女優として活躍している池田エライザの監督デビュー作となる『夏、至るころ』。国内上映に先駆けて海外で高い評価を得た本作が、いよいよ12月4日(金)より公開される。

 青春の足音が遠ざかり、将来の進路の選択を迫られる高校3年生の夏を迎えた翔(倉 悠貴)と泰我(石内呂依)。自らの選択に自信が持てず、悶々とする時を過ごす中で経験する焦燥感。大人になった誰もが思い起こすであろうアノ甘酸っぱい記憶に彩られた瞬間を、女性らしい繊細でリアルな映像で描き切った本作。ここでは初監督の大役を果たした池田エライザに、作品に込めた想いを聞いた。

画像1: 池田エライザ原案・初監督作『夏、至るころ』がいよいよ12月4日より公開。「見逃してしまいそうな日常の中にある幸せに気付いてほしい」(池田)

――『夏、至るころ』の公開決定、おめでとうございます。コロナ禍での延期を経て、ついに12月4日から全国順次ロードショーです。

 もちろん早く観ていただきたいという気持ちはありましたが、偶然ですけど、こんな世の中になったことで、普遍的な日常のありがたみ、暖かさが余計に心に響く時代になっていると感じます。「幸せはそばにあるんだよ」ということを、この映画で伝えることができたらと思いますね。

――池田監督は原案・演出のほか、スタッフィングにも大きく関わられています。

 脚本、音楽、撮影、照明、録音に関しては私のほうからお声がけしています。撮影の今井孝博さんは『貞子』や『共喰い』も撮っていらっしゃって、ものすごく説得力のある絵作りをされる方だなと思っていたのでナンパしました(笑)。録音部の菰田慎之介さんにはよくドラマやCMでお世話になっていて、人柄も素敵ですし、福岡出身の方なので方言が判断できる、ということでお声がけしました。

画像2: 池田エライザ原案・初監督作『夏、至るころ』がいよいよ12月4日より公開。「見逃してしまいそうな日常の中にある幸せに気付いてほしい」(池田)

――監督や演出をするうえで、とくに重要視したことは?

 観る方に、「この人が主人公です」「これはこういう映画です、こう感じてください」とアピールする撮り方は絶対しないつもりでした。役者一人一人の表現したいことはなるべく削ぎ落さずに撮って、でも(作品に)収めた後は観る人に委ねたい。自分にとっての主人公は誰か、自分にとって一番共感できる人は誰か、思い出に残るシーンがどこなのか、料理でもいいし景色でもいいし役者の声でも涙でも虫の声でもなんでもいいんです。それがどれかというのは我々が決めることではない。観る方に、何が残ってもいい。いろんなひとが自然と、自分の気持ちで登場人物の誰かを主軸に観ていく、そんなふうに観てほしかったんです。

 演出に関しては人それぞれで、ほっといたほうがいい子も、すごく密接にやりとりをしたほうがいい子もいるし、明確なことよりも抽象的に言う方がいい子もいるし、それに関しては「監督と俳優」というより、「人と人」という感じです。それぞれ(の役者に)なるべく私が(対応を)変えようと思いました。

――最近の日本映画では貴重なんじゃないかというぐらいの、淡い色彩も印象に残りました。

 ほんとですか、女性(監督)にしては淡くないという意見もありますけど……。デフォルメせず、割と実世界にある色味を使っているからでしょうか。翔(倉悠貴)と都(さいとうなり)には赤い服を着てもらった場面もありましたが、なるべくサステナブルな空気感というか、アースカラーが多めになってはいますね。

――「地域」「食」「青春」を、福岡県田川市の風景から切り取って、浮かび上がらせているような。

 あくまで日常の中にある幸せを描いた映画です。自分に余裕がなくなればなくなるほど、見逃してしまいそうな日常にフォーカスを当てるというか。「洋食のほうがイケてるでしょ?」「和食のほうが健康にいいでしょ?」とおばあちゃんとおかあさんが言い合いながら料理を準備して、母親たちのすごく愛おしいおせっかい根性というか、無理矢理あれやこれや詰め込まなくても、日常の中にあるよねって、無理のない映画になったんじゃないかと思います。

――誰も死なない、穏やかな時間が過ぎていきますね。

 火薬がパンと炸裂して人が亡くなって悲しいという内容ではないですし、主人公が夢を叶えるというよりは右にいくか左に行くかというだけの映画かもしれない。

――セリフ回しがずいぶんゆっくりしていて、まるでセリフの余韻を見せるように長回しするシーンもあるのも興味深いです。

 倉くんに初めてお会いした時に感じたのは、「すごく達者だな」ということ。お顔だちがきれいだから、割とわかりやすい芝居を求められてきたのかなという印象を受けました。でもこの映画の(倉が演じる)翔ちゃんに関しては、「自分が言いたくなるまでセリフは言わなくていい」という演出の仕方をしました。あんまり技術的なことは考えてなくていい、「自分の思いを口にすることへの恐怖心」「思いを口にした瞬間、軽くなっちゃうんじゃないかという不安」、翔ちゃんに関してはとくにそういうキャラクターとして書き始めたから。なので余計、ゆったりしたセリフ回しに感じられたのかもしれません。

 あとは、田川市の方言的なところでしょうか。あんまり追い詰めるような話し方というよりは、包み込むような話し方をする。説明的なセリフがない映画ですから……「このひとはこういうひとで」っていうセリフがない分、劇中で、その人の言葉を聞いている相手の反応がすごく大事になる。いま話しているからこの人を見るべきということではなくて、その言葉を聞いて相手がどう反応するか、それを見せることにも意味がある。そう考えると、雑に撮れるところが一個もない。(脚本を)全部すくいあげていかなきゃいけなかった。だから(上映時間が)2時間にもなったんです。

画像3: 池田エライザ原案・初監督作『夏、至るころ』がいよいよ12月4日より公開。「見逃してしまいそうな日常の中にある幸せに気付いてほしい」(池田)

――オーディションをしていて、特に強く感じたことは?

 礼儀の正しさで自分を隠しちゃうひとが余りにも多すぎるような気がしました。いかにきれいなおじぎをするかにこだわるような……。でも私はそれを見て選ぶわけじゃないから。大切なのは、いかにプレッシャーのある環境の中で、それに惑わされず自分のテンポを乱さずにひょうひょうとしていられるか。大人から見た子供って、いろんなところがダダ洩れでそれが愛おしかったりするわけじゃないですか。

――その点で、今作がデビュー作となる石内呂依さん(全国2012人のなかからオーディションで選出)は傑出していたということですね。監督から見た彼の魅力はなんですか?

 呂依くんのすごくいいところは、最初の段階からお芝居が割とできていたこと、相手を変えて同じ芝居を何回か試してもらったときに、同じセリフでも相手によって芝居とか立ち位置とか声とか目線を全部変えるんです。そこに人間としての心意気というか、人の良さみたいなものをすごく感じましたね。

――演技経験は?

 一切なかったそうです。だから度肝を抜かれましたよね。「ずるい、本物だ」ってみんな言っていました。同じ動きをしないんですよ。「この動きをしたら面白いでしょ」と考えているわけでもない。同じセリフを何回も言って、もう覚えているはずなのに、あえてそれを捨てて、ちゃんと考えて、そのつど新鮮な演技をする。それは彼の才能だなと思いましたね。

――ラスト・シーン近くの、石内さん扮する泰我と、倉さん扮する翔の太鼓バトルも印象的です。

 太鼓の楽曲に関しては、あらかじめ「こういう音楽を使おう」ということではなくて、翔と泰我のふたりの感情、向き合ったり重なったり離れたりする2人の気持ちをグラフにして、曲を作ってもらった。言葉を交わす場面ではないけれども、太鼓で二人がぶつかりあっていく姿を描きたかった。それとお祭りのシーンは、撮影するにあたって本当にご協力いただいた田川市の方々とよりたくさん交流のできる瞬間でもあったので、この映画のプロジェクトに参加したことが田川市のみなさんにとって忘れられない、自分の町がもっと好きになるような思い出になればいいなという気持ちはありました。

――監督をなさる前と後とでは、池田さんご自身の「役者観」も変わったのではないかと思いますが。

 自分の職業(役者)をもっと好きになりました。「犠牲にして」というほどでもないにしても、いろんな選択を捨てて芝居に集中してきたなかで、周りにこんなに影響を与えているとは今まで気が付かなかったんです。彼ら(翔と泰我)の芝居を見ていると、彼らが自分でも感じたことのない初めての感情に触れて動揺しているのがわかる。その姿に立ち会っている、現場の全員が感動する瞬間があって……。

 呂依くんは煽りに煽ったら本番ですごくブチ切れて、自転車でどこかへ行ったっきり帰ってこないんじゃないかって思ったりもしたし、そんな人間の力というか感情の豊かさ、その無限大な部分に触れた瞬間の、現場全員が涙をこらえてる感じとかを見たときに「役者っていい仕事だったんだな」と改めて思いましたね。

 自分も(最初の頃は)いっぱいいっぱいで、泣くシーンが終わっても泣き止めなくて「ごめんなさい、本当すみません」ってなって、スタッフの方は「いいよいいよ」って言ってくれたんですけど、今回、自分が監督する側になって、その頃のことを思い出しました。

――作品制作にあたって、特に参考にした作品や監督はありますか? 劇中では立原道造の詩が、おじいちゃん役のリリー・フランキーさんによって朗読されるシーンもありました。

 リリーさんの倍音マシマシの(声の)立原、最高ですよ! あのシーンに関しては、「昔ばなしみたいな感じで読んでください」とお願いしたんです。この映画を作るにあたって、いろんな監督からアドバイスをいただきました。大根仁監督からは「編集の時にプレイリストをつくるといいよ」って教えていただいて、廣木隆一監督、英勉監督、『ルームロンダリング』の片桐健滋監督もエールを送ってくださいました。これまでいろんな映画を観てきて、いろんな影響を受けましたし、いろんな名監督と呼ばれる方を尊敬していますが、だからこそ、真似してしまわないように、(影響を)全部捨てなきゃいけない作業が大変でした。

 あの監督がやっていたことを私もやりたい、レオス・カラックスみたいに男の子を走らせたい、という思いもあるんだけど、この映画は田川市の方々を中心とした、いろんな方に観てほしい映画。田川市の方々が幸せな気分になったり、地元に誇らしい気分になってもらえるような。自分のアート欲みたいなものを満たすための作品ではないんです。

――ストーリーに監督自身を投影している、ということは?

 あんまりないですね。私は中学1年の頃からモデルや演技をしているので……。それは、常に自分のレールを自分で敷きつづけなければいけない仕事なんです。自分がそこに行きたいから、そこに向かってレールを敷いていく。彼ら(翔と泰我)は、どのスタートラインにいこうか、今から右に行くか左に行くかをこれから決める段階。それは私にはなかった。だからこそ逆に、私が一生憧れつづける世界でもあると思います。

画像4: 池田エライザ原案・初監督作『夏、至るころ』がいよいよ12月4日より公開。「見逃してしまいそうな日常の中にある幸せに気付いてほしい」(池田)

――「幸せってなんだろう」と考えさせられる作品です。池田監督にとっての幸せとは?

 一日の終わりの寝る前に、今日も命があって、自分の大切なひとたちが無事に生きて、この一日を過ごせたことに感謝するんです。目を閉じる前に一区切りというか「生きてるだけで偉いなあ」って思う時間を設けることが毎日の私を作ってくれていると思っています。「今日はあんまりいい日じゃなかった」と思う日も、周りのひとがくれた優しさを一日に一回振り返ることで、いかに自分がまだまだ恵まれた環境にいるのかがわかってくる。その振り返る時間を、たとえ数分でも設けられていることが私には幸せです。

――慈愛に満ちた、まるでチャールズ・チャップリンのようなことをおっしゃいますね。

 実は私、天使みたいな性格なんですよ(笑)。チャップリンとは同じ誕生日、4月16日生まれです。

――世界市民としてのさらなる活躍を楽しみにしております。ありがとうございました。

映画『夏、至るころ』

12月4日(金)より全国順次ロードショー!
<キャスト>
倉 悠貴 石内呂依 さいとうなり
安部賢一 杉野妃希 後藤成貴
大塚まさじ 高良健吾 リリー・フランキー 原 日出子
<スタッフ>
原案・監督:石田エライザ
脚本:下田悠子 音楽:西山宏幸 撮影:今井孝博 協力:田川市 たがわフィルムコミッション 製作:映画24区 配給・宣伝:キネマ旬報DD、映画24区
(C)2020「夏、至るころ」製作委員会

公式サイト http://www.natsu-itarukoro.jp/
池田エライザ http://www.elaiza.com/

テキスト:原田和典

This article is a sponsored article by
''.