先日お知らせした通り、パトリック・リード・ジョンソン氏が監督・脚本を務め、自らの少年時代を映画化した自伝的青春ドラマ『5-25-77 あの日の映画少年たちへ』がBS10プレミアムで5月25日に放送される(5月15日からBS10プレミアム forPrime Videoにて先行配信)。『2001年宇宙の旅』(1968)や『未知との遭遇』(1977)、そして何より『スター・ウォーズ』(1977)といった名作SF映画への愛に溢れた作品だ。

実は本作は、2007年にロサンゼルスで開催された「スター・ウォーズ セレブレーションIV」で上映されたこともある、知る人ぞ知る作品だった。しかし日本では劇場公開もパッケージ発売もなく、今回のBS10プレミアムでの放送・配信が初登場になる。そしてそこには、本作を日本の映画ファンに観てもらいたいという熱い思いを持った、岡村政治さんと酒井俊之さんの働きがあった。今回はそんなおふたりに、『5-25-77』の魅力と放送実現までの取り組みをうかがった。
●対談メンバー:岡村政治さん、酒井俊之さん ●まとめ:泉 哲也

『5-25-77 あの日の映画少年たちへ』

画像1: 映画に憧れたすべての人に観て欲しい名作『5-25-77 あの日の映画少年たちへ』が、いよいよBS10プレミアムでオンエア。その実現に尽力したキーマンが、本作への思いを語る

●放送:BS10プレミアムにて5月25日(月)ほか放送
●配信:BS10プレミアム for Prime Videoにて5月15日(金)より配信スタート
●企画・監督・脚本・製作総指揮:パトリック・リード・ジョンソン
●製作:フレッド・ルース、ゲイリー・カーツ、ほか
●出演:ジョン・フランシス・デイリー、オースティン・ペンドルトン、コリーン・キャンプ、エミ・チェン/ニール・フリン、スティーヴ・コールター、ほか

ーー『5-25-77 あの日の映画少年たちへ』が、いよいよBS10プレミアムで放送されます。今回の放送に関しては、岡村さんと酒井さんの尽力もあったと聞いていますので、まずはそのきっかけから教えてください。

酒井 そもそもの発端は、岡村さんがこの作品の予告編をX(旧Twitter)にポストしたことでした。2020年の9月のことで、すぐに予告編を見て僕自身の十代の頃の体験ともだぶる、めちゃめちゃ面白そうな作品だと思いました。

 北米盤ブルーレイも発売されていましたので、購入しようかとも思ったんですが、「これは日本語字幕で見たい。どうせなら日本での公開を目指そう!」と岡村さんと意気投合したんです。共に長く映像・映画関係の仕事をしてはいますが、映画を公開するために動く、というのは初めてのことでした。

岡村 私は、この作品は2014年にアメリカのネットニュースで知りました。『スター・ウォーズ』のファンムービーというのは色々ありますが、その中でも、ちょっと毛色の変わった作品だなと思ったんです。

 その時Xにポストしたのですが、特に反応はなかったですね。その後、2022年9月に『5-25-77』の全米公開が決まったというニュースが出ました。幼稚園時代からの友人が洋画配給のプロなので、日本での配給の可能性があるか相談してみました。段取りを詳しく説明してもらったのですが、個人で進めるにはハードルが高すぎて賄いきれないことが分かり断念しました。私ができるのは作品の認知度を上げることくらいなので改めてXでシェアしたところ、酒井さんが見つけてくれたという経緯でした。

酒井 岡村さんとはXを通じて交流はありました。「日本での劇場公開に向けて動いていますか?」とメッセージを送ったところ、動いていませんという返答があったので、アクションを起こすことにしたわけです。

画像: 岡村さんが、1978年の公開時に『スター・ウォーズ』を大阪のシネラマOS劇場で鑑賞した際の記念スタンプ。酒井さんも同じ時期に、OS劇場でこの作品を鑑賞したそうです

岡村さんが、1978年の公開時に『スター・ウォーズ』を大阪のシネラマOS劇場で鑑賞した際の記念スタンプ。酒井さんも同じ時期に、OS劇場でこの作品を鑑賞したそうです

ーー岡村さんは、どんな映画がお好きでこの世界に入ろうと思ったんですか?

岡村 私は大阪生まれの大阪育ちです。神戸生まれの母が洋画ファンで、小さい頃から映画館によく連れていってくれました。

酒井 岡村さんと僕は同じ学年で、同じ時期に同じ劇場で映画を見ていた。実に不思議な縁なんです。

岡村 本当に奇遇ですよね! 酒井さんもよくご存知のように、当時は大阪にも70mmフィルムを上映できる映画館が結構あって、そこでの体験っていうのは、映画の仕事を目指すきっかけになったと思います。

 小学6年生の頃、大ファンだった浜村 淳さんとお会いする機会がありました。とてもありがたいことに浜村さんが関西の洋画配給会社の宣伝部の方々に私を紹介してくださり、そこから試写に呼んでもらえるようになりました。

 もちろん映画館にもよく出かけました。OS劇場や阪急プラザ劇場もそうですし、東宝会館時代の北野劇場、梅田劇場、梅田スカラ座にも想い出が多いです。

酒井 僕にとっても思い入れのある映画館ばかりですね。

岡村 将来はアメリカに行って映画の仕事をしたいと思い、神戸の国際学校カネディアン・アカデミイに入りました。卒業後に渡米して、ボストンのエマソン大学、ニューヨーク大学・映画科を経て、ハリウッドで日本向けCMのファースト・アシスタント・ディレクターや演出技術通訳といった仕事に就きました。日本に戻ってからも映像に関連した仕事を続けています。

画像: 『ハンテッド』(1995)のバンクーバーでの撮影中のひとコマ。写真左から原田芳雄さん、演出通訳中の岡村さん、クリストファー・ランバートさん。右端が脚本・監督のJ.F.ロートンさん

『ハンテッド』(1995)のバンクーバーでの撮影中のひとコマ。写真左から原田芳雄さん、演出通訳中の岡村さん、クリストファー・ランバートさん。右端が脚本・監督のJ.F.ロートンさん

ーーおふたりとも、十代の頃に足を運んだ映画館には相当な思い入れをお持ちなのですね。ところで、岡村さんは、パトリック・リード・ジョンソン監督と直接連絡も取っていたそうですね。

岡村 ジョンソン監督とは、2014年頃からDMでやりとりをしていました。当時は北米公開も決まっていなかったので、情報はほとんどありませんでしたが。

 その後今回の話が出て、ジョンソン監督に「日本でこういう動きを始めることになると思う」と連絡をしたところ、彼からは「素晴らしい!協力できることがあれば何でもする!」という心強い返事がありました。そこからは、酒井さんから進捗の報告があるとジョンソン監督に逐一知らせるという段取りでした。

ーー日本公開に向けて、最初はどのようなアプローチを考えていたんですか?

酒井 映画を公開するというのは、僕にとっては初めての取り組みでしたが、映画系の放送局やパッケージ会社には古くからの知り合いがいましたので、アイデアはいくつか頭に浮かんでいました。どうせなら劇場公開から放送、パッケージ化まで一貫して実現できた方がいいと思い、昔からの知り合いで当時スター・チャンネルのPRを担当されていたスタッフに相談しました。

岡村 そこは酒井さんにお任せだったので、「なるほど、そういうルートもあるのか」とたいへん勉強になりましたね。

画像2: 映画に憧れたすべての人に観て欲しい名作『5-25-77 あの日の映画少年たちへ』が、いよいよBS10プレミアムでオンエア。その実現に尽力したキーマンが、本作への思いを語る

酒井 すぐにこの作品の予告編や主題歌のMV、ジョンソン監督のインタビュー記事などの資料を送ったところ、前向きに考えてみます! ということになったんです。ただすぐには返答がなかったので、気長に待っていました(笑)。そうこうしているうちに、2024年6月にスター・チャンネルの全株式が東北新社からジャパネットブロードキャスティングに譲渡されるという発表があった。こりゃ新作の放送どころじゃないかも、とびっくりしました。

岡村 すると、その年末にジョンソン監督から「来年、日本に行くよ」っていうメールが来たんです。仕事で1週間ぐらい滞在するので、その時に『5-25-77』を上映できたらいいなという話でした。

酒井 またとない機会だったので、監督が日本にいる間に『5-25-77』のトークショー付きの上映ができないか、スター・チャンネルにあらためて打診しました。しかし作品の権利元であるMVD Entertainment Groupと放送の契約がまだ成立していませんでしたし、もちろん日本語字幕もなかったので、実現しませんでした。

岡村 ジョンソン監督としては、日本のファンに向けて公開したいという思いがすごく強かったようですね。2025年3月に来日したジョンソン監督と会った時に現状を知らせると、今回の契約について見直しも可能だという話が出たんです。監督がアメリカへ戻ったあとにMVD Entertainment Groupとの間でどんな話があったのかは分からないですけど、そこから状況が変わってきた印象がありました。

酒井 そして2025年4月になってから、放映権を取得しました! という連絡がようやく新生BS10プレミアムからありました。いや、長かった(笑)。

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ーー酒井さんは、今回字幕の監修を担当したそうですね。

酒井 放送用の字幕をチェックさせてもらったら、気になる箇所がいくつかありました。主に専門用語ですね。例えば「モーションコントロール」が「モーション制御」に、「センタースピーカー」が「中央スピーカー」になっていたりしました。また、「映画雑誌」という字幕もありましたが、これは台詞で確認するとSF雑誌「スターログ」のことでしたので、あえて「スターログ」に修正しました。

 他にも、映画が始まってすぐに、主人公のパットが「WATCH THE SKIES」と書かれたTシャツを着ていますが、最初はここに「空を見張れ」と字幕が入っていました。でも、これは気づく人が気づけばいいオマージュ。字幕を入れると野暮だろうと考えて外しました。

 悩んだのはスピルバーグ監督が撮影中の『Close Encounters of the Third Kind』でした。御存知、『未知との遭遇』ですね。ただし、この時点では映画は完成していないし、日本での公開も決まっていない。なので最初の字幕では原題通り、『第三種接近遭遇』となっていたんです。

 確かにそれが正解なんだけど、観ている方はこれは『未知との遭遇』だとわかっている。字幕で『第三種接近遭遇』と出ると違和感があったんです。そこで岡村さんにも相談して、引用符を付けて『“第三種接近遭遇”』という表記に落ち着きました。

岡村 『未知との遭遇』の公開当時、コロンビア映画の大阪支社に出入りしていましたが、邦題が決まっていない頃は『第三種接近遭遇』と呼んでいたと記憶しています。だから、字幕に『第三種接近遭遇』と出てくるのは時系列で考えても合っていますし、引用符をつけることで、それが『未知との遭遇』のことだというのがファンには伝わるんやないかと考えました。この映画を観ようという方なら字幕を見てニヤッとしてもらえるかな、と。

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ーー字幕についても、かなり細かいところまで気を配ったんですね。お二人とも相当この作品に惚れ込んだようですが、本作の映画としての魅力はどんな点だったんですか?

岡村 この作品はジョンソン監督の実体験を映像化していますが、私自身も同じような時間を過ごしてきたということもあり、この作品を観ながら追体験できたというところが一番大きいですよね。

 私も小さい頃から映画作りにとても興味があって、怪獣映画の監督になる! って言ってました(笑)。ジョンソン監督は自身の夢を実現させて、自分で映像化していることがとにかく素晴らしい!というのが第一印象でした。

酒井 僕も10代の頃から8mm映画を作ったりしていました。自分が観た映画を自分で再現して作りたくなるのが映画ファン。岡村さんもこの雑誌を覚えているでしょう?

岡村 それは日本版「スターログ」ですか? 懐かしいですね。

酒井 この号では、8mmカメラで『スター・ウォーズ』のオープニングを撮ろうという特集があったんです。試してみたら全然うまくいかなかった(笑)。

岡村 バルサを買ってきて試作しようとしましたが無理でした(笑)。映画好きなら、誰もが一度は自分で映画を撮ってみたいと考えるじゃないですか。それはアメリカも日本も共通で、そこに胸が熱くなりますし、その後に主人公がハリウッドを目指すために故郷を離れるところは、私自身が日本を離れた時と重なりました。

酒井 多くの映画少年少女たちが、生まれ育ったところを離れて映画に関わっていくのだと決意したという経験をしてきているはず。世代を超えて、そういうところにシンパシーを感じる人も多いかもしれません。

岡村 映画に魅入られた少年少女たちの話っていうのは、定番といえば定番ですが、映画ファンの皆さんにはきっと好意的に受け入れてもらえるんやないかと思っています。

画像: 酒井さんのコレクションより、1978年当時の『スターログ』

酒井さんのコレクションより、1978年当時の『スターログ』

ーーニュースリリースでは、ゲームクリエイターの小島秀夫さんからもコメントが寄せられていました。

岡村 小島さんのコメントはびっくりしました。彼が世界的に有名なゲームクリエイターだと知ったのはこの数年ですが、彼の書いたものを読むと、子供の頃から映画に影響を受けてこられたことがよく分かりますし、著書にOS劇場っていうワードが出てきたりして、同じ関西の梅田界隈で映画を見ていた人の行動半径ってみんな一緒やったんやって感じました。

酒井 これもまた奇遇なんですが、小島さんも僕たちと同じ頃に大阪・キタ界隈の劇場に通われていたんですよね。もしかしたら映画館で擦れ違っていたかもしれない。

ーーさて、作品で特に印象に残ったシーンはありますか?

岡村 『スター・ウォーズ』の予告編が出てくるところがグッときました。当時の映画館で、初めて予告編を見た時のあの興奮を思い出しました。なんかようわからんけど、まったく新しい映画がやって来る! みたいな期待感が明らかにありました。

酒井 OS劇場で『オルカ』(1977)を観た時に、『未知との遭遇』と『スター・ウォーズ』の予告編が流れたんですよ。とにかく『未知との遭遇』のインパクトが強烈で、『スター・ウォーズ』はあんまりピンと来なかったんですが、翌月に『未知との遭遇』を同じOS劇場に観に行ったら、新しいバージョンの『スター・ウォーズ』の予告編が流れた。「あ!次はこれや!」って思ったのをはっきり覚えています。『5-25-77』を観ているとその時の気分が甦るんですよね。

画像5: 映画に憧れたすべての人に観て欲しい名作『5-25-77 あの日の映画少年たちへ』が、いよいよBS10プレミアムでオンエア。その実現に尽力したキーマンが、本作への思いを語る

岡村 音楽について、本作では10ccの「I'm Not in Love」(1975)がフィーチャーされています。なぜこの曲を選んだのかジョンソン監督に聞いたところ、当時一番好きな曲だったとのことでした。好きな子がいて、その頃にこの曲がヒットしていたそうです。これも時代を感じさせてくれますよね。

酒井 70年代の音楽がいっぱい流れるのは本編ならではのお楽しみですよね。

岡村 映画の最後に流れる、主題歌「I Can't Get There from Here」はジョンソン監督が自ら書き下ろしたものです。もともとは監督と旧知の仲のアラン・パーソンズと、アランの音楽パートナーだったエリック・ウールフソンに捧げて書かれました。この曲のデモ音源を聴いたアランがとても気に入って、自らプロデュースを買って出たという経緯がありました。今では『5-25-77』以外にも、アラン・パーソンズの楽曲としてコンサートでの演奏やカバーもされています。

ーー最後に、放送後の展開はどのようにお考えですか?

酒井 放送まではこぎつけたので、次は劇場での上映やパッケージ化の可能性を模索したいと考えています。乗りかかった船ですしね(笑)。実は既に「うちのスクリーンでかけたい」とおっしゃって下さっている劇場もあります。どこまでできるか分かりませんが、そのためにもぜひ多くの方に今回の放送・配信を観て、この作品の魅力を感じてもらいたいんです。

岡村 本作の予告編をネットで観て号泣してしまいました。その後、北米盤ブルーレイを取り寄せましたが、期待をはるかに超えた濃密な視聴体験だったんです。高校生だった私が夢見た世界がそこにありました。私と同じ想いを感じてくれる方はきっと多いと思いますので、まずは配信とBS放送で『5-25-77 あの日の映画少年たちへ』を楽しんで下さい!

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