アクチュエーターで加振する有機ELテレビの前面ガラススピーカー、円筒形のファッションスピーカー……など、ガラスをスピーカーの振動板として使う試みは、業界でこれまで何回もあったが、私は感心したことは一度もない。ガラス臭さというか、癖っぽいグラッシーな音に辟易していた。ガラスは内部損失が低く、固有の音的な付帯音が残り、強度も弱く、低剛性だ……という具合に、スピーカーには最もふさわしくない素材というのが定説だった。
ところが……だ。眼前の、台湾のガラス材ユニットメーカーGAIT(Glass Acoustic Innovations Co., Ltd./ゲイトと読む)が組み上げた25mmトゥイーター+165mmウーファーのガラス振動板による2ウェイ搭載スピーカーBSP-24は、それとは真逆! 「ガラスのような……」という形容句は弱さ、儚さ、脆さ、柔い、不要振動……の喩えだが、眼前の音はまるで違う。
『エトレーヌ/情家みえ』の「チーク・トゥ・チーク」では、冒頭のアコースティック・ベースの量感/凝縮感が強く、速い。まったくもたれずに、ぐんぐん前に進む。ヴォーカルもたいへん明瞭で、ディテイルに至る感情表現が細やかだ。山本剛のピアノも躍動に満ちる。これが本当にガラス振動板なのか? ガラス臭さは皆無と言っていいほど「ない」。この音は速度が速く、剛性に優れ、内部損失が高いユニットでないと再生できないだろう。
取材は6月21日〜22日に開催されたOTOTEN 2025の翌日、HiVi視聴室で実施した。GAITが本国台湾で市販しているAlala BSP-24スピーカーシステムを持ち込み、2chステレオ構成で再生した。本スピーカーは、50ミクロン(0.05mm)厚の25mm口径高域ユニットと、200ミクロン(0.2mm)厚の165mm口径低域ユニットを搭載した2ウェイブックシェルフ型スピーカーで、2.4kHzのクロスオーバーで帯域分割されていた。出力音圧レベルは87dB、周波数特性は45Hz〜45kHzと超優秀。左ページに掲載している写真は、同機に搭載されている2つのユニットだ
良好な音響特性を備えた超薄板ガラス振動板
このガラスユニットの正体は何だ? スピーカーに不適とされていたガラスを見事に高音質振動板に変身させたのが、特殊ガラスの専門メーカー日本電気硝子(株)と、前述した台湾のGAITだ。日本電気硝子のディスプレイ事業部超薄板ガラス技術開発担当の野田隆行氏によると、ポイントは2つ。「超薄型化」と「強化」だ。
まず「超薄型化」。窓ガラスの厚みは3mm〜5mm、液晶ディスプレイのガラスは0.4mm〜0.5mmだが、そのさらに薄いのが、0.2mm以下の「超薄板ガラス」だ。平均的な髪の毛の太さが0.1mmだから、いかに薄いかわかろう。世界でこの薄さの薄板ガラスを量産できるのは数社のみ。同社は20年以上前から、超薄板ガラスの開発に取り組み、これまで折り畳みスマホ、人工衛星、光学機器、次世代ソーラーパネル……など世界で開発と実用化の例は数多い。なかでもスピーカー振動板用ガラスは世界でも日本電気硝子+GAITのみだ。
でも振動板として薄いことは望ましいが、脆弱なのでは?
「いや、それが違うのです。徹底的に強化したのです」と野田氏は言った。
「アルカリガラス(多成分ガラス)を硝酸カリウム溶液に浸すと表面に強化層が形成されます。その効果として、外部の衝撃や力により、ガラス表面の割れ目(クラック)を広げようとする力(引張り応力)がかかっても、内部では逆方向に圧縮しようとする力が存在するのです。その結果、力が相殺されるためクラックが進行しにくくなり、割れにくくなります。製造工程では端面処理も効きます。割れの原因となるガラス切断面を滑らかな状態に処理して、割れを防ぐのです。剛性に関しては、骨格となる元素の材料を変更して対処しました」(野田氏)
超薄板ガラス振動板自体が透明なため、ボイスコイルやダンパーなど、スピーカーユニットを構成するパーツが透けてみえる。日本電気硝子とGAITによる超薄板ガラス振動板を採用した製品としては、マークオーディオ製スピーカーが市販されているが、その振動板は同社の希望により、あえて白色に着色した状態に加工しているそうだ
前述した内部損失の高さも、化学処理の成果という。
「一般的な石英ガラスは原子が互いに緊密に結合した状態です。これは、状態の変化によって、振動を熱に変えて消失させにくい、つまり内部損失が低いことを意味します。ところが、アルカリガラスは結合の切れに伴なった内部構造の自由度が高く、振動を熱に変える度合いが大きい、つまり内部損失が高いのです。また強化によりヤング率(剛性)が上がるため、この強化策は強くするだけでなく、超薄板ガラスに良好な音響特性を付与します」(野田氏)
なるほど、これまでのガラスを振動させるスピーカーからガラスの音がするのは、まさに原子の結合の緊密さゆえだったのか。内部損失を表した損失係数(Dissipation Factor/DF)は、石英ガラスで0.004、超薄板ガラスでは0.015と約3.8倍も違うのだ。
ここでもう一方の主役が登場する。オーディオシーンでガラス素材の可能性を拡げるべく、2020年に設立された台湾のスタートアップ企業GAITだ。創業者兼社長の周 耀聖氏はこう述懐した。
「当時、平面型スピーカーの振動板に適した“薄くて強い”素材を探していました。そんな時に超薄板ガラスに出会い、これは行けるかもと直感したのです」(周社長)
日本電気硝子の超薄板ガラスと出会った場所が面白い。スピーカーとはまったく関係のない、台北で2023年4月に開催された新技術の展示会「Touch Taiwan」だった。ここに同社が、ロール巻きにできるほどの薄いガラスシートを出展。GAITも同じく同展示会に出展していて、会場でたまたま日本電気硝子のブースを覗いたら、探し求めていたガラスがあった。ポイントは薄さだった。液晶パネル用のガラスは0.4mmだから厚すぎるが、ロール巻きにできるような極薄ガラスを見て、これは自分たちが求めている薄さのガラスはではないかと、周社長は閃いたのだ。問題は強度だったが、展示会で相談するとそれも「目処が付く」(野田氏)という。
「薄さと強度に加え、ガラスの平坦性も決め手でした。日本電気硝子の試作ガラスを使えば平坦なままに振動板として加工できると確信しました」(周社長)
この出会いは、日本電気硝子にとっても渡りに船だった。超薄板ガラスをスピーカー振動板に応用する計画がすでに同社にはあって、2015年あたりから世界の音響メーカーに提案していたが、加工できるユニットメーカーがないという課題に直面していた。だから、GAITに期待したのだ。
幅60mmのUTG(超薄板)振動板。色がついているように見えているが、撮影用ライトの影響であり実際は透明。緩やかなカーブを描きながら、中央部をドーム状に加工されている。日本電気硝子が極薄ガラスを素材として台湾のGAITに納品、GAITがHi-Fiオーディオ再生にフィットするような複雑かつ立体的な加工を行なう
高音質再生に必要な特性の「いいとこ取り」を実現
しかし、現実にこんなに薄いガラスを三次元に加工するのはたいへん難しかったという。薄いガラスは加工時に板厚が不均一になり、形状が崩壊……などの問題が起きやすい。割れることもある。
GAITで研究開発担当副社長を務める陳 冠傑氏は「加工は700度に熱した超薄板ガラスを金型成型して行ないます。成形は薄ければ薄いほど非常に繊細で難しくなります。いかにプレスで超薄板ガラスを平坦にするか、しわにならないようにするか。特に接着が問題でした。超薄板ガラスに適合した接着剤を見つけるのがたいへんでした」と、明かした。
では苦労の末に開発に成功した超薄板ガラスは、どんな特性を持ったのか。振動板には、「剛性が高い」「適度な内部損失」「軽い、薄い」「音が速い」「レスポンスが俊敏」……、など様々な必要条件がある。
「超薄板ガラスはこれまでの紙、樹脂、金属に比べ、スピーカーユニットに求められる全ての条件を、高いスコアで充たしているのです」と野田氏は言う。
①剛性。正確なピストン運動を維持するためには、変形のしにくさが大事。音響的には音の立ち上がりと、分割振動の抑制に効く。素材の硬さや剛性を示すヤング率は「樹脂1.9」、「ポリプロピレン1.4」「アルミニウム70」「超薄板ガラス70〜90」と紙や樹脂よりも、高い。
②内部損失。高いと音の立ち下がりが速い。音が立ち上がってから消えるまでの比率の損失係数を比較すると、アルミニウムとチタンの7.5倍。ベリリウムの2.5倍と、圧倒的に高い。ちなみに、石英ガラスと比較すると前述のごとく「石英ガラス0.004」に対し「超薄板ガラス0.015」と、これも格段に違う。前述した印象の理由がこれだ。
③軽さ。軽いと音の反応が速い。質量は紙を「1」とすると、「アルミニウム2.7」、「チタン4.5」に対して、「超薄板ガラス2.4」と軽い。
④音の伝達速度。速度/秒は「紙3200メートル」「アルミニウム5400メートル」「チタン5200メートル」に対して「超薄板ガラス5800メートル」、紙を1とすると、その1.8倍。アルミニウムの1.07倍、チタンの1.1倍だ。
「このように、超薄板ガラス振動板は高剛性、内部損失、軽さ、音速という、高品質な音響に求められる特性の“いいとこ取り”を実現しているのです」(野田氏)
前述の印象は確かに、素材自身のスペック値で裏付けられていたのであった。
日本電気硝子とGAITによる超薄板ガラス振動板は、様々な薄さ、サイズ、形状が実現できている。今回は、いくつかの試作品をお借りして撮影した。中段の左は、超高域ユニット向けの25ミクロン(0.025mm)という薄さ。人間の平均的な髪の毛は50〜100ミクロン程度なので、その半分から4分の1というから驚く。その隣は35ミクロンと50ミクロンの厚さで、2ウェイもしくは3ウェイ機の高域ユニットに最適なサイズだろう
ハイエンドスピーカーへの早期の採用を目指し開発中
今後の展望は3つ。周社長が言う「まずサイズアップです。現在、6.5インチ(16.5cm)まで製造可能ですが、これを早晩、8インチ(20cm)まで拡大したい。現在、その開発を進めています。用途も拡げたい。イヤホンはすでに実用化し製品も市販されていますが、自動車用のスピーカーユニットやヘッドホン向け振動板……などがプロジェクトとして進んでいます。3番目はハイエンドなスピーカーメーカーに採用してもらうことです。2023年からドイツ・ミュンヘンで開催された<High End>オーディオショーに出展して、たくさんの注目をいただきました。ぜひ今後にご期待下さい」(周社長)
紙、樹脂、金属……とスピーカーユニット素材は様々に開発されてきたが、ガラスで本当のHi-Fi再生を可能にしたのは事実上、世界初だ。今後の展開が大いに楽しみだ。
左から日本電気硝子(株)の、野田隆行さん(ディスプレイ事業部 品質保証部 製品技術グループ 超薄板ガラス技術開発担当)、萬 于如さん(ディスプレイ営業統括部 営業部 第二グループ 超薄板ガラス営業担当)。Glass Acoustic Innovations Co.,Ltd.の、周 耀聖さん(董事長[創業者兼社長])、陳 冠傑さん(副社長、研究開発担当/ガラス振動板技術開発担当)。HiVi視聴室で取材に応じてもらった
>本記事の掲載は『HiVi 2025年秋号』