新人監督とアーティストがコラボする音楽・映画プロジェクトMOOSIC LABの2015年度コンペティションで6冠を獲得し、現在新宿のシネマカリテにてレイトショー公開されているファンタジー作『いいにおいのする映画』。メガホンを執ったのは現在24歳の俊英・酒井麻衣だ。子供のころよりファンタジーが大好きで、学生時のニックネームがメルヘンだったという過去の持ち主。そんな夢見る少女がいかにして監督(魔法使い)になったのか。その軌跡を聞いた。
――まずは子供のころのことを聞かせてください。
小さいころから芸術が好きで、将来は画家になりたいって思っていたんです。ちょうど、小1の時にピカソとかレオナルド・ダ・ヴィンチにドはまりして(笑)、絵画教室に通っていましたので、小学校低学年時代はずっとそう願っていましたね。特に両親がそういう仕事についていたというわけはないんですけど、とにかく絵を描くことは好きでした
――それが変わったのは?
小学校高学年になったころに、それが(少女)漫画に変わったんです(笑)。ノートに自作の漫画を描いて、クラスに回し読みするってことをよくしていました。そうしたことを4、5、6年と3年ほどしている内に、物語を作る方にも興味が湧いてきたんです。
中学に進学した時には新たにやりたいことが増えて、3つになっていて、卒業文集には画家、作家、そして脚本家(になりたい)って書いていましたね。その頃は、絵も好きだし、物語も好きだし、映画も好きだし、という状況で、中でも映画については、一番大事なのは脚本なのに、なんで監督ばかりがもてはやされるんだろう、って感じていた時でもありました
――なぜ、脚本家が増えたんでしょう?
中学生ってちょうど思春期で、大人の階段を登っていくうちに魔法とか妖精とかサンタさんとかって、実はいないんじゃないか……っていう葛藤に苛まれるようになって、そうした時に私を救ってくれたのが、ファンタジーの実写作品だったんです。「ハリー・ポッター」シリーズを観て“やっぱり魔法ってあるんだ”って勇気づけられたり、その他にも「ティム・バートンの『チャーリーとチョコレート工場』」とか『パイレーツ・オブ・カリビアン』なんかを観るようになって、そうした想い(脚本家になりたい)が強くなってきたんです
――そうした中高生時代を経て、大学進学は?
子供のころから画家になりたいと思って近所のデッサン教室というか芸大専門の予備校みたいなところに通ってこともあって、そのまま芸大を受けよう、と決めていたんです。しかし、大学受験を迎える頃には絵を描くことに集中ができなくなっていて……。ちょうど生徒会の副会長をしていたこともあって、文化祭の取りまとめをしたり、クラス対抗パフォーマンス大会で、自分で(脚本を)書いた劇を披露したりしているうちに、みんなで何かをすることをすごく楽しく感じる自分がいて、小さい頃からの画家になりたいという夢と、現実の楽しさのアンバランスさに悩むようになってしまったんです。
結果として、絵も小説(脚本)も最終的に映画になればいいなと思っていて、だったら映画をやればいいんだ、という結論を得て、芸大の映画学科に入学しました。
京都造形芸術大学の映画学科には、(私がいた頃は)俳優コース、プロデュースコース、技術コース、そして監督コースがあって、実は私はプロデュースコースを取っていたんです(笑)。そこで監督をやりたいやりたいと言い続けながら、ゼミ製作で学生映画を作ったりしていました。4年間通して、在学中はほとんど学生映画(の制作)に費やしていました。林監督のおかげで、助監督をさせていただく機会も得ました。
――ところで、みなさん卒業したらその道へ進むんですか?
そうでもないと思います。テレビや制作関係、あるいは監督などの弟子になってこの世界に残るのは、少ないと思います。俳優コースの方たちは、ほとんどが卒業したら上京して事務所にはいったり、俳優活動をしています。
――酒井さんは?
私は映画を撮りたいっていう欲望(笑)が強かったので、大学院の映画学科へ進学すべく受験したんです。3次まで行ったので絶対に受かるって思っていたんですけど……、落ちてしまって。そこでできることがなくなってしまったので、就職しました
――今回『いいにおいのする映画』の企画の直井さんとの出会いは?
在学中の4年の時に、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭でお会いしたのが最初です。そこでは、学生映画対決という企画があって、そのトークショーに出演した時に、司会をされていたのが直井さんだったんです。当時、直井さんと言えば、学生にとっては監督への登竜門的存在だったので(笑)、“私、映画を作りたいです”ってアプローチしたら、あまりいい反応はしてくれなくて……。そうこうしているうちに、受験に落ちてしまって……。
――映画の企画が動き出すきっかけは?
就職してしばらく経った頃に、直井さんとフェイスブックでつながったんです。そこで、MOOSIC LABの企画を出してみない? という連絡をもらって、“来たーー”っ思ってすぐに“絶対にやります”って返事をしたのがきっかけですね。
そこから連絡を取り合って企画を詰めていく中で、Vampillia(バンピリア)さんの出演がOKとなって、映画を撮ることが決まったので、“ここで東京行かなかったらいつ行くんだ!”と思って、会社を辞めて上京してきました。ちょうど昨年(2015年)の2月ごろです
――一直線ですね。もう少し作品決定の経緯を教えてください。
2014年の6月ごろにお話しをいただいて、実際にVampilliaさんのライヴを見たのが、8月なんです。もう見た瞬間感動して号泣してしまって……。すぐに全体のプロットを考えて、これがやりたいです――照明に憧れる少女、扉越しのシーンなど――というものを直井さんに送りました。続けてあらすじを送ったらすぐに「面白いね」っていう返事が来て!
――そのあらすじはほとんど完成形?
そうですね。ほぼ映画通りのものです。
――そうして撮影(制作)が決まって上京してきた、と。
私が勝手にしたことなので(笑)。両親とは、映画がだめだったら実家に戻る、という約束をして上京してきたんです。
――レイ役はいつごろ決まったのでしょう。
9月にあらすじを書いて、そこから徐々に肉付けをしていく作業と並行して、秋前ですかね、金子(理江)さんがミスiDに決まる直前にお会いして、あっこの子だっていうインスピレーションを得ました。
――実際、撮影が始まってからの現場での記憶はありますか?
期間としては11日ほどで、とにかく必死だったという記憶しかないんです。覚えているのは、よーいスタート、カットと言う間の金子さんと吉村クンの動きだけで(演出している)、それは鮮明に覚えていますけど、現場で何を話したか、何をしたかということはほとんど記憶にないんです。
――演出は思い通りにできましたか?
演技に関してはできましたね。けど、撮影の段取りとか、お金の遣い方については……大分、迷惑をかけました。
――編集での苦労は。
一カ所やばいって思ったのが、冒頭、Vampilliaさんのことを紹介するところなんです。編集を終えてみた時に、これじゃVampilliaさんのことが分からないと思って。もともとはミュージカル風に彼らを紹介するシーンがあったんですけど、それが撮れなくて……。後からレイちゃんのナレーションを入れ、ミッチ―さんにイラストを描いてもらって挿入しました
――イラストは自分で描けたのでは?
ミッチ―さんがすごくお上手で、Vampilliaさんの世界観をよく表現されていたのでお願いしました。元々、劇中のほかのイラストをミッチ―さんに描いてもらっていたので、その流れでお願いしました。ミッチ―さんだからこその味ですよね、あのイラストは。
――現在は、映画は新宿シネマカリテにて上演中です。
ほんとうにうれしいです。初めてちゃんとお客さんに観てもらえる機会をいただけて、しかも反応がダイレクトに返ってくるのが有りがたいです。
――監督としての将来は?
金曜ロードショーで放送してもらえるような作品(映画)を作るのが目標です。
――これからは。
いまは次回作を書いている最中です。もちろんファンタジーで、年内には形にしたいなって思っています。一口にファンタジーというと夢物語みたいなものを想像しがちですけど、グリム童話みたいに、たどっていくとその物語の原型みたいなものがある、きちんとした理屈、起源があるものが好きなので、現実を見据えつつも、こんなに素敵なことがあるかもしれない! って感じてもらえるような作品を作りたいです。
――ところで、男性のタイプは?
えっ、えーと、優しくて賢くて、年上の方がいいですね。ファンタジーは信じてなくてもいいです(笑)。あと、欲を言えば寝る前に(子供に)絵本の読み聞かせをしてくれる人、休みの日に子供(と私)をいろんなところへ連れて行ってくれる人がいいですね。
――今日は、ありがとうございました
映画『いいにおいのする映画』
新宿シネマカリテにてレイトショー(20時20分~、本編74分)上映中(19日まで)
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