§16 ヘッドホン装着スタイルの変遷(後編)
前回の本連載ではヘッドホンの装着スタイルについて、基本的な分類や「ウォークマン」登場以降の変化、特にドライバーの小型化進化にまつわる装着スタイルの変遷を紹介してきました。後編となる今回は、更に多様な発展があったヘッドホンの装着スタイルについてご紹介してまいります。
③エルゴノミック 自由曲面の潮流
ドイツ生まれでたいへん個性的な作品を多数手がけたLuigiColani(ルイジ・コラーニ、1928〜2019)というデザイナーがいます。
「バイオデザイン」のデザイン思想を持ち、「自然界に直線はない、有機的な曲面で構成されている」という信念のもと、自動車、航空機、家具、食器、キッチン、家屋、都市に至るまで、未来志向な作品を生み出してきた方です。
コラーニデザイン;1955 Fiat 1100 TV、1983 Adam&Eve glass(http://www.papiercolle.net/critique/colani.html)
ソニーは次世代ヘッドホンのデザインの方向性を探る中で、コラーニのデザイン思想に通じる要素があると考え、共同でのデザイン検討を行いました。
より人体に快適にフィットさせる構造、身に着けていて外観的にも人体に有機的に融合する形態、そういった観点で多くのスケッチやモックアップのやり取りを行い、最終的に1986年に発売されたのが「MDR-A60」です。
「MDR-A60」(1986)
この製品では、すべての製品外面を自由曲面で形成し、ヘッドバンドからスライダー、ユニットハウジングに至るまでの流れで連続的に捻じれてつながる曲面や、製品を装着する際につまむ左右の指が掛かる窪みなど、従来の製品デザインプロセスでは得られにくいデザイン要素が具現化されていきました。
しかし、実はMDR-A60の設計を開始した頃というとは、まだ3D設計ツールが存在していない時代でした。設計現場ではまだドラフターや2次元CADでの設計を行っていて、この自由曲面の設計は従来の2次元設計手法の制約下で、たいへんに苦労してこれを実現していったのです。いわゆる3面投影図で流れの軸となる中心曲線を定義し、線上のとびとびの何点かで断面形状を展開し、点と点の間は断面が徐変する、というルールで形状定義としました。ある程度は曖昧さの残る形でしたので、金型製作時には金型メーカーとの間で多くの調整が必要になったのは言うまでもありません。
こうして自由曲面を使うことによる製品デザインの進化を実感したソニーでは、ちょうどその頃FRESDAM(フレスダム)という独自の3次元デザインシステムを開発していて、このような「エルゴノミクス」の設計思想をヘッドホンデザインの中で多く取り入れてゆくことになります。「MDR-E484」(1988)や 「MDR-R10」(1989)といった製品ではFRESDAMを使うことで、自由曲面を用いた設計がずっと短期間で可能になっていきました。
「MDR-E484」(1988)
FRESDAMによるハウジング部の3D ワイアフレーム画像(※カタログより画像取り込み)
その後、3D CADが進化して汎用的に使われるようになると、以降は自由曲面デザインの多用が一つのブームのようになりました。
例として、my first Sonyの「ウォークマン」やスポーツ用ヘッドホンなどでも、その構成面を有機的な曲面でデザインを施すことで効果を上げていることが確認できるかと思います。
my first Sonyの「ウォークマン」と付属ヘッドホン「MDR-007」(1988)。右は「MDR-W20G」(1998)
2000年以降では、逆に球や円筒の幾何学シェイプによる製品デザインへの回帰のトレンドも現れ、シンプルでエコなイメージがむしろ新鮮な印象を与えているケースも増えたと思います。
④装着形態の多様性
さてヘッドホンの装着スタイルには、ひじょうに多種多様なバリエーションがあるので、そちらについても紹介していきたいと思います。
これらは、単に物理的に装着可能な形態を具現化しただけでなく、時代ごとの音楽文化や生活様式を反映したものがあり、興味深いと思います。
ヘッドホン開発の黎明期に登場したメルカディエの聴診器形の装着スタイルは着脱が容易な点が特徴で、その後も航空機内の音楽サービスや、「ディクテーション」といってレコーダーを使った語学学習や文字起こし業務用のもの、高齢者向けのヘッドホンとしても活用されています。高齢の方にとっては、装着時に腕を高く上げる必要がない点も評価されています。
「MDR-U5」(1981)
1982年に市場導入されたIE形N・U・D・Eシリーズでしたが、すぐに大きなヒットになったわけではなく、ゆっくり市場に浸透していきました。ヘッドバンド式のオープンエアヘッドホン自体が新しい装着スタイルとして定着していく過程だったのです。そんな時期に、MDR-E252と同じ16㎜のドライバーを使ったヘッドバンド装着モデル「MDR-W30」を導入しました。このヘッドホンは、1983年に発売されたカセットケースサイズのウォークマン「ウォークマン WM-20」に同梱されると同時に、単品売りもされています。
MDR-E252ではドライバーが耳甲介腔の底面に水平に収まるのに対して、MDR-W30では縦に挟み込まれる配置になっています。とても柔軟なヘッドバンドで軽く装着されるため、快適性においてはひじょうに優れたスタイルだと思います。
「WM-20」(1983)
「MDR-W30L」(1983)、およびその装着状態説明図
1990年代になると、若者の間でヒップホップやスケートボードといったストリート系のファッショントレンドが起き、ソニーではそういった文化にぴったりするヘッドホンのデザイン開発を進めました。そうして1997年に生まれたヘッドホンが「MDR-G61」です。ヘッドバンドを首の後ろに回した「ネックバンド」の装着スタイルで、スケートボードのようなアクティブな動作でも頭から外れることなく、またヘッドバンドのような髪型への制約が無い、「Street Style」と呼べる新しい装着スタイルが実現できたのです。
「MDR-G61」(1997)
Street Styleヘッドホンが市場で爆発的に売れた頃から、ヘッドホンユーザーの多くは一人で複数台のヘッドホンを所有し、その日の服装や気分で着替える、つまりヘッドホンをファッションアイテムとしてとらえる文化が定着しつつありました。
そんなトレンドを追って2000年に商品化されたのが、クリップ装着の「MDR-Q33SL」でした。ファッションアイテムとしてのヘッドホンコンセプトを徹底的に追及したこの機種では、耳周りで三日月形のカラフルなキャップを着せ替え可能にし、2色✕5機種の組み合わせが楽しめる仕様にしました。また、ヘッドホンコードでは組みひもを採用しテクスチャーや柄にも多様性を持たせるなど、「見せるヘッドホン」の在り方を徹底的に追及したのです。
「MDR-Q33SL」(2000)と着せ替えキャップ
このクリップ式装着ですが、海外ではMDR-Q33SLのような「かわいい」ファッション訴求はなされなかったものの、MDR-Q33SL同様の耳にクリップする装着スタイルながらIEバーチカル形でスマートな、「MDR-J10」が大きなヒットになりました。
日本でも海外でも、クリップ装着の機能性は評価されたものの、ファッションとしてのテイストの違いが大きかった点は面白いと思います。
「MDR-J10」(2002)
これらの装着形態の多様な変化を追うムーブメントは、単に「物理的に装着可能な形を追求する意図」だけでなく、また「ヘッドホンの服飾としてのファッション性を表現する意図」という言葉でも、私にはまだ少し足りない気がします。
今の音楽文化で、その人が聴く音楽というものはその人の生き方の主張となって、外観にも表現されるものです。したがって、ヘッドホンが音楽を再生する機器であり、かつ個人の音楽主張を周囲の目に示す選択肢としても存在しているがゆえに、個々人の多様な音楽観と違和感なくマッチするデザインが求められているのだと思います。ヘッドホンには、そのデザインや再生音質に、より高い音楽性が求められる時代となってきたと、私は感じていました。
近年でも、様々な装着スタイルが考案され続けていて、それぞれに顧客に新しい体験の提案やメッセージが発信されています。
あと3つだけ、私が特徴的と思う装着スタイルの製品を紹介します。
2017年に発売された、ambie。「イヤカフ」と呼ぶ、耳輪の外側からクリップする方式で、軽量と快適さが特長です。
2018年に発売された、「Xperia Ear Duo」。イヤーハンガーを耳介の下にループさせることで、可動部品無しでの安定した音質と装着の幅を実現しています。
2023年に発売された、「Float Run」。ネックバンドとイヤーハンガーを併用したデザインで、ランニングのようなアクティブな動きでも外れにくく、かつ快適な装着性があります。
ambie、Earduo、Float Runの装着画像
これら3機種は、いずれも開放型の音響を提供しており、がっつりと音楽に没入する鑑賞用途でなく、周囲の音も聞きつつの「ながら聴き」や音声通話を用途としている点が特徴的です。
元々が業務目的の通信用途で開発されたヘッドホンが、長年音楽鑑賞用途に変って市場に広く普及してきて、今ふたたび通信機能やコミュニケーション機能も取り込む形で進化を続けていることには感慨深いものがあります。
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電話の受話器を起源としているヘッドホンですが、その装着スタイルにおいて多様な発展をしてきたことがご理解いただけたかと思います。このような進化を推進してきた要素としては以下のような点が上げられます。
・素材の基礎技術をベースとしたドライバーなどのキーデバイスの進化
・接続機器を含めた音楽の聴き方やファッション要素の変化
・個人の音楽主張を反映した音質や外観を求める顧客トレンド
・ヘッドホン製品のデザイン、設計、生産を実現するツールの高度化
・生活の中で求められる新しい機能性の多様化
こういった、複数の時代要求に突き動かされて、ヘッドホンの装着スタイルは多岐にわたる発展を遂げてきました。逆に、ヘッドホンの装着スタイルの進化があったからこそ、人々に音楽のリスニングスタイルや、しいてはライフスタイルの変化までをもたらして来たともいえるのではないでしょうか?
今後とも未来に向けて更に様々な技術の進化やエンタテインメントの変化の予想がある中で、ヘッドホンの形態がどのような発展をしていくのか、とても楽しみです。