NHKは、東京・愛宕のNHK放送博物館でメディア向けツアーを開催した。1925年に日本で初めてのラジオ放送がスタートし、来年で100年の節目を迎えることを記念して展開されているプロジェクトの一環となる。
そのNHK放送博物館(東京都港区愛宕山2-1-1)は、かつて「東京放送局」があった港区の愛宕山に建ち、経験豊富な学芸員の解説とともに充実した展示が楽しめる施設だ(入場無料)。
館長の山本雅士さんによると、この場所は当時の東京23区内の自然地形でもっとも標高が高い場所ということもあって選ばれたそうだ。ただし実際に1925年3月22日にラジオ放送が始まった時は、諸般の事情から芝浦にあった東京高等工芸学校の図書室から送信しており、愛宕山から放送が行われたのは同年7月12日からだったという。当時スタジオがあった場所は、現在は駐車場になっている。
NHK放送博物館が誕生したのは1956年3月で、放送専門の博物館としては他に類を見ない貴重な存在とのことだ。ラジオの放送開始から、テレビ放送の歴史、近年の8K放送やインターネット同時配信まで、放送に関連した歴史資材や紙資料(台本やチラシなども)を収蔵・展示している。
ちなみに放送開始当時は東京放送局という独立法人として放送を行っていたそうだ。その後、同年6月1日に大阪放送局、7月15日に名古屋放送局が開局、この3つが1926年8月に合併して日本放送協(NHK)が誕生した。公共放送としてのNHKになったのは1950年で、直後の1953年にはテレビ放送を開始、1960年にはカラー放送もスタートしている。
ここからは読者諸氏も覚えているだろうが、2011年にアナログ放送が終了(地デジへの完全移行)、2018年にはBS4K/8K放送がスタートし、直近ではNHK+で配信との融合も進められている。
NHK放送博物館では、こうした歴史を追体験できるよう、各種機材も展示されている(StereoSound ONLINE読者も興味のあるところだろう)。家庭用の受信機はもとより、送出側の機器の進化や、それによって放送がどんな風に変化してきたのかを、社会情勢も含めて辿ることができるのは他にない魅力だ。
ちなみにそれらの常設展示に加えて企画展示も行われており、12月15日までは『「きょうの料理」から見る日本の食』展が開催されている。ここでは100年前のレシピや1957年の放送開始当時のスタジオ再現セットも並んでいるそうだ。
ここからNHK放送博物館の学芸員 磯崎咲美さんに展示の詳細を解説していただいたので、順路に沿って紹介していきたい。
その前に、1Fエントランスを入った右手に歴代のラジオやブラウン管テレビ、蓄音機も展示されているので、ハードウェア好きの方はここも見逃さないようにご注意いただきたい。
エントランスを抜けて2Fに上がると、正面にはATAGOYAMA 8K THEATERがある。200インチ画面と22.2chサラウンドシステムを備えた空間で、オンエア中の8K番組が上映(10:00〜16:30)されている。予約不要とのことなので、スーパーハイビジョンのパフォーマンスを体験したいという方は番組表をチェックしてから足を運んでみてはいかがだろう。
8K THEATERを出て正面の階段を上がると、テーマ展示ゾーンが広がっている。ここでは「テレビドラマの世界」「音効体験コーナー」「こども番組がいっぱい」といったテーマ別に放送の歴史がわかるようになっている。連続テレビ小説や大河ドラマは、第一作から現代までの全番組名とスチルが並んでいるので、思い出の作品もきっと見つかるはずだ。
「オリンピックの感動を伝える」と書かれたエリアには、1964年の東京大会開会式の中継で使ったカラーカメラ(2本の撮像管を使用した分離輝度方式)も展示されている。他にも1972年の札幌大会で使われたという16mmフィルムを使ったガンサイトカメラなど、今のヘルメットに装着するカメラの先駆けとして必見だ。
3Fはヒストリーゾーンとのことで、1925年のラジオ放送開始からの様々な資料、実機が並んでいる。先ほど紹介のあった、東京高等工芸学校の図書室の様子も再現されており、実際にその放送で使われたマイク(直径20cm以上ありそうな巨大なもの)も並んでいる。
その横には、日本初の放送機、ゼネラル・エレクトリック社製「AT-702型送信機」も置かれている。高さ2m弱、幅1m強いはありそうな筐体で、ラジオ放送のためにこれだけの機材が必要だったということに改めて驚いた次第だ。
ここで磯崎さんから、日本でラジオ放送が始まったきっかけとして、関東大震災があったということも紹介された。震災後に様々なデマが広がり、正しい情報が伝わらなかったこともあり、海外でスタートしていたラジオ放送が注目されたとのことだ。
ちなみに放送開始時に多くの聴取者が使っていたのは鉱石ラジオ+ヘッドホンだったそうで、当時の鉱石ラジオの感度地図(高さ7.5m、長さ13.5mのアンテナを立てた場合!)も展示されているのが目を惹いた。そこに並んでいた1925年に東京電気株式会社(後の東芝)が発売した「サイモフォンA型電池式2球再生ラジオ」(真空管式)は、公務員の初任給が75円の時に90円だったそうだ。
番組内容については、当時は送信所のマイクの前でアナウンサーが原稿を読み上げるしかなかったので、ニュースも新聞社の情報をラジオで放送するというスタイルが普通だった。そのためラジオの機能として、速報性というよりは、文化の共有や教育の社会化、家庭生活の革新などを目指していたという。
その後1920年代後半には野球や相撲中継、ラジオ体操、長唄などが人気となり、スピーカー一体型ラジオも発売されるなどして、普及が進んでいったという。さらに1936年に起こった二・二六事件では、ラジオを通じて反乱兵士に向けた放送が行われるなど、その影響力が広く認識されていった。
1937年の日中戦争から1941〜1945年の太平洋戦争といった戦時下では、政府の情報統制によりラジオ番組も時局の影響を受けていく。いわゆる大本営発表という形で、戦意高揚の手段として使われたわけだ。
終戦を告げた1945年8月15日の玉音放送もラジオを通じて行われたが、NHK放送博物館には、その際に昭和天皇の声を録音した「テレフンケン型電音円盤録音機」と同型のモデルや、実際に録音された玉音盤の1枚、あるいは当時昭和天皇が使っていた「RCAビクター12X型5球スーパーラジオ」まで並んでいる。
その後1950年には放送法が施行され、NHKが特殊法人に改組、他にも民法ラジオ局が名古屋と大阪に誕生したそうだ。そこでは録音機材も進歩し、日本初のテープレコーダーとなる東京通信工業(現在のソニー)の「GT-3型テープ録音機」も登場している。
日本でのテレビ放送のスタートは1953年2月1日だが、技術開発はラジオ放送の前から始まっており、高柳健次郎さんが「イ」の字の再現に成功したのは1926年12月25日だったという。戦後GHQによって禁止されていたテレビ研究が1946年7月に再開、そこからわずか7年で実際の放送を実現したのは驚くべきスピードと言えるだろう。
ここからの展示はテレビが中心で、1954年2月の力道山・木村組対シャープ兄弟の試合を中継した新橋駅西口広場の街頭テレビに2万人の観客が詰めかけた様子も再現されている。そこで使われたという「投写式テレビ用シュミットレンズ」(ブラウン管の映像を拡大投写する)も一見の価値ありだ。
NHKに続いて日本テレビやラジオ東京(現在のTBS)といった民放局も放送をスタートし、1959年の皇太子(現在の上皇陛下)御成婚、1964年の東京オリンピックといった大きなイベントもあって家庭(当時はお茶の間)へのテレビの普及も急速に進んでいった。
カラー放送が始まったのは1960年だが、当初は一部の番組のみカラー、他はモノクロで放送されていたことを覚えている方もいらっしゃるだろう。NHKでは総合テレビが全時間カラー化したのが1971年、教育テレビは1977年だったそうだ。
この時期の展示では、三菱の「14T-210型テレビ」(1957年製モノクロ)や、東芝の「19CH型カラーテレビ」(UNI COLORの表記あり)も注目で、テレビが高級品だった時代の雰囲気が楽しめた。ユニークなところでは、三菱のRGB用3台の単色ブラウン管の映像をハーフミラーで合成してカラー映像として再生する「6CT-338型テレビ」も展示されている。
そこからは衛星放送やハイビジョンの登場など、放送の多様化が進んでいった経緯が紹介されている。ハードウェア的には録画用機器が普及してきた時代でもあり、特に業務用VTRの登場がテレビ放送に画期的な変革をもたらしたこともよくわかった。なお、当時の業務用VTRテープは、オープンリール型で幅が2インチ、収録時間96分だったそうだ。
ちなみに当時のテープは番組制作費用と同じくらい高価だったとかで、NHKでも放送が終わると次の番組を上書きして使い回していた。そのためこの頃の番組でアーカイブに残っていない作品もあったという。
家庭用ビデオデッキで、1977年発売のビクター「HR-3600」(VHS)と、1978年発売のソニー「SL-8300」(ベータマックス)が並んでいるのはオディオビジュアルファンとしては感慨深い。この当時にテレビ放送を録画して手元に置きたいと思っていた読者諸氏も多いはずだから。
以上、NHK放送博物館の常設展示を拝見し、この100年の放送技術の進化に驚くとともに、自身がリアルタイムで体験してきたテレビや録画機の推移を懐かしく思い出した次第だ。貴重&懐かしい機材も沢山並んでいるので、ハードウェアに興味のある方は一度訪れてみてはいかがだろう。(取材・文:泉 哲也)