーボエが加わり、さらに金管が、そして最後に弦楽器が入る。しかも弱音から強音へ長いクレッシェンドを辿る。AV10の音の特色は、まず音色の多彩さが挙げられよう。木管群の個別音色と、それらが混ざった時の融合音色が見事にそして濃密に音楽的に奏された。パレット上で各色の絵の具が混ざり合い、新色に変わる……とでも形容できそう。融合した新色は、鮮やかにしてカラフルだ。ファゴットの弱音から全奏までの上昇する音量上昇曲線も緻密。ビット長が上がったような、スムーズなグラデーションなのである。
Auro-3Dによる音場再現も広大にして、濃厚。かつてのAV8805の記事でもコンセルトヘボウのホール音場に感心したと報告したが、AV10では空間、空気の濃密度が凄まじく、さらに“芳醇さ”も加わった。まるで成熟したウイスキーやビンテージワインを飲んでいるような、音場の絢爛たる味わい。でもその芳醇さはAV10が作り出したものではなく、もともとディスクに入っていた情報というところが重要だ。AV8805は、それを表面的にしか掘れなかったが、AV10では深遠というべきレベルまで採掘された感覚だ。
映画はUHDブルーレイ『グレイテスト・ショーマン』。多彩な観点から、再生装置の実力が測れる名盤だ。チャプター1のコーラスと効果音が衝撃的なテーマソング「ザ・グレイテスト・ショー」。冒頭の大人数が勢いよく床を踏みつける重たい轟音が正しく再現できるか。低音のスケール感と時間軸的なキレの鮮鋭さの両方が極めて高い次元で要求され、装置にとってたいへんな難しいチャプターだ。でも、AV10は難なくこなした。評論すると低音の密度感、体積感が特段に拡張され、さらにその中の音の粒子が段違いに細かくなり、より充填度が上がり、より高密度に実装されたようであった。音の始まりのエネルギーの爆発、それが直ぐに収束する即時性にも圧倒された。まさに新時代の、そして次元を超えたAVセンターという感を強くした。
チャプター10、パーティでのダイアローグを聴く。「俺が、俺が」との尊大な厚顔の興行師バーナム、真面目で小心者の弟子フィリップ、上からの目線で皮肉っぽく応対するスウェーデンの歌姫リンド……という登場人物たちの個性の違いをAV10は、たいへんキメ細かく、性格的に表現している。背景に流れているコップや食器が擦れる音、小さな喋り声などのアンビエントも環境的に生々しく、大広間の大きさを彷彿させた。AV10は、映像のリアリティを音が介け、物語への没入度を特段に深くしている。
チャプター11のコンサートシーン。バーナムのMCからヴォーカル、オーケストラまですべての音要素が、これまで聴いたこともないような情報性と情緒性を持ち、明瞭さと響きの美しさが融合した現場音を、たっぷりと聴かせてくれた。冒頭のバーナムのMCの力強さ。そして、スピーチが広い会場に響き渡り、消えゆく時、2階に座っているバーナム夫人と子どもの後ろから、老夫婦がバーナムを揶揄する囁きに注目。こんなに小さな声でも、AV10は微弱にして明瞭なのだ。問わず語りに思わず出たこの喋りで、知識階級のバーナムを見下す雰囲気が識れる。AV10はそんなちょっとした微音も、物語を理解する大事な情報だと教えてくれる。
結論
膨大な情報量が、情緒量へ転化、より本物の感動へと誘う稀有な製品
AV10は、私がこれまで使ってきた歴代のAVセンターと何が異なるか。それは、まさしく「感動力」である。かつてのように、デジタル信号処理やイコライジングで引いたり足したりして飾り立てて、感動を強要するものとはまったく違う、オーセンティックな地平での本物の感動だ。効果音の鮮鋭さと量感、ダイアローグのキャラクター性、音楽の上質感と浸透力……という作品に没入するための表現力が圧倒的なのである。このディスクには、このコンテンツには、これほどの音情報が収録されていたのか、と再生する度に感動に浸っている自分を発見する。
たいへん贅沢な部品、回路を搭載し、音づくりにも精魂を傾けたのであろうことは、容易に想像できるのである。誠実にコンテンツの持つオリジナルの音情報に向き合い、敬い、尊び、そこから最大限の情報を正しく、等身大に引き出すという崇高な精神が、この音をつくった。
情報量はあるスレッショルド(しきい値)を超えると、情緒量に転化し、聴く人の心をわしづかみにし、その作品に深く没入させる音になる。それこそ映像と相携えて、たいへん高い次元にて統合的に作品の世界観をリアルに体験させてくれる、AV10のワン・アンド・オンリーの価値だ。
本記事の掲載は『HiVi 2024年冬号』