明日(10月30日)から、『相撲道〜サムライを継ぐ者たち〜』が公開される。世界初の大相撲を採り上げたエンタテインメント・ドキュメンタリー作品として、日本の国技の知られざる世界を描き出している。そしてもうひとつ注目なのが、音声に立体音響技術のドルビーアトモスが採用されたこと。日本映画のドキュメンタリーとしても初の試みで、どんなサウンドデザインがなされているかも興味深い。StereoSound ONLINEでは、本作のサウンドデザイナーを務めた染谷和孝さんに、本作の音作りについてインタビューをお願いした。(編集部)
--今日はよろしくお願いいたします。最初に、染谷さんは今回どのような立場で本作に関わられたのかから教えて下さい。
染谷 よろしくお願いいたします。今回は、サウンドデザイナー兼サウンドスーパーバイザーとして、音に関わるほとんどのことを担当させていただきました。音楽のコーディネイトや作曲家の選定、音響監督的なことにも関わっています。
--『相撲道』のサウンドデザインを担当することになったきっかけは何だったのでしょう?
染谷 僕の知人が坂田栄治監督の親戚で、その縁があってサラウンドを使った映画を撮りたいから相談に乗ってくれませんかという打診があったのが始まりです。お話を聞いている中で、監督がイマーシブオーディオといった立体音響を採り入れたいと考えていることがわかり、それならやってみたいと思うようになりました。
--坂田監督は、早い時期から立体音響を意識されていたのですね。
染谷 ご自身でも調べられているようでしたが、初期のメールベースの打ち合わせの段階では、5.1chは最低限やらないと駄目だよねという感じでした。そこから色々お話していくうちに、最近はイマーシブオーディオも出ていますよということになり、最終的にドルビーアトモス(以下、アトモス)で作ろうということになったのです。
となると、音声収録の時点から準備しておかなくてはなりません。その収録をどうするかも打ち合わせしました。僕自身は収録現場にはあまり参加できなかったので、サラウンドの収録に長けた方にお願いしています。
--ドキュメンタリー映画でアトモスを使うのはひじょうに珍しいことですが、その点についてはどう思われましたか?
染谷 事前の打ち合わせで、国技館での立ち会い場面も多く出てくるということでしたから、そういったシーンできちんと臨場感を出したい、観客に国技館に来ているかのような体験をしてもらうしかないと考えました。
それもあって音作りでは、ずっとアトモスの効果を出していくのではなく、ある程度我慢して国技館の場面で一番広い音場を提供できるようにした方がいいんじゃないですかと監督に提案したのです。
本編では、ハレの場としての国技館があり、相撲部屋などの日常があって、屋外もある。後者ふたつはイマーシブオーディオという点では我慢していきましょうというプランです。
--シーンに合わせて音場表現を切り替えていくわけですね。
染谷 ずっと天井スピーカーが鳴っていると、無意識のうちにそれに慣れてしまい、興味を持てなくなってしまいます。だから緩急をつけましょうということです。ドキュメンタリーなので、インタビューシーンも多くありますが、そこで広大なサラウンド音場をつけても仕方ないですからね。
--ちなみにこれまで染谷さんご自身は劇場用のアトモスコンテンツを制作されたことはあったのでしょうか?
染谷 これまでトレーラーなどをアトモスで作ったことはありますが、劇場用本編としては今回が初めてです。今までホーム用やゲーム作品でのアトモスの経験は多くありましたので、それを活かしています。
今回も、ある程度のプリミックスはホーム用のスタジオで作っておき、それを東映さんのシネマ用ダビングステージに持っていって、劇場用に仕上げました。もちろん部屋の容積が違いますから、音の届く距離感やイコライザーは修正が必要でした。
--本作のオンライン試写を、自宅ホームシアターの7.1.4システムで、ドルビーサラウンドにアップミックスして拝見しましたが、音作りの違いがしっかり再現できていたと思います。
染谷 ありがとうございます。これまでも長年サラウンドを研究してきましたので、どこを変えるとどんな風に聞こえ方が変化するかといったノウハウは蓄積できています。アトモスの場合はそれに天井が足されるわけですから、それをどう使いこなすかを考えました。
--国技館のシーンでの反響や歓声は本当に印象的でした。あのシーンにはどんな音作りの狙いがあったのでしょう?
染谷 国技館のシーンでは、相撲協会さんからご提供いただいた音源と、本作用に収録した音源のふたつを使っています。最初に、提供していただいた音源のマイクレイアウトと、われわれが収録した音源の互換性を取って、さらに会場感がしっかり出るようにということを第一に考えました。
また独自収録した音源もマルチチャンネル用のセッティングです。立ち会いのシーンはカメラがフィックスですから、それを基準として5.1ch+α収録用にマイクを配置しています。ポストプロダクション作業でどういう風にアレンジしていくかが難しかったですね。
それぞれの音源のマイク位置を考えながら、このマイクはこれくらい離れているから何ミリ秒遅らせようとか、タイムアライメントの設計を含めて考えました。
--そこまでの細かい整音が必要なのですか?
染谷 タイムアライメントはきちんと調整しておかないと、リアリティのある音場にならないのです。特に今回はマイク位置も制約がありましたから、この作業は欠かせません。今後アトモスになっていくと、タイムアライメントの正確性は余計重要になると思います。
--本作では音について過剰な演出はされていないように思いましたが、その点についてはどのようにお考えだったのでしょうか。
染谷 骨がぶつかる音とか、まわしを叩く音などは、色々な音素材から持ってきています。完璧に差し替えているのではなく、少し足しているといった使い方です。
ベースはあくまで実際に収録した音ですが、それでは伝わらないものもあるので、映画として必要な演出を加え、そこをわかりやすくフォローする感じです。
--そういった表現については、監督と相談しながら加えていくのでしょうか?
染谷 そういった点について監督と相談することはありません。今回、本編の作業に入る前に、7分くらいのデモリールを監督用に作ってみたのです。その中で先ほどお話しした音処理を加えておき、音のイメージを説明しました。
そこで監督を始め制作スタッフの皆さんに、気に入ってもらえたところ、喜んで貰えたところ、もう少し変更したいところなどを聞いて、本編の方向性を探っていきました。
--そこで監督とのコンセンサスが図れたということですね。
染谷 方向性が定まらないと音も作れないと思ったのです。一番困ったのは、国技館で収録した素材に欲しくない音まで入っていることでした。拍手のテンポがずれていたり、ヤジが入っていたりするのですが、今回はそれらを全部削除しました。
何十本というマイクの音をすべてチェックして、いらない音を削除したのです。今のデジタル技術があるからできることですが、本当に気の遠くなるような作業でした。拍手や話し声が全部なくなっては駄目ですから、粒の大きい目立つ音だけ気にならないようにする点に苦労しました。
--本作はシーンによって音作りを変えているとのことでしたが、その際に注意した事を教えて下さい。
染谷 一番大きな音場が国技館ですから、それを基準にして空間再現を考えました。インタビューシーンは屋外も多くありましたが、そこまで大きな空間が広がっている必要はありません。稽古場でのインタビューなどは少し反響を加えています(収録音声のLs,Rs部分)。そういった部屋のサイズに合わせたアンビエントが付けられればいいなと考えていました。
その場合、各スピーカーのバランスや音の配置の仕方もすべて違ってきます。国技館では天井スピーカーを活用していますが、その他の相撲部屋やインタビューシーンではほとんど使って居ません。国技館のシーンだけイマーシブの効果が充実するようにして、他は5.1chに留めています。
--だからあれだけの違いがあったのですね。
染谷 もちろんどのシーンでも天井スピーカーを使うことはできますが、そうすると全篇が同じようになってしまい、国技館が際立たない、雰囲気を感じられなくなってしまうのです。そのために他のシーンでは我慢しました。
相撲部屋での稽古を実際に観たことがある方は少ないと思いますので、稽古シーンはちょっとだけ音場を広めにしています。道場の響きというか、高い天井で音が反響している感じですね。しかも素材が木だと響き方も違いますから、それを再現したかったのです。
--相撲部屋でのお料理シーンなどはとてもコミカルでした。
染谷 素材を切っているシーンは監督のアイデアで映像がスライドしていきますが、音もそれに合わせて欲しいと言われたのです。
また実際の取り組みで頭と頭がぶつかる音は、どうしてもマイクでは拾いきれないので、似ている音を補足しています。もちろん実際に音は鳴っているんですが、どうしても周りの歓声に埋もれてしまうのです。
--ドキュメンタリー作品ならではのエピソードですね。
染谷 立ち会いはスローシーンも多かったので、そこの音をどうするかも悩みました。本編では無音のシーンもありますが、実際には音をつけて、そこから消去法で減らしています。
というのも、映画ではすべての素材が揃わないと全貌がわからなかったり、前後関係でやっぱり音が必要だったということもあります。そんなときに即座に対応できないと嫌なので、まずは全部のシーンに音をつけるようにしています。
そのうえで、観客の心の中で鳴る音に任せた方が印象に残る場合もありますから、そこでは音を消しています。今回も立ち会いのぶつかりで鼻が潰れるシーンがありましたが、あそこは無音の方が力士の痛さをダイレクトに感じてくれると思ったのです。
--本作では音楽や目立った効果音は使われていなかったと思いますが、それも狙いだったのでしょうか?
染谷 そうですね。なるべく整理整頓された音をお客さんに届けようと思いました。そもそも映像が盛り上がるように作ってありますから、さらに音楽であおる必要もない。
ここは観客の皆さんに感じて欲しい、心の中で鳴っている音を聴いて欲しいと思った音は消しています。本編でも、力士の負けがかさんで精神的に追い詰められているのは映像で充分伝わります。そこをわざわざ音楽で緊迫感を足さなくてもいいんじゃないかと。
--ところで、今回の音作りはどれくらいの日数で行ったのですか?
染谷 いくつかの仕事が同時進行していたので、実質何日かはわかりませんが、音関連の作業は去年の7月頃に始まって10月の終わり頃に出来上がった感じでしょうか。ほとんどが整音作業で、アトモスのプリとファイナルミックス自体は2週間ほどでした。
そうそう、この作品は音楽もアトモスでミキシングしてもらったんです。作曲家さんにも、担当エンジニアさんにもアトモスで音楽を作りたいとお伝えして、考えてもらいました。
力士が華やかな着物で歩いて来るシーンがありますが、あのあたりはかなり音楽で遊んでいます。
--染谷さんが、本作のアトモスで一番聴いて欲しいシーンはどこでしょう?
染谷 やはり国技館の再現です。お相撲を見に行ったことのある人なら、確かにこんな雰囲気だったねと感じてもらえる再現になっていると思います。国技館は意外とアットホームで、暖かい雰囲気があるんです。お客さんが自分のお気に入りの力士を応援する、その温かさが再現できているといいですね。
--日本映画でなかなかアトモス作品が増えませんが、そこはどうお考えですか?
染谷 本作がそのきっかけになってくれるといいですね。ドキュメンタリーでもアトモスにチャレンジする。もう少し世界基準で音響制作を考えて欲しいと思います。
映画でも家庭用でも日本映画のイマーシブを楽しめると良いですね。映像作品は絶対的なリアルではないですから、どれだけいい嘘をついて没入してもらえるかだと思うのです。いいライブ体験して頂くという意味でスポーツや音楽はアトモスに限らずイマーシブに向いていると思います。
個人的には普通の映画、ヒューマンドラマなどでアトモスを使ってみたいですね。アトモスを含めたイマーシブは戦闘などの特別なシーンだけのものではないですから。
--本作はまず5.1chで劇場公開され、アトモスでの公開は現在検討中とのことです。せっかくのアトモス制作ですから、パッケージはぜひアトモスで発売してもらいたいですね。
染谷 同感です! 僕は自分で創った作品は自分でエンコードまで手がける主義なので、その時にはブルーレイ用にリミックスします。
--最高のイマーシブオーディオを期待しています。今日はありがとうございました。
(取材・文:泉 哲也)
『相撲道〜サムライを継ぐ者たち〜』
●出演:境川部屋 髙田川部屋●監督・製作総指揮:坂田栄治●プロデューサー:下條有紀 林 貴恵●コーディネートプロデューサー・劇中画:琴剣淳弥●制作:PRUNE●制作協力:日本相撲協会 Country Office●製作:「相撲道〜サムライを継ぐ者たち〜」製作委員会●配給:ライブ・ビューイング・ジャパン●配給協力:日活
(C) 2020「相撲道〜サムライを継ぐ者たち〜」製作委員会
※10月30日(金)よりTOHOシネマズ 錦糸町、31日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開