前回は、ポニーキャニオンが渋谷に新設した空間オーディオ(ドルビーアトモス)対応スタジオについて紹介した。音空間オーディオのフォーマットで使われているドルビーアトモスのミキシングに早くから取り組んできた同社が対応スタジオを増やしたことで、これからどんなコンテンツが登場してくるか、期待したいところだ。
そんな同社はまた、空間オーディオとはまったく異なる試みにも取り組んでいるという。その一環として東京・芝公園にあったサウンドシティ・アネックススタジオを取得、新たにタワーサイドスタジオとして運用を開始した。
この空間は1979年に「日音スタジオ」として誕生、その後「サンライズタワーサイドスタジオ」時代を経て、2014年から「サウンドシティ・アネックススタジオ」として、音楽制作者に愛されてきた。2022年2月からポニーキャニオンの社内スタジオとして運用するべく、機材、空調、内装等のリニューアルを進め、10月からT1、T2スタジオのふたつの運用が始まっている。
ここでのユニークな試みとして、T1スタジオはアーティスト専用スタジオとして位置づけられている。T1スタジオにはミキサー卓、バンドレコーディングも可能な広い演奏エリア、さらには独立したドラムスペースやゆっくりくつろげるロビーまで準備されているが、これらはすべて、あるアーティスト専用で、メンバーがここに集まって捜索活動を行ったり、音作りについて相談したりするための空間なのだ。
今回は内装が終わったばかりのT1スタジオにお邪魔して、アーティスト専用スタジオという取り組みの狙いについてお話をうかがった。対応いただいたのは前回の渋谷スタジオ取材でお世話になった、株式会社エグジット音楽出版 取締役 制作技術部部長 ポニーキャニオンスタジオの能瀬秀二さんと、同 制作技術部 ポニーキャニオンスタジオ 光井里美さんのおふたり。まずタワーサイドスタジオの概要から聞いてみた。
「ここにはT1とT2というふたつのスタジオがあります。今回は、もともとあった機材や内装で使える物は活かし、一部の天井やクロスは張り替えるなどの改装を行いました。基本的にはT1がアーティスト専用で、T2はヴォーカルダビング用と考えています。
ミキシング卓はT1には最新の「SSL ORIGIN」を導入しましたが、T2では以前から使われていた「SSL G4000」をフルメインテナンスしました。こちらのG4000は72chタイプのアナログミキシング卓で、今となっては貴重です。ただし、T1、T2スタジオともケーブルはすべて取り出して、新たに配線しなおしました。30年以上経っているのでケーブルの劣化も心配でしたし、どこにつながっているのかわからない線もありましたので。また最近は音楽制作でもネットワーク環境が欠かせません。そのためスタジオ内にLANケーブルも追加しました。
今回ポニーキャニオンとしてここを取得した一番の理由は、T1をアーティスト専用のスタジオとして使うためでしたが、それに合わせてT2でも通常の収録作業などができるようにしたいと考えたのです。弊社では代々木と渋谷に4つのスタジオを持っていますが、それぞれの稼働率が平均で70%以上とひじょうに高いのです。スケジュールによってはバッティングすることもあるので、それを解消しようという狙いもありました」(能瀬さん)
「T2スタジオについては運用が始まっていて、今年の春からスタートするアニメ作品や配信用のレコーディングを行いました。またT2にはアップライトピアノが置いてありますが、実はいつからあるものなのか分からないんです(笑)。でも、最近の若いアーティストの中には敢えてグランドピアノではなく、アップライトでちょっと違う音を録りたいという方もいらっしゃいます。実際にアップライトピアノはありますかというお問い合わせもいただきますので、残してあります」(光井さん)
さて、アーティスト専用というT1はどんな運用を考えているのか気になるところだ。
「弊社の所属バンドの専用スタジオです。元々彼らのアルバム制作時には代々木スタジオを長期押さえていたのですが、そうすると他のアーティストが作業できないので、専用の場所を準備しようということになりました。メンバーが普段使っている楽器なども常設し、いつでもクリエイティブな活動ができるように準備しています」(能瀬さん)
アーティストにとっては理想的な環境だが、“専用” ということで何か配慮した点などはあるのだろうか。
「設置している機材などについてもアーティストの意向をくみ取って選んでいます。具体的にどんな希望があったかまではわかりませんが、エンジニアの方から彼らの曲にあうような製品をお薦めして、音を聴いて選んだようです」(能瀬さん)
実際にT1スタジオに入らせてもらったが、確かにバンドの収録も充分できそうな広さがあり、壁や天井は木材で仕上げられるなど、とても落ち着ける空間だ。床や壁の内装は手を入れていないそうだが、逆に時間を経たことで当時の材料の魅力が引き出されているようにも感じた。
「そうなんです。床やタイルも貼り替えていないのですが、とても綺麗で味がありました。壁板も斜めに設置するなど、デザインや音響的にも凝った仕上げですよね。
またT1はアーティスト専用と申し上げましたが、アルバム全部をここで仕上げる訳ではなく、楽曲によっては他のスタジオで収録することもあるでしょう。プリプロの曲を聞きながら、ここでドラムを叩いてみようとか、こういうメロディーを入れたらどうだろうかとディスカッションをしながらレコーディングを進めていくスタイルを考えています」(光井さん)
「演奏スペースは充分な広さがありますし、ドラム用のブースも備えているので、基本的な収録は充分可能です。床も中央あたりで縁切りして、片側にはフローリング材の下に防振ゴムを敷いてあるようです。弦楽器などを収録する際にはどちらの側で演奏するかで音も違ってくるかもしれません」(能瀬さん)
T1スタジオでは、上記の演奏スペースやミキシング卓が置かれたコントロールエリアの他に有機ELテレビが置かれたロビースペース(壁は本物のレンガ)も準備され、自分達の映像作品などもモニターできるようになっている。音楽が生まれる最初から、配信やパッケージのための収録、モニタリングまでこの空間で行えるわけで、クリエイターの思いを具体化するための最高の環境といっても過言ではない。歴史あるスタジオから、どんな楽曲が送り出されるのか見守りたい。(取材・文:泉哲也)
歴史ある機材を大切に活かした、T2スタジオ