16歳だったクリストファー・ノーランはシカゴの科学産業博物館にあったオムニマックス(IMAXを全天周ドームに投影する方式)でネイチャー・ドキュメンタリーを観て圧倒され、「どうしてハリウッドは映画をこの方式で作らないんだろう?」と思ったという。その疑問は自分が映画監督になっても消えることはなく、『ダークナイト』(2008)で初めて撮影にIMAXフィルム・カメラを使い始め(28分間、全体の尺に対して18%だった)、新たな作品を作る度にその使用比率を高めていった。そして、いよいよ9月11日に日本公開される最新作『オデュッセイア』では、2時間52分という長尺の全編100%をIMAXフィルム(撮影ネガの幅は65mm、1コマあたり15パーフォレーション分)で撮影した。子どもの頃に抱いた疑問に、40年後の自分が答えてみせたわけである。
その『オデュッセイア』をみなさんよりひと足早く、東京のグランドシネマサンシャイン池袋のIMAXレーザー/GTテクノロジー(以下『IMAX/GT』と略す)で観た。本当はフィルムのIMAXで観たいけれど、それを上映できる全世界41館のリストに日本の劇場はない。だがIMAX/GTならデジタルとは言え、撮影時のIMAXフィルムと同じ1:1.43の画郭だ(よく混同されているが、画面の縦横比の時はこの字を使う。対して『画角』は広角とか標準とか望遠とか撮影時のレンズが捉えられる範囲を表す)。
まー、凄いもんですよ、映像も音響もド迫力! あんまり細かいことはネタバレになるので書かないのでご安心ください。ホメーロス作の紀元前の叙事詩の映画化なんて「難しいのかな?」と思われる人もいるかもしれないけど、基本的には主人公オデュッセウスと息子テレマコスそれぞれの「往きて帰りし物語」。剣や弓のアクション満載、あちこちでデカい怪物が襲ってくる、海で大嵐は荒れ狂う……そんなスペクタクルが3時間近く続きます。登場人物の数は多いけれど、超A級クラスの有名俳優たちが大挙して演じているので「この人誰だっけ?」と悩むことも少ない。親切設計になってます。
巨大スクリーンを埋め尽くす映像はとにかく美しく繊細、かつ雄大。そもそもIMAXってそう簡単には行けないような場所の自然を、まるで自分がそこにいるかのように見せるための施設だったことを思い出させる原点回帰。ヨーロッパのあちこちでロケーション撮影した、見通しの良い山々の景色、海の景色、すべてがホンモノ。それにしても『ダンケルク』もそうだったけど、ノーランって浜辺で大勢の人がワーッってなってる姿が好きなんでしょうね。やたらと浜辺を見せられた。
海もいいんだ。細かい波の一つ一つまでハッキリと見える大海にポツンと浮かぶ船、なんて画を見せられると、この自然の中で、神々の膝下で、人間の存在とはなんと小さく頼りないものか……そんなことが、頭で考えるより先に身体に沁み込んでくる。考えるな、感じろ、ですよ。
そんな景色の中で、また俳優たちもいい。たとえば旅に出たオデュッセウスの帰りを待つ妻ペネロペを演じるアン・ハサウェイ。疲れ切った表情、額に刻まれる皺をこんなに高精細でアップにされるのは普通の女優さんだったら嫌だろうと思うんだけど、夫を待ちくたびれてきたその年月が言葉でなく画で伝わってくる。それでもやはり美しい。IMAXのフィルムカメラは1ロールで2分半しか撮影できず、フィルムそのものも高価だから、俳優たちの演技に対する緊張感は無限に撮れるデジタル撮影とはまったく違うものだったはずで、彼らの気合と緊張の伴った良い演技がきちんと画面に表れている。
ひとつ驚いたのは、小さいものでも50kgくらいはあるIMAXカメラなのに、ハンドヘルド=手持ち撮影があること。メイキング映像で巨漢の撮影監督ホイテ・ヴァン・ホイテマが自らこの大きなカメラを担いで撮影に挑んでいる。この人でなきゃ出来ない技です。
音圧も凄い。劇場が大きいので細かい音響設計を味わうには不向きかもしれないが、反対にこの大きな空間容積を高密度に埋め尽くす轟音が、その場にいる感覚を煽る煽る。音楽はここのところノーラン作品で連投し、近年は『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』など他の作品でもひっぱりだこのルドヴィク・ゴランソン。作品世界に合わせて採用された数々の古楽器の妙なる調べと、いかにも現代風のアンビエントやデジタルなビートが巧みに混ぜ合わされ、観ている人を時にしみじみとさせ、時に心臓バクバクに。
ノーランが自分の夢を叶えようと挑んだ、この一世一代の大勝負(現時点で、世界中で日本円にして1800億円を超える興収を上げているので、彼はもう完全にこの賭けに勝ったわけだが)、IMAX/GTで観られる人には、とりあえず彼の執念を全身で浴びてみることをおすすめしたい。
山下さんに、グランドシネマサンシャイン池袋のIMAXシアターで本作を体験いただいた
しかしこれでなければ『オデュッセイア』を観たことにならない、とまで言うつもりはない(なにしろIMAX/GTは日本にただ2箇所、池袋と大阪のエキスポシティにしかない)。というのも1:1.43比率の天地の高い巨大映像は、このショットでは上のあそこ、こっちのショットでは右のあそこと、画面全体を見渡すよりもその時々で大事な部分を注視する能動的な体験を促す。その引き換えとして、全画面を構図として捉えた時にはやや隙が感じられるショットもあるのだ。
その意味では予告編で使われている横方向2.39のスコープ比率の方が遥かに緊張感のあるコンポジションになっていて、「映画」を観ている気にさせてくれる。撮影が1.43のIMAXフィルムであっても、当然のことながらノーランもホイテマも他の画郭で上映される時の構図もしっかり考慮に入れていたはずだ。なので、GT以外のIMAX劇場(1.90)、ドルビーシネマ(劇場によって2.39か1.85)、一般劇場用のDCP(2.39)、35mmフィルム(2.39)、4DX とMX4D(これも劇場によって2.39か1.85)というさまざまなバリエーションのどれであろうと(さらに字幕と吹替の別を選ぶことも出来る)、そのフォーマットならではの『オデュッセイア』を味わえるはずだし、観に出かける人はそれとの一期一会を楽しめばいい。一人ひとりが経験する「往きて帰りし物語」、長旅の安全を祈ります。
『オデュッセイア』
●公開日:9 月 11 日(金)全国ロードショー
●配給:ビターズ・エンド ユニバーサル映画
●監督・脚本:クリストファー・ノーラン
ホメロス「オデュッセイア」に基づく
●製作:エマ・トーマス、クリストファー・ノーラン
●エグゼクティブプロデューサー:トーマス・ヘイスリップ
●撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ
●プロダクションデザイン:ルース・デ・ヨンク
●編集:ジェニファー・レイム
●音楽:ルドウィグ・ゴランソン
●VFXスーパーバイザー:アンドリュー・ジャクソン
●特殊効果スーパーバイザー:スコット・R・フィッシャー
●衣装デザイン:エレン・マイロニック
<出演>マット・デイモン、トム・ホランド、アン・ハサウェイ、ロバート・パティンソン、ルピタ・ニョンゴ、ゼンデイヤ、シャーリーズ・セロン
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