藤谷 弊社ではこれまでお客様に映画を最大限に楽しんでいただけるようさまざまな試みを実践してきました。近年はご存知の通り映像分野のストリーミング・サーヴィスが充実し、従来に比べると手軽に映像作品を楽しめる環境にあります。いっぽう、劇場で作品を観賞する意味付けや魅力を改めて考えた場合、また、映画館は製作者の意図する作品の魅力をストレートにお客様に伝えることが使命であることを再度念頭においた際に、映像メディアに不可欠な「映像」「音響」の2点をさらに水準を上げることが必要ではないかと立ち返りました。その成果がジーベックスと協業した2018年3月の「TOHOシネマズ日比谷」の「スクリーン1」を皮切りに、続く2020年7月にオープンした「TOHOシネマズ池袋」の3つのスクリーンでも実現できました。
瀬川 TOHOさんからのご依頼を受け、「TOHOシネマズ日比谷」の一番大きな「スクリーン1」(456席+3・車椅子)にはカスタムオーダーメイドのスピーカーを導入することで、劇場空間の広さに相応しい音をお届けすることができました。カスタムオーダーメイドのスピーカーは既成品では得られないより精細で高音域な音を提供することを目指し、その劇場のために専用に設計・開発されているのが特徴です。
藤谷 「TOHOシネマズ日比谷」の「スクリーン1」で培われたノウハウは、「TOHOシネマズ池袋」の3つのスクリーンに受け継がれ、それぞれのコンセプトに寄り添った形で進化を遂げました。池袋の「スクリーン6」は「TOHOシネマズ日比谷」の「スクリーン1」の流れをくむ音響の純度を追及した<プレミアムサウンドシアター>、また、「スクリーン10」はカスタムオーダーメイドのスピーカーでさらに立体音響(ドルビーアトモス)が高精細な音で体験できる<プレミアムサウンドシアター>に仕上げました。さらに「スクリーン2」は音の体感・迫力ある音をコンセプトに重低音を魅力とした<轟音シアター>として音響環境を創り上げています。
瀬川 藤谷さんの述べられた「TOHOシネマズ池袋」の3スクリーンは「TOHOシネマズ日比谷」の「スクリーン1」と同様、すべてカスタムオーダーメイドのスピーカーを導入することで、TOHOさんの考える各スクリーンのコンセプトを実現することができました。
LOVE PSYCHEDELICOのNAOKI氏が劇場音響を監修
藤谷 2018年に劇場公開され、日本でも異例のヒットを記録したクイーンの映画『ボヘミアン・ラプソディ』をLOVE PSYCHEDELICOのNAOKIさんが「TOHOシネマズ日比谷」の「スクリーン1」で観賞され、スピーカーの音に感動を覚えられたという話をうかがったのです。
NAOKI 「TOHOシネマズ日比谷」の「スクリーン1」に導入されているカスタムオーダーメイドのスピーカーは、イースタンサウンドファクトリー(以下ESF)が設計・開発しているモデルなのですが、この会社はドイツ製モニタースピーカーのムジークエレクトロニックガイザイン(以下ムジーク)の輸入代理店でもあり、僕達LOVE PSYCHEDELICOのプライヴェートスタジオ「Golden Grapefruit Recording Studio」でもこのムジークを以前からメインスピーカーとして採用しています。ムジークのスピーカーは同軸ユニットで定位感も優れ、クロスオーバーの違和感や脚色をほとんど感じさせません。ナチュラルな音がいいのです。この思想を自社製品にも取り入れて開発を続けてきたESFのスピーカーはムジークのナチュラルな表現力に肉薄しつつも、ニアフィールドに強いムジークとは対照的に、音を遠くに飛ばす技術としてはさらに優れています。
日比谷の「スクリーン1」の音を一聴して、僕達のプライヴェートスタジオと変わらない音はそのままにさらにその音が大きな空間の隅々に行き届くように出てきたので、「ここならミックス作業もできちゃうんじゃないだろうか」と感じてしまうほどでした。自分達の使用してるムジークは近距離での聴取環境ですが、「スクリーン1」は何十倍、何百倍も広いじゃないですか。あれだけ大きな劇場で各周波数帯に違和感を感じない経験は日比谷が初めてでした。
その体験をきっかけに2019年に開催したLOVE PSYCHEDELICOの「プレミアム・アコースティック・ライヴ」ツアーでは、日比谷「スクリーン1」に導入されたカスタムオーダーメイドのスピーカーをベースにしたモデルを僕達LOVE PSYCHEDELICOで特注オーダーし、全国を回ったんです。
藤谷 今年の7月上旬、「TOHOシネマズ池袋」のオープン直前にNAOKIさんへカスタムオーダーメイドのスピーカーを導入した「スクリーン6/10/2」の3つの劇場の音を体験していただく機会があった際、9月にオープンする「TOHOシネマズ立川立飛」の音響監修をお願いしたいとご相談したのです。
NAOKI まったく同じ環境ではありませんが、今回の音響監修のお話をいただく前に同仕様のスピーカーで20本程コンサートをこなしていたので、そのツアーの経験が結果としてひじょうに役立ちました。だから今回のスピーカーは映画はもちろん、ライヴ配信や映画館コンサートとしてもハイスペックの表現が可能なことは実証済みでした。
タイムアライメントを極めた音調整とシネマプロセッサーのカスタマイズ
瀬川 「TOHOシネマズ日比谷」のプロジェクトから3人のサウンド・チューナー(劇場の音をプログラム・管理する専門職)を一緒に起用することで、従来よりいっそう綿密な音のまとまりを目指したのも新たな試みの一つといえます。それはTOHOさんの考える劇場のコンセプトを高次元で実現するには不可欠だと考えました。サウンド・チューナーと一言にいってもそれぞれに個性があり、役割分担をすることで各人のキャラクターを引き出しながらクオリティの高い音の空間を構築するという狙いがあったのです。
藤谷 「TOHOシネマズ立川立飛」には全部で9つのスクリーンが完備されていますが、一番大きな規模の「スクリーン7」(323席+2・車椅子)の<プレミアムシアター>と「スクリーン5」(152席+2・車椅子)の<轟音シアター>にカスタムオーダーメイドのスピーカーを導入し、音響監修をNAOKIさんにお願いしたのです。NAOKIさんはミュージシャンとしての活動のみならず、サウンド・エンジニアやプロデューサーとしても活躍されており、その経験やノウハウが映画館の音をまとめる上でも発揮してもらえるだろうと考えました。7月上旬に「TOHOシネマズ池袋」の3つのスクリーンの音を聞いていただいた際、印象をうかがうと「現状は何Hz辺りがこうだから、セリフが少し引っ込んで聞こえてくる」というような具体的な数字が即座に出てきたことに驚愕しました。試聴した印象を表現すること自体が難しいのですが、さらにそれを具体的な数値で示すことができるということは、NAOKIさんが、その音楽センスをもって、さらに膨大な時間を真摯に「音」と向き合ってきたことの証であり、まさにプロフェッショナルだと感じたのです。
NAOKI 映画館の音響チューニング作業は今回が初経験でしたが、自分の2つの耳=ステレオで聴いて、判断していく、調整していく、という意味では普段の僕達の録音現場と同じなんだと思います。ジーベックスのスタッフの方々の現場の雰囲気もとてもよかったので余計に初めて作業してる気がしなかったんです。全員で一つの目指すべきところへひたすら向かっていく感じでした。
瀬川 NAOKIさんの音に向き合う真摯な姿勢に応えるためにも、弊社としては3人のサウンド・チューナーを<プレミアムシアター>と<轟音シアター>に起用することが不可欠だと考えました。
高橋 われわれサウンド・チューナーは映画館が出来上がり、スクリーン、スピーカーやアンプなどが導入されると測定器を持参して映画館のサイズや環境などを考慮し、複数本のマイクを立てて映画館の特性をまず測定するのです。
松村 映画館のサイズや形状はさまざまですし、壁や床、天井、座席などに使われている素材によっても音の響きは当然ながら変わってきます。フロント、サイド、サラウンド、サブウーファーといったスピーカーをチャンネルごとに追い込んでいくのです。
高橋 「TOHOシネマズ日比谷」の「スクリーン1」でイースタンサウンドファクトリーのカスタムオーダーメイドのスピーカーに初めて接したのですが、音を追い込んでいく過程でスピーカーの素性のよさとポテンシャルの高さを実感していました。ほんのわずかな音の調整が出音に反映されてくるのです。
河原 現在、導入の数を増やしてきているQSC製のデジタルシネマプロセッサーQ-sysは従来のプロセッサーに比べ、音を項目(周波数)別により細かく設定できます。
NAOKI そう。河原さんは僕が「こういう作業だったらこういうEQがあるとチェックしやすいんだよなぁ」というとその場でプログラムしてEQを作っちゃうんです (笑)。そのスキルの力をお借りしながら、僕としてはこの20年間程のLOVE PSYCHEDELICOやプロデュース現場での録音経験やトラブル・シューティングの実体験を音響監修に活かせれば、と思って望んできました。録音スタジオと映画館では空間規模はまるで異なりますが、スピーカー同士の位相を完璧に合わせることが出来ればルールはまったく同じです。ただ映画館はスピーカーの数が多いので、各スピーカー同士の位相を合わせるにあたって、ドラム録音のエンジニアとしての経験がとても役立ちましたね。ドラム録りもマイクが多いでしょう? マイク10本くらいは立ちますから。ドラム録りのマイクもすべての位相を合わせていくんですが、最初にスネアの裏表のマイク2本の位相を合わせ、次はそこにバスドラムのマイクの位相を合わせ…と1本ずつ注意深く位相を合わせながらマイクをONにしていくんです。この手法と同様にまずはLとRのスピーカー、そこに台詞を担うセンターの位相を合わせ…と一つずつ10万分の1秒単位で音の発音を合わせて位相を揃えていきました。すべてのスピーカーの位相がぴったり合ったら、その後イコライジング作業に入るのです。まずはL/Rのスピーカーを聞き慣れた楽曲でスタッフの方々とチューニングしていきます。
河原 Q-sysを使い、NAOKIさんのいう調整ポイントを探るシステムなどをその場でソフトをどんどん追加していきました。
高橋 NAOKIさんの指摘は的確そのもので、そのポイントを追い込んでいくと引っ込んでいた音が明確に聞こえてくるように変化をするのです。
松村 録音スタジオでエンジニアの方々とやりとりしているだろうNAOKIさんの音の表現の仕方が、映画館の音をまとめるわれわれサウンド・チューナーとも共有でき、意気投合できたのが大きかったと感じます。
NAOKI それぞれのチャンネルのスピーカーのタイムアライメントと位相が先程話した作業でぴったり合ったことを前提に、聞きなれている音楽の音が違和感なく聞こえてくるようにスピーカーシステム全体をまとめる形で音を追い込んでいきました。
松村 これまで、われわれはあくまでマイクで測定したデータを基に調整を追い込んできたのですが、NAOKIさんは聴感上で感じた印象のみでスピーカーの位相や音色を追い込んでいかれる。なかでもサブウーファーはステージスピーカーと設置場所が離れているため調整が格段に難しいのですが、NAOKIさんの指摘は理に適っており目から鱗が落ちました。
高橋 それらの細かな設定をイースタンサウンドファクトリーが設計・開発したカスタムメイドオーダーのスピーカーはすべて反映できる点にも改めて驚きました。
聴感で追い込む重要性とそれに応えるスピーカーの実力
松村 わが社は多くの映画館の音響のご依頼をいただくので、誰もが測定したデータを基に音を追い込んでいける技術を持っています。ただ、NAOKIさんのタイムアライメントに対する感覚は測定器より確実に勝っているのです。
河原 測定器のデータももちろん大事なのですが、機械にはまだまだ負けないぞ、と(笑)。
高橋 NAOKIさんの意見を反映し、調整した後の音は抜群に音の抜けがよく、音楽が格段に心地よく響いてくるのです。
NAOKI 人間は「聞き分ける」という測定器にはない能力を持っているし、音をあくまで空気の振動として耳と身体全体で感じているので、数値では測れない領域もあると思うんですよね。数式の単位はせいぜい1mm/Sec、千分の1秒。僕達人間は10万分の1秒を~聞き分けることは出来なくても~聞き比べてどちらが気持ちよいか判断することは出来るんです。
松村 今回、手掛けた立川立飛の<プレミアムシアター>と<轟音シアター>の2スクリーンは劇場としての空間サイズも、導入されたカスタムオーダーメイドのスピーカーも別物ですが、音を追い込んでいく手法自体は変わりませんでした。
NAOKI 映画でよくある劇伴のオーケストラの特にトップラインの帯域、台詞の帯域、重低音の帯域、と意識しながらの作業でしたが、最終的にはオーディエンスにとって心地よい音が鳴っているかどうかが大切なんです。特性は違えど、結果としてどちらのスクリーンもそういう仕上がりになったと思ってますよ。
松村 面白いと感じたのは<轟音シアター>に導入されたサブウーファーの出音で、明らかに<プレミアムシアター>のそれとは音色が違うのです。設置場所がスクリーン前にあるからなのか、音の瞬発力や音色が独特だと感じています。
藤谷 ODS(=映画以外のコンテンツ上映)も想定し、<プレミアムシアター>は幅広い音域で高精細な音を楽しんでもらえる空間、いっぽうの<轟音シアター>は特に重低音を体感できる空間を目指したコンセプトで、創り上げています。
NAOKI <プレミアムシアター>は立川立飛で一番大きな規模のスクリーンですが、良質なコントロールルームのように音がすぐそこで鳴っているような、手で掴めるような感覚を大切にし、<轟音シアター>は比較的小さな規模のスクリーンですが、大音量であっても音がけっして部屋で飽和せずにそれぞれの音が空間サイズを超えたところからワイドに聞こえてくるように音を追い込んでいます。聞き慣れた音楽で音の調整を追い込んだ後は、もちろん映画作品でもさらに時間をかけて音をていねいに確認していきました。
今回のプロジェクトでは何より僕の意見や手法をスタッフの方々が広い気持ちで受け止めてくれたことに感謝してますし、録音スタジオで習得してきた音創りのノウハウが、TOHOシネマズの映画館の音響監修で思う存分に活かせたことを嬉しく思います。とても充実した日々でした。
藤谷 この立川立飛で得たことを今後の弊社の取り組みではさらにブラッシュアップした形で活かしながら、映画の魅力が素直に十分に発揮できるよう映画館のさらなる可能性を探っていきたいと考えております。