LUSH HUB開設の経緯
去る8月12日、東京・渋谷のビルの地階にオープンした『LUSH HUB』は、最新鋭の音響・映像・照明・配信設備を常備した、まったく新しい多目的スペースだ。この施設を運営するのは、ショップ Rock oN Company(東京/大阪)、業務用機器を取り扱うROCK ON PRO、輸入代理店業務で知られるメディア・インテグレーション。同社の代表取締役である前田達哉氏は、『LUSH HUB』を開設した理由について次のように語る。
「実は前々から、こういうスペースがあったらいいなと思っていたんです。ぼくらは渋谷でスタートして34年間、クリエイターの皆さんとお付き合いをしてきたわけですけど、販売したツールの使い方をちゃんとお伝えできているか、最先端のテクノロジーをしっかり啓蒙できているかということがずっと疑問だった。ご存じのとおり、ショップやオフィスの会議室で不定期にセミナーをやってきたのですが、業務でも使用するスペースですので、自由に使えるわけではない。また、コロナ前は年に数回、外部のスペースを借りて大きなイベントを開催していましたが、それも膨大な労力と時間、コストがかかっていたんです。だからずっと、“やっぱり専用スペースがあったらいいよね”という話はしていたんですけど、積極的に場所を探していたかと言えば、そういうわけでもなくて。たまたま今回、ショップ(編註:Rock oN Company 渋谷店)の地下に、条件に合う空き物件が出たというのがトリガーになって、前々から温めていたアイディアがようやく実現したという感じでしょうか。あとはコロナという想定外のことが起こったのも大きかったですね。思うようにイベントやセミナーができない、お客様と直に会えないこの状況が、良い意味で背中を押してくれたというか」(前田氏)
コロナ禍でリアル・イベントの開催は自粛され、企業ではリモート・ワークが推進されたこの2年間。メディア・インテグレーションの業務も「ほぼリモート・ワークになった」(前田氏)とのことだが、それによって失ったものが多いことに気づいたという。
「コロナで仕事をリモートで進めるようになって、会議なんかもオンラインでやるようになったわけですけど、約1年半やってみて、“やっぱりオンラインだと伝わらないな”と凄く感じているんです。人と人とが意志を疎通させる上での大切な何かが欠如しているというか。それは何なのかなと、ずっと考えているんですけど……。もしそれが分かったら、デジタル化してオンラインに乗せてしまうんですけどね(笑)。もしかしたら、とてつもなく解像度の高い映像で、素晴らしく良い音響になれば、少しは伝わるようになるのかもしれませんけど、現状だと全然ダメだなと思っています。現在、“EXHIBITIONエリア”にZaor社のデスク(編註:メディア・インテグレーションが取り扱う制作用のデスク)を展示しているんですけど、写真だとそのサイズ感や質感がまったく伝わらない。直に見て触れるのとは全然違いますよね。やはりリアルって重要だなとあらためて思ったのも、『LUSH HUB』を造った動機の一つになっています」(前田氏)
LUSH HUBのコンセプト
『LUSH HUB』は、最大収容人数150名の“STAGEエリア”(ライブ/イベント・スペース)と、多目的に使用できる“EXHIBITIONエリア”(展示スペース)で構成され、奥には出演者の控室や録音ブースとして使用できる小部屋も2部屋完備。エントランス付近には、来場者にドリンクを振る舞うためのバー・カウンターも設置されている。メディア・インテグレーション Rock oNの渋谷隆了氏によれば、完全なスケルトン状態から施工したのではなく、構造や階段は居抜きでそのまま使用したとのことだ。
「こういう場所を自分たちで持ちたいと思ったときから、千人とか何百人とか収容できるスペースというのは考えていませんでしたので、ゆとりあるスタンディングで100名、着席で50名というのは、ちょうど良い規模感でした。地下1階ということもあり、外の音はまったくと言っていいくらい入ってこないので、防音や遮音といった工事はしていません。常設のPAスピーカーを決めるときに、かなり大音量で鳴らしたのですが、まったく問題ありませんでした。空調に関しても、かなり強力なものが入っていたので、メンテナンスしてそのまま使用しています。ただ、レストランのようにここでの調理は想定していませんので、厨房周りはバー・カウンターを残してすべて撤去しました。食べ物が必要なときはケータリングを利用すればいいかなと思っています。
スケルトンにして完全にゼロから施工してもよかったのですが、そこまでお金をかけてしまうと商業ベースで運営しなければならない。ぼくらはレンタル・スペースを経営したいわけではなく、クリエイターや業界の皆さんと一緒になって何かを発表し、それを見た人が刺激を受ける場所を造るというのがミッションなので、最初から大きなお金を投じてやるつもりはありませんでした。ただ、内装のデザインに関しては、信頼できる設計士さんにお願いして、かなりこだわりました。地下なので閉塞感のない明るい雰囲気にしようと思い、天井は空のイメージで、雲をモチーフにしたオブジェを設置して。雲のオブジェはフェルトを貼った鉄板製で、いくつか段違いで取り付けることで、拡散材のような役割も持たせています」(渋谷氏)
イベントや配信が行われる“STAGEエリア”のステージは可動式で、市販のステージ・システムを並べたものとのこと。かなり広さのある『LUSH HUB』だが、各セクションのレイアウトはまったく迷わなかったとのことだ。
「ステージは造作せず、市販のステージ・システムを利用することにしました。借りる前もステージに向かってプロジェクターが付いていて、この位置が一番使いやすそうだなと思ったので、レイアウトは迷いませんでしたね。ステージを造作しなかったのは、最初に作り込んでしまわずに、進化形でいいと思っているからです。現在は配信が中心ですが、コロナが終息すればライブをたくさんやることになるかもしれませんし、もしかしたらダンス会場として使われるかもしれない。思ってもみなかった用途で使ってほしいと思っているので、最初にいろいろ決めてしまわない方がいいだろうと。音響システムは2chなのですが、イマーシブ・オーディオに関しては必要に応じてスタンドや天井にスピーカーを設置して、その都度対応していこうと思っています。実はいま、別の場所に『MIL Studio』というスタジオを造っているのですが、イマーシブ・オーディオに関してはそこでかなり凝ったことをやっているんですよ。そのスタジオは、いずれプロサウンドでも取り上げられると思うので、ぜひ楽しみにしてください」(前田氏)
単なる多目的スペースではなく、クリエイターのアウトプットと、オーディエンスのインプットを繋ぐハブ、プラットフォーム的な空間を目指していると語る前田氏。ここでいうクリエイターは、アーティストやミュージシャンだけでなく、エンジニア、メーカー、研究者など、“何かを生み出す人”すべてが含まれるとのことだ。
「何年か前にBSの番組で、ニューヨークのブルックリンにある『National Sawdust』という非営利団体の施設のことを知って、興味があったのでAES New Yorkのときに足を運んでみたんです。空き家となっていた倉庫を改装した大きな施設で、そこではライブやイベントが行われたり、レストランもあったりするんですけど、とてもおもしろいなと刺激を受けたんですよね。いろいろな人が集まって自由に表現しているのもそうですし、投資家に運営資金を出資させて、利益を還元するという運営スタイルもおもしろいなと。この『LUSH HUB』も、『National Sawdust』のような施設というか、クリエイターが何かを表現するためのプラットフォームになればいいなと思っているんです。こういう広いスペースに、最新鋭の音響機器や映像機器を常設することで、どんなものが生まれるか実験してみたいなと。『LUSH HUB』という名前はぼくが付けたんですけど、“LUSH”にはみんなで盛り上がって、楽しくやっていきましょうという意味を込めています。いろいろ難しい時期ですけど、ぼくは何より楽しいことが重要だと思っているので」(前田氏)
音響・映像・配信システム
ここからはスタッフの皆さんに常設のシステムについて伺っていこう。まず“STAGEエリア”のPAシステムだが、WavesのeMotion LV1を中心に、ADAMSONとLab.groupenのスピーカー・システムが導入されている。メディア・インテグレーション MI事業部の佐藤翔太氏によれば、メイン・スピーカーはいくつかのメーカーの製品を『LUSH HUB』に持ち込んで、スタッフ全員で聴き比べを行った上で選定したという。
「全体的に機材は、品質と効率にこだわって、EthernetベースのIP転送に集約しています。スピーカーに関してADAMSONを選定したのは、一番音楽的なサウンドだったからですね。最近のラインアレイは、硬めで輪郭がしっかりした音質のものが多いと思うのですが、ADAMSONは柔らかい音質で、音楽を豊かに再生してくれるんです。いろいろな音源を鳴らして皆で試聴し、満場一致でADAMSONがいいということになりました。メイン・スピーカーは、ADAMSONのラインアレイの中では一番コンパクトなS7Pで、サブ・ウーファーはS118という1/1対向のシステムですが、このスペースには十分なパワーがありますね。フルで鳴らしたら防音の方が問題になるくらいです(笑)。ステージ上のモニターに関しては、ADAMSONのPC5を3台用意してありますが、これはイベントに合わせてセッティングするという使い方です。パワー・アンプはADAMSON推奨のLab.gruppenですね。
ミキシング・コンソールとしてWavesのeMotion LV1を選定したのは、とにかくフレキシブルで、他のコンソールと比べて出来ることが圧倒的に多いからです。弊社のスタッフは制作上がりの人間が多いので、Wavesのプラグインが使えるというのも選定理由の一つですね。LV1のシステム構成は、DSPエンジンはリダンダント仕様で、ステージ・ボックスはDSPRO StageGrid 4000です。DSPRO StageGrid 4000を選定したのは、SoundGrid対応のステージ・ボックスの中では一番チャンネル数が多かったからで、他にもアンプとの接続用にDiGiGrid IOC、ヘッドフォン・モニター用にDiGiGrid Mも用意してあります。DiGiGrid IOCとLab.gruppenのパワー・アンプの接続はAESで、Danteで接続してもよかったんですが、確実な方を選びました。また、マイクもEarthworksやLEWITTなど、いろいろなものを取り揃えてあります」(佐藤氏)
配信用のPTZカメラは、固定設備として設置してあるのがBirdDog P200が2台とRGBlink PTZ Camの合計3台。加えて、Blackmagic Design URSA mini 12K や Pocket Cinema Camera 6K / 4K 、Studio Camera 4K Pro/Plusといったサブ・カメラも用意され、非常に高画質な配信が可能になっている。メディア・インテグレーション ROCK ON PRO事業部の嶋田直登氏によれば、将来的な有観客イベントを見据えて、ケーブル周りはできるだけシンプルにシステムを構築したとのことだ。
「これだけのシステムを何も考えずに組んでしまうと、足元がACアダプターだらけになってしまうんです。しかし将来的には有観客のイベントもやっていきたいと考えているので、ケーブル周りはできるだけシンプルにしようと、PTZカメラはNDIでPoE給電できるものを選定しました。NDI対応のPTZカメラは他にもありますが、BirdDog P200とRGBlink PTZ CamはネイティブでNDIに対応しているので、今回はベスト・チョイスだと思ったんです。BirdDog P200は、1台が寄りの画用に下手の柱の上、もう1台は正面奥に引きの全体用として設置し、RGBlink PTZ Camは上手上空に出演者さんの手元用として設置してあります。また、サブ・カメラとしてBlackmagic URSA Mini Pro 12KやBlackmagic Studio Camera 4K Pro/Plusなども用意してあり、この規模のスペースならば十分な数が揃っていると思います。今回、カメラでこだわったのが三脚で、国産のビデオ用三脚としてはトップ・ブランドのLibecを導入しました。ビデオでは三脚のクオリティが本当に重要で、安価なものですとパンチルしたときに揺れ戻しがあったり、ガタついてしまったりするんですよ。Libecはコスト・パフォーマンスも良く、素晴らしい三脚だと思います」(嶋田氏)
そして配信システムの核となるのが、PCベースのビデオ・スイッチャー、NewTek TriCaster Miniだ。PTZカメラの出力はNDIのまま、Blackmagic DesignのカメラはHDMI/SDIをNDIに変換して、NETGEARのスイッチ経由で TriCaster Miniに集約される。メディア・インテグレーション ROCK ON PRO事業部の前田洋介氏は、「今回は完全にNDIベースでいこうと考えていたので、ビデオ・スイッチャーに関しては最初からTriCaster Mini一択でした」と語る。
「TriCaster Miniは本当に優れたシステムで、4つ搭載されている映像のミックス・エンジンがとにかく優秀なんです。ピクチャー・イン・ピクチャーやクロマ・キー合成といった処理が内部ですべてできてしまうので、映像をかなり作り込むことができる。地味に便利なのが、単体で映像の再生や録画に対応し、タイトルやテロップなども出せてしまう点で、さすがはPCベースのシステムだなという感じです。実はTriCaster Miniでインターネットへの配信までできてしまうのですが、そこまでやらせるのは荷が重いということで、AJAのHELOを併用することにしました。以前はOBS Studioで配信をしていたのですが、PCのトラブルにかなり悩まされていたんですよ。その点、HELOはスタンドアローンのエンコーダーなので、非常に安定した配信が行えています」(洋介氏)
もちろん、演出用の設備も充実しており、天井にはRGBライトがかなりの数取り付けられ、照明卓のAvolites Quartzによってフル・リモート・コントロール可能なシステムが組まれている。ステージ奥のスクリーンはKIKUCHI カスタムメイドの140インチで、超単焦点レンズを搭載したEPSON製のプロジェクターEB-L1070Uが完備。スクリーンの手前には昇降式のグリーン・バックも用意されているので、クロマ・キー合成による演出も可能だ。
「渋谷でこれだけの機材を完備したスペースは多くないので、既にいろいろな問い合わせをいただいているのですが、レンタル・スペースとして一般の人に貸し出す予定はありません。しかし、いただいた話にはすべて耳を傾け、それが『LUSH HUB』のミッションに合致するか、キュレーションしていきたい思っています。決して上から目線ではなく、クリエイターの皆さんやこれまでお付き合いのあった人たちと一緒に、このスペースを使って何かおもしろいことをやっていきたいと思っているだけなんですよ。ライブ・イベントでもいいですし、技術的なセミナーでもいいですし、メーカーさん主導で新製品の発表会で使っていただいてもいいですし、アート・インスタレーションなどでも使ってもらいたいと思っています。そして来場者さんの皆さんは、ここでいろいろな刺激を受けて、知識やノウハウを吸収し、ウチの会社で消費してくれれば最高です(笑)。繰り返しになりますが、クリエイターの皆さんにとってのハブのような空間になったら嬉しいですね」(前田氏)
取材協力:株式会社メディア・インテグレーション
写真:八島崇
LUSH HUB
東京都渋谷区神南1-8-18 クオリア神南フラッツB1F
https://lush-hub.com/
本記事の掲載号「PROSOUND Vol.226」