映画化してくれたことに感謝したい。というのも、この作品の基になった実話を、私は不勉強にして今の今まで知らなかったからだ。

 主人公は元国会議員のルーベンス・パイヴァ(軍事クーデター後、海外に拠点を移していたことがある)と、妻エウニセのふたり。1970年代前半のある日まで、彼らは5人の子供たちとピースフルに暮らしていた。その中のひとりはジョン・レノンに夢中で、ザ・ビートルズゆかりの地のひとつであるロンドンの「アビー・ロード・スタジオ」で記念写真を撮ったほど。旅行中に訪れたレコード店で撮影した写真には、ボビー・ハッチャーソンの『サンフランシスコ』や、ギル・スコット=ヘロンの『ピーシズ・オブ・ア・マン』などが面出しされている。そして家にはカエターノ・ヴェローゾやキング・クリムゾンなどのレコードがある。

 これだけで、この家族が「自由」や「自らの意志で行動する」ことを尊重する人々であることが私には見えてくる。が、ブラジルの同時代は「軍事独裁政権」の手にあった。なんの異議も唱えず、武力を振りかざす者の言いなりになる奴以外は「非国民」だった。ピースフルな毎日は、ルーベンスがスパイの容疑で軍に連行されることで終止符を打たれた。続いてエウニセも連行された。布を頭から被せられ、いったい自分がどこに連れ去られていくのか、どこにいるのかわからないまま、執拗な取り調べを受ける。調べる方は自分が「国のために正しいことをしている」と思っているから手に負えない。これを洗脳という。

 エウニセは釈放されたが、ルーベンスの所在は謎のまま。エウニセも年齢を重ねた大人であるので察するところがあったのだろう、「夫の行方を案じて」いても途方に暮れることはなく、その悲しみや世の中へのアティテュードを原動力に、鮮やかで新たな、それまでとは一種異なる歩みを始める。「転んでもただでは起きない、生き抜いてやる、それが私のルーベンスに対する愛情表現であり、世界平和へのメッセージなのだ」という声が聞こえてきそうなほどの、シャキッとした道程だ。

 監督はウォルター・サレス(パイヴァ家と親交を持つ)、出演はフェルナンダ・トーレス、セルトン・メロ、フェルナンダ・モンテネグロほか。第97回アカデミー賞で作品賞・主演女優賞・国際長編映画賞の3部門にノミネートされている。劇中には、前述のカエターノのほか、チン・マイア、トン・ゼー、オス・ムタンチス、ガル・コスタ、ロベルト・カルロス、アメリカのダニー・ハサウェイなどの楽曲が挿入されている。

映画『アイム・スティル・ヒア』

8月8日(金)新宿武蔵野館ほか全国ロードショー

監督:ウォルター・サレス
脚本:ムリロ・ハウザー、エイトール・ロレガ
出演:フェルナンダ・トーレス、セルトン・メロ、フェルナンダ・モンテネグロ
音楽:ウォーレン・エリス|撮影:アドリアン・テイジド|2024年|ブラジル、フランス|ポルトガル語||137分|カラー|ビスタ||5.1ch|原題:AINDA ESTOU AQUI|英題:I'M STILL HERE|字幕翻訳:原田りえ|レイティング:PG12
提供:クロックワークス、プルーク 配給:クロックワークス
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