みずみずしく、すこぶる居心地のいい楽曲群。時とともに忘れ去られてしまった極上級の魅力作

広くは知られざる、そうでなければ時とともに忘れ去られてしまった逸品傑物の類が、世の中にはあって、どこかで眠っているものだ。そう思わずにいられない、極上級の魅力作がここに登場。覚醒した。

それは遥か遠い1967年11月のライヴ録音『コシジ・イン・ベラミ−ナイトクラブの越路吹雪−』。SACD/CDハイブリッド仕様によるSSリファレンスレコード・デビューだけれど、オリジナルはもちろんアナログ記録。初のSACD化にあたって今回使用された音源も、アナログのマスターテープである。

1967年といえば、日本は高度成長期の真っ只中。国民総生産が超大国アメリカに次ぐ世界2位にランクされ、ナンバー1だって夢じゃないなどともてはやされる元気のいい年だった。なにしろ時速210kmで新幹線が毎日疾駆している国なんて、日本だけだったのだから。僕らのオーディオも、ちょうど真空管からトランジスターへの劇的な技術転換期を迎え、秋葉原界隈の専門店に並ぶアンプやスピーカーたちの顔ぶれも日に日に新しく、洗練されていった。

そういう、若くてひたすら元気がいいあの時代のエネルギーが、キラキラ透き通るような輝きと熱気を振り撒きながら飛んでくる、とでもいえばいいのだろうか。編集部から渡された『コシジ・イン・ベラミ』のディスクは、なんと昨日の晩に収録されたばかりのライヴサウンドがもう待ちきれず目の前に躍り出る勢いで歌い始め、筆者を圧倒しにかかった。かなり癖っぽいジムランの4インチホーンドライバーがいきなり屈託なく、これほど嬉しそうに鳴るのは、ほんとうにめずらしいことなのだ。

この時、このディスクに対して、失礼ながらこの私は一片の予備知識ももっていなかった。越路吹雪のシャンソンコンサート盤だとは知らされていたけれど、添付ブックレット以外の資料も皆無。プレーヤーのSACD再生表示だけは、何度か確認しながら聴いた。

Stereo Sound REFERENCE RECORD
SACD/CDハイブリッド盤『越路吹雪:コシジ・イン・ベラミ−ナイトクラブの越路吹雪−』

(ユニバーサル ミュージック/ステレオサウンド SSMS-068) ¥4,730 税込

1.オープニング
2.決して云わないで
3.チャンスが欲しいの
4.ミロール
5.愛のバラード
6.サン・トワ・マミー
7.オー・パパ
8.家に帰るのが怖い
9.ヒット・メドレー
 A)ラブ・ユー
 B)恋ごころ
 C)夜霧のしのび逢い
 D)想い出のソレンツァラ
 E)ろくでなし
 F)じらさないで
 G)ラスト・ダンスは私に
10.愛の讃歌(アンコール)収録曲

●マスタリングエンジニア:松下真也(PICCOLO AUDIO WORKS)
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冒頭、柔らかい拍手の広がりが、ライヴの気分を温かく盛り上げ、続いて手短かなオープニングの挨拶が済むと、おもむろにドライブ感満点のベースが唸りをあげてパワフルなリズムを刻みだす。もう待ちきれず目の前に、と先に記したのは、それらの間合いとテンポの切れ味が絶妙に素敵だったからである。

越路のヴォーカルは、むしろ落ち着いた丁寧な表現で、リラックスしている。会場の「ベラミ」は当時、京都の三条大橋近くにあった高級ナイトクラブで、土地の名士が集う一流の客筋。ステージに上がるミュージシャン達も、時の大物・人気者揃いだったようだ。その筆頭格に名指される大歌手の一人が越路吹雪、ということだ。場所としては大きな劇場等と異なるくつろいだ雰囲気とともに、芸に対するシビアな反応だってかえってくるだろうから、音楽表現のレベルはおのずから高くなる、ともいえそうだ。

このディスクで歌われているのは、ぜんぶではないけれどフランス歌曲、シャンソンである。熱心な愛好家は別にして、60年近く昔のシャンソンアルバムといわれても、あるいはことし2024年、パリのオリンピックイヤーだよね、と念を押されても、ピンとくるひとはむしろすくないかもしれない。

テケテケテーのベンチャーズでロックに掴まった化石世代の筆者だってよく知らない。当時の僕らにとってシャンソンは、1950年代までに華の欧州文化を夢見た人びとのお出かけ音楽だったのだ。

ところが、いま聴いてみるとちがって、『コシジ・イン・ベラミ』にはすこぶる居心地のいい音楽が集まっていた。もともと優れたアナログ録音が、驚くばかりのミントコンディションでデジタルに変換保存されて、なんともみずみずしい音質のディスクになっている。そのことがおおきな理由ではあるけれど、もちろんそればかりではない。シャンソン知らずの自分にも理解できる、愉しめる音楽。いつかどこかで聴いたことがあるような曲目が的確な割り振りで綺麗に並び、アプレゲールやノワールのあぶない陰を包み込んでいる。越路吹雪はそして、それらすべてを日本語で、しかもシャンソンらしい軽みを乗せて見事に歌いこなす。

この頃、ステージ用途のワイヤレスマイクはまだ実用化されていない。上手な歌手ならつかい馴れたワイヤードマイクを自在に操るので、ライヴヴォーカルの音質は意外に優秀だ。このディスクの越路の声もよく録れていて、再生システムのクォリティチェックにつかえる。

そこで歌詞を追いかけながらいい気分で聴いているうち、あることに気づいた。ヒット・メドレーの中のただ一曲を除いて、訳詞のクレジットがどれもおなじ名前。ぜんぶ岩谷時子である。無知な筆者にとって、これは驚天動地の大発見だった。

なぜなら、岩谷時子というとちょうどあの頃、「ぼくぁ~幸せだなぁ」の若大将(加山雄三or弾厚作)とともに日の出の勢いで出てきた異才の新人だとばかり思っていた。ところが事実はちがった。

このひとは1916(大正5)年生まれで越路より8歳も年上。越路の専属マネジャーのような仕事をしながら作詞を引き受けていたのだという。たとえばきっと誰でも知っている越路の十八番「愛の讃歌」の“あなたの燃える手で”は、1952(昭和27)年、越路のために岩谷が書いた詩だったのだ。56歳まで現役を貫いた名花・越路吹雪、終生の懐刀が、あの大詩人だったとは……。

あれやこれやびっくり感嘆することばかりのSACD版『コシジ・イン・ベラミ』だけれど、ひとつ付言しておきたい。おそらくあの時代の録音機材の限界で、音場のまとまりというか統一感がいまひとつだ。本誌の読者諸氏なら、サラウンド仕様のAVセンターを所有しておいでだろうから、デジタル・アップミックスや音場創成等の再生機能を積極活用し、“マイホームシアターのベラミ空間づくり”に挑戦してみてはいかが? と思う。それは、マルチチャンネルサラウンドに取り組んでいるひとだけが行使できる特権なのだから。