逃げる。追う。愛と無実をかけた追跡が、いま始まる。
リチャード・キンブル。職業、医師。正しかるべき正義も時として、盲(め)しいることがある 。彼は身に覚えのない妻殺しの罪で死刑を宣告され、護送の途中、列車事故に遭って辛くも脱走した。孤独と絶望の逃亡生活が始まる。髪の色を変え、重労働に耐えながら、犯行現場から走り去った片腕の男を捜し求める。彼は逃げる。執拗なジェラード警部の追跡を交(か)わしながら、”現在を”、”今夜を”、そして”明日を”生きるために。(TVドラマ『逃亡者』冒頭ナレーション)
懐かしの名作TVドラマ『逃亡者』の映画化作品である。主演はハリソン・フォード。『逃亡者』でのフォードの演技は、彼のキャリアの中で最高のもののひとつとみなされている。一方、ジェラード連邦保安官補に扮したトミー・リー・ジョーンズはオスカー助演男優賞を受賞、彼の最高傑作として記憶される。とはいえ、映画が完成するまでにさまざまな紆余曲折があった。
いまではTVドラマの映画化は頻繁にあるが、当時のハリウッド関係者の多くは「これまでテレビシリーズが映画化されたことはない」と映画化を渋っていた。草稿が出来上がってから5年間、『逃亡者』は行き詰まったままだった。ウォルター・ヒルとデヴィッド・ガイラー(『エイリアン』のプロデューサー)が共同で脚本を執筆して、1990年に撮影準備が整い、ヒルが監督を務めるところまでいったが、結局立て直しになった。最終的に数えると、脚本家は9名、脚本の書き直しは25稿に及んでいる。(製作アーノルド・コペルソン)
フォードのスケジュールとの兼ね合いで製作日数が限られ、脚本が完成する前にクランクインしている。多くの台詞は撮影当日に書かれたり、即興によるもので、たとえばいくつかのジェラードの印象的な台詞も、その多くは撮影当日にセットで書き上げられたものだという。さらにポストプロダクションの作業も10週間と限られていた。こうした状況にあったものの、映画は批評家に絶賛、興行面でも大成功を収め、作品賞を含む7つのオスカーにノミネートされている。
当時のワーナー・ブラザースの会長ロバート・A・デイリーは、ハリソンの髭をみて剃るように言明した。主要な男性俳優は髭を生やしてはいけないというスタジオの規則があり、デイリーは「私はハリソン・フォードの顔にお金を払っているのだ。ハリソン・フォードの顔が見たいのだ」と説得した。ハリソンは自分とは似ていないキャラクターを演じたがっており、髭を生やすのもその手段のひとつだったと思う。そこで我々は、映画が始まって20分以上経った時点で、キンブルに髭を剃らせることにした。デイリーもハリソンもその願いを叶えたわけだ。映画の後半、連邦保安官室の誰かが「キンブルに髭が似合うと伝えてください」と言う。あの台詞は笑えたよ。あれは(ビッグズ役の)ダニー・ローバックが撮影の朝に作ったものだ。(製作アーノルド・コペルソン)
撮影は『タクシー・ドライバー』『レイジング・ブル』のマイケル・チャップマン。監督デイヴィスと『沈黙の戦艦』で組んだフランク・タイディが解雇された後、急遽チャップマンが撮影に参加することになり、彼に与えられた準備時間はほとんどなかったという。
(撮影中は)ずっと不満だった。監督と合わなかった。その理由に触れたくないが、とても悪い組み合わせで、うまくいかなかった。だがそれも過去のことで、彼の功績をいくらか認めなければならない。そこにはアンディ・デイヴィスがもたらしたシカゴらしさがある。 つまり、彼はシカゴ出身であり、本物のシカゴの感覚がある。 彼はどこを見るべきかを知っていた。だがそれはアンディのものであり、私のものではない。(撮影監督マイケル・チャップマン)
パナビジョン・パナフレックス/35mm撮影。一部の特殊効果ショットは(水平輸動式)ビスタビジョン撮影。またフラッシュバックシーンでは一部16mm撮影を行っている。30周年記念となる4K UHD化においては、ワーナーMPI (Motion Picture Imaging)が作業を担当。35mmオリジナルカメラネガとインターポジ(開幕タイトル・シーン等の光学処理ショット)を8K解像度でスキャニング。
4Kレストア&グレーディングは『ゴッドファーザー』『アフリカの女王』などの復元で知られる、MPI テクニカル・ディレクター兼シニア・カラリストのジャン・ヤーブローの主導で実施。LUT(ルックアップテーブル)はアグファのオリジナルLUT(4S Low Fade stock)を採用。HDRグレードはHDR10のみ採用。最終承認は監督アンドリュー・デイヴィスと編集ドン・ブロッシュが行っている。
BLU-RAY版は2006年、2013年(20周年記念リマスター)に米ワーナーから登場。前者はMPEG2(映像平均転送レート21Mbps)、後者はMPEG4/AVC(25.3Mbps)圧縮。いずれも1層/25GB、1.78:1ハイビジョン・アスペクトであった。対して30周年記念として登場したUHD BLU-RAYは3層/100GB仕様。映像レートは40Mbpsから110Mbpsで変化、平均67.3Mbpsを記録。HDR10のピーク輝度は3000nit 以上に達し、平均は347nit。アスペクトは初めて1.85:1ビスタサイズ収録される。監督デイヴィスが「フィルムを将来の世代に保存するだけでなく、より豊かな視聴体験が得られる。フィルムネガに記録された詳細なディテイルがより明らかになり、我々の当初のビジョンに忠実となった」と語る通り、素晴らしいのひと言、2023年4K UHD BLU-RAYの最上位に属する出来栄えだ。
これは賞賛に値するHDR映像であり、フィルムで撮影された作品が最高の状態でソフト化されたことを示す。オリジナルネガ使用ショットにみるコントラストと黒レベルは安定度を増し、ディテイルと明瞭度が大幅に改善。テクスチャやファブリックの描画力も申し分なし。衣服は細かく解像され、オブジェクトのテクスチャがリアリズムを高めている。インターポジ使用ショットはわずかに解像感が後退するものの視聴の集中を欠くものではない。粒子感は適切に処理され、細粒軽量、低照度ショットで幾分厚みを増す。WCG (広色域)の恩恵は、豊かで深みのある色彩に明快。原色や二次色の再現はもちろん、アーストーンや暗色の再現も観応えがある。全体的には(冬の)クールトーンが押し出されているが、屋内のウォームトーンとのバランスも説得力がある。肌質は血色がよく、寒風や暖気に反応する肌トーンの変化も見逃さない。
オスカー録音賞にノミネートされた面々は『グローリー(オスカー受賞)』のドナルド・O・ミッチェル、『ショーシャンクの空に』のマイケル・ハービック、『レヴェナント 蘇えりし者』のフランク・A・モンタノ、『沈黙の戦艦』のスコット・D・スミス。一方、オスカー音響編集賞にノミネートされたのは『ゴースト&ダークネス(オスカー受賞)』のブルース・スタンブラー、『今そこにある危機』のジョン・レヴェック。ドルビーアトモス・リミックスにはフランク・A・モンタノが参加(他に上記の録音エンジニアが立ち会っているが、名前は明らかにされていない)。
前述したリミックス・ドルビーアトモス・トラックと、オリジナルDTS-HD MA5.1トラックを収録。いずれも16ビット仕様に変更されてはいるが、ドルビーアトモスはオリジナル5.1に忠実にリミックスされており、ニアフィールド鑑賞用として過度な演出を施しておらず、好感の持てるパフォーマンスとなっている。本作は派手なアクションもあるが、基本的にはフロントステージも寄り添った会話主導のドラマ。発声は一貫して洗練された明瞭さを保ち、屋外での空間統合にも優れ、ことに屋内シーンで優れた浸透力を披露する。効果音は重層的に配置され、分解能やDレンジも優秀。サラウンドは静謐な場面でも曖昧になることはなく、臨場感と指向性効果のための使用も巧みだ。
ハイトチャンネルはオーケストラスコアの拡張、列車の衝突、頭上のヘリコプター、下水道の環境音など、いくつかの散発的な音響効果で構成されている。より高さ方向のレイヤーを実現できたはずだが、オリジナルからかけ離れる余剰を許してはいない。ジェームス・ニュートン・ハワードのオーケストラスコアは、サスペンスとアクションの原動力となっており、聴きどころのひとつ。
この映画に雇われたときは不安だった。音楽が必要なシーンのプレースホルダとして使用していたジェリー・ゴールドスミスの音楽を聴いた後、さらに落ち込んだのを覚えている。ゴールドスミスのようなスコアを期待されているのが分かったが、それに匹敵できるか自信がなかった。結局、出来上がったスコアは納得いかないものだった。ストリングスのアレンジがぎこちなかったし、特に追跡シーンはもっとうまく出来たはずだ。(アカデミー賞にノミネートされたとき)完全にショックだった。ノミネートに値するとは思っていなかった。だがそういうことはよくあることだ。(音楽ジェームス・ニュートン・ハワード)
UHD PICTURE - 5/5 SOUND - 4.5/5
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