音楽家で、数々の映画音楽も手がけてきたヴァンゲリス(エヴァンゲロス・オディセアス・パパサナスィウ)氏が5月17日に無くなったことが発表された。『炎のランナー』『南極物語』などなど、彼が送り出した印象的なサウンドは多くのファンの脳裏に焼き付いているだろう。

 中でも『ブレードランナー』に関しては、作品の世界観を確立したひとつの要因として、高い評価を集めている。また同作はサンドラについて数々の紆余曲折、深い世界が広がっていることも知られている。今回は『ブレードランナー』サントラを長年探求し続けている竹之内円さんに、その思い出について寄稿いただいた。ヴァンゲリス氏の追悼として、ぜひお楽しみいただきたい。(編集部)

19世紀半ばにアメリカで施行された禁酒法により、
密造酒が闇マーケットで出回ることになる。
そのとき密造酒の入った蒸留酒用水筒=スキットルをブーツに隠して持ち歩いたことから、
密造酒のことをブートレグ(Boot+Leg)と呼ぶようになった。
禁酒法のなくなった現在では転じて、
著作権者に無断で発売される海賊版(盤)のことが【ブートレグ】と呼ばれた。

SINJUKU JULY 3,1982

 俺は新宿にいた。これから始まる『ブレードランナー』の初回上映を観るためだ。正直に言うと先着でもらえる劇場用ポスターのためでもあった。数時間後、映画を2度見終えた俺は1982年の新宿ではなく、2019年のロサンゼルスにいた。歌舞伎町の風景が俺をそんな気分にさせたのかもしれない。そのとき口ずさんでいたのが、エンド・クレジットに流れていたあの曲だった。俺は一刻も早くサントラを手に入れなければと心に決めた。

 だがサントラは発売されなかった。サントラが発売されないことはよくあることだが、映画のエンド・クレジットにアナウンスがありながら発売されなかった……というのは記憶にない。噂では作曲者のヴァンゲリスがアカデミー音楽賞の受賞で最大級の評価を得てしまった『炎のランナー』に続いて『ブレードランナー』が高い評価となったため、シンセサイザー・アーティストとしてではなく映画音楽作曲家というレッテルを貼られるのを嫌って、サントラの発売を中止した、とも言われている。

 その理由は未だ語られていないため真相は藪の中だが、もしかすると監督リドリー・スコットと何かあったのかもしれない。というのもリドリー・スコットは音楽にこだわりがあるのか、あの巨匠ジェリー・ゴールドスミスと二度に渡ってトラブルを起こしている。『エイリアン』では勝手にエンド・クレジットの曲をハワード・ハンソンのクラシック『交響曲第2番 ロマンティック』に差し換えて怒らせた。なので、映画とサントラ盤ではエンド・タイトルの曲が違っているというおかしなことが起きている。

画像: オフィシャル盤のサントラCD。左が『ニュー・アメリカン・オーケストラ』で右は『25th Anniversary』

オフィシャル盤のサントラCD。左が『ニュー・アメリカン・オーケストラ』で右は『25th Anniversary』

 それでも懲りずにまたも組んだ『レジェンド』では、アメリカ公開の際にユニバーサル社長シド・シャインバーグの要請ではあったが、ゴールドスミスに断りなく全曲をタンジェリン・ドリームの音楽に差し換えてしまい、永遠に訣別することになった。このときはヨーロッパ版とアメリカ版、2種類のサントラが出るという珍事も起きている。

 どうやら『ブレードランナー』のサントラは発売されないらしいという情報が流れ、公開当時から本作を熱狂的に支持していたファン、つまり俺を落胆させた。それはSF映画誌「スターログ」に載ったサントラ発売のフェイク記事をよく読まずにぬか喜びしてしまうほどだった……。

 だが朗報もあった。ファンの間でデッカードとレイチェルのシーンに流れている曲がヴァンゲリスのアルバム『流氷原(See You Later)』収録の「Memories of Green」の流用であるというのだ。たった1曲のためにアルバムを買ってしまうファン、つまり俺がいた。

 そんなサントラを渇望する俺を一時的に癒したのが、1982年末に発売されたジャック・エリオット指揮、ニュー・アメリカン・オーケストラの演奏によるカバー・アルバムだった。全8曲ではあったが主な曲はすべて入っていたし、いちばん聴きたかった「End Titles」に至ってはごていねいにもB面2曲目と5曲目と2度も入っていた……なぜだ?

 カバーとはいえ「Love Theme」を『タクシードライバー』の「メイン・テーマ」でも渋いサックスを聴かせた名プレイヤーのトム・スコットが吹き、「Memories of Green」では人気フュージョン・バンドのメンバーだったリチャード・ティーがピアノを弾くなど、ジャズ・フュージョンの実力者がシンセサイザーの演奏をそのままバンド&オーケストラに置き換えた好アレンジで、「End Titles」が当時のタイヤのCMに使われるほどだった。

FUJISAWA,1983

 では1983年にビデオが発売されたときに俺が何をしたか白状しよう。まずビデオデッキのイヤフォン・ジャックにカセットデッキをつないで、自家製サントラを作ったのだ。そんな記憶も流れ去ってしまった、涙のように。これを時効という。

ON WORLD,1992

 そんなファンの気持ちを知ってか知らずか、ヴァンゲリスは1992年に『ブレードランナー〜ベリー・ベスト・オブ・ヴァンゲリス(Themes)』というベスト・アルバムを発売、このCDには『炎のランナー』や『南極物語』といったヒット曲と共に「Memories of Green」、「Love Theme」、そして「End Titles」が収録されていた。ついにCD音質で聴くことができたのだ。

画像: 『ブレードランナー〜ベリー・ベスト・オブ・ヴァンゲリス』

『ブレードランナー〜ベリー・ベスト・オブ・ヴァンゲリス』

SHIBUYA,1993

 そして1993年、奇跡は起こった。映画公開12年目にして本物のオリジナル・サウンドトラックがついに発売されたのだ!

 この突然の発売に先立つこと一年、俺はこんな噂を耳にしていた。「どうやら『ブレードランナー』のサントラが裏で出回っているらしい」。それは事実なのか? もしそうならば何が何でも手に入れなければ……。そうは思ったものの、裏で出回っているブートレグをどこでどうやって手に入れたらいいのか、俺には皆目わからなかった。

 そんな悶々とした日々を過ごしていたある日、渋谷に来ると必ず寄ることにしている、今はなきサントラ専門店に向かった。すると店内に見慣れたヴィジュアルを見つけたのだ。俺の目はESP検査機のように解析を始めた。「あれは『ブレードランナー』……まさか?」。

 何の巡りあわせか、裏で出回っているという噂のブートレグを渋谷で見つけてしまったのだ。価格は7〜8千円だったかと思う。高い。当時、サントラマニアの間でLDより高いCDとしてネタ、いや伝説となったほどだ。2000枚限定で手書きナンバリング入りという完全限定盤だった。気づくと俺はサントラを手にレジの前に立っていた。

 このブートレグ、実によくできている。「OFF WORLD MUSIC」というレーベル名もよくわかっている。映画冒頭のジョン・ウィリアムズが作曲したラッド・カンパニーのロゴ・ミュージックに始まり、映画で聴き馴染んだ音楽が次々と流れてくる。さらに1曲ずつ詳細な解説までついていたし、何より音楽そのものがすごかった。

 後に出たオフィシャル盤より2分長い10分22秒の「Blade Runner Blues」、バッティとリオンがチュウのところに向かうシーンに流れたヴァンゲリス作曲ではない「Bicycle Riders」、さらにはこれもオフィシャルより3分長い7分24秒もある「End Titles」と、おまけの予告編の音源まで全18曲、72分42秒というまさに完全版であった。

 だが少し気になるところもあった。それはいずれ解明されることになるのだが。ほどなくしてこのOFF WORLD盤は市場から姿を消し、マニアの間で価格は高騰していったと聞く。

画像: 海賊盤サントラCDの『OFF WORLD』盤

海賊盤サントラCDの『OFF WORLD』盤

ON WORLD,1994

 この違法なブートレグの発売によって、御大ヴァンゲリスもついに重い腰を上げ、オフィシャル盤のリリースに踏み切ったと言われている。ところがこのオフィシャル盤はいくつかの問題があった。

 OFF WORLD盤のように全曲収録されていないのは仕方ないとしよう。だが一部の曲にセリフや効果音が被っているのはなぜだ。これでは俺が作った自家製サントラと同じではないか。しかもなぜか曲が編集されていたり、映画では使われていない新曲が入っていたりと、決してファンが望んでいた形ではなかったのだ。だが、これらの曲を高音質で聴けることに幸せを感じている俺がいたのも事実だった。

SHIBUYA,1995

 OFF WORLD盤、さらにオフィシャルのサントラも発売されて、すでに満足しているはずの俺であったが、新たな出会いをすることになるとは思ってもみなかった。

 1995年のことだ、俺はいつものように渋谷のサントラ専門店に立っていた。いつもと違っていたのは、俺の目の前には違うジャケットの『ブレードランナー』のサントラが並んでいたこと。今度のメーカーは「GONGO MUSIC」。なんだそれは!

 だがジャケットのデザインはOFF WORLD盤そっくりだ。裏を返すとなぜか曲名やクレジットがすべてルーマニア語という不思議な仕様だった。価格はやはり7〜8千円。これがただのジャケット違いなら俺も見て見ぬフリをするのだが、どうも収録曲が違う。1曲少ない17曲なのだ。うちにはOFF WORLD盤もオフィシャル盤もある。どこからか「2枚で充分ですよ」と言う声が聴こえたような気もしたが、気づくとまたしても俺はレジの前に立っていた……。

 実はOFF WORLD盤で気になっていたのは、「One More Kiss Dear」に似た雰囲気の「If I Didn’t Care」という知らない曲が入っていたことだった。後にワークプリント版、劇場公開版、インターナショナル版の3バージョンが入ったDVD「ブレードランナー・クロニクル」が発売されてわかったことだが、OFF WORLD盤は初期編集のワークプリント版のサントラで、「If I Didn’t Care」はワークプリント版にのみ使用された曲だったのだ。

 GONGO盤はその「If I Didn’t Care」と予告編が外され、その代わりに“強力わかもと”のシーンで流れた純邦楽「Blimvert(The Blimp)」、またの名を「扇の的」が入った全17曲70分56秒という内容だった。しかもGONGO盤の方が若干、音がよかった気がする。GONGO盤は限定の表示はなかったが、こちらも市場から姿を消すのにさほど時間はかからなかった。

画像: 海賊盤サントラCD『GONGO MUSIC』盤

海賊盤サントラCD『GONGO MUSIC』盤

ON WORLD,2007

 劇場公開25周年となった2007年、『ブレードランナー ファイナル・カット』の公開に併せて、『Blade Runner Trilogy [25th Anniversary]』と言う3枚組のサントラが発売された。今度こそ完全版か! と思ったのだが、ディスク1はオフィシャル盤のリマスター、ディスク2にはディスク1に未収録の12曲を収録したものの完全ではなく、ディスク3に至ってはインスパイアによる新曲集という変則アルバムであった。なんてことだ! それでも買ってしまう俺だった。

ON WORLD,2013

 2013年、オフィシャル・サントラ盤がAudio Fidelity社からハイブリッドSACDで発売された。Audio Fidelity社から出るSACDは5.1chサラウンド化されることが多いのだが、残念ながらステレオ収録のみだった。そして世のレコード復活のブームに乗ってか、同時にアナログ・レコード盤も、レッド・ヴァイナルというマニアックな仕様で発売されている。

 ともにシリアル・ナンバー入りで発売枚数も少なかったようで、SACDとレッド・ヴァイナルともに2万数千円以上の価格で取引されていると聴く……。そのせいか2015年にアナログ・レコード盤のみレッド・ヴァイナル、ブラック・ヴァイナル、ピクチャー・ディスクの3形態で再発売されている。これらもすでにプレミアがついているが、ブラック・ヴァイナル盤は2018年にも再々プレスされたので、運が良ければ定価3〜4千円で手に入るかもしれない。

ON WORLD 2022

 2022年5月17日、ヴァンゲリス、本名エヴァンゲロス・オデゥセイアス・パパサナシューがフランスの病院で亡くなったことが報道された。79歳だった。

 音楽活動を始めた1965年から2021年に発売された現時点での最新アルバム『Juno to Jupiter』までバンド(アフロディティス・チャイルド)アルバム3枚、ソロ・アルバム20枚、サウンドトラック・アルバム13枚、コラボ・アルバム18枚、ベスト・アルバム26枚、映画音楽25本、ドキュメンタリー音楽14本(短編含む)、と多くの作品を残している。ヴァンゲリスはこの世を去っても、作品は雨の中の涙のように消えることはない。

FUTURE…

 オフィシャルで完全版が出ないため、実は2000年代に入っても『ブレードランナー』のブートレグ盤は次々と出ている。「Esper Edition」、「Voight Kampff Edition」、「EMS Recombination」、「29th Anniversary Edition」etc。挙句の果てにはOFF WORLD盤を完全コピーしたブートレグのブートレグ(これもレプリカントの一種か?)までが世に出回った。

 これからどんなサントラが出るのか誰にもわからない。なにしろ『ブレードランナー』は “特別” なのだから…。

画像: 2000年代に入ってから発売された『Esper Edition』盤

2000年代に入ってから発売された『Esper Edition』盤

『ブレードランナー』海賊盤サントラの歴史

01.OFF WORLD MUSIC (1993)
 最初に出たブートレグで、ワークプリント版の音楽を中心に「One More Kiss Dear」と予告編の音源を追加したほぼ完全収録。2000枚限定で手書きのナンバリングがある。全18曲72分42秒。

02.GONGO MUSIC (1995)
 2番目のブートレグ。OFF WORLD盤から劇場公開版に使われなかった「If I Didn't Care」と予告編を外し、OFF WORLD盤に未収録だった「Blimpvert」を追加収録している。全17曲70分51秒。

03.Westwood Edition REDUX(Video Geme Soundtrack) (1996)
 コンピューター・ゲームの音楽でヴァンゲリスの演奏ではないが、「End Titles」などヴァンゲリスの曲も新録音で収録されている。全26曲64分24秒。

04.Esper Edition (2002)
 GONGO盤とオフィシャル盤などからこの時点での最良の音源を集めたもの。そのため曲によってはセリフやSEが被っているものもある。Disc1 全15曲55分47秒、Disc2 全18曲57分8秒

05.Los Angeles, November 2019 (2003)
 音楽集というよりは12の場面のME+SEトラックを集めたもの。全12曲78分10秒

06.The Final MIX (2008)
 主な曲をシームレスで編集したもので、全曲がつながっている。こちらは1枚ものだが、同タイトルの2枚組盤も確認されている。全17曲64分34秒

07.EMS Recombination (2011)
 Disc1とDisc2はEsper Editionの進化版だがセリフやSEの被りはない。Disc3は別バージョン集、Disc4は日本風の音楽を集めたもの。Disc1 全19曲54分45秒、Disc2 全17曲62分3秒、Disc3 全18曲57分2秒、Disc4 全10曲32分59秒

08.MR3 Edition (発売時期不明)  
 Disc1とDisc2はEsper Editionの進化版で、一部にSEの被りあり。Disc3は「Los Angeles, November 2019」と同内容。Disc4は別バージョン集。Disc1 全15曲55分44秒、Disc2 全20曲60分36秒、Disc3 全12曲78分10秒、Disc4 全27曲79分49秒

09.Voight Kampf (発売時期不明)  
 全12曲116分12秒で、映画の音源をほぼそのまま収録したもの。全編にセリフやSEが入っている。

10.29th Anniversary Edition (2011)
 『ブレードランナー』に関する音楽を別バージョンまで、ME+SEトラック集を除くほぼすべてを高音質で集めたもの。Disc1 全25曲79分23秒、Disc2 全25曲80分16秒、Disc3 全32曲78分40秒、Disc4 全26曲79分46秒

11.30th Anniversary Celebration (2012)
 シンセサイザー奏者Edgar Rothermichがヴァンゲリスの演奏を忠実なアレンジと演奏でカバーしたアルバム。正規発売なのかブートレグなのかも不明で、限定1500枚(2000枚という記載もある)。全17曲

※上記以外にも流通数100枚以下の個人制作と思われるブートレグや日本製のブートレグなど数種類が確認されている。またOFF WORLD盤以前にカセットによるブートレグがあったとの情報もある。

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