1998年に運用が始まった日産スタジアム
PS 1998年に運用が始まった「日産スタジアム」は、7万人以上の収容能力を誇る国内屈指の大型競技施設です。三輪さんは建築時から関わられているとのことですが、常設の音響システムにはどのような特徴がありますか?
三輪 何と言っても、スピーカーが完全分散方式で設置されている点が挙げられます。この競技場ができた90年代後半までは、完全分散方式でのスピーカー設置は一般的ではなく、場内の然るべき場所に大型スピーカーを設置する方法が主流でした。例えばこういった競技場でしたら、スクリーンの両脇にクラスターの大型スピーカーを置いたり……。それが分散方式になったのは、おそらく重量の問題が大きかったのではないかと思います。そもそも大型スピーカーを置くことができるスペースも無いですしね。
PS 20年近く運用してきて、音響面での課題はありましたか。
三輪 僕の中では、客席の一部で音が少し薄いというのはありましたが、運用上、特に問題になるようなことはありませんでした。
PS 2015年度から3年かけて、音響システムが全面リニューアルされたとのことですが、そのきっかけは何だったのでしょうか?
三輪 一番のきっかけは、『ラグビーワールドカップ2019』の開催が決まったことです。また、来年の『東京2020オリンピック』ではサッカーの決勝戦が行われますし、開場から約20年が経ちますから、そろそろシステムを更新した方がいいのではないかと。そんな話が最初に出たのが2014年のことです。
JBL PROFESSIONAL「PD500 Series」を124台導入
PS 今回導入された新しい音響システムでは、屋根下のスピーカーとしてJBL PROFESSIONALの「PD500 Series」が選定されています。客席から見上げると、ズラリと並んだ「PD500 Series」が壮観ですが、このスピーカーを選定された理由をおしえていただけますか。
三輪 最初は、“ラインアレイはどうだろう?”という話も出たんです。しかしラインアレイですとキャビネットを縦方向に吊る必要がありますし、ここだと重量的に無理だろうということになりました。それでどうしようとなったときに、「埼玉スタジアム2002」で使用しているJBL PROFESSIONALの「PD Series」はどうかと思ったんです。こういう現場ですから、しっかりした代理店が取り扱っているものでなければなりませんし、その点でもJBL PROFESSIONALのものだったら安心だろうと。早速「PD Series」でシミュレーションを行い、具体的な検討を始めたのですが、そんなときに別件でJBL PROFESSIONALの本社を訪れる機会があったんです。JBL PROFESSIONALの本社には大きな駐車場があるのですが、そこでたまたま見たのが「PD500 Series」の試作機だったんですよ。駐車場で見たことがないスピーカーを鳴らしていて、“何、あのスピーカー?”ということになって(笑)。ホーンは小さかったのですが、遠くまで音が飛んで、指向性制御(コントロール)も凄く良かった。もしこのスピーカーが間に合うのなら、こっちの方がいいんじゃないかと思ったんです。
PS そのときの「PD500 Series」の印象が相当良かったんですね。
三輪 現状、ポイント・ソースで十分な音量が出せて、遠くまで飛ばすことができるスピーカーって、ほとんど選択肢が無いんです。昔はいろいろありましたが、みんなラインアレイになってしまいましたからね。
それと最初に検討していた「PD Series」は指向角によって形状が違っていたんですが、「PD500 Series」は指向角が異なる4種類のモデルがすべて同じ形状というのもいいなと思いました。指向角によって形状が違うと、スピーカーごとに取り付け金具を製作しなければならない。その点、「PD500 Series」はすべて同じ形状なので、金具も1つ製作すればよかったんです。
それに、バイ・アンプでも鳴らせてシングル・アンプでも使える汎用性の高さもいいですし、今回のリニューアルにはベストな選択肢だと思いました。特注で防塵・防水加工にもできますしね。
PS 今回は「PD500 Series」を何台導入されたのですか。
三輪 124台導入しました。基本的には以前のスピーカーと同じ位置に取り付けてあるのですが、どこにどの指向角のスピーカーを設置するかはしっかりシミュレーションしました。1本のキール(竜骨)につき多いところで4台、少ないところで2台、少し間隔が開いているセンター部分以外は、ほぼ等間隔で設置してあります。
PS バルコニー下のスピーカーについてもおしえてください。
三輪 以前は横長のスピーカーが付いていたのですが、取り付けのことを考えると同じような形状のものがいい。それでいろいろと検討した結果、JBL PROFESSIONAL 「AE Series Compact Models」の「AC28」というスピーカーを導入することにしました。「AC28」は全天候型ではないのですが、これも特注で防塵・防水加工しました。以前のスピーカーと取り付け位置が一緒と言っても、指向角は違うので、こちらもシミュレーションをしっかり行いました。合計で295台の「AC28」がバルコニー下に上手く収まっていますね。
PS パワー・アンプに関しては?
三輪 スピーカーのクロスオーバーなどの処理はパワー・アンプ側でやろうと考え、DSPを内蔵したAMCRONの「DCi Series Network」を選定しました。「DCi Series Network」は「PD500 Series」との相性も良く、専用のプリセットが用意されているんです。導入したのはすべて4ch仕様のもので、600Wの「DCi 4|600N」と300Wの「DCi 4|300N」の2種類ですね。スタジアム全体で納入したパワー・アンプの総出力数は以前と同じですが、1台あたりの出力チャンネル数は倍の4chになりましたので、台数が半分になりました。
HARMAN「Audio Architect」で音響システムを一元管理
PS 今回、BSS AUDIOのプログラマブル・デジタル・プロセッサー「BLU-160」と「BLU-806」も導入されたとのことですが、調整卓やパワー・アンプとの接続はどのようになっているのですか?
三輪 「VENUE | SC48」の出力を5回線、調整室の「BLU-806」に入力し、グループごとにEQ、ディレイ、レベル調整といった処理を行っています。スタンドをメイン、バック、ホーム、ビジター、VIPと5つのグループに分けて、それぞれ調整ができるようにしてあるんですね。例えば、メイン・スタンドだけ少し音量を上げたり、ビジターのお客さんが少ないときはその部分だけ音量を下げたりとか。そういった細かいコントロールを調整室の「BLU-806」で行えるようにしているわけです。ちなみに「BLU-806」は、リダンダントのことを考えて2台用意し、「VENUE | SC48」とはそれぞれAES/EBUとアナログで繋いでいます。「BLU-806」が大頭になるわけですので、そこで何かトラブルが起きたときが怖い。そこでデジタル接続した「BLU-806」に不具合が生じた場合、アナログ接続した「BLU-806」に自動的に切り替わるシステムを構築しました。
そして調整室の「BLU-806」からは、Danteで各アンプ室の「BLU-DA」に信号を送り、アンプ室内の機材はすべてBLU linkで接続しています。アンプ室の「BLU-160」では、各スピーカーのフィルター、EQ、ディレイ、レベルといった細かい調整を行なっています。この競技場はとても大きいので、スピーカー間の音の到達時間がけっこう違うのですが、スピーカー・キャビネット間のタイム・アライメント補正も「BLU-160」で行いました。
一番大変だったのは、「Audio Architect」(編註:音響システムの設計や各機器の設定、システム状況のモニタリングなどを行うためのHARMANのソフトウェア)のプログラムですね。これだけの設備になりますので、システム内のすべての「DCi Series Network」と「BLU-806/BLU-160/BLU-DA」を、調整室の「Audio Architect」で一元管理できるようにしたんです。もちろん、調整室とアンプ室の接続はDanteですので、Audinate 「Dante Controller」は別途必要になりますが、「DCi Series Network」と「BLU-806/BLU-160/BLU-DA」のコントロールはすべて「Audio Architect」上でできるようになっています。
PS 先ほど「Audio Architect」の画面を見せていただきましたが、独自のユーザー・インターフェースを作成できる『カスタムパネル』機能を使って、とても使いやすくプログラムされていますね。スタジアムのどのスピーカーからどの音が出ているのか一目瞭然です。
三輪 調整室ではいろいろな人が操作するわけですから、運用状況が一目で把握できるシステムにしておかないとダメだなと思ったんです。ここのリンクが切れているとか、ここはオンラインではないとか。それにここまで大規模なシステムですと、設計した本人だって1年も経てば何が何だか忘れてしまいますからね(笑)。「Audio Architect」は本当に自由度が高いソフトウェアで、どこまででも追い込むことができるんです。例えば、これはまだ誰もやっていないと思うんですが、FFTを使って音響調整するためのノウハウを、スイッチングの機能として「Audio Architect」の中に入れ込んであります。『カスタムパネル』機能と「SmaartLive」などの音響調整ソフトウェア、「Dante Virtual Soundcard」を組み合わせることで、簡単に測定できるようにしておきました。これによって周波数特性や位相なども、すべて把握することができる。本当に「Audio Architect」は凄いソフトウェアで、誰かが“これで終わり”と止めてくれなければ、いつまでもやり続けてしまいますよ(笑)。
PS デジタル・プロセッサーは他にもありますが、「Audio Architect」の存在は「BLU-806/BLU-160」を選定した大きな理由になっていますか。
三輪 そうですね。とても奥が深いプロセッサーだと思います。もちろん、私は他のプロセッサーも使いますし、良くできているものもありますが、「BLU-806/BLU-160」は一番スピーカー・プロセッサーに近いですね。今回のシステムには合っていたのではないかと思います。
PS 今回のシステム構築にあたって、最も苦労した点というと?
三輪 テクニカルな面での苦労はそれほどないんですが、強いて言うならリダンダントを組むのが面倒だったくらいでしょうか。屋根下のスピーカーもバルコニー下のスピーカーも、トラブルが発生したときのことを考えて、隣り合ったスピーカーを違う系統の回線にしてあるんです。同じ系統の回線にしてしまうと、隣り合ったスピーカーが両方とも鳴らなくなってしまいますからね。その配線が少し面倒でした。
PS システム・デザイナーとして、新しい音響システムには満足されていますか。
三輪 そうですね。スタッフに訊いても、“良くなった”という話しか聞かないですし。以前と比べると音量が大きくなり、低域もしっかり出るようになったので、迫力のあるサウンドになったのではないかと思います。20年前は、アナウンスは常設機材で、イベントなどのDJ的要素は持ち込みの機材で鳴らすことを想定していました。音量も95dBを基準としていたんです。それが今回のリニューアルで常設機材だけで派手なイベントにも完全に対応できるようになったのではないかと思います。
PS 本日はお忙しい中、ありがとうございました。
取材協力:日産スタジアム(指定管理者代表団体(公財)横浜市体育協会)、株式会社ブレインズ アンド ジーニアス、通信設備株式会社、ヒビノ株式会社
写真:鈴木千佳
施工業者が語る、日産スタジアムの新しい音響システム
by 小宮智生(通信設備)
弊社では1997年の竣工時から「日産スタジアム」様の施工管理を手がけており、最新技術を採用して音響調整と音作りをしてきました。このスタジアムはスピーカーの数が非常に多いので、リミッターの調整とシビアなEQ調整、インピーダンス測定が重要になってきます。新機材導入後の音響調整は、2015年度のパワー・アンプ更新時、2016年度のバルコニー・スピーカー更新時、2017年度にメイン・スピーカーを更新して2018年度に工事が完了した後の計3回行っています。今回の改修は、照明設備のLED化工事も同工程で行われ、以前のスピーカーの撤去/搬出や新設スピーカーの荷揚げにラフター・クレーン(註:建設機械)を使用したので、元請として建築業者や設備業者との工程調整に苦労しました。スピーカーや運用ソフトの製作にかなり時間がかかったので、ハードやコスト面の確保/管理も大変でしたね。しかしその甲斐あって、音質感やSTI(音声の明瞭度指数)は客席およびピッチ上で目標値を確保でき、運営側からも大変好評で安心しています。今後、『ラグビーワールドカップ2019』、『東京2020オリンピック』と大きなイベントが控えているので、ぜひ足を運んでそのサウンドを体験していただければ、施工に携わった一人として幸いです。ハード面・ソフト面・コスト面で協力していただいた関係各位にお礼申し上げます。
JBL PROFESSIONAL/AMCRON(現CROWN)/BSS AUDIO製品に関する問い合わせ
ヒビノ株式会社 ヒビノプロオーディオセールスDiv.
Tel:03-5783-3110
https://proaudiosales.hibino.co.jp/