9月の公開開始以来、ロングラン上映が続いている映画『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』(アップリンク系列)。
各地で映画公開記念のイベントが開催されているが、ここでは、去る10月18日(日)にアップリンク吉祥寺において行なわれたトークショウ「オーディオのプロが語る『ベイシー』唯一無二の魅力」の様子をお伝えしたい。
登壇したのは、季刊「ステレオサウンド」誌等への執筆で知られるオーディオ評論家の小野寺弘滋さんと、東京・秋葉原のオーディオショップ「ダイナミックオーディオ」の厚木繁伸さんのお二方。ともにベイシー店主の菅原正二さんとは旧知の仲であり、映画にも出演されている。
以下、ほぼノーカットで当日の内容をリポートする。
映画の感想について
司会 まず、本作をご覧になった感想を教えてください。
小野寺 ベイシーや菅原さんの写真はたくさんあるのですが、動く映像という形でベイシーの店内や、菅原さんの人となりが残されたのが、一番この映画で良かったと思っているところです。身体と一緒で、音も毎日同じではないし、お店は生き物です。菅原さんが「ベイシーは未完成だ」とおっしゃるのですが、これは、店のつくりとしても、オーディオの音としても、自分としても、日々生き物のように変っているという意味合いも含めてなんでしょうけど、その生き物のあるところを切り取って、映画という形で残してくれたところがやっぱりよかったな、と。お店にしても人間にしても、その全貌を伝えるのはどんなメディアでも無理ですけれど、星野監督の視線を通してまとまっていたと思いますし、「ジャズ喫茶ベイシー」ということだけではなく、ジャズ喫茶が一緒に生きてきた時代や、オーディオとかジャズ、菅原さんに直接関係のないシーンもたくさんありますが、そういった広がりのある映画だというところが特徴じゃないかと思いました。
厚木 私は1993年からベイシーにお邪魔させていただきましたけど、今回このようなかたちでジャズ喫茶がフィルムに収められることは世界にも例をみないことだと思います。オーディオで音楽を聴くことに関して、やはり日本人の感性のすばらしさ、っていうのがこういう形で残るということが素敵なことだと思います。映画の内容に関しましては、「ベイシー読本」も然りですが、どのシーンを切り取っても素敵な空間であると思いますし、ましてマスターがそこに居るだけで、本当にどこをとってもかっこいい、素晴らしい場所であり、それに音が重なった喜びというものが100パーセント伝わらなくても、観た方が興味を持っていただけるようなものになっているんじゃないかと思っております。
現在、こういう世の中なのでジャズ喫茶ベイシーも残念ながら開けてないわけですけど、これから先のことはまだわかりませんが、この映画が完成したことに関しても、日本のジャズ喫茶の歴史、オーディオの歴史、それを真剣に音楽として再生しようとした男の生き様が、この中に収められていると思いますので本当に素晴らしい作品だと思います。
小野寺 僕は、本を作ったり原稿を書いたりするのが仕事なんですけども、どうしても本のサイズという限界があります。僕はこの映画の中でものすごく好きなシーンがあって、雪の日の夜、ベイシーを少し離れたところから撮っていて、入り口に菅原さんが出てきて外を眺めるんですが、あのシーンって、雑誌では表現できないんですよね、小さくて。でも映画館のスクリーンで観るとあのシーンが生きてきて、かっこいいな、あれを見ているだけで、良かったなって思うんです。
厚木 僕も一つ、映画で印象に残ったシーンを。やはりオープニングでマスターが一人で珈琲を入れているシーンが素晴らしいと思いました。私たちがお店に行ってもああいう角度で見ることはできませんし、本当に凛とした、無音じゃない静かな感じ、静寂が伝わってきて素晴らしいカットだと思います。それと、食堂のおばさんがおかもちを持って食べ物をベイシーに運んで行き、菅原さんとベイシーガールズたちが誰もお客さんがいないところで食事をしてる場面を、よく撮ったなって。あれは、素晴らしい。ベイシーファンの私としては、その二つのカットが残ったことがうれしく思います。
司会 そういうところってなかなか普通のお客さんは見られないものなんですか?
厚木 もちろんです。
小野寺 ライブ前とか時間がないので、スタッフだけで出前とかをとって食べるんですけど、菅原さんはとにかくめちゃくちゃ早く食べるんです。カツカレーだとか、僕一回負けたんですけど、そのあと悔しくて本気出してめちゃくちゃ早く食べたら、今度は菅原さんがとても悔しがっていました(笑)。
初めてジャズ喫茶「ベイシー」を訪れた時の印象
司会 厚木さんは初めての来店が1993年ですよね、ちなみに小野寺さんは?
小野寺 ベイシーは一関という岩手県で一番南のほうにあるんですけど、僕はそこから東に50キロくらいいった気仙沼というところの出身で、1979年に初めてベイシーを訪ねていきました。ただし、菅原さんとお話をしたのはその10年後です。10年間通って一度も話をしませんでした。
司会 それはどちらからも話しかけることがなかった、ということですか?
小野寺 はい、そうです。
司会 ちなみにベイシーでは普段、菅原さんとお客さんはお話しされるものなんですか?
小野寺 されている場合もあればしてない場合もあります。
司会 厚木さんはもちろん行ったらお話しされているんですよね?
厚木 菅原さんが野口久光先生に総武線の電車内でお会いしたときに「菅原です」と話しかけた、と映画の中でありましたね。私もベイシーに行ったときに「厚木です」と言ってSHUREの「V15 Type III」(注:菅原さん愛用のフォノカートリッジ)を渡したんです(笑)。そしたら「どこから来たんだ」「東京です」「ここ座れ」と。そうやって話をさせていただきました(笑)。
司会 最近はコロナ禍ということもありますが、近年では海外のお客さんも多くいらっしゃると聞いています。ちなみにこの劇場のなかでベイシーに行かれたことのある方っていらっしゃいますか? ――結構いらっしゃるんですね。みなさんお話しとかされるんですか?
お客さん 最初は怖かったです。でも、話したらすごく優しい方でした。
小野寺 本当におっしゃる通りで、僕も10年間はただの客として通っていまいしたが、懐に入ってしまえば、底知れない優しさのある人で。僕はたまたま気に入っていただけたらしく、菅原さんの著作物にはほぼ関与させていただき、それは自分にとって人生で一番良かったことだと思います。
司会 劇場でも販売している「聴く鏡」(注:菅原正二さんの単行本)などですね。
小野寺 「聴く鏡」もそうですし菅原さん初の単行本「ぼくとジムランの酒とバラの日々」も、連載そのものはステレオサウンドという雑誌でやっていたもので、連載の担当が僕でした。僕がまだステレオサウンドの読者だった時代、読み切りで菅原さんの原稿が載っていて、その後ステレオサウンドに入社して、「菅原さんの原稿が面白かったので連載にしていいですか」と当時の上司に掛け合い、アポなしでベイシーに行き「実はこういうものです」と名刺を出して「連載していただけませんか」って。そこから直接のお付き合いが始まったんです。
司会 それが初めてお店に行ってから10年後のことなんですか?
小野寺 そうです、そうです。
司会 それまでずっと黙ってらしたのですね。それはそれで凄いですね。初めてお話をした時が、10年越しで連載のお願いに。
小野寺 そうですね。菅原さんの文章を読みたいって。「読みたい」っていうのは編集者の仕事のモチベーションの原点なので。それが1989年とか90年とかですから、もう30年。僕はステレオサウンドを10年前に辞めましたので、そのあとの連載は染谷編集長が受け継いでいますが、折に触れて菅原さんと色んな話もしていますし、「ベイシー読本」というムックが今年の5月にステレオサウンド社から出ましたけれど、これも写真を撮ったり原稿を書いたり、対談をいくつか掲載したり、楽しくご一緒させていただいています。
司会 劇場にも既に購入されている方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。だって、ものすごく豪華な内容ですよね。
小野寺 はい、頑張りました(笑)。染谷編集長から「50周年だし、映画の公開もあるのでベイシーの本を作りたいんだけれど、小野寺さん手伝ってくれませんか?」と言われて、「菅原さんが絡んでいるならなんでもやる」と言って。とりあえずもう最優先っていうか、菅原さんには恩もある、義理もある。菅原さんがよく言うんですが「義理と人情とハートとロマンに生きる」ってね。そういう風に僕も生きたいなって。本に関しては本当にやれてよかったというか、損得じゃなく菅原さんが喜ぶものをどうやったら作れるかなと思って作りました。
菅原さんがJBLを使い続ける理由
司会 ベイシーができて昭和、平成、令和と菅原さんは50年もお店をやってらっしゃるわけですが、オーディオに関してもお話を聞きたいという方も多いと思います。まず、菅原さんはずっとJBLを使ってらっしゃいますが、JBLをこだわって使っている理由をご存じでしょうか?
厚木 私は菅原さんの色んな文章を読んでおりますが……うまく伝えられるかわかりませんが、「もっといいものがあれば、使ってるよ」と菅原さんは言っていますが、50年間同じものを使い続けることの意義は、50年使い続けた人にしかわからない、色んな話や事情があると思います。そのことを最大限に汲みたいと思います。もう目の当たりにするだけですね。
小野寺 不満のないものを変える必要はないでしょ、っていうのが菅原さんのスタンスだと思います。聴き比べて買ったものは多分ひとつもないはずで、出会い頭で「デザインがいい」とか、「佇まいがいい」とか、「なんとなく良さそうだな」とかでお選びになって、たまたましっくりきて、自分の血肉になり、そこから不満はないんだから、換える必要はないだろうっていうのが菅原さんの精神でしょう。ただ、壊れても直し続ける――アンプなんかは凄くやってますけど――あれはまあ、性格でしょうね。見捨てない。
先ほど、自分の懐に入った人には優しいと言ったのと同じで、自分のアンダースキンというか、義理のあることに対してはとことん面倒を見るっていうところが菅原さんの素晴らしいところだと思います。それが同じものを使っている根本的な理由じゃないですか?
厚木 実は私も菅原さんと同じプリアンプを持っていて、20歳の頃から40年使っているんです。何回か壊れていますけど、僕が直す時は現代の部品でいいし、動いてくれればいいと思うんですけど、菅原さんが尋常じゃないのは「1970年代後半、まだ安かった、アメリカからきたジャンク品をたくさん買ってる」って言うんですよ。そこから部品を抜いて直していると。同じパーツで、納得のいくパーツで直しているっていうところが、狂気ですね。僕からすると。
小野寺 狂気ですよね。僕のスピーカーはベイシーとほぼ似たような構成なんですけど、菅原さんからアンプも使ってみろと言われて貸してもらったり、自分で買ったりもしたんですが、やはり壊れるんですよ。ところが普通の修理だと元の音に戻らない。でも菅原さんは元の音に戻すための修理が出来るんです。まあ、やっぱり狂気ですね、普通は出来ないですもん。
で、僕は、そのアンプの音がいいのはわかったんだけど、このアンプをずっと使い続けて情が移ったらヤバイなと思って。情が移ったらヤバイでしょ? 情が移って、とことん直し続けて、そのことで人生を棒に振るようなことになっちゃったら……それは止めようと思って、1~2年くらいで諦めて、当時の新品に換えて今に至るんですが……それだってもう30年くらい経っているんですけどね、あんまりよくないですよね。
司会 修理をしたり、スピーカーの位置を変えたりと、菅原さんは様々なことをしてらっしゃると聞いています。お二人は昭和、平成、令和とベイシーに行かれていて、その辺りのことをどう感じていますか? ずっと進化を続けているってことなんでしょうか?
小野寺 あるレベルまでいくと、そのレベルを維持するのが一番難しいと思うんですよ。変化したほうが簡単です。目先を変えるのは簡単で。同じポジションにいたければ重力にも逆らわなきゃいけないし、風が吹いたらゆらゆらはしてもどっかに行っちゃいけないし、そういうことをやってらっしゃっているので、進化といえば進化だし、ここに留まるためにはもっと根を深く張らなきゃいけないから、深化でもあるかもしれない。結局、菅原さんが求めているのは「同じであること、変らないこと」で、装置は自分が理想としたことを具現化させるための手段でしかなくて、その理想としているものがきちんとそこにあるかということ。極端な話、装置は変ってもいいわけですよ。でも理想を実現化するためのものとして、ベイシーのシステムは菅原さんにとって最高のものである、それ以上はない、ということで使い続けている、というのが僕の理解です。
厚木 同意見です。私は菅原さんから「居続けることの難しさを誰も言わない」という言葉を聞いたとき、「俺は居続けていないな」と思いました。どこにいるんだろう、って。菅原さんのその言葉と、そういった言葉を持てていない自分のギャップに打ちのめされました。
私はオーディオ店に勤めていて販売する側にいるわけですけれど、できれば皆さん、少しでもいい音で聞きたい、より感動する音楽をオーディオを通して聴くことを願ってらっしゃると思いますけど、やはり変えてしまったらそれは変化なんですね。これを言うと商売にならないんですけども、変えないで良くする、っていうのが本当の進化なんです。それがベイシー。まあ菅原さんがいるレベルって地球上でいうエベレストの突端にいて、風が吹いても落ちないように、ぐらぐらはしていても、時々直立不動で立っていられる感じでいるんだなと、私は思っていますけどね。そこが一番かっこいいですよね。
ベイシーの音はかっこいい
司会 厚木さんは映画の中でベイシーのことをかっこいい音と表現されていましたが、かっこいい音ってどういうことなんだと思われますか?
厚木 それは、私の音がかっこ悪かった、っていうことの裏返しなんですよね。ベイシーの音を聴いて「あれ、俺の音かっこ悪い」って。だからベイシーの音はかっこいいって言えたんですね。どこにそれを一番感じたかというと、ビートとリズムですね。僕の音にはビートとリズムがなかったんです。自分でお金を出してオーディオを揃えて時間を割いて、音楽を聴いて……、それなのに何故ベイシーの音楽で感動するんだろうって……やられましたよね。かっこよさって、僕にとって、一番はビートとリズムなんですよね。なんでこんなにウキウキするんだろう、なんでこんなに楽しいんだろうって。立って踊り出したくなるような、そういうかっこよさでした。
小野寺 「ベイシー読本」の最後のほうに菅原さんが80年代に語った記事があります。これは、亡くなられたオーディオ評論家の朝沼予史宏さんが纏められた記事なんですけど、テンポの話をしてるんですね。そこで菅原さんがおっしゃったのは「ゆっくりの曲はもたったほうがかっこいい。速い曲はたたきこむとかっこいい」と。指揮者的に言えば、早いテンポのときは、棒の打点をちょっと早めに出す。すると、どんどん先に行くんです。オンビートに打点を出すと早い感じがなくなっちゃう。で、ゆったりの曲はやはり少し遅れ目に出す。音楽というのは時間の芸術です。時間の表現はとても難しくて、でもそれをオーディオで語る人は少ないんですよね。
厚木 レコードって誰が買っても33と1/3回転なんです。それは1秒と狂わないことなんです。ですが、同じ時間で進んでいるはずなのに何故こんなに聴き応えが違うんだ、っていうのが謎でしたね。
小野寺 それはやはり使っている人にテンポや時間の感覚がどのくらいあるかだと思うし、菅原さんがよく言っていたのは「リズムは軽くビートは重く」。ビートはビシっと出しとかないと4ビートの意味がないし、16だったらどういうビートを出すの? っていう。どこにビートを持ってくるかで全然躍動感が違いますよね。で、リズムは重くなったらだめだし、っていう時間の感覚に対してものすごくセンスがあるのがベイシーの音を特別にする一つの理由だと思います。
厚木 私はそれが敏感にでるのがJBLだと思います。どうでしょう?
小野寺 能率が高いですからね。ちょっとの信号に素早く反応できるってことは、最大の特質ですからね。スピーカーって測定をするとき、基本になるのがダーーーと信号を連続して流す静的な特性なんですけど、JBLは信号をバシっと出した時の動的な特性、その反応の良さに良いところがあると思いますね。
ついでに言うと、ベイシーのスピーカーって3つの帯域に分かれているんです。一番大きな箱のところは低音を出しています。上に載っている屋根みたいなの、あれが中音を出しています。真ん中に目玉みたいなのがありますよね、あれが高音を出しています。結局、一つ一つのユニットのスピードが速くても、スピードが揃わないとぐしゃぐしゃになっちゃうでしょ。そうするとビートが出ないわけですよ。低音のビートは低音だけが出しているわけじゃなくて、その上に倍音がのって高い周波数が出るんですね。
厚木 すごく難しいですよね。でも菅原さんが言っていますよ。「ベイシーに来たら、真似をするんじゃなくて盗め」って。音を盗めと言うんですよ、菅原さんは。
小野寺 そこのタイミングの位置の調整みたいなのは前人未到の領域ですよね。世界でも、それができる人はスピーカーメーカーにもいませんよ。
司会 そうですよね、一般的にはスピーカーって、ユニットが全部一つの箱に組まれているものを買っているわけですからね。
小野寺 菅原さんはとても細かく調整していますが、普通は問題にならないんですよ、あれくらいの誤差は。車で例えると、時速350kmでも大丈夫なように設計しているんだけど普段は60kmで走らせてる、みたいな感覚なのかなと。
厚木 それは楽しいですよね。地獄もありますけど。
小野寺 ベイシーでお話しをしている時、静かに音楽が流れているように思われますが、あれはヴィンテージのレーシングカーで街乗りしているのと同じなんですよ。レーシングカーで街乗りするというのがどれだけ大変かと、車が好きな方なら想像できるんじゃないですかね。
<おわり>
『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』
2020年9月18日(金)よりアップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
●監督:星野哲也●編集:田口拓也●出演:菅原正二、島地勝彦、厚木繁伸、村上“ポンタ”秀一、坂田明、ペーター・ブロッツマン、阿部薫、中平穂積、安藤吉英、磯貝建文、小澤征爾、豊嶋泰嗣、中村誠一、安藤忠雄、鈴木京香、エルヴィン・ジョーンズ、渡辺貞夫 (登場順) ほか ジャズな人々
(C)「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ
書籍情報
弊社では、小野寺さんが撮影、執筆を手がけてくれた『ジャズ喫茶 ベイシー読本』(厚木さんの原稿も載っています)や菅原さんの関連書籍等も絶賛発売中です。映画と一緒にこちらもぜひお楽しみ下さい。